シアター・イメージフォーラムで映画「ネタニヤフ調書 汚職と戦争」を鑑賞してきました!

シアター・イメージフォーラムで映画「ネタニヤフ調書 汚職と戦争」のチケットとパンフレットを購入してから、パンフレットを読みながら、スターバックスで上映時間を待って、シアター・イメージフォーラムで映画「ネタニヤフ調書 汚職と戦争」を鑑賞しました。

シアター・イメージフォーラム

JR線渋谷駅ハチ公改札から出ます。

宮益坂口へ向かいます。

宮益坂下交差点を渡ります。

宮益坂を上ります。

宮益坂の上で2つの横断歩道を渡ります。

道なりに歩いて、最初の横断歩道を渡ります。

向かい側の細い道の先にシアター・イメージフォーラムがあります。

シアター・イメージフォーラムです。

映画「ネタニヤフ調書 汚職と戦争」

予告動画です。

チケットです。

パンフレットです。

あらすじ・感想

ハマスを成長させたのはベンヤミン・ネタニヤフで、ベンヤミン・ネタニヤフによる自作自演

原題は「The Bibi Files」で、「Bibi」はベンヤミン・ネタニヤフの愛称で、「Files」はラストにシュレッダーで破棄される供述調書です。
邦題は「ネタニヤフ調書 汚職と戦争」は、「ネタニヤフ調書」はラストにシュレッダーで破棄される供述調書で、「汚職と戦争」は戦争で汚職を隠蔽するという意味です。
邦題の方が原題より分かりやすいです。
ベンヤミン・ネタニヤフは、もみ消せると思っていた情報が映像で流出したというところが面白いです。
ベンヤミン・ネタニヤフは、カタールを通じてハマスに資金援助して、ハマスを武装化させた上で、ハマスにイスラエルを攻撃させ、パレスチナ人を虐殺し、パレスチナ自治区ガザでの停戦を協議するためカタール首都ドーハに集まっていたハマスの代表団を標的に空爆するというのは、ここまでやるのかと驚愕しました。
イスラエルは、古代イスラエル王国のように地上から消えてなくなれと感じました。

このベンヤミン・ネタニヤフを支持する米国では、この映画は上映禁止にされるだけでなく、映画のレビューすら許されていないようです。
2024年7月25日、米国の政治家たちが米国連邦議会上下両院合同会議で演説するベンヤミン・ネタニヤフにスタンディングオベーションするシーンを米国民に見られたくないからだと思います。
2024年11月21日、国際刑事裁判所(ICC)は戦争犯罪と人道に対する罪で、ベンヤミン・ネタニヤフに対して逮捕状を発行します。

米国の政治家たちが米国連邦議会上下両院合同会議で演説するウラジーミル・プーチンにスタンディングオベーションするのと同じだということです。
米紙ニューヨーク・タイムズ、米紙ワシントン・ポストや米誌US News and World Reportは、安倍晋三が「桜を見る会」招待者名簿をシュレッダーで廃棄したことを大々的に報道しましたが、ベンヤミン・ネタニヤフが供述調書をシュレッダーで廃棄したことを報道することはありません。
米国の大統領、政治家とメディアはこんな程度なので、まともに相手にすることはないです。

日本の政治家たちが余計なことをする前に、日本の敵となるロシア、中国と韓国を潰しておいたのは良かったです。

イスラエルのチャンネル13の記者であるラヴィヴ・ドゥルッカーが事件について説明するシーンとベンヤミン・ネタニヤフが事情聴取を受けるシーンが交互に登場するという演出方法です。
ドキュメンタリーで、イスラエルとパレスチナ問題を取り扱っているので、中東情勢に詳しくないと、会話の内容についていくことは困難です。
映画で伝えられる内容に機密性はなく、イスラエル人であれば、知っている程度の内容です。
日本では報道されることは全くなく、インターネットで調べるのにも苦労します。
中東情勢に詳しくない人は、パンフレットは良くできているので、鑑賞前に購入し、内容を知っておくと字幕を読みやすくなります。
パンフレットの中に登場する町山智浩さんは、以下の通りで、ヘタレです。
2025年9月11日、クリストファー・ランドー米国務副長官が「チャーリー・カーク氏の死を軽視・暴力賛美する外国人はビザ取り消しや入国禁止もあり得る」と警告し、投稿の通報を呼びかけます。
2025年9月12日、町山智浩さんは、チャーリー・カークに関する✕(エックス)に投稿した内容を削除します。

