午前十時の映画祭2025で映画「アマデウス 【4Kレストア版】」を鑑賞しました!

午前十時の映画祭2025で上映されている映画「アマデウス 【4Kレストア版】(劇場公開版)」を鑑賞することにしました。

予告動画です。

主題歌です。

チケットです。

事前に映画「アマデウス」を鑑賞し、ネタばれ有りのブログ記事を書きました。

音楽は宮廷から大衆へと変わる時代に、嫉妬から神への復讐に失敗する物語

原題も邦題も「アマデウス」です。
アマデウスは、オーストリアの作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのミドルネームのことです。
時代的には、フランス革命の前の頃でパリで王妃マリー・アントワネットが贅沢をしていた時期で、赤穂浪士大石良雄ら四十七士が本所松坂町で吉良義央を討ち果たした少し後の出来事です。
たくさんのモーツァルトが作曲した音楽が使用されますが、音楽を中心とした映画ではなく、アントニオ・サリエリが回想しながら語るモーツァルトを描いた会話劇で、音楽用語が飛び交います。
字幕を追いながらの鑑賞は、大変です。
簡単なセリフは字幕にされませんし、英語が少し理解できれば、理解しやすいです。

劇場公開版とディレクターズ・カット版の違いで気が付いたところは以下の通りです。
・コンスタンツェが一人で夜にサリエリの家を訪れて屈辱を受けるシーンで、ラストでサリエリから楽譜を取り上げアパートから追い出す伏線になっています。
・サリエリがヨーゼフ2世にモーツァルトについての嘘の悪い噂を伝え、モーツァルトがヨーゼフ2世の姪の音楽教師になれず、他の貴族の娘の音楽教師にもなれず、収入が安定せず、生活に苦労するというシーンがないです。
劇場公開版を鑑賞して、もっと理解したいならディレクターズ・カット版を鑑賞すると良いでしょう。

モーツァルトの音楽が好きな人にはお勧めできますが、モーツァルトの描かれ方に好き嫌いが別れるかもしれません。
アカデミー賞8部門を受賞しました。
アカデミー賞受賞作品が好きな人、洋画が好きな人にもお勧めできる映画です。

午前10時の映画祭15で上映されますし、音楽が重要な映画なので、可能であれば、音響の良い映画館で鑑賞した方が良い映画です。

登場人物も多く、判別しにくいです。

アントニオ・サリエリは、イタリアのレニャーゴの生まれのイタリア人で、74歳と12歳と30歳~41歳の年齢で登場し、ヨーゼフ2世の宮廷作曲家を務めています。
74歳のアントニオ・サリエリは、12歳と30歳~41歳のときを思い出して物語が進みます。
アントニオ・サリエリの従者は、アントニオ・サリエリの身の回りの世話をします。
フォーグラー神父は、74歳のアントニオ・サリエリから話を聞くことで物語が進みます。
精神病院の病院の接客係は、精神病院に入院しているアントニオ・サリエリの世話をします。
モーツァルトは、6歳のときの演奏旅行、25歳~35歳で亡くなるまでの物語がアントニオ・サリエリによって語られ、コンスタンツェからヴォルフィーと呼ばれます。
レオポルト・モーツァルトは、モーツァルトの父親で、ザルツブルクの宮廷室内作曲家で、モーツァルトの音楽の才能を見出し、モーツァルトに音楽の英才教育を施して、仮装舞踏会では黒い前は笑顔で後ろは怒った顔の仮面を身に付けます。
フランチェスコ・サリエリは、アントニオ・サリエリの父親で、アントニオ・サリエリの音楽の才能を見出せず、アントニオ・サリエリに音楽の教育を行わず、喉に食べ物を詰まらせて、亡くなります。
コンスタンツェは、モーツァルトの婚約者で結婚相手です。
ザルツブルク大司教のコロレード伯は、モーツァルトが気に入らず、ザルツブルク宮廷楽団楽長から解雇します。
ヨーゼフ2世は、ウィーンにいる神聖ローマ皇帝で、妹はフランス国王ルイ16世と結婚したマリー・アントワネットです。
ファン・スヴィーテン男爵は、モーツァルトのオペラ「クレタ王イドメネオ」を観劇し、モーツァルトを高く評価して、モーツァルトを雇うようにヨーゼフ2世に勧めます。
オルシーニ=ローゼンベルク伯爵は、ウィーンで国立劇場監督を務め、モーツァルトを評価していません。
フォン・ストラック伯爵は、ヨーゼフ2世の宮内長官を務め、モーツァルトを評価していません。
ジュゼッペ・ボンノは、ヨーゼフ2世の宮廷音楽長を務め、モーツァルトを評価していません。
カテリナ・カヴァリエリは、歌手で、アントニオ・サリエリの生徒で、モーツァルトのオペラ「後宮からの誘惑」で歌います。
ウェーバー夫人は、コンスタンツェの母親です。
エリザベートは、ヨーゼフ2世の姪です。
ロールは、アントニオ・サリエリが雇い、モーツァルト家のメイドとして働く娘です。
エマヌエル・シカネーダーは、モーツァルトに大衆オペラの作曲を依頼して、オペラ「魔笛」を作曲させます。
オペラ「魔笛」を歌っていいる声は、ジューン・アンダーソンです。

