デートプラン~新宿武蔵野館、今半万窯 新宿サザンタワー店&ゴッホと静物画

新宿武蔵野館で映画「JFK 新証言 知られざる陰謀 劇場版」のチケットを購入し、「今半万窯 新宿サザンタワー店」でランチを食べて、「ゴッホと静物画 伝統から革新へ(SOMPO美術館・新宿)」を鑑賞し、新宿武蔵野館で映画「JFK 新証言 知られざる陰謀 劇場版」を鑑賞しました。
ゴッホについては、映画「ゴッホとヘレーネの森 クレラー・ミュラー美術館の至宝」映画「ゴッホ~最期の手紙~」映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」を鑑賞し、本「ゴッホ-燃え上がる色彩」を読んで、「ゴッホ展――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」へ行きました。
ゴッホと静物画 伝統から革新へ(SOMPO美術館・新宿)にも行きたいです。

新宿武蔵野館

新宿駅東口をまっすぐ歩いて、突き当りの右にある階段を上がります。

階段を上がって、左に新宿武蔵野館が見えます。

新宿武蔵野館の入り口から入ります。

エレベーターで3階に上がると、チケット売り場があります。

映画「JFK 新証言 知られざる陰謀 劇場版」

予告動画です。

特別展示です。

チケットです。

パンフレットです。

あらすじ・感想

過去の延長にしか存在しないのが現在です。

映画「JFK」の続編となるドキュメンタリー映画です。

映画「JFK」を事前に鑑賞してから、この映画「JFK 新証言 知られざる陰謀 劇場版」を鑑賞することをお勧めします。
新証言とは、何かが理解できるようになります。
知られざる陰謀とは、今までに明らかにされてこなかったJFKを殺害する陰謀があったということです。
劇場版とは、4時間以上の映像を、映画で公開できる118分にまとめたということです。
原題は「JFK Revisited: Through the Looking Glass」ですが、邦題の方が映画を良く表しています。

上映時間は118分ですが、ドキュメンタリー映画で、インタビューが続き、字幕を読み続けることになるので、鑑賞するのは大変です。
予め内容を知っていた方が、鑑賞しやすいです。
パンフレットも良くできているので、事前にパンフレットを読んでしまった方が、字幕を読み続けることを軽減してくれます。

新証言で、明らかになるのは、リー・ハーヴェイ・オズワルドがJFKを殺害していないことと、単独犯ではなく、陰謀があるということです。

この映画を鑑賞しても疑惑は明らかにならず、深まるばかりです。
映画「チェ 28歳の革命」、映画「13デイズ」、映画「J・エドガー」、映画「ニクソン」、映画「大統領の陰謀」、映画「ザ・シークレットマン」と映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」を鑑賞すれば、さらに理解を深めることはできます。

本である「2039年の真実-決定版」と「アメリカを葬った男」を読めば、納得する答えにたどり着くかもしれません。
「アメリカを葬った男」によると、JFKを暗殺したのは、狙撃の名手という以下の7人です。
・ニューオリンズのマフィア・ドン「カルロス・マルセロ」の殺し屋のチャールズ・ハレルソンとジャック・ローレンス
・フロリダのマフィア・ドン「サントス・トラフィカンテ」の殺し屋のキューバ人亡命者の元ハバナ警察官とキューバ人亡命者の元米国税関職員
・シカゴのマフィア・ドン「サム・ムーニー・ジアンカーナ」の殺し屋のリチャード・ケイン、チャッキー・ニコレッテイとミルウォーキー・フィル
・教科書倉庫からJFKを銃撃したのは、リー・ハーベイ・オズワルドではなく、リチャード・ケインとチャッキー・ニコレッテイです。
JFK暗殺の報酬は、一人5万ドルで、合計35万ドルです。

1963年11月22日午後12時30分、JFKを乗せたオープンカーは、メイン通りからヒューストン通りに曲がり、ヒューストン通りからエルム通りに入りました。
1発目の銃声が鳴りましたが、車のバックファイヤーのように空しく響き狙いは外れました。
JFKは、何か音を聞いて手を振るのをやめました。
テキサス州知事のジョン・コナリーが右を向きます。
前方の木々の茂った丘の後ろから2発目が発射され、JFKの首に命中しました。
ダル・テクッス・ビルから3発目が発射され、JFKの右肩下に命中しました。
教科書倉庫から4発目が発射され、テキサス州知事のジョン・コナリーの胸に命中しました。
ダル・テクッス・ビルから5発目が発射され、誰にも命中せず、コマース通りのカーブの縁に命中しました。
前方の木々の茂った丘の後ろから6発目が発射され、JFKの右後頭部に命中しました。
この6発目が、JFKの命を奪いました。

