映画「クレオパトラ」~あらすじ【ネタばれ有り】と感想

「夢をかなえるゾウ3  ブラックガネーシャの教え」「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養」の中で、出てきた「クレオパトラ」について知りたいと感じました。
アレキサンダー大王について、言及されるので、まずは映画「アレキサンダー」を先に鑑賞する方が良いです。
「クレオパトラ」の本を読んでおくと、より理解が深まるので、本を先に読むことをお勧めします。

この映画を鑑賞することにしました。
4時間以上の長編映画です。

基本情報・スタッフ

監督   ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ
脚本   ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ
     シドニー・バックマン
     ラナルド・マクドゥガル
製作   ウォルター・ウェンジャー
音楽   アレックス・ノース
撮影   レオン・シャムロイ
編集   ドロシー・スペンサー
製作会社 20世紀フォックス
配給   20世紀フォックス
公開   1963年11月26日
上映時間 244分

舞台となる場所


シーザーが、ポンペイウスと戦い、勝利した場所は、ファルサラです。


クレオパトラは、弟のプトレマイオス十三世によって、アレクサンドリアを追放され、軍を編成し、シナイ半島(ポート・サイドとスエズを結んだ線の東側)で野営していました。
プトレマイオス十三世は、ペルシウム(ポート・サイド近郊)に軍勢を集めていました。
プトレマイオス十三世は、ポンペイウスをペルシウムの海岸で殺害しました。
クレオパトラは、シーザーに会うために、ペルシウムを避けて、ナイル川上流のメンフィス(アレクサンドリアの約320km、カイロの約30km南にある)からナイル川を下り、アレクサンドリアに入り、シーザーに面会しました。


クレオパトラは、アレクサンドリアから北に向かい、東へ向かい、地中海東部沿岸、小アジアの南部沿岸、ロードス島とクレタ島の北を通り、イオニア海に入り、シチリア島を超えて、イタリア半島を北上し、ポッツォーリで上陸し、ローマへ向かいました。


フリッパイ(ピリッポイ)の野で、対決し、敗れたカシウスは自殺し、ブルータスも死にました。


マルクス・アントニウスは、クレオパトラをタルソスに呼び出しました。
クレオパトラは、アレクサンドリアからタルソスまで、マルクス・アントニウスに会いに行きました。
タルソスは、トルコ中南部メルスィン県の都市で、アダナから西へ約40km離れた地中海沿岸にあります。


クレオパトラとマルクス・アントニウスは、北にあるアンブラキ湾(現在のアンヴラキコス湾)へ移動しました。
アクティウムは、アンブラキ湾の沖合で、クレオパトラとマルクス・アントニウスは、ガイアス・オクタウィアヌスと戦い、敗走しました。

あらすじ

紀元前48年8月、ファルサロスにおいて、ローマの二人の英雄、シーザーとポンペイウスが会した。
血みどろの戦いの果てシーザーの軍団は、ポンペイウスを打ち破り、ローマは、ただ一人ローマの最高位に立った。
しかし、この勝利は、シーザーにとって喜び無き勝利であった。
それは、彼の軍団が殺し、そして、今火葬にふしているおびただしい遺体は、全て同胞の遺体であったからである。

シーザーは、軍船を連ねて、エジプトに向かった。
その頃、エジプトでは、王位をめぐる骨肉の争いが続いていた。
若いプトレマイオスは、共同統治者と定められている姉のクレオパトラを都アレキサンドリアから追放し、さらに、彼女を亡き者にしようと、その機会を伺っていた。

シーザーは、ポンペイウスを追って、アレキサンドリアに向かい、エジプト軍を制圧し、プトレマイオス13世とクレオパトラの王位継承権を調停し、クレオパトラを女王にして、クレオパトラと結婚し、クレオパトラとの間に息子、シーザリオンを作り、ポンペイウスの指輪をシーザリオンに与えます。

しかし、シーザーがアフリカや小アジアの各地に転戦した後、やっと、イタリアに帰り、息子シーザリオンと女王クレオパトラをローマに迎えることができたのは、それから3年の後であった。