ファン・スヴィーテン男爵、ウィーンで国立劇場監督を務めるオルシーニ=ローゼンベルク伯爵、ヨーゼフ2世の宮内長官を務めるフォン・ストラック伯爵、ヨーゼフ2世の宮廷音楽長を務めるジュゼッペ・ボンノは区別しにくいです。

ファン・スヴィーテン男爵は、オランダ人で、中肉中背で、茶色のカツラで、メガネをかけていなくて、モーツァルトを高く評価してです。
オルシーニ=ローゼンベルク伯爵は、中肉中背で、銀色のカツラで、丸いメガネが特徴で、国立劇場監督を務めていて、指揮を行います。
フォン・ストラック伯爵は、中肉中背で、カツラをつけず、頭部の真ん中が禿げていて、両側は銀髪で、宮内長官を務め、ヨーゼフ2世から相談され、意見を言います。
ジュゼッペ・ボンノは、オーストリア人の作曲家で、太っていて、銀色のカツラで、メガネをかけていなくて、宮廷音楽長を務め、モーツァルトに好感を持っています。

物語が展開する場所は音楽の都ウィーンで、セリフとしてモーツァルトの生まれ故郷として田舎町のザルツブルグが登場します。

物語は、3部構成で、まずは、アントニオ・サリエリがモーツァルトの天性の才能と性格に嫉妬して、次に、アントニオ・サリエリが神を裏切り、アントニオ・サリエリがモーツァルトに葬式で演奏するレクイエムを作曲させ、アントニオ・サリエリが神の創造物であるモーツァルトを殺して、アントニオ・サリエリがモーツァルトの作曲したレクイエムを自分の曲として、モーツァルトの葬式で発表するという神への復讐を企て、最後に、アントニオ・サリエリがコンスタンツェのいない間をチャンスと見て、モーツァルトにレクイエムを作曲させ、モーツァルトを過労死で殺しますが、コンスタンツェがレクイエムの楽譜をアントニオ・サリエリから取り上げて、モーツァルトの葬式を行われますが、アントニオ・サリエリがモーツァルトの作曲したレクイエムをアントニオ・サリエリの曲として発表することはできず、名声を得ることには失敗し、年月の経過に伴いアントニオ・サリエリの名声も作曲した曲も忘れられるという物語です。

アントニオ・サリエリがコンスタンツェに対する嫌がらせをして、コンスタンツェがアントニオ・サリエリを嫌うという伏線が、コンスタンツェがアントニオ・サリエリからレクイエムの楽譜を取り上げて、アントニオ・サリエリがモーツァルトの作曲したレクイエムをアントニオ・サリエリの曲として発表できず、名声を得ることできずに、アントニオ・サリエリの神への復讐が失敗に終わることで回収されるというのは良いです。