1963年11月22日の夕方、デイヴィッド・フェリーが激しい雷雨の中、車でニューオリンズから750km離れたヒューストンのウィンターランド・スケートリンクに向かい、23日の午後到着し、公衆電話で、クレイ・ショーやジャック・ルービーと電話で連絡し、23日の夕方、75km離れた小型飛行機専用の飛行場のあるガルヴェストンに移動して、JFKを暗殺した実行犯達に現金を与え、飛行機でメキシコに逃亡させ、午後11時にはガルヴェストンに戻り、ジャック・ルービーに実行犯達を無事にメキシコに逃亡させたことを伝えました。
ガルヴェストンにある飛行場からメキシコにある飛行場までは500kmで、4時間もあれば往復できます。

リー・ハーヴェイ・オズワルドを素早く逮捕し、長時間尋問したのは、JFKの暗殺に関わった実行犯をメキシコに逃がすための時間を稼いだということです。

ジャック・ルービーは、デイヴィッド・フェリーから無事にJFKを暗殺した実行犯達をメキシコに逃亡させたことを確認した後で、リー・ハーベイ・オズワルドをダラス警察署の地下駐車場で射殺することを決意します。

デイヴィッド・フェリーがJFKを暗殺した実行犯達をメキシコに逃亡させられなかった場合、ジャック・ルービーは、リー・ハーベイ・オズワルドをダラス警察署の地下駐車場で射殺する意味もなくなるからです。

1963年11月24日午前11時20分頃、ジャック・ルービーが、ダラス市警察から郡刑務所へ移送される車に乗るためにダラス警察地下駐車場にいるリー・ハーベイ・オズワルドを至近距離から銃撃し、殺害しました。

チャールズ・ハレルソンは、JFK暗殺とは無関係な殺人で終身刑となり、テキサスの刑務所で服役することになります。
ジャック・ローレンスは、全くの消息不明で、マフィアの殺し屋に殺されていると考えられてます。
リチャード・ケインは、白昼にサンドウィッチ屋で銃殺されました。
チャッキー・ニコレッテイは、下院暗殺調査委員会で証言することを阻止するために殺されました。
ミルウォーキー・フィルは、JFK暗殺とは無関係な罪状で投獄され、獄中で死亡しました。

サム・ムーニー・ジアンカーナは、上院チャーチ委員会で証言する数日前に、FBIとシカゴ市警察の監視下の自宅の地下室で、銃殺されました。
カルロス・マルセロは、逮捕され、投獄されました。

サントス・トラフィカンテだけが、生き残り、米国の刑務所に投獄されたことは生涯に1度もありません。
サントス・トラフィカンテが、抹殺指令を受けて、計画し、実行したということです。

ウォレン委員会の報告書と魔法の弾丸より、現実味があります。

JFK米国大統領を暗殺するだけなら、他にも方法はいくらでもあります。
白昼堂々とJFK米国大統領を暗殺したという事実は、誰でもいつでも殺せるんだ、逆らう奴は許さないという強烈なメッセージとして、全米に伝えられ、今もなお語り継がれていることだと思います。

今半万窯 新宿サザンタワー店

新宿サザンタワーへ向かう途中です。
NTTドコモ代々木ビルです。

新宿ミナミルミの展示で、ライトアップされます。

今半万窯 新宿サザンタワー店です。

店内です。

メニューです。

炭火焼ステーキ定食(ロース120g)を注文しました。

小鉢です。

メインです。

デザートです。

ゴッホと静物画 伝統から革新へ(SOMPO美術館・新宿)