シーザーは、終身独裁官になります。
クレオパトラは、「黄金のドレス」を着て、息子シーザーリオンと共に、シーザーの前で臣下の礼を捧げます。
アントニーは、「黄金のドレス」を着ているクレオパトラを初めて見ます。
シーザーは、業績を残し、皇帝になり、息子を後継者にしたいと考えますが、反感を買い、暗殺されます。
アントニーは、シーザーの遺言を読み上げ、オクタビアスをシーザーの後継者に指名します。
クレオパトラは、息子シーザーリオンと共に、ローマを離れ、アレキサンドリアへ戻ります。

それから2年余りの間、アントニーはシーザーの後継者オクタビアスと共にシーザーの暗殺者たちを追い求めた。
そして、ついにフリッパイの野で、対決の時を迎えた。
敗れたカシウスがまず自らの手で命を絶った。
ブルータスが死に、他の者達もすべて倒れた。

アントニー、オクタビアスとレピドゥスは、三頭政治でローマ帝国を統治することにします。
クレオパトラは、タルソスまで、船でアントニーに会いに向かい、結ばれ、アントニーと共にアレキサンドリアへ戻ります。
オクタビアスは、ローマで元老院議員や市民の支持を得ようと活動しています。
アントニーは、ローマに戻ることになり、オクタビアスの姉のオクタビアンと結婚します。
アントニーは、エジプトとの同盟協定を結ぶために、クレオパトラと会いにアレキサンドリアへ行きます。
クレオパトラは、アントニーに、皇帝としてローマを統治するオクタビアスの野望に対する、邪魔者をクレオパトラ、アントニーとシーザーリオンを指摘し、アントニーと結婚し、シーザーリオンにローマ帝国の三分の一の領土の支配権を与えます。
オクタビアスは、戦争を仕掛けずに、ローマの名士をアレキサンドリアへ送り、アントニーと元老院議員や市民を分断させます。
オクタビアスは、アントニーの遺言状にアレキサンドリアへ葬って欲しいという点を指摘し、クレオパトラとアントニーに戦争を仕掛けます。

かくして、再びローマ人同士が戦うことになった。
戦場はアントニーの軍勢が上陸したギリシャのアクティウムである。

アントニーは、海で戦うとこを選び、オクタビアスの船に突進し、乗り移りますが、オクタビアスはいません。
アントニーの船は、オクタビアスの軍船に囲まれ、炎上し、沈没します。
クレオパトラは、アントニーの戦死の知らせを受けて、アレキサンドリアへ敗走します。
戦死していないアントニーは、クレオパトラの船を追い、敗戦します。
オクタビアスは、クレオパトラとアントニーを追って、アレキサンドリアへ進軍します。
オクタビアスは、クレオパトラにアントニーの身柄を要求します。
クレオパトラは、オクタビアスの要求に応じず、アントニーに戦うように送り出し、シーザーリオンにポンペイウスの指輪を与え、国外へ逃走させ、墓所に入ります。
アントニーは、戦うとこなく、オクタビアスに負けて、宮殿に戻り、クレオパトラの死を聞いて、自殺しますが、死に切れません。
アントニーは、クレオパトラのいる墓所に入り、クレオパトラに抱かれながら、息が絶えます。
クレオパトラは、アントニーの遺体を引き渡し、ポンペイウスの指輪をはめているオクタビアスと話し合い、「黄金のドレス」を着て自殺します。

登場人物

ジュリアス・シーザーは、レックス・ハリソンが演じるローマの軍人で、元老院議員で、執政官で、属州総督で、ファルサラで、ポンペイウスと戦い、勝利し、アレクサンドリアに行き、クレオパトラと出会い、結ばれ、息子を授かり、ローマに凱旋し、終身執政官になり、クレオパトラと息子シーザーリオンを迎え、皇帝になろうとして、ブルータスたちに暗殺されます。