回想している時代から物語の時代に戻り、回想している時代に戻り物語の時代に戻ることを繰り返して、物語が構成されています。
いつ頃の時代に何があったかを把握していないと物語に付いていけないので簡単に説明します。
1825年頃、アントニオ・サリエリは自殺を図り、精神病院に入院して、フォーグラー神父にモーツァルトについて語り始めます。
1762年、6歳のモーツァルトは、オーストリアのウィーンへ演奏旅行に行き、ヨーゼフ2世の前で演奏します。
1763年、アントニオ・サリエリは、父親に導かれて演奏旅行しているモーツァルトを羨ましく思います。
    アントニオ・サリエリの父親は、音楽に対する理解がなく、モーツァルトの親子を軽蔑しています。
    アントニオ・サリエリは、教会で、偉大な作曲家になれるようにと神に祈ります。
    アントニオ・サリエリの父親は、家族と共に食事をしているときに、食事を喉に詰まらせて亡くなります。
1781年、モーツァルトは、ザルツブルク大司教のコロレード伯の命令でミュンヘンからウィーンへ移りますが、ザルツブルク大司教のコロレード伯の宮廷でのザルツブルク宮廷楽団楽長を解雇され、ウィーンでフリーの作曲家として活動し、ミュンヘンのバイエルン選帝侯カール・テオドールの宮廷からの依頼で、オペラ「クレタ王イドメネオ」を作曲し、ミュンヘンのレジデンツ劇場で上演し、成功します。
1782年、モーツァルトは、ドイツ語のオペラ「後宮からの誘惑」を作曲し、上演して、成功し、レオポルト・モーツァルトの反対を押し切り、オーストリアのウィーンにあるシュテファン大聖堂でコンスタンツェと結婚します。
1785年、レオポルト・モーツァルトは、モーツァルトと会いにウィーンへ来て、ザルツブルグへ帰ります。
1786年、モーツァルトは、オペラ「フィガロの結婚」を作曲し、ウィーンのブルク劇場で上演し、9回の公演で打ち切りになり、失敗します。
1787年、父親のレオポルト・モーツァルトが亡くなり、プラハのエステート劇場からの依頼でオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を作曲し、プラハのエステート劇場で上演し、成功しますが、ウィーンのブルク劇場で上演しますが、5回で打ち切られ、失敗します。
1791年3月、モーツァルトは、エマヌエル・シカネーダーからオペラ「魔笛」の作成依頼を受けます。
1791年8月、モーツァルトは、高額で「レクエイム」の依頼を受けます。
1791年9月、モーツァルトは、オペラ「魔笛」を完成させ、ウィーンのフライハウス劇場で上演し、成功します。
1791年10月、モーツァルトは、「レクエイム」を作曲し始めます。
1791年12月5日、モーツァルトは、「レクエイム」をほぼ完成させて、臨終のミサは行われずに、亡くなります。
        アントニオ・サリエリは、コンスタンツェに「レクエイム」の楽譜を取り上げられて、「レクエイム」をアントニオ・サリエリの曲として発表することができません。
1791年12月10日、モーツァルトの葬儀が行われます。

アントニオ・サリエリは、父親が死ぬことで作曲家への道が開けました。
アントニオ・サリエリは、モーツァルトを殺すことで、歴史に名を残すような作曲家への道を開こうとしたとしておかしくはありません。

モーツァルトの死因は、アントニオ・サリエリによって追い込まれ、1ヶ月の総労働時間が260時間を超える月が続き、過労死だと思います。
モーツァルトは天才であるがゆえに仕事はありますが、性格も口も悪いため時給の高く、身分が安定した職には付けず、浪費癖があり、生活に困り、多くの仕事を引き受け、労働時間が長くなり、過労死したようです。
モーツァルトは、共同墓地に埋葬され、墓の場所も遺骨も行方不明です。

フォーグラー神父は、アントニオ・サリエリに神の前では人は皆同じですと言います。
アントニオ・サリエリは、ピアノで曲を弾くだけで、モーツァルトとは違い、神の前では人は皆同じではないことを証明して見せます。

アントニオ・サリエリは、ヨーゼフ2世の宮廷作曲家で、宮廷向けの作曲を行い、大衆向けには作曲を行わず、宮廷には受け入れられますが、大衆には知られず、時代に取り残され、忘れ去られることになります。

モーツァルトは、フリーの作曲家で、依頼があれば、宮廷向けでも、大衆向けにでも作曲を行いますが、宮廷には受け入れらませんが、大衆に受け入れられ、時代に受け入れられる前に亡くなってしまいます。

アントニオ・サリエリが作曲した曲を知る人はいません。
モーツァルトが作曲した曲はCM等でも使用され、モーツァルトの名前は知らなくても、モーツァルトが作曲した曲を知っている人は多いはずです。

アントニオ・サリエリは、神に愛されたモーツァルトを殺したことで、神を超える存在だと感じています。
自分も、不可能を可能にして、米国を利用して、世界を操り、国を滅ぼし、神を超える存在だと感じています。
アントニオ・サリエリは、モーツァルトの力を恐れ、既得権益を守ることに終始して、無意味に時間を過ごし、言い訳に終始している間にモーツァルトは亡くなりました。
思い上がった政治家たちは、自分の情報を恐れ、収集するのですが、既得権益を守ることに終始して、無意味に時間を過ごし、言い訳に終始している間に、30年間以上も経過して、自分も亡くなるでしょう。
自分は、現在仕掛けられているハニートラップについても気が付いているので、何の意味もなく、また同じように何も得ることはなく、時間だけが過ぎ去り失敗して、言い訳する結果に終わるでしょう。

