「夢をかなえるゾウ3 ブラックガネーシャの教え」の中で、出てきた「クレオパトラ」について知りたいと感じました。
映画「クレオパトラ」を鑑賞する前に、クレオパトラについてもっと知りたいと感じ、読みやすそうな「クレオパトラ」を読むことにしました。
カエサルのとこを、映画「クレオパトラ」と統一するために、シーザーと呼ぶことにします。
舞台となる場所
クレオパトラは、弟のプトレマイオス十三世によって、アレクサンドリアを追放され、軍を編成し、シナイ半島(ポート・サイドとスエズを結んだ線の東側)で野営していました。
プトレマイオス十三世は、ペルシウム(ポート・サイド近郊)に軍勢を集めていました。
プトレマイオス十三世は、ポンペイウスをペルシウムの海岸で殺害しました。
クレオパトラは、シーザーに会うために、ペルシウムを避けて、ナイル川上流のメンフィス(アレクサンドリアの約320km、カイロの約30km南にある)からナイル川を下り、アレクサンドリアに入り、シーザーに面会しました。
クレオパトラとシーザーは、アレクサンドリアからナイル川を遡りました。
クレオパトラとシーザーは、アスワンの南までナイル川を遡りました。
クレオパトラは、アレクサンドリアから北に向かい、東へ向かい、地中海東部沿岸、小アジアの南部沿岸、ロードス島とクレタ島の北を通り、イオニア海に入り、シチリア島を超えて、イタリア半島を北上し、ポッツォーリで上陸し、ローマへ向かいました。
マルクス・アントニウスは、クレオパトラをタルソスに呼び出しました。
クレオパトラは、アレクサンドリアからタルソスまで、マルクス・アントニウスに会いに行きました。
タルソスは、トルコ中南部メルスィン県の都市で、アダナから西へ約40km離れた地中海沿岸にあります。
クレオパトラは、アレクサンドリアからアンティオキア(現在のアンタキヤ)まで、マルクス・アントニウスに会いに行きました。
クレオパトラとマルクス・アントニウスは、エフェソスのアルテミス神殿で、軍を整えました。
クレオパトラとマルクス・アントニウスは、サモス島へ渡りました。
クレオパトラとマルクス・アントニウスは、アテナイ(現在のアテネ)への短い旅をしました。
クレオパトラとマルクス・アントニウスは、コリンスト湾の入り口にあるパトラス(現在のパトラ)に移動しました。
クレオパトラとマルクス・アントニウスは、北にあるアンブラキ湾(現在のアンヴラキコス湾)へ移動しました。
アクティウムは、アンブラキ湾の沖合で、クレオパトラとマルクス・アントニウスは、ガイアス・オクタウィアヌスと戦い、敗走しました。
目次
あらすじ
クレオパトラ時代のアレクサンドリアの地図と地中海世界地図が掲載されています、
理解するのに役立ちます。
プトレマイオス家系図が掲載されています。
プトレマイオス一世は、アレキサンダー大王の後継者の一人です。
第一章 あのエジプト女
いまなぜ、クレオパトラなのか?
昔、権力者は、たくさんいましたが、2000年の時を経てもなお、語り継がれる、権力者で、女性という人は、他にいないからです。
妖婦の実像
クレオパトラが生きている頃の古代都市アレクサンドリアは、消え去り、残っていません。
クレオパトラが生きている頃に、書かれた書物は残されていません。
クレオパトラに関する記述は、クレオパトラに会ったことがない人々によって書かれています。
クレオパトラを描いた絵画、彫刻はなく、生前に発行されたクレオパトラに似ているというコインの肖像画しかありません。
神話を覆す
クレオパトラの死後、2000年以上経過していますが、事実により、神話を覆すことができます。
自分は、神話は神話として、楽しみたいです。
第二章 死者は嚙みつかない
追放
クレオパトラは21歳で、ポンペイウスを支援し、弟のプトレマイオス十三世によって、アレクサンドリアを追放され、軍を編成し、エジプト、パレスチナ、シリアという砂漠地帯を逃げ回っていました。
プトレマイオス十三世は、アレクサンドリアに逃げてきたポンペイウスを殺害し、シーザーを出迎えました。
シーザーは、クレオパトラとプトレマイオス十三世を仲介するために、クレオパトラをアレクサンドリアに召喚しました。
プトレマイオス十三世は、シーザーの意に反して、クレオパトラをアレクサンドリアに近づけないようにしました。
クレオパトラは、アポドロスによって、ナイル川の上流に向かい、船でナイル川を下り、アレクサンドリアの中では、絨毯に包まれて、シーザーの元へたどり着き、シーザーを魅了しました。
シーザーは、ローマ人ポンペイウスを殺害したプトレマイオス十三世か、ローマ人ポンペイウスを支援したクレオパトラのいずれかと手を組めば、ローマのためになるかを考えました。
シーザーは、ローマ人ポンペイウスを支援したクレオパトラと手を組むだけでなく、クレオパトラは妊娠することになりました。
プトレマイオス家
プトレマイオス一世は、アレキサンダー大王の将軍で、アレキサンダー大王が亡くなると、エジプトの総督になり、バビロンからマケドニアに運ばれる途中で、アレキサンダー大王の遺体を強奪し、正統性を主張し、プトレマイオス王朝を築きました。
プトレマイオス一族は、一族内の近親結婚を繰り返し、富と権力を維持し、富と権力を巡って殺しあいました。
帝王教育
プトレマイオス一族は、多くの女性がエジプトを統治してきたので、男の子だけでなく、女の子にも帝王教育をしていました。
クレオパトラの住んでいた宮殿の裏には、アレクサンドリア図書館と付属の博物館があり、シーザーが受けた教育と同じような教育を、望みうる最高の教育を受けていました。
クレオパトラは、巧みな会話術を身に着け、演説が上手く、ギリシャ語だけでなく、エジプト語も学び、習得し、エジプト人に直接語り掛けることができました。
知性と容姿
クレオパトラは、アレクサンドリア図書館と付属の博物館だけでなく、社会的に優遇された優秀な学者から、現代でも通用する知識を学びました。
クレオパトラの容姿に関する情報はわずかしかなく、シーザーを魅了したのだから、良いのだろうと推定されるだけです。
第三章 クレオパトラ、魔術で老人を魅了する
策謀
シーザーは、巧みな演説で、アレクサンドリア市民の人心を掌握することを試みました。
ポティヌスとアキラスは、シーザーとクレオパトラを暗殺する計画を実行しました。
シーザーは、アウレテスの遺言により、プトレマイオス十三世とクレオパトラにエジプトの共同統治権を与えました。
シーザーは、ポティヌスの解雇を命じました。
アキラスは、プトレマイオス十三世のために軍を率いて、アレクサンドリアを目指して、進軍をしていました。
クレオパトラの妹のアルシノエ4世は、宮殿を抜け出し、アレクサンドリア市民に王位を訴えました。
クレオパトラは、プトレマイオス十三世とアルシノエ4世とエジプトの王位を巡って争うことになりました。