ポンペイウスは、ローマの軍人で、執政官で、属州総督で、ファルサラで、ジュリアス・シーザーと戦い、初めて敗戦し、アレクサンドリアに行き、暗殺されます。

フィレイビアスは、ジョージ・コールが演じるジュリアス・シーザーの側近で、話すことができません。

カニディアスは、マーク・アントニーの部下です。

マーク・アントニーは、リチャード・バートンが演じるジュリアス・シーザーが唯一信用している部下で、軍人で、元老院議員で、オクタビアヌスとレピドゥスとで三頭政治でローマ帝国を統治し、アクティウムでオクタビアヌスと戦い、敗戦し、アレクサンドリアで自殺します。

プトレマイオス13世は、リチャード・オサリヴァンが演じるエジプトの共同統治者です。

ポタイナスは、グレゴワール・アスランが演じるプトレマイオス13世の宦官から側近一の実力者になった人です。

セオドトスは、プトレマイオス13世の教育係です。

アキラスは、プトレマイオス13世の将軍です。

アグリッパは、アンドリュー・キアが演じるジュリアス・シーザーに仕える提督で、シーザーが死んだ後は、オクタビアヌスの部下になります。

ルフィオは、マーティン・ランドーが演じるジュリアス・シーザーに仕える将軍で、シーザーが死んだ後は、マーク・アントニーの部下になります。

ゲルマニクスは、ロバート・ステファンズが演じるジュリアス・シーザーに仕える将軍で、シーザーが死んだ後は、元老院議員でマーク・アントニーを支持します。

アポロドラスは、チェザーレ・ダノーヴァが演じるクレオパトラを絨毯にくるんで、シーザーのところへ運んだクレオパトラの側近です。

クレオパトラは、エリザベス・テイラーが演じるマケドニア系ギリシャ人で、エジプトの共同統治者で、シーザーの息子を産み、マーク・アントニーの子供を産み、オクタビアヌスと対立し、自殺します。

ブルータスは、ケネス・ヘイグが演じるシーザーとファルサラで、ポンペイウスと共に戦い、マーク・アントニーに殺されかけたところを、シーザーに救われ、元老院議員で、シーザーを支持するようになりますが、シーザーを暗殺した一人にです。

カルパニアは、ジュリアス・シーザーの4人目の妻です。

シーザリオンは、ジュリアス・シーザーとクレオパトラの息子です。

シセロは、キケロとも呼ばれるマイケル・ホーダーンが演じるジュリアス・シーザーやマーク・アントニーに反対するローマの元老院議員です。

シンソジェネスは、ヒューム・クローニンが演じるクレオパトラが最も信頼している忠実な家臣です。

キャシャスは、カシウスとも呼ばれるジョン・ホイトが演じるローマの元老院議員で、ジュリアス・シーザーを暗殺した一人です。

レピドゥスは、ローマの軍人で、元老院議員で、執政官で、属州総督で、マーク・アントニーとオクタビアヌスとで三頭政治でローマ帝国を統治しましたが、オクタビアヌスにローマを追放されます。

オクタビアヌスは、ロディ・マクドウォールが演じるジュリアス・シーザーの後継者で、ローマの元老院議員で、マーク・アントニーとレピドゥスとで三頭政治でローマ帝国を統治し、アクティウムでマーク・アントニーと戦い、勝利し、初代ローマ皇帝です。

巫女は、パメラ・ブラウンが演じるクレオパトラにです。

クレオパトラの侍女は、フランチェスカ・アニスが演じるです。

オクタビアは、オクタビアヌスの姉で、未亡人で、マーク・アントニーと再婚しました。

ラモスは、マーティン・ベンソンが演じるマーク・アントニーの部下です。

単語説明

ポンペイウスの指輪は、シーザーがシーザーの娘と結婚したポンペイウスに与え、ポンペイウスが亡くなった後で、シーザーが息子のシーザリオンに与え、クレオパトラの自殺の理由にもなり、この映画では重要な小道具になっています。

ラーは、太陽神で、エジプトのファラオは、ラーとイシスの息子、ホルスとなります。

イシスは、豊穣の女神で、エジプトのファラオは、ラーとイシスの息子です。

ホルスは、月の神で、エジプトのファラオは、神格化されホルスとなります。

アレキサンダー大王は、日本や中国では文化や文明が発達していない時代に、世界を統一しようとした、類まれなる偉人です。
映画「アレキサンダー」をご鑑賞ください。

カトゥルスは、個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩で有名になり、シーザーを批判したました。