ラストは、アントニオ・サリエリが地獄の中のような精神病院の中で患者たちに神の代わりに赦しを与え、モーツァルトは天国で笑っているという感じで救われます。

ルイ16世は「フィガロの結婚の上演を許すくらいなら、バスティーユ監獄を破壊する方が先だ」と激昂したそうです。
フリーメイソンに入会したモーツァルトがオペラ「フィガロの結婚」を作曲したのは、禁止されている「フィガロの結婚」を上演し、モーツァルトの実力を認めない王族や貴族に復讐するためだと感じました。
モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」は政治的に意味はないことに、民衆を惹きつけるというフックになるという政治的な意味があります。
モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」は政治的に意味はないことで作曲され、上演され、民衆を惹きつけ、民衆が禁止されている「フィガロの結婚」について興味を持ち、「フィガロの結婚」について調べて、革命を起こして、王族や貴族を打倒するという政治的な意味があるということです。

自分は、米国政府が日本人が政治に興味、関心を持たないように使用している3S政策を逆に利用して、スクリーンを通して、日本人が政治に興味、関心を持つようにすることで、復讐したいです。
モーツァルトはオペラ「フィガロの結婚」で王族や貴族を倒しました。
自分は映画のレビューで米国政府や日本政府を倒してみたいです。
米国政府や日本政府は強固なように思われますが、米国大統領や日本首相を騙し、判断を誤らせれば、米国政府や日本政府を崩壊させられます。

以下の色々なモーツァルトの曲が演奏されます。
事前に調べて聞いておくと、映画をより良く鑑賞できるでしょう。「K」と入っている曲はモーツァルトが作曲した曲です。

最初に少しだけ流れ、階段の上にレオポルト・モーツァルトがアパートの前に出現したときに流れるオペラ「ドン・ジョバンニ K.527:序曲」です。

アントニオ・サリエリが、精神病院に搬送されるときに流れる、交響曲「第25番 ト短調 K.183 第1楽章」です。

アントニオ・サリエリが、フォーグラー神父にピアノを弾いて聞かせるセレナーデ「K.525:アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」です。

アントニオ・サリエリが教会で祈っている時に流れる、13世紀のフランシスコ会で生まれた「カトリック教会の聖歌 スターバト・マーテル:肉体が死に滅びる時」です。

アントニオ・サリエリがザルツブルク大司教の屋敷にいる時に流れる、「18世紀初期のジプシー音楽」です。

モーツァルトがコンスタンツェと戯れた後、コロレード大司教のパーティで指揮する管楽器のためのセレナーデ「変ロ長調 K.361 第3楽章:グラン・パルティータ」です。

モーツァルトがアントニオ・サリエリの歓迎のマーチから即興で演奏したオペラ「フィガロの結婚 K.492:もう飛ぶまいぞこの蝶々」です。

モーツァルトがヨーゼフ2世の依頼で作曲し、上演したドイツ語のオペラ「後宮からの誘惑 K.384:フィナーレ」です。

モーツァルトがコンスタンツェと結婚するシーンに流れる大ミサ曲「ハ短調 K.427:キリエ」です。

コンスタンツェがモーツァルトに黙ってアントニオ・サリエリに見せたフルートとハープのための協奏曲「ハ長調 K.299 第2楽章」です。

コンスタンツェがモーツァルトに黙ってアントニオ・サリエリに見せ、モーツァルトが町を酒瓶片手に酒を飲みながら軽やかにスキップで帰るピアノ協奏曲「変ロ長調 第15番 K.450 第3楽章」です。

コンスタンツェがモーツァルトに黙ってアントニオ・サリエリに見せた交響曲「イ長調 第29番 K.201 第1楽章」です。

コンスタンツェがモーツァルトに黙ってアントニオ・サリエリに見せたヴァイオリンとビオラのための協奏交響曲「変ホ長調 K.364 第一楽章」です。

モーツァルトがレオポルト・モーツァルトとコンスタンツェと共に一緒に繰り出し仮装大会でバカ騒ぎしているときに流れるオペラ「後宮からの誘惑 K.384 第1幕:アリア偉大なる太守をたたえて歌え」です。