入場時間まで、時間があったので、新宿西口周辺を撮影しました。

SOMPO美術館・新宿です。

SOMPO美術館・新宿の前には、インスタスポットもあります。

写真撮影のできない写真はありますが、ほとんどの写真は撮影できます。

音声ガイド専用機、もしくはスマートフォンで音声ガイドを聞くこともできます。

静物画は、抽象画とは異なり、素人にも分かりやすいので、良いです。
ゴッホだけでなく、他の画家の似たような作品も展示され、違いが分かるように展示されています。

ゴッホ作「麦わら帽子のある静物」です。

ゴッホ作「髑髏」です。

ヨースト・フェルナンデス作「ヴァニスタ」です。

ゴッホ作「コウモリ」です。

ゴッホ作「燻製ニシン」です。

ビーテル・ファン・ノートル作「静物(魚)」です。

ゴッホ作「陶器の鉢と洋ナシのある静物」です。

ゴッホ作「りんごとカボチャのある静物」です。

ゴッホ作「野菜とカボチャのある静物」です。

ゴッホ作「鳥の巣」です。

ゴッホ作「鳥の巣のある静物」です。

ミキール・シモンズ作「果物とロブスターのある静物」です。

アントワーヌ・ヴォロン作「薬缶、瓶、果物のある静物」です。

ゴッホ作「青い花瓶にいけた花」です。

ゴッホ作「野牡丹とバラのある静物」です。

ゴッホ作「カーネーションをいけた花瓶」です。

ゴッホ作「ばらとシャクヤク」です。

ウジェーヌ・ドラクロワ作「花瓶の花」です。

アンリ・ファンタン=ラトゥール作「花と果物、ワイン容れのある静物」です。

ピエール=オーギュスト・ルノワール作「バラ」です。

ピエール=オーギュスト・ルノワール作「アネモネ」です。

カミーユ・ピサロ作「丸太作りの植木鉢と花」です。

ピーテル・ファン・デ・フェンネ作「花瓶と花」です。

カスバル・ベーテル・フェルブリュッヘン作「果物と花のある静物」です。

コルネリス・ファン・スペンドクス作「花と果物のある静物」です。

ジョルジュ・ジャナン作「花瓶の花」です。

アドロフ=ジョゼフ・モンティ・セリ作「花瓶の花」です。

エドォアール・マネ作「白いシャクヤクとその他の花のある静物」です。

ゴッホ作「赤と白をいけた花瓶」です。

ゴッホ作「花瓶の花」です。

クロード・モネ作「グラジオラス」です。

ゴッホ作「結実期のひまわり」です。

ジョージ・ダンロップレスリー作「太陽と月の花」です。

ゴッホ作「ひまわり」です。

ゴッホ作「アイリス」です。

イサーク・イスラエルス作「ひまわりの横で本を読む女性」です。

インスタスポットです。

ゴッホ作「水差し、皿、柑橘類のある静物」です。

ゴッホ作「ヴィーナスのトルソ」です。

ゴッホ作「靴」です。

ゴッホ作「三冊の小説」です。

ゴッホ作「レモンの籠と瓶」です。

ゴッホ作「皿とタマネギのある静物」です。

ポール・セザンヌ作「ウルビノ壺のある静物」です。

ポール・セザンヌ作「りんごとナプキン」です。

ポール・ゴーギャン作「りんごのある静物」です。

ピエール=オーギュスト・ルノワール作「果物のある静物」です。

ポール・ゴーギャン作「ばらと彫像のある静物」です。

ポール・ゴーギャン作「花束」です。

エドゥアール・ヴュイヤール作「アネモネ」です。

イサーク・イスラエルス作「籠の中の花」です。

ゴッホは、絵の具を厚く塗ることで、キャンパスの地の布の存在を覆い隠すことに成功していると感じました。
ゴッホは、水彩画などほかの絵画と油絵で描かれる絵画の違いとして、絵筆のタッチを力強く描くことで表すことに成功していると感じました。
背景は直線的な絵筆のタッチ、描く対象はうねる様な曲線的な絵筆のタッチと使い分けて、描く対象を生き生きと力強く描くことに成功していると感じました。

ゴッホが描いた「ひまわり」と「アイリス」を並べて、展示してあるのは良かったです。
ゴッホが描いた「ひまわり」は、アルルでゴーギャンと共同生活を始め、ゴーギャンと意見が対立し、左耳を切り落とす直前に描かれた絵です。
ゴッホが描いた「アイリス」は、弟のテオが結婚し、サン=レミの修道院療養所に入所しているときに描かれた絵です。

ゴッホが描いた「ひまわり」は、黄色い背景に黄色いヒマワリを描き、露出オーバーしているような感じで、ゴッホの狂気や危うさに魅力を感じます。
ゴッホが描いた「アイリス」は、ゴッホが狂気や危うさを乗り越えて、画家として成長し、黄色と青色の補色を利用し、見事な絵画になったと感じました。
ゴッホは、「アイリス」を描いた以降、亡くなるまで、傑作と評される絵画を描きました。
自分は、「ひまわり」にはついて行けず、「アイリス」の方が好みです。