クレオパトラは、シーザーの支援とユダヤ人の支援により、プトレマイオス十三世を戦死させ、アルシノエ4世を捕虜にしました。
ローマとエジプト
ローマは、エジプトの領地であるキレナイカ、クレタ、シリア、キプロスを属州化しました。
エジプトは豊かであっために、ローマが属州化すると、ローマ国内の政治に大きな影響を及ぼすために、属州化されずに、自治権を維持していました。
エジプトを統治するプトレマイオス一族は、ギリシャ人なので、エジプト人からの支持はなく、ローマに認められることで、エジプトを統治してきました。
クレオパトラは、ローマに認められるために、ローマのポンペイウスを支援しましたが、エジプト人の反感を買い、追放されました。
アレクサンドリア戦争
シーザーが、アレクサンドリアに到着するました。
反ローマ主義者のアレクサンドリア市民は、暴動を起こし、港にある、船を略奪しようとしました。
シーザーは、略奪されそうな船を移動させる乗組員さえいなかったので、船を略奪されないように、火を付けて、燃やしました。
シーザーは、アルシノエ4世に逃げられ、ポティヌスを殺害しました。
シーザーは、増援の到着を待って、プトレマイオス十三世を宮殿から追放し、アキラスの率いる軍と合流させ、プトレマイオス十三世に戦いを挑んで、勝利し、アレクサンドリア市民を降伏させ、クレオパトラにエジプトを統治させました。
祝宴
クレオパトラは、アレクサンドリア戦争の勝利を祝して、アレクサンドリア市民と共に盛大な祝宴を、行いました。
ナイル・クルーズ
クレオパトラは、シーザー達をアレクサンドリアからアスワンまでの豪華なナイル・クルーズでもてなすことで、エジプト人にローマ人の軍事力を誇示させ、ローマ人にエジプトの豊かさを見せつけました。
シーザー達は、反乱状態にあるアルメニアに向かってアレクサンドリアを発ちました。
クレオパトラは、シーザーの息子、シーザリオンを出産しました。
第四章 黄金時代が今であったためしはない
シーザリオン誕生
クレオパトラがシーザーの息子を産むということは、クレオパトラがローマとの関係を強化することで、エジプト国内の統治も安定しました。
クレオパトラは、慣例に従い、最も崇拝された女神イシスの祝祭を行いました。
クレオパトラは、イシスと同一視され、無制限の権力を行使しました。
王と官僚
クレオパトラは、女王として巨大な官僚を通してエジプトを統治するだけでなく、裁判、陸軍、海軍、経済、外国勢力、神殿など全ての事を決定しました。
クレオパトラは、「自分勝手なことをするのは誰にも許されない。すべては最良になるように計画されている」と説いて、生産力を高め、生産した物を税として収めさせ、利益を上乗せして、市民に販売するだけでなく、ありとあらゆるものに税をかけて、莫大な富を得ました。
エジプトの官僚たちは、ありとあらゆる方法を駆使して私腹を肥やし、エジプト国民を苦しめました。
臣民たち
クレオパトラは、エジプトの臣民たちからの請願を直接受けることなく、官僚たちが処理しました。
巨大な官僚たちは、ギリシャ人かギリシャ語を話せるエジプト人です。
税金を納める労働者たちは、エジプト語しか話せないエジプト人です。
ギリシャ語で書かれた契約は、ギリシャの法に従います。
エジプト語で書かれた契約は、エジプトの法に従います。
クレオパトラは、金貨や銀貨の価値を下げずに、新しい銅貨を発行し、銅貨の価値を銅貨に彫られた数値によって決めることで、エジプト経済をコントロールし、立て直しました。
クレオパトラは、軍隊を所有し、どんな裕福なローマ貴族よりも、裕福でした。
クレオパトラは、エジプトを良く統治しました。
クレオパトラは、シーザーにローマに招かれたとき、エジプトを離れて、ローマに向かうことができました。
ローマへ
クレオパトラは、船団を率いて、地中海の東側に沿って、ローマにたどり着き、シーザーの領地に滞在しました。
シーザーは、エジプトで採用されているエジプト暦、1日を昼の12時間と夜の12時間という時間を採用し、公立図書館を建設し、蔵書を集めるために学者を雇い、沼地を農地にするなど、ローマ改革を行いました。
シーザーは、クレオパトラからの援助で、大掛かりな凱旋パレードを一月間も行いました。
ローマ人たち
ローマとアレクサンドリアでは、文化や習慣が違いました。
ローマ人は、アレクサンドリアの優れた文化や建築に触れても、憧れを飲み込んで、侮辱を吐き、元気を保ちました。
シーザーは、アレクサンドリアやギリシャに憧れて真似をするローマ人たちに、贅沢規制法で制限をしました。
ローマ人にとっての良い女性は、権利を持たない女性です。
アレクサンドリア人にとっての良い女性は、権利を主張する女性です。
第五章 人間は生まれつき政治的な生き物
不平家キケロ
キケロは、ローマの政治家、弁護士、文筆家、哲学者で、ローマに来たクレオパトラについて、書き残しています。
キケロは、女性で、金持ち、知識もあり、蔵書もたくさん持っているクレオパトラについて、妬んで、悪く書いています。
シーザー死す
シーザーは、パルティア遠征のために、ローマを留守にする間の手配を完了するために、元老院に向かいました。
シーザーは、元老院の中で、元老院議員たちに、短剣で、何度も刺され。殺されました。
シーザーは、権力を得れば、得るほど、殺される理由も増えました。
シーザーは、遺言で後継者をシーザリオンでもなく、マルクス・アントニウスでもなく、甥のガイアス・オクタウィアヌスを指名しました。
ローマは、大混乱に陥り、騒動、放火、殺人が行われました。
クレオパトラは、ローマを発ち、アレクサンドリアに到着しました。
試練の時
クレオパトラは、シーザーを失い、ローマは混乱し、エジプトの将来について、不安になりました。
クレオパトラは、プトレマイオス十四世を殺害し、シーザリオンをエジプトの共同統治者としました。
クレオパトラは、プトレマイオス王朝を復興させるために、エジプトの統治に専念しました。
クレオパトラの帰国後、ナイル川は氾濫せず、作物が育たず、凶作になりました。
エジプトの周辺国では、疫病が流行りました。
マルクス・アントニウスとガイアス・オクタウィアヌスは、対立しました。
シーザーを暗殺したカッシウス、ブルトゥスとポンペイウスの息子セクストゥスは、軍を編成し、率いていました。
カッシウス、ブルトゥスとポンペイウスの息子セクストゥスに対抗するために、マルクス・アントニウス、
ガイアス・オクタウィアヌスとマルクス・アエミリウス・レピドゥスは協力し、三頭政治となりました。
ローマの人々は、互いに争い、クレオパトラに援助を申し込んできました。
クレオパトラは、ドラベラを援助しました。
シーザーを暗殺したカッシウスは、ドラベラに勝利しました。
ドラベラは、自殺しました。
クレオパトラがドラベラを援助したことを知ったカッシウスは、エジプト遠征を始め、エジプトに迫っていました。