長期政権では、小さな問題が、大きな問題へと発展することが重要です。
1993年、ベンヤミン・ネタニヤフのセックステープスキャンダルによって、妻サラ・ネタニヤフの言いなりになり、ハリウッドの映画プロデューサーのアーノン・ミルチャンやオーストラリアの大富豪ジェームズ・パッカーから贈り物をねだるようになり、ハリウッドの映画プロデューサーのアーノン・ミルチャンにに有利な税制改正を行い、米国ビザの件で便宜を図り、大手新聞イエディオト・アハノロトやWallaに好意的な記事を書いてもらうために、便宜を図り、事件を隠蔽するためにパレスチナ人を大量虐殺するという戦争にまで発展してしまうということです。
始まりは不倫ですが、パレスチナ人を大量虐殺するという戦争にまで発展してしまうということです。
ハニートラップは、政治家に有効であることが証明されました。
今も、第二、第三のジェフリー・エプスタインが米国で暗躍していることでしょう。

ベンヤミン・ネタニヤフが事情聴取を受ける事件は、知らないと理解できません。
イスラエル検察当局は、ベンヤミン・ネタニヤフをハリウッドの映画プロデューサーのアーノン・ミルチャンやオーストラリアの大富豪ジェームズ・パッカーから葉巻やシャンパンなど総額30万ドル(約4,500万円)の贈り物を受け取って、アーノン・ミルチャンに有利な税制改正を行い、アーノン・ミルチャンの米国ビザの件で便宜を図っていたとされ詐欺と背任の容疑、大手新聞イエディオト・アハノロトの発行人アーノン・モーゼスに競合他社を弱体化させる法案と引き換えに、好意的な記事を掲載するよう求めたとして詐欺と背任の容疑、大手通信ベゼックの筆頭株主であるシャウル・エロヴィッチに約5億ドル(約750億円)相当の規制上の便宜を図る見返りに、好意的な記事を「Walla」に掲載してもらう取り決めや人事を交わしたとして、贈収賄と詐欺、背任の容疑をかけられ、起訴され、事情聴取が行われた様子が上映されます。

アーノン・ミルチャン、ジェームズ・パッカー、アーノン・モーゼス、シャウル・エロヴィッチの名前は説明はなく登場するので覚えてから鑑賞すると理解が深まります。
ベンヤミン・ネタニヤフは、ベザレル・スモトリッチを財務大臣に、イタマル・ベングヴィルを国家安全保障大臣に任命します。
ベンヤミン・ネタニヤフは、ドナルド・トランプ米国大統領と共にアラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、スーダンとと国交正常化をして、アラブを分断し、パレスチナ人を孤立させ、ガザ等を攻撃するという計画を持っていたという印象です。

ベンヤミン・ネタニヤフは、事件の核心については「記憶にない」の一点張りで、さらに追い込まれるとテーブルを叩くようになります。
日本の政治家の「記憶にございません」を想起させるので、面白いです。

日本では、自民党による独裁政権が続いきたので、このような問題が起きても、問題にさえなりません。
公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の高橋治之理事は、大会スポンサーの紳士服大手AOKIホールディングスからだけで、コンサルタント契約を締結し、約4年で計約4500万円を受領し、紳士服大手AOKIホールディングスは大会スポンサーに選ばれました。
日本では、約4500万円の金を受け取っても大きな問題にすらならず、忘れ去られているのが現実です。
日本では、大手メディアが日本政府に対して、忖度することは当然で問題にはなりません。