ゴッホが描いた「ひまわり」から、亡くなるまでを年表にしてみました。
1888年8月、ゴッホは、「ひまわり」を描きました。
1888年9月、ゴッホは、「夜のカフェ」、「夜のカフェテラス」、「ローヌ川の星月夜」と「黄色い家」を描きました。
1888年10月、ゴッホは、「アルルの寝室」を描きました。
ゴッホは、ゴーギャンとアルルで共同生活を始めました。
ゴッホは、1888年8月に描いた「ひまわり」を見ながら今回展示されている「ひまわり」を描きました。
1888年11月、ゴッホは、「赤い葡萄畑」、「ぶどうの収穫-人間の悲哀」と「アルルの女」を描きました。
「赤い葡萄畑」は、ゴッホが描いた絵として売れた初めてで、最後の絵です。
ゴッホは、生きている間には「赤い葡萄畑」しか売れませんでした。
1888年12月、ゴッホは、左耳を切り落とす事件を起こしました。
ゴッホは、ゴーギャンとの共同生活は終わりました。
ゴッホは、入院しました。
アルルの住人は、ゴッホの追放嘆願書に著名しました。
1889年1月、ゴッホは、退院しました。
1889年2月、ゴッホは、「レー医師の肖像」、「包帯をしてパイプをくわえた自画像」、「包帯をした自画像」と「ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女」を描きました。
1889年3月、ゴッホは、精神に異常ありと診断され、保護施設に収容されました。
1889年4月、ゴッホは、「アルルの病院の中庭」を描きました。
弟のテオは、結婚しました。
1889年5月、ゴッホは、サン=レミの修道院療養所に入所しました。
ゴッホは、「アイリス」を描きました。
1889年6月、ゴッホは、「星月夜」、「二本の糸杉」と「オリーブ畑」を描きました。
1889年7月、ゴッホは、発作を起こしました。
1889年9月、ゴッホは、「麦刈る男」を描きました。
1889年12月、ゴッホは、「プラタナス並木通りの道路工事」を描きました。
1890年1月、評論家のアルベール・オーリエが「メルキュール・ド・フランス」誌1月号にゴッホを高く評価する評論を掲載しました。
ゴッホは、20人展に招待され、「ひまわり」と「果樹園」等を出品し、好評を得ました。
1890年1月、弟のテオは、ゴッホの作品をアンデパンダン展に出品し、好評を得ました。
1890年2月、ゴッホは、「花咲くアーモンドの木の枝」を描きました。
1890年5月、ゴッホは、「糸杉と星の見える道」を描きました。
ゴッホは、パリで弟のテオと再会し、パリ近郊のオーヴェルにいるポール・ガシェ医師を頼り、旅館に滞在しました。
1890年6月、ゴッホは、「医師ガシェの肖像」、「オーヴェルの教会」、「夜の白い家」と「ピアノを弾くマルグリット・ガシェ」、「ひなげし畑(ポピー畑)」を描きました。
パリから弟のテオ夫婦が息子を連れて、ゴッホに会いにオーヴェルを訪れました。
1890年7月、ゴッホは、「荒れ模様の空の麦畑」、「カラスのいる麦畑」と「ドービニーの庭」を描きました。
1890年7月27日(日曜日)、ゴッホは、拳銃自殺をしました。
1890年7月29日、ゴッホは、37歳で、フランスのヴァル=ドワーズ県オーヴェル=シュル=オワーズで、自ら命を絶ち、カフェ・ラボオーの一室で亡くなりました。

新宿高層ビル街のイルミネーション

新宿ミナミルミ

新宿サザンテラスでもイルミネーションが始まっていました。

イルミネーションが変化するので楽しいです。

NTTドコモ代々木ビルと組み合わせて写真を撮影してみました。

イルミネーションの小径です。

美しく色が変化します。

鳥もイルミネーションされています。

周辺のイルミネーションです。

新宿中央通りです。

陳麻婆豆腐 新宿サザンテラス店

陳麻婆豆腐 新宿サザンテラス店です。

店内です。

メニューです。

陳麻婆豆腐定食です。

まとめ

映画「JFK 新証言 知られざる陰謀 劇場版」は、JFKが忘れられていないというところが良いです。
若い人がJFKを知らないのは無理もありませんし、JFKについて知ったから何かに役立つわけでもありません。
自分は、JFKの真相が明らかになるまで、JFKについて興味を持っていたいです。

「ゴッホと静物画 伝統から革新へ」は、ゴッホと有名画家たちの絵画を鑑賞できる貴重な機会です。
才能ある人は、ゴッホと有名画家たちの絵画を鑑賞することで得られる何かがあるかもしれません。
自分は、ブログ記事で「ゴッホと静物画 伝統から革新へ」が開催されていることを伝えることが精一杯です。

街では、イルミネーションが始まっています。
普段とは違う街になっているので、行って見ることをお勧めします。

最後まで、読んでいただき、ありがとうごさいます。

面白いと思った方は、クリックして、応援してね!
にほんブログ村 映画ブログへ

にほんブログ村 シニア日記ブログへ   にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