マルクス・アントニウスとガイアス・オクタウィアヌスは、ブルトゥスとカッシウスを倒すために、海を渡りギリシャへと進軍してきました。
クレオパトラは、マルクス・アントニウスとガイアス・オクタウィアヌスに援軍を船で送ろうとしました。
カッシウスは、船でクレオパトラの援軍を阻止しようとしました。
クレオパトラの援軍を乗せた船は、強風に煽られて、転覆しました。
ブルトゥスとカッシウスは、フィリッピの戦いで敗れ、自殺しました。
クレオパトラは、勝利に貢献することができずに、過ごす結果となりました。
青年オクタウィアヌス
ガイアス・オクタウィアヌスは、18歳の青年で、ローマに来て、シーザーの遺言に基づき、相続権を要求しました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、軍を持つことなく、マルクス・アントニウスとローマで対立しました。
マルクス・アントニウス、シーザーを暗殺したカッシウスとブルトゥス、ポンペイウスの息子セクストゥスは軍を編成し、対立しました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、マルクス・アントニウスを金で暗殺しようとさえしました。
キケロの最後
マルクス・アントニウス、ガイアス・オクタウィアヌスとマルクス・アエミリウス・レピドゥスは、協力し、三頭政治となり、敵のリストを作成し、殺害しました。
キケロも殺害された一人です。
マルクス・アントニウス、ガイアス・オクタウィアヌスとマルクス・アエミリウス・レピドゥスは、
シーザーを暗殺したカッシウスとブルトゥスを倒しました。
マルクス・アントニウスとガイアス・オクタウィアヌスは、ローマ帝国を2分して統治しました。
第六章 港に着くには、帆を何度も変えねばならない
アントニウス
マルクス・アントニウスは、タルソスにクレオパトラを呼び出しました。
クレオパトラは、壮麗な船団で、タルソスに向かい、マルクス・アントニウスを魅了しました。
愛の奴隷
クレオパトラとマルクス・アントニウスは、シーザーの遺言に不満があることで一致しました。
マルクス・アントニウスは、クレオパトラの虜になりました。
マルクス・アントニウスは、クレオパトラの要求に従い、クレオパトラの妹のアルシノエを殺害しました。
クレオパトラは、兄弟姉妹はいなくなり、クレオパトラの王座を狙う人はいなくなりました。
アレクサンドリアの日々
マルクス・アントニウスは、アレクサンドリアに向かい、クレオパトラに出迎えられました。
マルクス・アントニウスは、クレオパトラの客として、何不自由することなく、アレクサンドリアを満喫しました。
マルクス・アントニウスの任命した総督が殺され、マルクス・アントニウスの妻であるフルウィアとマルクス・アントニウスの弟はガイアス・オクタウィアヌスに戦争を仕掛けました。
マルクス・アントニウスは、事態を収拾するために、アレクサンドリアを発ちました。
世界中のゴシップの的
マルクス・アントニウスは、事態を収拾するために、ローマに行きました。
マルクス・アントニウスの妻であるフルウィアは、病死しました。
マルクス・アントニウスは、ガイアス・オクタウィアヌスとブリンディシ協定を結びました。
マルクス・アントニウスは、ガイアス・オクタウィアヌスの姉のオクタウィアと結婚しました。
シーザーの息子シーザーリオンの母であるクレオパトラは、シーザーの後継者であるガイアス・オクタウィアヌスとは、敵対関係が変わることはありません。
クレオパトラにとって、マルクス・アントニウスがガイアス・オクタウィアヌスと関係を深めることは、良いことではありません。
クレオパトラは、パルティア人によってエルサレムから逃げ出したユダヤ人の王ヘデロを歓迎しました。
クレオパトラは、ユダヤ人たちに助けられた恩があるからです。
クレオパトラは、マルクス・アントニウスの双子の子供を産みました。
クレオパトラは、シーザーの子供とマルクス・アントニウスの双子の子供を得たというのは、世界中のゴシップの的になりました。
危機
マルクス・アントニウスとガイアス・オクタウィアヌスがローマに平和をもたらしました。
紛争はありましたが、マルクス・アントニウスの部下によって、掌握されました。
平和は、軍人であるマルクス・アントニウスの地位を脅かしました。
マルクス・アントニウスは、パルティア人を打ち負かすために、戦争を始めました。
マルクス・アントニウスは、クレオパトラをシリアのアンティオキアまで呼び出しました。
第七章 世界中のゴシップ
パルティア遠征
クレオパトラは、2人の子供を連れて、アンティオキアに行き、マルクス・アントニウスに子供を面会させました。
マルクス・アントニウスは、パルティア遠征するために、必要な資金、船団を得るために、クレオパトラにキプロス島を含む東地中海ほぼ全域を統治させました。
クレオパトラは、マルクス・アントニウスの子供を妊娠しました。
マルクス・アントニウスは、クレオパトラとは別れて、パルティア遠征するために、ユーフラテス川を越えて、進軍しました。
ヘデロという男
クレオパトラは、新たに統治する国々を回り、歓待を受け、ヘデロが統治するエルサレムへ立ち寄りました。
クレオパトラは、ヘデロと交渉し、エリコの土地を年間200タラントで借り受け、アスファルトの独占販売権を得て、アスファルトの収益を隣国ナバテアの王から取り立てる権利を得ました。
ヘデロは、クレオパトラと交渉し、クレオパトラの代理人にならなくてすみ、エジプト軍の一員にならなくてよいことになりました。
クレオパトラは、ヘデロと隣国が対立するように仕向けました。
ヘデロは、クレオパトラの暗殺を会議に提案しましたが、却下されました。
ヘデロは、帰国するクレオパトラを、国境まで、付き添い、見送りました。
クレオパトラは、マルクス・アントニウスの息子を出産しました。
狂王
ヘデロの妻のマリアムメの家系は、ユダヤ教の大祭司の家系でした。
ヘデロは、妻の弟のアリストブロスではなく、無名の聖職者を大祭司に任命しました。
ヘデロの妻の母のアレクサンドラは、ヘデロのしたことを我慢できないとクレオパトラへ伝えました。
ヘデロは、陰謀から遠ざけるために、アリストブロスを大祭司に任命し、ユダヤに留めることにしました。
ヘデロは、アリストブロスを暗殺しました。
ヘデロの妹は、ヘデロに妹の夫とヘデロの妻のマリアムメが不倫をしていると言いました。
ヘデロは、妹の夫を死刑にして、アレクサンドラを投獄にしました。
ヘデロは、妻のマリアムメがマルクス・アントニウスに肖像画を送ったとして、妻のマリアムメを死刑にしました。
ヘデロは、いくつかの陰謀を企んだとして、妻の母のアレクサンドラを死刑にしました。
敗走
マルクス・アントニウスは、パルティア人に負けて、アルメニア人に騙され、不衛生な水と有害植物、暑さと寒さで、兵士と士気を失いました。