てんかんは、脳が一時的に過剰に興奮し、意識消失やけいれんなどの“発作”を繰り返し引き起こす病気です。

アリストテレスは、プラトンの弟子で、古代ギリシアの哲学者で、550巻ほどの著書を残し、アレキサンダー大王の家庭教師を務めました。

プラトンは、ソクラテスで弟子で、アリストテレスの師で、古代ギリシアの哲学者で、対話篇という形式で多くの著書を残しました。

ヘブライの聖書は、ユダヤ教の聖典で、ヘブライ語で書かれた旧約聖書のことです。
律法5巻、預言者8巻、諸書11巻で構成されています。
創世記、ノアの箱舟、出エジプト記などが有名です。

アレキサンドリア大図書館は、アレキサンダー大王から始まり、クレオパトラで終わるヘレニズム時代の学問において中心的な役割を果たした図書館で、プトレマイオス朝の王たちの強引かつ出費を惜しまない蒐集により、大量の文書が保管されていました。

ピラミッドは、ギザの大ピラミッドのことで、クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッドと言われ、高さ138.74mもあり、当時は世界で最も高い建築物で、古代世界の七不思議の一つで、現在も存在しています。

スフィンクスは、ギザの大スフィンクスのことで、全長73.5m、全高20m、全幅19mの石像で、ファラオの顔とライオンの体を持つ、神聖な存在です。

プトレマイオス12世は、プトレマイオス11世がアレクサンドリア市民の反乱で殺害されると、正当な子孫ではなかったもののファラオとなり、アウレテスというあだ名で呼ばれ、ローマに対する贈賄工作や貢納して、権力を維持しますが、アレクサンドリア市民の反乱でローマに亡命し、ローマのポンペイウスの支援を受けて復位し、在位し、自らの後任としてクレオパトラ及びプトレマイオス13世に共同でファラオに就くよう言い遺し、亡くなりました。

ミスラダティスは、パルチアという古代イランの王です。

ハンニバルは、カルタゴの将軍で、カルタゴが滅びた後もローマ史上最強の敵として後世まで語り継がれている人物です。

ガリアは、フランス・ベルギー・スイスおよびオランダとドイツの一部でガリア人が支配していました。
シーザーは、属州総督に任官され、ガリアを制圧し、ローマの属州にして、「ガリア戦記」を書き残しました。

ラテン語は、古代ローマ・共和政ローマ・ローマ帝国で用いられ公用語です。

終身独裁官は、市民の尊敬と栄誉を受ける地位ですが、法律を布告するためには、元老院の同意を必要とします。

ロムルスは、ローマの建国神話に登場するローマの建設者で、伝説上の王政ローマ建国の初代王です。

マラリアは、マラリアは人から人に感染するのではなく、「ハマダラカ」という蚊によって媒介される病気で、高熱 、高熱にともなう悪寒、頭痛、筋肉痛、関節痛、下痢、嘔吐などから始まり、意識障害・低血糖・腎障害・多臓器不全といった症状が引き起こし、最悪の場合は死に至ります。

タイバー川は、ローマ市内を流れていることで有名な河川です。

オスティア港は、タイバー川の河口の北岸にあり、地中海の一部であるティレニア海に面している港です。

ローマは、古代ローマのことで、紀元前509年~紀元前27年まで、元老院と執政官ら政務官を中心として、ローマ市民の意思も反映されながら民主的に運営され、イタリア半島の一都市国家から地中海の全域に属州を持つ帝国になりました。

共和制は、王は存在せずに、ローマ市民が選んだ代表によって統治される国家体制のことです。

元老院は、外交・財政などの決定権を掌握する実質的な統治機関です。
元老院議員は、世襲ではなく、自発的な無私の行動をする人々で、戦場に行くことを厭わず、終身議員ではありますが、戦場で死ぬことも多いです。