日本の報道の自由度ランキング(2025年)は66位です。
イスラエルの報道の自由度ランキング(2025年)は112位です。
日本の報道の自由度は、イスラエルの報道の自由度よりも劣るというように感じます。

日本政府が外国人を日本に呼び寄せているのは、日本人と外国人を対立させ、日本人が外国人を敵視し、日本人を右翼化し、法改正を目指して、戦争を支持させようとしているような気がしてなりません。
日本の右翼的な政治家の代表として安倍晋三がいて、安倍晋三が春節の祝辞を在中国日本国大使館の公式HPに掲載しましたが、安倍晋三を支持する人は安倍晋三を批判しません。
日本人の82%の人々は、安倍晋三よりさらに右翼化し、裏金議員を重用する高市早苗を支持するようになります。
ベンヤミン・ネタニヤフが言っていることは、安倍晋三や高市早苗が言っていることと同じです。

年表です。

父親は、ロシア帝国ポーランド領で生まれたシオニスト運動家のロシア名はネイサン・ミレイコフスキーで、ベン=ツィオン・ネタニヤフです。
母親は、ジラ・ネタニヤフです。
シオニスト運動は、神によって選ばれたユダヤ人がイスラエルに国家を作るという思想です。

1933年、ユダヤ人人口が最も多かったのは、ポーランド、ソ連、ハンガリー、ルーマニアを含む東欧です。

1946年3月13日、ヨニ・ネタニヤフは、アメリカ合衆国のニューヨークで生れます。
1949年10月21日、ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエルのテルアビブで生れます。

1956年~1958年と1963年~1967年、ベンヤミン・ネタニヤフは、アメリカ合衆国のペンシルベニア州フィラデルフィアに住み、チェルテナム高校を卒業します。

1967年、ベンヤミン・ネタニヤフは、高校卒業後、イスラエル国防軍の特殊部隊サイェレット・マトカルに所属します。

1967年6月5日~6月10日、ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエル国防軍の特殊部隊サイェレット・マトカルの一員として、第三次中東戦争に従軍し、勝利します。

1968年9月8日~1970年8月8日、ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエル国防軍の特殊部隊サイェレット・マトカルの一員として、消耗戦争に参加しますが、米国とソ連によって停戦させられ、勝利には至りません。

1972年5月8日、パレスチナ武装組織「黒い九月」は、サベナ航空572便ハイジャック事件を行い、イスラエル国内の刑務所に収監されている315人のパレスチナ人テロリスト全員の釈放を要求します。
イスラエル政府は、パレスチナ人テロリスト全員の釈放を拒否して、イスラエル国防軍の特殊部隊サイェレット・マトカルをサベナ航空572便に突入させて、2人の犯人を射殺し、残る2人の犯人を逮捕して、制圧し、解決します。
ベンヤミン・ネタニヤフは、この作戦に参加しています。

パレスチナ武装組織「黒い九月」は、サベナ航空572便ハイジャック事件を元にテルアビブ空港乱射事件を計画しますが、アラブ人では警戒されるので、テルアビブ空港乱射事件を赤軍の奥平剛士に依頼し、実行することになります。

1972年5月30日、赤軍の奥平剛士、安田安之と岡本公三は、次期イスラエル大統領候補のアーロン・カツィールを殺すために、テルアビブ空港乱射事件を実行し、次期イスラエル大統領候補のアーロン・カツィールを含む乗降客を中心に26人が死亡させ、80人が重軽傷を負わせます。
赤軍の奥平剛士、安田安之と岡本公三が無差別に一般市民を襲撃し、生還することを顧みない自爆テロです。
奥平剛士と安田安之は、事件の最中に死亡しますが、岡本公三は逮捕され終身刑になりますが、捕虜交換によって、釈放され、レバノンに住んでいます。

日本政府は、テルアビブ空港乱射事件に関して謝罪の意をイスラエル政府に公的に表明するとともに、犠牲者に100万ドルの賠償金を支払います。
日本人は今でもテルアビブ空港で入念に検査されると聞いたことがあります。