クレオパトラは、マルクス・アントニウスの要求に応えるために、シリアのアンティオキアまで、金、食料と衣服を持ってくるだけでなく、愛情に訴えました。
マルクス・アントニウスの妻であるオクタウィアは、弟のガイアス・オクタウィアヌスの支援を受けて、金、物資や兵士を持ってやってきました。
マルクス・アントニウスは、ライバルであるガイアス・オクタウィアヌスの支援を断り、クレオパトラを頼り、アレクサンドリアへ行き、クレオパトラと一緒に過ごしました。
アレクサンドリアの寄贈
ガイアス・オクタウィアヌスは、ポンペイウスの息子セクストゥスを撃破し、マルクス・アエミリウス・レピドゥスを政治的に葬りました。
マルクス・アントニウスは、アルメニア人に報復し、パルティア人に勝利しなければ、ガイアス・オクタウィアヌスに対する立場がないということになりました。
マルクス・アントニウスは、アルメニア人に勝利し、アレクサンドリアに凱旋しました。
クレオパトラとシーザーの息子であるシーザリオンは、エジプトの共同統治者です。
アレクサンドロス・ヘリオスは、アルメニア、メディアとパルティアを支配することになりました。
プトレマイオス・フィラデルフォスは、フェニキア、シリアとキリキアが与えられました。
クレオパトラは、これまでの努力が報われました。
ヨーロッパとアジアを調和させたアレキサンダー大王の夢を復活させました。
マルクス・アントニウスは、シーザーの養子でしかないガイアス・オクタウィアヌスに、シーザーの息子であるシーザリオンは、エジプトの共同統治者だと示しました。
クレオパトラとマルクス・アントニウスの顔は、ローマの硬貨に刻まれ、「アレクサンドリアの寄贈」と呼ばれました。
第八章 不倫と私生児
団欒
クレオパトラは、シーザーとマルクス・アントニウスの子供達のおかげで、ローマとの関係、エジプトの共同統治者、領土に関する問題がすべて解決しました。
クレオパトラは、アレクサンドリアをますます発展させました。
クレオパトラは、マルクス・アントニウスの兵士達に土地を与え、免税し、エジプトに定住するようにしました。
中傷合戦
アレクサンドリアにいるマルクス・アントニウスは、ローマにいるガイアス・オクタウィアヌスを批判しました。
ローマにいるガイアス・オクタウィアヌスは、アレクサンドリアにいるマルクス・アントニウスを批判しました。
三頭政治は、終わりました。
宣戦布告
ローマの元老院で、執政官がマルクス・アントニウスを賛美し、ガイアス・オクタウィアヌスを非難し、ローマを脱走しました。
マルクス・アントニウスを支持する元老院議員たちも、ローマを脱走し、マルクス・アントニウスのところへ行きました。
クレオパトラは、元老院議員たちの反対を押し切って、マルクス・アントニウスと同盟を結びました。
クレオパトラは、軍隊を率いて、マルクス・アントニウスと共にサモス島からアテナイへと移動しながら、親交を深めました。
マルクス・アントニウスは、ガイアス・オクタウィアヌスの姉であるオクタウィアと離婚しました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、マルクス・アントニウスだけでなく、クレオパトラも非難するようになりました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、クレオパトラに宣戦布告しました。
戦備
クレオパトラは、ギリシャ西部沿岸に防衛ラインを構築しました。
マルクス・アントニウスは、ローマ人に贈賄を配りました。
リビア、トラキア、ポントス、カッパドキア等の統治者は、軍を率いて、マルクス・アントニウスの配下に合流しました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、戦備のための税をローマ人に課しました。
悪疫のような女
ガイアス・オクタウィアヌスは、クレオパトラを属国の女王で、ローマを征服しようとしているとして、敵対関係を明確にしました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、マルクス・アントニウスをローマ人ではなく、エジプト人になったとして、敵対関係を明確にしました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、ローマ人は、ローマの敵と戦う義務があるとして、戦うことを正当化しました。
哨戦
ガイアス・オクタウィアヌスは、ギリシャ南部へ侵攻し、ギリシャとアレキサンドリアの補給路を妨害しました。
ヘデロは、マルクス・アントニウスに、クレオパトラを殺せば問題はなくなると進言しました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、クレオパトラとマルクス・アントニウスをアンブラキア湾に封じ込めました。
マルクス・アントニウスを支持していた王や元老院議員が、脱走を試み、失敗し、処刑されました。
マルクス・アントニウスを支持していた将軍は、ガイアス・オクタウィアヌス側に寝返り、情報を渡しました。
クレオパトラは、陸軍では劣り、海軍では勝るので、海上戦争を主張しました。
アクティウム
マルクス・アントニウスは、海上戦争で、ガイアス・オクタウィアヌスと戦うことに決めました。
マルクス・アントニウスは、クレオパトラの艦隊に配備する人員がいないので、ガイアス・オクタウィアヌスの手に渡らないように火を放ちました。
クレオパトラの艦隊は、マルクス・アントニウスの艦隊の後ろにいて、戦う意思はありませんでした。
マルクス・アントニウスは、海上で戦闘を始めました。
クレオパトラの艦隊は、戦闘の隙に、外洋に出て、アレクサンドリアに向かい、マルクス・アントニウスの海軍も陸軍も見捨てました。
マルクス・アントニウスは、クレオパトラの艦隊を追いました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、海上で、陸上の戦闘でマルクス・アントニウスに勝利しました。
クレオパトラは、タエナルムに寄港し、マルクス・アントニウスにガイアス・オクタウィアヌスと和解するように勧めました。
クレオパトラは、アクティウムの戦いで負けたというニュースがアレクサンドリアに届けられる前に、戻ることに成功しました。
第九章 歴史上で一番の悪女
死への付き添い
クレオパトラは、ガイアス・オクタウィアヌスがアレクサンドリアにやってくることを想定し、準備をしました。
クレオパトラは、非難する人を処刑し、財産を没収し、軍勢を整え、味方を探し、支援を求めました。
クレオパトラは、インドまで逃げて、ローマ帝国に反撃するという計画、アフリカを一周し、スペインに上陸し、王国を作るという計画まで立てました。