執政官は、独裁を防ぐために民会により2名選出され、任期は1年で、内政・軍事の最高命令権を有し、共和政ローマの元首です。

皇帝は、ローマ共和政時代に存在する官職や権限を一身に兼ねるという意味で、シーザーは皇帝になれず、初代ローマ皇帝は、オクタビアヌスです。

ブリタニアは、ローマの属州のイギリスのことです。

スラは、共和政ローマ時代の軍人で、政治家で、独裁官で、紀元前78年に病死しました。

クラッススは、共和政ローマ時代の軍人で、政治家で、第三次奴隷戦争でスパルタクスを討ち取り、ポンペイウスとシーザーと共に、三頭政治を行い、パルティアに遠征し、紀元前53年に戦死しました。

全権大使は、外交使節団の最上級の階級で、国の元首に対して派遣され、外交交渉、全権大使として条約の調印・署名、滞在する自国民の保護などの任務を行います。

墓所は、霊廟とも呼ばれ、特定の人物、特に生前に社会に大きな影響を与えた人物が祀られる場所です。

最後のセリフ

最も高貴な女王様にふさわしい。

時代背景

紀元前1260年頃、モーセがラムセス2世の迫害に苦しむイスラエルの民を率いてエジプトを脱出しました。

紀元前1250年頃、トロイ戦争によって、ギリシャ軍は、トロイを陥落し、都市を燃やし、破壊しました。
映画「トロイ」

紀元前492年、ダレイオス1世は、マルドニオス率いる部隊をギリシアに派遣し、ギリシア全域の制圧を目指して、ペルシア戦争が始まりました。

紀元前480年、テルモピュライで、スパルタ王レオニダス1世が率いるスパルタ軍とテーバイ軍は、アケメネス朝ペルシアの遠征軍と戦い、負けました。

紀元前480年9月、ギリシアのサラミス島近海で、ギリシア艦隊は、ペルシア艦隊と戦い、勝ちました。

紀元前479年8月、プラタイアで、スパルタ、コリントス、アテナイなどのギリシア連合軍は、ペルシア残存勢力とペルシア側についたギリシアの諸ポリスと戦い、スパルタ軍の活躍により、勝ちました。

紀元前449年、ギリシャとペルシアとの間で、カリアスの和約が成立してペルシア戦争は、ギリシャの勝利で終わりました。

紀元前356年7月20日、アレキサンダーは、父親マケドニア国王ピリッポス2世、母親オリンピアスの長男として、ペラで生まれました。
紀元前323年6月10日、アレキサンダーは、32歳で、なくなりました。
アレキサンダーの築いた王国は、アンティパトロス朝、プトレマイオス朝、セレウコス朝とリュシマコス朝に分割され統治されました。
映画「アレキサンダー」

プトレマイオス朝は、アレキサンダーの後継者の一人であるプトレマイオス1世が、キプロス、エジプトに跨る地域に築いた王国です。

紀元前73年から紀元前71年、剣闘士らの指導者スパルタクスは、共和政ローマに反乱を起こしました。

紀元前44年3月15日、共和政ローマの終身独裁官であるシーザーは、ローマにあるポンペイウス劇場で暗殺されました。

紀元前31年9月、イオニア海のアクティウム沖で、オクタビアヌス率いるローマ軍は、クレオパトラが率いるプトレマイオス朝およびマーク・アントニー支持派連合軍に大勝しました。

紀元前30年8月1日、マーク・アントニーは、クレオパトラが自殺したという知らせを聞いて、53歳で、自殺しました。
紀元前30年8月10日、クレオパトラは、39歳で、自殺しました。
紀元前30年8月31日、オクタビアヌスは、エジプトをローマの属州としました。

クレオパトラの生涯

紀元前80年、プトレマイオス11世は、アレクサンドリア市民の反乱で殺害されました。
プトレマイオス12世は、プトレマイオス11世の子供ではないが王位に即位し、プトレマイオス11世の娘であるクレオパトラ5世と結婚しました。

紀元前77年、ベレニケ4世は、プトレマイオス12世と、妻のクレオパトラ5世の長女として生まれました。
紀元前69年、クレオパトラは、プトレマイオス12世と、妻のクレオパトラ5世の次女として生まれました。