1972年9月5日、パレスチナ武装組織「黒い九月」は、ミュンヘンオリンピック事件を行います。
(映画「セプテンバー5」)
イスラエル諜報特務庁(モサド)は、パレスチナ武装組織「黒い九月」に報復を行います。
(映画「ミュンヘン」)

1973年10月6日~10月23日、ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエル国防軍の特殊部隊サイェレット・マトカルの一員として、第四次中東戦争に参加して、シリア領内に侵入し、シリア方面の戦線ではイスラエル軍が勝利し、ゴラン高原を併合します。
エジプト方面の戦線ではエジプト軍がイスラエル軍に勝利し、シナイ半島を奪還します。

1972年、ベンヤミン・ネタニヤフは、肩を撃たれて負傷します。

1973年10月16日、サウジアラビア、クウェート、アブダビ、カタール、バーレーン、ドバイ、アルジェリア、イラク、シリア、エジプトは、イスラエルに攻撃を開始して第四次中東戦争が始まります。
ベンヤミン・ネタニヤフは、部隊を率いてシリア領内に侵入し、戦います。
1973年10月23日、イスラエルは、米国の支援を受けて、第四次中東戦争に勝利します。
1973年、ベンヤミン・ネタニヤフは、最終階級は大尉で除隊し、米国でマサチューセッツ工科大学の理工学位とマサチューセッツ工科大学のスローン経営大学院の学位を取得、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学で政治学を学び、マサチューセッツ工科大学を卒業後、ボストン・コンサルティング・グループで経営コンサルタントとして勤務します。

1976年6月27日、2人のパレスチナ解放人民戦線・外部司令部と2人の西ドイツのテロリストグループは、エールフランス139便ハイジャック事件を行い、イスラエルで服役中のテロリスト40名に加えてドイツ・フランス・スイスなどで服役中のテロリストの釈放を要求します。
1976年7月3日、イスラエル国防軍の対テロ特殊部隊サイェレット・マトカルとイスラエル軍は、人質解放作戦を行い、人質を解放します。
作戦司令官のヨニ・ネタニヤフ中佐は、戦死します。
(映画「エンテベ空港の7日間」)

1991年、ソ連最高会議による連邦解散を宣言し、ソ連が崩壊し、ロシア連邦が誕生します。
ロシア連邦はロシア正教会を重視して、ユダヤ教徒を排除し始め、ロシアにいるユダヤ教徒がイスラエルに入植し始めます。

1992年、イスラエル議会選挙で、イツハク・ラビンが率いる労働党が勝利して、労働党政権が樹立します。
リクード党のイツハク・シャミル党首は政界を引退します。
1993年1月16日、ベンヤミン・ネタニヤフは、浮気するビデオテープを見せると脅迫していると告発されます。
1993年3月24日、ベンヤミン・ネタニヤフは、リクード党首選挙で勝利して、リクード党首になります。
1993年8月20日、イスラエルのイツハク・ラビン首相ととパレスチナ解放機構のヤーセル・アラファートは、イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認し、イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し、5年にわたって自治政府による自治を認め、その5年の間に今後の詳細を協議するというオスロ合意に調印します。
ベンヤミン・ネタニヤフは、「ラビンに死を!」と言うのを容認します。
1994年、イスラエルのイツハク・ラビン首相ととパレスチナ解放機構のヤーセル・アラファートは、ノーベル平和賞を受賞します。
1995年11月4日、イスラエルのイツハク・ラビン首相は、和平反対派のユダヤ人青年イガール・アミルから至近距離より銃撃され、死亡します。

1996年、イスラエル議会選挙で、ベンヤミン・ネタニヤフが率いるリクード党が勝利して、リクード党政権が樹立します。
ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエル首相となり、パレスチナ解放機構のアラファト議長と交渉して、ワイ・リバー合意を成立させます。
イスラエル首相のベンヤミン・ネタニヤフは、メディアから左翼と見なされ、非難されます。