クレオパトラは、安らかに死ねる毒の実験を行いました。
マルクス・アントニウスは、部下に離反され、落ち込み、引きこもり、自殺未遂をしました。
クレオパトラが頼りにしていた王は、次々にガイアス・オクタウィアヌスを支持しました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、エジプトにやってきました。
クレオパトラとマルクス・アントニウスは、ガイアス・オクタウィアヌスと交渉しましたが、成功はしませんでした。
ガイアス・オクタウィアヌスは、クレオパトラにマルクス・アントニウスを処刑するか、追放することを求めました。
クレオパトラとマルクス・アントニウスは、楽しい宴会で、気を紛らわせました。
アントニウスの最後
ガイアス・オクタウィアヌスは、アレクサンドリアに向けて進軍を開始しました。
クレオパトラは、生き延びること、王位をまもること、子供達を守るために手を尽くしました。
マルクス・アントニウスは、軍を率いて、ガイアス・オクタウィアヌスの先遣隊を攻撃し、勝利しました。
マルクス・アントニウスは、海軍と陸軍で、ガイアス・オクタウィアヌスと戦うことにしました。
マルクス・アントニウスは、海軍に離反され、ガイアス・オクタウィアヌスと戦うことができませんでした。
クレオパトラは、霊廟に閉じこもり、マルクス・アントニウスにクレオパトラは死んだと伝えさせました。
マルクス・アントニウスは、自殺を試みましたが、死にきれませんでした。
クレオパトラは、重傷を負ったマルクス・アントニウスを霊廟の中に入れました。
マルクス・アントニウスは、クレオパトラにアドバイスを与え、クレオパトラの腕の中で息絶えました。
降服
ガイアス・オクタウィアヌスは、マルクス・アントニウスの自殺を知りました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、エジプトの財宝を確保し、借金の返済に充てることに集中し、クレオパトラと交渉しました。
クレオパトラは、シーザーリオンに家庭教師を付けて、インドへと向かわせました。
クレオパトラは、ガイアス・オクタウィアヌスに歩み寄ることで、マルクス・アントニウスを埋葬しました。
マルクス・アントニウスとフルウィアの息子であるマルクス・アントニウス・アンティルスは、一緒にいた家庭教師に裏切られ、殺されました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、アレクサンドリアの市民を赦しました。
クレオパトラは、ガイアス・オクタウィアヌスと会談しましが、ガイアス・オクタウィアヌスを魅了することはできませんでした。
クレオパトラは、ガイアス・オクタウィアヌスに財宝の目録を渡しました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、クレオパトラに良い待遇を約束しました。
終焉
クレオパトラは、マルクス・アントニウスの墓を訪れ、捧げものをして、霊廟に戻りました。
クレオパトラは、朝風呂に入り、豪華な食事を楽しみました。
クレオパトラは、ガイアス・オクタウィアヌスに手紙を送り、付き人を霊廟から退かせ、霊廟を閉じました。
クレオパトラは、女王らしく正装し、毒で自殺しました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、クレオパトラを王にふさわしく立派で荘厳に埋葬しました。
残された者たち
シーザーリオンは、家庭教師に裏切られ、殺されました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、ローマからもアレキサンドリアからもマルクス・アントニウスの痕跡を消し去りました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、アレクサンドリアに興味を示さず、アジアに向かい、ヘデロに領地を与えました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、アレクサンドロス・ヘリオス、クレオパトラ・セレナとプトレマイオス・フィラデルフォスをローマに連れて帰り、姉のオクタウィアに育てさせました。
アレクサンドロス・ヘリオス、クレオパトラ・セレナとプトレマイオス・フィラデルフォスは、凱旋式で、鎖につながれ歩かされました。
ガイアス・オクタウィアヌスは、クレオパトラ・セレナとモータリアの王ユバ二世と結婚させられました。
クレオパトラ・セレナとモータリアの王ユバ二世の息子が王位を継ぎましたが、ローマに呼び出され、殺されました。
アレクサンドロス・ヘリオスとプトレマイオス・フィラデルフォスは解放され、その後の記録はありません。
ガイアス・オクタウィアヌスは、76歳で、亡くなりました。
伝説へ
アクティウムの海戦から、マルクス・アントニウスの名前が消され、ガイアス・オクタウィアヌスが大勝利を収めたと改ざんされました。
ガイアス・オクタウィアヌスが、ローマを危機から救ったとも歴史に記録されました。
クレオパトラは、売女女王で、強欲さを持つ女王として、歴史に記録されました。
クレオパトラの本当の姿が伝えられないことで、クレオパトラは伝説になりました。
クレオパトラの死後、女性の権利は抑圧され、クレオパトラのような女性は、ほとんどいません。
登場人物
クレオパトラは、プトレマイオス12世とクレオパトラ5世の三女で、女王として東地中海を統治し、反乱を鎮圧し、貨幣をコントロールし、飢饉を解決し、艦隊を編成しましたが、本当の姿が伝えられていません。
このブログでは、カエサルのことをシーザーと呼びます。
シーザーは、ローマの将軍で、ポンペイウスと戦い、エジプトに敗走させ、エジプトまで追いかけて、クレオパトラに出会い、クレオパトラとプトレマイオス十三世をエジプトの共同統治者に指名し、反乱を起こしたプトレマイオス十三世を戦死させ、アルシノエ4世を捕虜にして、クレオパトラと愛人関係になり、シーザリオンの父で、終身独裁官に就任し、ローマ人たちに暗殺されました。
カルプルニアは、シーザーの妻です。
ガイアス・オクタウィアヌスは、シーザーの甥で、シーザーの遺言により、シーザーの養子になり、シーザーの後継者になり、第二回三頭政治の中の一人で、クレオパトラを打ち負かし、自殺へ追い込み、ローマ帝国初代皇帝です。
プトレマイオス十三世は、クレオパトラとエジプトを共同統治者ですが、クレオパトラがポンペイウスを支援したことで、アレクサンドリアからクレオパトラを追放し、攻撃しました。