紀元前58年、クレオパトラが11歳の時に、プトレマイオス12世は、キプロスをローマに奪われるとアレクサンドリア市民に追放され、ベレニケ4世はクレオパトラ5世と共に統治を開始しました。
紀元前57年、クレオパトラが12歳の時に、クレオパトラ5世が亡くなり、ベレニケ4世はエジプトを統治しました。
紀元前55年、クレオパトラが14歳の時に、プトレマイオス12世は、ローマのポンペイウスの支援を受けて、シリア総督のアウルス・ガビニウスが部下のマーク・アントニーが勇敢に戦い、ベレニケ4世を処刑し、エジプトを統治しました。
紀元前51年、クレオパトラが18歳の時に、プトレマイオス12世が亡くなり、クレオパトラとプトレマイオス13世が結婚し、エジプトを共同で統治しました。
紀元前49年、クレオパトラが20歳の時に、シーザーとポンペイウスは、ローマで内戦を行いました。
クレオパトラは、ポンペイウスを支援しました。
プトレマイオス13世は、ローマからの独立を目指していました。
紀元前48年、クレオパトラは、21歳の時に、ローマのポンペイウスを支援したために、追放され、軍を編成し、エジプト、パレスチナ、シリアという砂漠地帯を逃げ回っていました。
紀元前48年8月9日、シーザーは、ファルサルスの戦いで、ポンペイウスをエジプトへ敗走させました。
紀元前48年9月28日、プトレマイオス13世は、ポンペイウスを殺害しました。
紀元前48年10月1日、シーザーは、ポンペイウスを追って、アレクサンドリアに行き、プトレマイオス13世に会い、ポンペイウスが殺害されたことを知りました。
シーザーは、クレオパトラとプトレマイオス13世でエジプトを共同統治するようにしました。
共同統治を不服とするプトレマイオス13世とアルシノエ4世は、シーザーに攻撃を仕掛けて、アレクサンドリア戦争が始めりました。
紀元前47年1月13日、プトレマイオス13世は、戦死しました。
アルシノエ4世は、捕虜となりました。
紀元前47年3月27日、シーザーは、アレクサンドリア戦争に勝利し、クレオパトラとプトレマイオス14世をエジプトの共同統治者としました。
紀元前47年6月、シーザーは、アレクサンドリアを発ちました。
紀元前46年、クレオパトラは、シーザーに招かれローマに来ました。
紀元前46年9月21日、シーザーは、壮麗な凱旋式を始めました。
アルシノエ4世は、ローマ市中を引き回された後で、エフェソスに幽閉されました。
紀元前45年、クレオパトラは、アレクサンドリアに戻り、再びローマに来ました。
シーザーは、属州民に元老院の議席を与えて、元老院の定員を600名から900名へと増員し、元老院を単なる追認機関とすることで有名無実化しました。
紀元前44年、クレオパトラは26歳になりました。
紀元前44年2月15日、シーザーは、終身独裁官に就任しました。
シーザーは、パルテア遠征のために、大軍団を送り、3月18日には、ローマを発つ予定でした。
クレオパトラも、ローマを発つ予定でした。
紀元前44年3月15日、シーザーは、ポンペイウス劇場に隣接する列柱廊で、暗殺されました。
シーザーの遺言により、18歳のオクタビアヌスがシーザーの養子になり、後継者になりました。
クレオパトラは、ローマを発ち、アレクサンドリアに戻りました。
クレオパトラは、共同統治者であるプトレマイオス14世を毒殺し、3歳のシーザーリオンと共にエジプトを共同統治しました。

紀元前42年1月、マーク・アントニーとオクタビアヌスは、正式に同盟関係を結び、三頭政治が始まりました。
紀元前42年10月、マーク・アントニーとオクタビアヌスは、カッシウスとブルトゥスとフィリッピで戦い、勝利し、カッシウスとブルトゥスを自殺させました。

紀元前41年、マーク・アントニーは、タルソスに、クレオパトラを呼び出しました。
クレオパトラは、タルソスまで、マーク・アントニーに会いに行きました。
マーク・アントニーは、アルシノエ4世を殺害しました。