1998年8月7日、アルカーイダは、ケニアのアメリカ大使館とタンザニアのアメリカ大使館に爆破テロを行います。

1999年、イスラエル議会選挙で、エフード・バラック率いる労働党が勝利して、労働党政権が樹立されます。
ベンヤミン・ネタニヤフは、政界を引退します。

2002年、ベンヤミン・ネタニヤフは、アラファト議長追放とパレスチナ国家断固反対を掲げて、リクード党党首選挙に立候補しますが、アリエル・シャロンに敗北します。
2003年、イスラエル議会選挙で、アリエル・シャロンが率いるリクード党が勝利して、リクード党政権が樹立します。
ベンヤミン・ネタニヤフは、財務相に任命されます。
2004年2月、イスラエル首相のアリエル・シャロンは、ガザからの全面撤退を掲げたガザ地区撤退計画を発表します。
2005年8月、ガザ地区撤退計画が議会で成立し、イスラエル財務相のベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエル首相のアリエル・シャロンと対立し、イスラエル財務相を辞任します。
2005年9月、ガザ地区を全面封鎖し、イスラエル入植者に対し自主的退去を呼びかけて、イスラエル入植者をガザ地区から撤退させます。
2005年11月、ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエル首相のアリエル・シャロンが率いるリクード党政権を打倒しようとします。
イスラエル首相のアリエル・シャロンは、リクード党から離脱して、カディマ党を結党して、政権を維持します。
2005年12月、ベンヤミン・ネタニヤフは、リクード党党首選挙に立候補して、勝利して、リクード党党首になります。

2006年、イスラエル議会選挙で、エフード・オルメルトが率いるカディマ党が勝利して、カディマ党政権が樹立します。
ベンヤミン・ネタニヤフが率いるリクード党は敗北します。

2007年8月、ベンヤミン・ネタニヤフは、リクード党党首選挙で再選され、リクード党党首になります。

2009年1月20日、バラク・オバマは、米国大統領に就任します。

2009年2月、イスラエル議会選挙で、エフード・オルメルトが率いるカディマ党が勝利してますが、右派連立内閣が発足して、ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエル首相になります。

2013年1月、イスラエル議会選挙で、ベンヤミン・ネタニヤフが率いるリクード党が勝利して、リクード党政権が樹立し、ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエル首相になります。

2014年7月、安倍晋三首相は、集団的自衛権による自衛隊の国外での武力行使を認める閣議決定を行います。

2014年8月、米国大統領は、ISILに対する限定的な空爆を承認します。
米軍は、イラク国内のISILの拠点に対して空爆を開始します。

2015年3月、イスラエル議会選挙で、ベンヤミン・ネタニヤフが率いるリクード党が勝利して、リクード党政権が樹立し、ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエル首相になります。

2017年1月、バラク・オバマは、米国大統領を退任します。
ドナルド・トランプは、米国大統領に就任します。

2018年12月、ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエル議会選挙を解散します。

2019年2月、イスラエル検察当局は、ベンヤミン・ネタニヤフをハリウッドの映画プロデューサーのアーノン・ミルチャンやオーストラリアの大富豪ジェームズ・パッカーから葉巻やシャンパンなど総額30万ドル(約4,500万円)の贈り物を受け取って、アーノン・ミルチャンに有利な税制改正を行い、アーノン・ミルチャンの米国ビザの件で便宜を図っていたとされ詐欺と背任の容疑、大手新聞イエディオト・アハノロトの発行人アーノン・モーゼスに競合他社を弱体化させる法案と引き換えに、好意的な記事を掲載するよう求めたとして詐欺と背任の容疑、大手通信ベゼックの筆頭株主であるシャウル・エロヴィッチに約5億ドル(約750億円)相当の規制上の便宜を図る見返りに、好意的な記事を「Walla」に掲載してもらう取り決めや人事を交わしたとして、贈収賄と詐欺、背任の容疑をかけられ、起訴する方針を発表します。

2019年4月、イスラエル議会選挙で、ベンヤミン・ネタニヤフが率いるリクード党が過半数を得ることができず、連立政権の樹立にも失敗します。
2019年9月、イスラエル議会選挙で、ベンヤミン・ネタニヤフが率いるリクード党が過半数を得ることができず、連立政権の樹立にも失敗します。
2019年12月、ベンヤミン・ネタニヤフは、リクード党党首選挙で再選され、リクード党党首になります。