ポンペイウスは、ローマの将軍で陸でも海でも連戦連勝し、シーザーの娘であるユリアと結婚し、義理の弟で、クレオパトラの父であるプトレマイオス十二世をエジプトの統治者として復位させ、プトレマイオス十二世の死後、クレオパトラとプトレマイオス十三世をエジプトの共同統治者に指名し、ローマ元老院派として、ローマ改革派のシーザーと戦い、敗れて、エジプトに敗走し、プトレマイオス十三世により殺されました。
テオドトスは、プトレマイオス十三世の教師で、執政の一人で、アレクサンドリア戦争で、追放されました。
アキラスは、プトレマイオス十三世の護衛隊長で、執政の一人で、アレクサンドリア戦争で、戦死しました。
ポティヌスは、プトレマイオス十三世の宰相で、執政の一人で、アレクサンドリア戦争で、戦死しました。
プトレマイオス12世は、プトレマイオス11世がアレクサンドリア市民の反乱で殺害されると、正当な子孫ではなかったもののファラオとなり、アウレテスというあだ名で呼ばれ、ローマに対する贈賄工作や貢納して、権力を維持しますが、アレクサンドリア市民の反乱でローマに亡命し、ローマのポンペイウスの支援を受けて復位し、在位し、自らの後任としてクレオパトラ及びプトレマイオス13世に共同でファラオに就くよう言い遺し、亡くなりました。
アルシノエ4世は、クレオパトラの妹で、プトレマイオス十三世と共に戦いますが、捕虜になり、ローマ市内を引き回され、エフェソスのアルテミス神殿で幽閉され、殺害されました。
アポロドスは、クレオパトラの従者で、クレオパトラを隠して宮殿内に入り、シーザーに面会させました。
プトレマイオス一世は、マケドニア出身の軍人、アレキサンダー大王の後継者の一人で、エジプトを統治し、アレキサンダー大王の遺体を強奪し、安置し、正統性を維持し、アレキサンダー大王の伝記を書き、アレクサンドリア図書館を建設しました。
(映画「アレキサンダー」)
マルクス・アントニウスは、シリア総督の騎馬隊長で、ローマでシーザーの代理として、ローマを統治し、クレオパトラとは愛人関係にあり、妻のフルウィアに先立れ、第二回三頭政治の中の一人で、ガイアス・オクタウィアヌスの姉のオクタウィアと結婚しました。
ヘロドトスは、紀元前400年頃、ペルシア戦争について「歴史」という本を書き、晩年にエジプトを訪れました。
ホメロスは、紀元前8000年頃、西洋文学最初期のトロイ戦争について「イリアス」という本と「オデュッセイア」を書きました。
キケロは、紀元前106年~43年頃、ローマの政治家、弁護士、文筆家、哲学者で、クレオパトラに会い、クレオパトラに関することを書き残しています。
アリストテレスは、紀元前384年~322年頃、哲学者で、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた業績から「万学の祖」で、アレキサンダー大王とプトレマイオス一世の家庭教師を務めました。
プルタルコスは、46年~119年頃、ギリシャ人の著述家で、エジプトのアレクサンドリアに赴き、使節としてローマにも度々滞在しました。
フィロタスは、紀元前1世紀頃、医者で、マルクス・アントニウスと共にアレクサンドリアに行って、クレオパトラの歓待を受けて、友人に話をしました。
この友人の孫息子が、プルタルコスです。
アポロドロスは、100年~199年頃、ギリシャ人の著述家です。
ディオンは、 155年~229年頃、ローマの政治家で、歴史家で、80巻からなり、22年間の月日を費やし、歴史学上の一級資料として扱われている「ローマ史」を執筆しました。
スエトニウスは、 70年~140年頃、ローマの歴史家、政治家で、終身独裁官シーザーおよび帝政ローマ初代皇帝ガイアス・オクタウィアヌスからドミティアヌスまでの11名のローマ皇帝、計12名の伝記である「皇帝伝」を書きました。
ルカヌスは、39年~65年頃、ローマの詩人です。
アッピアノスは、95年~165年頃、エジプトのアレクサンドリアに生まれたギリシャ人のローマの歴史家です。
ヨセフスは、37年~100年頃、ユダヤ人の政治家で、著述家です。
シーザーリオンは、クレオパトラとシーザーとの間に生まれた息子です。
ヘデロは、紀元前73年~紀元前4年頃、軍人の息子で、エルサレム周辺の統治を任され、ユダヤ王国を統治しました。
マリアムメは、ヘデロの妻で、処刑されました。
アレクサンドラは、マリアムメの母で、処刑されました。
アリストブロスは、マリアムメの弟で、大祭司に任命され、暗殺されました。
ユウェナリスは、 60年~128年頃、ローマ人で、風刺詩人、弁護士でした。
オデュッセウスは、トロイ戦争に参加し、木馬の作戦を思いつきました。
ペネロペは、オデュッセウスの妻で、思慮深く貞淑な女性です。
メネラオスは、スパルタ王で、トロイ戦争に参加し、トロイに勝利しました。
ヘレンは、メネラオスの妻で、トロイ王子パリスと恋に落ち、トロイへ駆け落ちして、トロイ戦争の原因となりました。
(映画「トロイ」)
ディデュモスは、アレクサンドリア出身の盲目の神学者で、「三位一体論」、「マニ教徒反駁論」と「聖霊論」等を出筆し、
アレクサンドリア教校校長になりました。
ドラベラは、ローマの軍人で、シーザーに仕え艦隊を率いて戦い、シーザーの死後、シリア総督になり、反共和政派に転じ、元老院から公敵と宣せられ、カッシウスに敗れて自殺しました。
カッシウスは、シーザーを暗殺した首謀者の一人で、マルクス・アントニウスとフィリッピで戦い、敗れて、自殺しました。
ブルトゥスは、シーザーを暗殺した首謀者の一人で、マルクス・アントニウスとフィリッピで戦い、敗れて、自殺しました。
セクストゥスは、紀元前67年~35年頃、ポンペイウスの息子で、軍人で、政治家です。
マルクス・アエミリウス・レピドゥスは、紀元前89年~13年頃、軍人で、政治家で、第二回三頭政治の中の一人です。
ウェレイウス・パテルクルスは、紀元前19年~紀元後31年頃、ローマ人のの歴史家です。
パウロは、5年~67年頃、タルソス出身で、ユダヤ教からキリスト教に回心し、キリスト教を布教し、ローマで処刑されました。
単語説明
王国は、一人の国王が統治する国家です。
帝国は、一人の皇帝が複数の地域や民族を統治し、大規模で歴史にも残る国家です。
エリザベス・テイラーは、映画「クレオパトラ」で、クレオパトラを演じました。
ファラオは、古代エジプトの統治者で、王とも呼ばれます。
古代エジプトは、紀元前3000年頃に始まった第1王朝から紀元前30年にプトレマイオス朝までの時代のエジプトです。
マケドニアは、ギリシャ共和国西マケドニア地方・中央マケドニア地方の全域と、北マケドニア共和国南東部ドイラン・ボグダンツィ・ゲヴゲリヤおよび南西部レセン・オフリド各自治体の一部、ブルガリア・ブラゴエヴグラト州のギリシャとの国境地帯、アルバニアのポグラデツ県・コルチャ県・デヴォル県の一部にまたがる地域を支配した、強力な王国でした。
ネフェルティティは、紀元前1370年~1330年頃、古代エジプトの第18王朝のファラオであったアクエンアテンの正妃で、クレオパトラも選ばれている古代エジプトの3大美女の一人です。