マーク・アントニーは、アレクサンドリアまで、クレオパトラに会いに行きました。
マーク・アントニーは、パルテア人の反乱を鎮めるために、アレクサンドリアを離れました。

紀元前40年、マーク・アントニーは、ローマに戻り、妻のフルウィアと再会しました。
マーク・アントニーは、妻のフルウィアをローマに残して、ギリシャに向かいました。
マーク・アントニーの妻のフルウィアは、病死しました。
紀元前40年10月、マーク・アントニーとオクタビアヌスは、ブリンディシ協定を結びました。
紀元前40年12月、マーク・アントニーは、オクタビアヌスの姉のオクタウィアと結婚しました。
クレオパトラは、マーク・アントニーの息子と娘の双子を出産しました。
紀元前39年6月、マーク・アントニー、オクタビアヌスとセクストゥス・ポンペイスは、港町ミセヌムで、協定に合意し、ローマは平和になりました。

紀元前38年、オクタビアヌスは、スクリボニアと離婚し、リウィアと結婚し、貴族の仲間入りをしました。
マーク・アントニーとガイアス・オクタウィアヌスは、タレントゥム協定を結びました。

紀元前37年、マーク・アントニーは、アンティオキアに、クレオパトラを呼び出しました。
クレオパトラは、アンティオキアまで、マーク・アントニーの息子と娘を連れて、マルクス・アントニウスに会いに行きました。
マーク・アントニーは、クレオパトラにキプロス島、コレイ・シリア、キレナイカ、キリキア、クレタ島の一部、フェニキアを与えました。

紀元前36年、マーク・アントニーは、パルテアで負けて、ベイルートの南の村まで、クレオパトラに金、食料と衣服を持ってくるように呼び出しました。
クレオパトラは、ベイルートの南の村まで、金、食料と衣服を持って、マーク・アントニーに会いに行きました。
マーク・アントニーは、妻のオクタウィアを見捨て、クレオパトラと共にアレクサンドリアで過ごしました。

紀元前35年、マーク・アントニーは、アルメニアを征服しました。
紀元前34年、マーク・アントニーは、アレクサンドリアに凱旋しました。
マーク・アントニーは、クレオパトラとの間にできた2人の息子に領地を分け与えました。
紀元前33年、マーク・アントニーは、メディアの王と和平条約を結びました。

紀元前33年11月、マーク・アントニーとオクタビアヌスによる三頭政治が終わりました。
紀元前32年1月、オクタビアヌスは、マーク・アントニーを痛烈に批判しました。
紀元前32年4月、クレオパトラとマーク・アントニーは、軍を率いて、サモス島に渡りました。
紀元前32年5月、マーク・アントニーは、妻のオクタビアヌスの姉のオクタウィアを離縁しました。
クレオパトラとマーク・アントニーは、アテナイへ旅行しました。
マーク・アントニーは、クレオパトラにペルガモン図書館をプレゼントしました。
ゲミニウスとプランクスは、マーク・アントニーから離反し、オクタビアヌスに従いました。

紀元前32年10月、オクタビアヌスは、クレオパトラに宣戦布告しました。
マーク・アントニーは、ローマ元老院での執政官の地位を剥奪され、全ての役職から解任されました。
クレオパトラとマーク・アントニーは、コリントス湾の入り口にあるパストラへ移動しました。
アヘノバルブスとデリウスは、マーク・アントニーから離反し、オクタビアヌスに従いました。
紀元前31年9月1日、オクタビアヌスとクレオパトラおよびマーク・アントニーの間で海戦が行われ、オクタビアヌスが勝利しました。

紀元前30年8月1日、マーク・アントニーは、クレオパトラが自殺したという知らせを聞いて、53歳で、自殺しました。
紀元前30年8月3日、クレオパトラは、マーク・アントニーの葬儀を行いました。
紀元前30年8月8日、クレオパトラは、オクタビアヌスと話し合いました。
紀元前30年8月10日、クレオパトラは、39歳で、自殺しました。
紀元前30年8月31日、オクタビアヌスは、エジプトをローマの属州としました。