2020年1月、ベンヤミン・ネタニヤフは、起訴を免れるための免責決議を取り下げます。
イスラエル検察当局は、ベンヤミン・ネタニヤフを起訴します。

2020年3月、イスラエル議会選挙で、ベンヤミン・ネタニヤフが率いるリクード党が過半数を得ることができませんが、新型コロナウイルスに対応するために、連立政権を樹立します。

2020年8月13日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフは、アラブ首長国連邦(UAE)と国交正常化をします。
2020年9月11日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフは、バーレーンと国交正常化をします。
2020年10月23日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフは、スーダンと国交正常化をします。
2020年12月10日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフは、モロッコと国交正常化をします。

2018~2023年、カタールは、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフの依頼で、ハマスに10億ドルの資金提供を行います。

2021年1月、ドナルド・トランプは、米国大統領を退任します。
ジョー・バイデンは、米国大統領に就任します。

2021年3月、イスラエル議会選挙で、ベンヤミン・ネタニヤフが率いるリクード党が過半数を得ることができず、野党8党が連立政権樹立で合意し、ベンヤミン・ネタニヤフ政権は終わります。

2022年11月、イスラエル議会選挙で、ベンヤミン・ネタニヤフが率いるリクード党が過半数を得ることができませんが、連立政権を樹立します。

2022年12月29日、ベンヤミン・ネタニヤフは、ベザレル・スモトリッチを財務大臣に、イタマル・ベングヴィルを国家安全保障大臣に任命します。

2023年3月17日、国際刑事裁判所(ICC)は戦争犯罪と人道に対する罪で、ウラジーミル・プーチンに対して逮捕状を発行します。

2023年8月、米国は、サウジアラビアと安全保障協力を進めることなどと引き換えに、サウジアラビアがイスラエルを国家として承認し関係を正常化する方向で、米国とサウジアラビアが大枠で合意したと報道されます。

2023年10月7日、ハマスは、ガザ地区より2,000発以上のロケット弾を発射したほか、武装組織がイスラエル領内に侵入して、イスラエル側も報復としてハマス拠点を中心に空爆を行い、200名以上が死亡します。
ベンヤミン・ネタニヤフは、ハマスに対して宣戦布告を行い、戦時内閣を発足させ、イスラエルの首相になります。

2024年7月25日、ベンヤミン・ネタニヤフは、米国連邦議会上下両院合同会議で演説し、米国の政治家たちからスタンディングオベーションを受けます。

2024年11月21日、国際刑事裁判所(ICC)は戦争犯罪と人道に対する罪で、ベンヤミン・ネタニヤフに対して逮捕状を発行します。

2024年12月、ベンヤミン・ネタニヤフは、テルアビブ地方裁判所に出廷し、収賄や詐欺、背任の罪状における訴追は大したことではないといった態度を示し、政治的レガシーを強調して、一切の不正行為を強く否定する証言をします。

2025年1月、ジョー・バイデンは、米国大統領を退任します。
ドナルド・トランプは、米国大統領に就任します。

2025年9月9日、ベンヤミン・ネタニヤフは、パレスチナ自治区ガザでの停戦を協議するためカタールの首都ドーハに集まっていたイスラム組織ハマスの代表団を標的に空爆を行います。

2025年10月、石破茂は、日本首相を退任します。
高市早苗は、日本首相に就任します。

町山智浩さんのレビューです。

スターバックス

シアター・イメージフォーラムの近くにあるスターバックスで、パンフレットを読みながら、コーヒー フラペチーノを飲み、季節のおすすめのホワイトモカケーキを食べました。

スターバックスです。

コーヒー フラペチーノと季節のおすすめのホワイトモカケーキです。

まとめ

映画「ネタニヤフ調書 汚職と戦争」は、良くできていますが、理解するのは大変でした。

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