ピラミッドは、ギザの大ピラミッドのことで、クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドと言われ、高さ138.74mもあり、当時は世界で最も高い建築物で、古代世界の七不思議の一つで、現在も存在しています。
スフィンクスは、ギザの大スフィンクスのことで、全長73.5m、全高20m、全幅19mの石像で、ファラオの顔とライオンの体を持つ、神聖な存在です。
ローマは、古代ローマのことで、紀元前509年~紀元前27年まで、元老院と執政官ら政務官を中心として、ローマ市民の意思も反映されながら民主的に運営され、イタリア半島の一都市国家から地中海の全域に属州を持つ帝国になりました。
元老院は、外交・財政などの決定権を掌握する実質的な統治機関です。
元老院議員は、世襲ではなく、自発的な無私の行動をする人々で、戦場に行くことを厭わず、終身議員ではありますが、戦場で死ぬことも多いです。
執政官は、独裁を防ぐために民会により2名選出され、任期は1年で、内政・軍事の最高命令権を有し、共和政ローマの元首です。
政務官は、独裁を防ぐために民会によって複数名が選出され、任期は1年で、実際の政務を行う職で、法務官、造営官、財務官、護民官、監察官です。
終身独裁官は、執政官により1名が指名され、任期は終身で、全ての公職者に優越する権限を与えられました。
パピルスは、植物の1種で、古代エジプトで使用された文字を記録する筆記媒体で、紙のようなものです。
ヘレニズム期は、アレキサンダー(映画「アレキサンダー」)からクレオパトラまでの約300年間のギリシャ時代です。
黒檀材は、全体的に真っ黒な漆黒か、ハッキリとした縞模様が特徴的で、半永久的な耐朽性を持ち、強く、硬く重い木材です。
オニキスは、気や悪気を祓う魔除けの石とされてきました。
メトロポリスは、経済・文化の中心であり、国際的な連携のハブとなるような大規模な都市です。
アレクサンドリアの大灯台は、紀元前3世紀頃、プトレマイオス1世が建造を決定し、プトレマイオス2世が完成させた、アレクサンドリア湾岸のファロス島にある灯台で、古代世界の七不思議の一つで、現在も存在していません。
チェニックは、ワンピースよりも短く、ブラウスよりも丈が長く、お尻が隠れる辺りから膝辺りまでの長さの上着のことです。
ダイアデムは、王が頭に身に着ける冠の一種で、装飾されたヘッドバンドです。
雪花石膏は、美しい白色の鉱物です。
オリュンピュアスは、アレキサンダー(映画「アレキサンダー」)の母親です。
ディオニュソスは、ゼウスとテーバイの王女セメレーの息子で、ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒の神です。
ディオニュソス祭は、ディオニュソス神を祝して、催される、大祭で、悲劇が上演されました。
イオニア式は、古代ギリシア建築における建築様式のひとつです。
アテナイのエレクテイオンは、イオニア式の建築様式で建造されました。
ドーリア式は、古代ギリシア建築における建築様式のひとつです。
アテナイのパルテノン神殿は、ドーリア式の建築様式で建造されました。
ナイルワニは、全長4~5.5メートルにもなるワニです。
名古屋市東山動植物園で、ナイルワニを見ることができます。
インディラ・ガンジーは、父はインドの初代首相であるジャワハルラール・ネルーで、インドの女性政治家でインド首相です。
アレクサンドリア図書館は、プトレマイオス朝時代からローマ帝国時代にかけ、エジプトのアレクサンドリアに設置されていた図書館で、古典古代世界における最大かつ最も重要な古典古代の図書館であり、ヘレニズム期の学問において中心的な役割を果たしました。
イソップ物語は、ギリシャにおいて、多くの寓話を語る者たちや寓話そのものの総称です。
有名な寓話としては、「アリとキリギリス」があります。
アポロンは、ゼウスとレートーとの息子で、牧畜と予言の神、竪琴を手に執る音楽と詩歌文芸の神です。
アポロンは、カッサンドラーの美貌に懸想し、求愛し、愛を受け入れれば「百発百中の予言能力」を授けるとカッサンドラーを誘惑しました。
カッサンドラーは、愛を受け入れ「予言能力」を手に入れるが、その瞬間「アポロンに弄ばれたあげく、捨てられる自分の運命」を予言し、アポロンの許を去りました。
アポロンは、怒り、カッサンドラーに「カッサンドラーの予言は誰も信じない」という呪いをかけました。
カッサンドラーは、トロイの王プリアモス達に、ギリシア諸ポリスとトロイアとの間でトロイ戦争が起きて、トロイの悲劇的滅亡を予言し、警告しますが、誰もそれを信じませんでした。
トロイは、カッサンドラーの予言通り、ギリシアとの戦争に敗れ、滅亡しました。
イリアスは、ギリシア神話を題材とし、トロイア戦争十年目のある日に生じたアキレウスの怒りから、イリオスの英雄ヘクトールの葬儀までが描かれています。(映画「トロイ」)
オデュッセイアは、イリアスの続編で、イタケー王であるオデュッセウスがトロイア戦争の勝利の後に凱旋する途中に起きた、10年間にもおよぶ漂泊が語られ、オデュッセウスの息子テーレマコスがオデュッセウスを探す探索の旅も展開されます。
セイレーンは、ギリシア神話に登場する海の怪物で、上半身が人間の女性で、下半身は鳥の姿とされ、美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わるとされ、スターバックスのロゴマークに描かれています。
ペネロペイアは、イタケー王であるオデュッセウスの妻で、トロイ戦争に行き、20年間もの長い間、結婚を迫ってくる求婚者たちを退け、一途にオデュッセウスを待ち続けました。
ヘクトールは、トロイの王子であり、トロイ戦争におけるトロイ勢最強の戦士で、母親はヘカベーです。
メナンドロスは、紀元前342年~紀元前292年頃、エウリピデスを崇拝した古代ギリシアの喜劇作家です。
エウリピデスは、紀元前480年~紀元前406年頃、古代アテナイのギリシア悲劇における三大悲劇詩人のひとりで、「メデイア」と「アンドロマケ」を書きました。
トゥキュディデスは、紀元前460年~紀元前395年頃、オロロスの息子で、古代アテナイの歴史家で、「戦史」というペロポネソス戦争について本を書きました。
旧約聖書の伝道の書は、旧約聖書の中の一書で、人間の努力の無益さと人生の無意味さ、さらに現実世界の不条理なることが書かれています。
マカベアは、アレクサンドロス大王の遠征、マカベア戦争、エジプトにおける受難、そして殉教者たちについて書かれています。
アイスキュロスは、紀元前525年~紀元前456年頃、古代アテナイの三大悲劇詩人のひとりで、オレステイア三部作を書きました。