1953年、国王を廃位して共和政へと移行し、ナギーブが初代大統領となり、エジプト共和国が独立しました。

感想

世界統一の夢

この時代のことについて、興味も関心もない人が鑑賞しても退屈な映画です。
この時代のことについて、興味も関心もあり、事前に時代背景を理解しているなら楽しめる映画です。
公開は1963年11月26日で、半世紀以上前の映画ですが、見ごたえはあります。
上映時間は244分で、4時間を超えます。
スペクタクルな戦闘シーンを期待すると、期待外れになります。
CGなしで、豪華な巨大セットの中で行われる会話劇という感じです。
史実とは、少し異なり、演出もありますが、クレオパトラという人の人生を知ることができることに鑑賞するだけの価値はあります。
クレオパトラがローマへ凱旋してくるパレードは、史実ではないようです。
クレオパトラは、この程度のパレードを、アレクサンドリアで良く行っていたそうです。

クレオパトラは、王家に生まれ、教養を身につけ、市民の支持を得て、国を統治しますが、共和制から皇帝制に代わるローマという外国の時代の変化、ジュリアス・シーザーの後継者争いに負けて、自殺しました。
クレオパトラは、アレキサンダー大王の世界統一を実現し、世界に平和をもたらすという野望を持つような女性です。
クレオパトラは、エジプトの食料と金で、ローマ帝国を支援することで、この野望をあと少しという所まで、行うところが凄いです。
クレオパトラが、世界統一を実現し、世界に平和をもたらしていたら、どんな世界になっていたのだろうかと想像しても、想像できません。
クレオパトラのような女性は、想像できません。
王家に生まれた女性が、教養を身につけ、市民の支持を得て、国を統治した、例は思いつきません。
主人公はクレオパトラですが、クレオパトラを取り巻く男達がクレオパトラを引き立てています。
クレオパトラを取り巻く男達は、ジュリアス・シーザー、マーク・アントニーとオクタビアヌスで、歴史に残る偉人達です。
ジュリアス・シーザー、マーク・アントニーとオクタビアヌスも、特徴を良くとらえて、演出されています。
ジュリアス・シーザーは、非の付け所がない、スーパースターです。
マーク・アントニーは、勇敢に戦いますが、謀略には嵌められてしまいます。
オクタビアヌスは、戦うことなく、謀略を駆使して、勝利します。
ジュリアス・シーザー、シーザリオンとシーザー・オクタビアヌスという3人のシーザーの物語としても、面白いです。
ジュリアス・シーザーは、残された人生で、何かを成し遂げようと、皇帝になろうと焦った結果、暗殺されます。
シーザリオンは、ジュリアス・シーザーの子供というだけで、シーザー・オクタビアヌスに殺されます。
シーザー・オクタビアヌスは、若くして、ジュリアス・シーザーの後継者になり、ローマ帝国初代皇帝になります。

エジプト・プトレマイオス朝の最後、ローマ共和制の最後、ローマ皇帝制の始まりを知ることもできます。
エジプトは、この後、約2000年間もの間、支配され続けました。

クレオパトラの名言

国を支配しているのは男。その男たちを支配しているのは私。

国を支配するには、子育てをすることなしに、国を支配することに専念できる力のある男です。
男であれ女であれ、全ての子供は女が産み、育てることで、支配しているのは女ということです。

悲しさは世界共通。笑いは文化によって異なる。

世界統一するには、文化によって異なる笑いではなく、世界共通の悲しさによってしか成し遂げられません。

お金では幸せは買えない。だが、お金は、あなたが不幸である間、何不自由ない生活をさせてくれる。

お金があったら何をするかという問いに対する答えは色々ですが、「幸せ」と答える人は少ないでしょう。

クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史も変わっていたであろう。

パスカルの言葉ですが、有名な言葉です。
クレオパトラの鼻が高く、美人だったということです。

まとめ

歴史を大きく変えた、女性リーダーは少ないですが、積極的に映画レビューで取り上げたいです。
映画「ジャンヌ・ダルク」は、レビュー済みですから、ご参照ください。
次は、映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」をレビューする予定です。
ご期待ください。
以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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