ソポクレスは、紀元前497年~406年頃、古代アテナイの三大悲劇詩人のひとりで、「アイアース」、「アンティゴネー」、「トラキスの女たち」を書きました。
ヘシオドスは、紀元前700年頃、古代ギリシアの叙事詩人で、「神統記」と「仕事と日」を書きました。
ピンダロスは、紀元前522年~紀元前442年頃、オリンピックの祝勝歌が多い事で知られる古代ギリシアの詩人です。
サッフォーは、紀元前7世紀末~紀元前6世紀初頃、古代ギリシアの女性詩人です。
ユークリッドは、紀元前3世紀頃、古代エジプトのギリシャ系数学者、天文学者で、「原論」を書き、ユークリッド幾何学の祖です。
キューピッドは、背中に翼をつけて恋の矢を撃つ気紛れな幼児として描かれ、恋人達の恋愛成就の助けになるとされています。
女王メディアは、古代ギリシアの劇作家エウリピデス作のギリシア悲劇です。
ディベートは、あるテーマについて異なる立場に分かれ議論することです。
唯美主義者は、作品の価値は思想やメッセージではなく、形態と色彩の美にあるとする人々です。
贈賄は、権力執行の裁量に情状を期待する人が、法や道徳に反する形で贈るお金のことです。
鼈甲は、ウミガメの一種タイマイの甲羅の加工品です。
蝋画は、美術史上最古の絵画技法のひとつで、着色した蜜蝋を溶融し、表面に焼き付けて絵を描きます。
瑪瑙は、石英の非常に細かい結晶が縞状に集まり、緻密に固まった鉱物です。
ラピスラズリは、青金石を主成分とし、複数の鉱物が加わった半貴石で、エジプトで高く評価され、ファラオ、王族、神官などの祭司階級しか身に着けられませんでした。
アメジストは、紫色の水晶です。
カーネリアンは、赤色や橙色をしている宝石です。
ガーネットは、赤色、橙色、黄色、緑色をしている宝石です。
マラカイトは、緑色をしている宝石です。
トパーズは、橙・黄・褐・青・藍・薄茶をしている宝石です。
投石機は、城などの建築物を標的として、石を投げて、射出攻撃する攻城兵器です。
攻城塔は、木造の移動式やぐらで、城壁に板を渡して兵士を城内に乗り込ませ、また最上階に配置した射手により城壁上の敵を制圧する攻城兵器です。
ルビコン川は、共和政ローマ末期にイタリア本土と属州ガリア・キサルピナの境界になっていた川です。
「ルビコン川を渡る」という表現は、後戻りのきかない道へと歩み出す、その決断を下すことを意味します。
亜麻布、別名リネンは、亜麻の繊維を原料とした織物の布で、麻特有のカラッとした風合いがあり、肌着として使われ、エジプトのミイラを巻くのにも使われました。
ポルチコは、建物の玄関の前にあり、柱で支えられるか壁で囲まれた歩道上に屋根がある場所です。
真珠母貝は、殻の内側は美しい真珠光沢を呈するので、貝ボタンや、彫刻を施しブローチなどに使用します。
モザイクは、小片を寄せあわせ埋め込んで、絵や模様を表す装飾美術の技法です。
エナメルは、金属の素地にガラス質の釉を焼きつけて、絵や模様を表す装飾美術する技法です。
サテュロスは、ギリシア神話に登場する半人半獣の自然界の精霊で、自然の豊穣の化身、欲情の塊として表現されました。
ニンフは、ギリシア神話に登場する自然界の精霊で、川や泉の精霊、水の精霊、樫または木一般の精霊、山の精霊、森の精霊、牧場の精霊などがいます。
ファウヌスは、古代ローマの神で、家畜と田野や森を守る神です。
バッカスは、古代ローマの神で、ワインの神です。
ヴィーナスは、古代ローマの神で、愛と美の女神です。
トレッドミルは、ランニングマシンです。
サイフォンは、隙間のない管を利用して、液体をある地点から目的地まで、途中出発地点より高い地点を通って導く装置です。
モニュメントは、何かを記念したり称えたりするために作られた有形の作品です。
アメジスト色は、強い紫色です。
ラビュリントスは、十二の屋根のある庭から成り、六つは北に、六つは南に向いて互いに向かい合って連なる戸口があり、同じ一個の塀がそれらの外部にめぐらされ、内部には、地下のものとその上の地上のものと、各々千五百あってその数三千に達する二種の室がある迷宮です。
閘門は、水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置です。
オシリスは、エジプト神話における冥界の男神です。
イシスは、エジプト神話における豊穣の女神です。
ホルスは、オシリスとイシスの息子で、エジプト神話における天空の男神です。
牛の角の間に日輪の円盤があり、前後に羽根冠を付けるというのが古代エジプトのファラオです。
プロパガンダは、特定の思想、例えば「臣民を飢えさせない」という意図を持って「王家の倉庫の食料を分配する」という行為です。
嘆願書は、要請や改善を依頼する際に求められる書類で、「実状を説明するとともに依頼内容を記した文書」のことです。
大赦は、有罪を受けた者についてはその有罪は効力を失い無罪になり、受刑者は刑務所から釈放され、刑事事件の被告人である者に対しては免訴の判決が言い渡され、捜査中の者については捜査が終了します。
原告は、訴えを提起した当事者です。
アルテミス神殿は、トルコ西部のイズミル県のセルチュク近郊にあった古代世界の七不思議の一つで、現在は原形をとどめていません。
パンテオンは、紀元前25年に、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された神殿です。
コロセウムは、80年に、ウェスパシアヌス帝とティトゥス帝によって建造さられた円形闘技場です。
カラカラ浴場は、216年に、第22代皇帝カラカラによって建造さられたローマ浴場です。
全権大使は、外交使節団の最上級の階級で、国の元首に対して派遣され、外交交渉、全権大使として条約の調印・署名、滞在する自国民の保護などの任務を行います。
神格化は、個人もしくは集団を神、もしくは神の域にあるものとして、扱ったり、みなしたりすることです。
マレオティス湖は、アレクサンドリアに隣接する淡水湖です。
ガレー船は、人力でオールを漕いで進む軍艦です。
三段櫂船は、帆を備え、風力でも移動できるが、人力でオールを漕いで進む軍艦で、オールの漕ぎ手60名~170名を上下3段に配置して、高い速力が特徴です。
偃月刀は、シャムシールのことで、中近東で使われている、わずかに曲がった細身の刀です。
霊廟は、特定の人物、特に生前に社会に大きな影響を与えた人物が祀られる場所です。
セラピス神は、エジプトのプトレマイオス朝で、マケドニアとエジプトの神々や教義などを同一視させるために創作された神です。
まとめ
「クレオパトラ」のホームページを見つけましたので、参考にしてください。
ホームページ
クレオパトラについては、本当のことは伝えられていないし、分からないということが分かりました。
次は、本当のクレオパトラとは、違うと言われている映画「クレオパトラ」をレビューする予定です。
ご期待ください。