モーツァルトがレオポルト・モーツァルトとコンスタンツェと共に一緒に繰り出し仮装大会でバカ騒ぎしているときに流れるドイツ軍歌「われはカイザーたらん」です。

モーツァルトがビリーヤード台で作曲しているときとアントニオ・サリエリがモーツァルトのアパートで楽譜を発見したとときに流れるオペラ「フィガロの結婚 K.492 第4幕:フィナーレ」です。

モーツァルトがコンスタンツェと出かけて、ヨーゼフ2世が聞いている演奏会で流れるピアノ協奏曲「第22番 K.482 第三楽章」です。

モーツァルトがヨーゼフ2世にフィガロの結婚を説明するために流れるオペラ「フィガロの結婚 K.492 第一幕:もう飛ぶまいぞこの蝶々」です。

アントニオ・サリエリが大胆で、華麗と言わせたオペラ「フィガロの結婚 K.492 第3幕:ああ、花嫁の行列だ」です。

アントニオ・サリエリが打ちのめされたオペラ「フィガロの結婚 K.492 第4幕:ああ、これで一同みな満足」です。

モーツァルトが父の死を知ってから上演されるオペラ「ドン・ジョバンニ K.527 第2幕:騎士長の場」です。

アントニオ・サリエリが貸し衣装を身にけモーツァルトのアパートに向かうときに流れるピアノ協奏曲「第20番 K.466 第1楽章」です。

モーツァルトがアパートのドアを開けて貸し衣装を身にけたアントニオ・サリエリを見たときに流れるオペラ「ドン・ジョバンニ K.527:序曲」です。

貸し衣装を身にけたアントニオ・サリエリがモーツァルトのアパートから帰るときに流れるミサ曲「二短調 レクイエム K.626:入祭唱」です。

アントニオ・サリエリがフォーグラー神父にモーツァルトの殺害を説明するときに流れるオペラ「ドン・ジョバンニ K.527:序曲」です。

モーツァルトが作曲に没頭して、ドアがノックされているときに流れるミサ曲「二短調 レクイエム K.626:怒りの日」です。

ロールがアントニオ・サリエリにモーツァルトを恐れてモーツァルトの家に行くのは嫌だと訴えるときとモーツァルトがコンスタンツェを追い払おうとするときに流れるオペラ「魔笛 K.620 序曲」です。

酔っぱらったモーツァルトがアパートに帰るときに流れるミサ曲「二短調 レクイエム K.626:怒りの日」です。

マリア・ツェツィーリアが、モーツァルトを怒ったときに流れるオペラ「魔笛 K.620 第2幕:夜の女王のアリア 復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」で、声はジューン・アンダーソンです。

モーツァルトが倒れるときに流れていたオペラ「魔笛 K.620 第2幕:可愛い娘か女房がいれば」です。

モーツァルトが舞台を去った後に上演されるオペラ「魔笛 K.620 パパゲーノとパパゲーナのアリア パパパの二重唱」です。

コンスタンツェが、ほかの男と舞踏会で踊っているときに流れる舞曲「K.509 6つのドイツ舞曲」です。

モーツァルトが、ベッドに寝たままでサリエリに指示しながら作曲をしているときに流れるミサ曲「二短調 レクイエム K.626:怒りの日」です。

コンスタンツェが、馬車に乗って帰って来るときに流れるミサ曲「二短調 レクイエム K.626:呪われ退けられし者達が」です。

コンスタンツェがモーツアルトの亡くなるときから、みんなでモーツアルトを弔い、モーツアルトを埋葬するときに流れるミサ曲「二短調 レクイエム K.626:涙の日」です。

病院の接客係が、アントニオ・サリエリを迎えに来たときから流れるピアノ協奏曲「第20番 ニ短調 K.466 第2楽章」です。

年表です。
1701年、赤穂藩主浅野長矩は、江戸城中で吉良義央に斬りつけます。
1702年、赤穂浪士大石良雄ら四十七士は、本所松坂町で吉良義央を討ち果たします。
1703年、江戸幕府は、赤穂浪士大石良雄ら四十七士に切腹を命じます。
1707年、宝永地震、富士山宝永大噴火が起きます。

1750年8月18日、アントニオ・サリエリは、ヴェネツィア共和国(イタリア)レニャーゴで生れます。
1756年1月27日、モーツァルトは、神聖ローマ帝国(オーストリア)ザルツブルクで生まれます。

1759年、モーツァルトは、3歳のときからチェンバロを弾き始めます。

1761年、モーツァルトは、5歳のときに現存する最古の作品「アンダンテ ハ長調 K.1a」を作曲します。

1762年1月、モーツァルトは、6歳のときにミュンヘンへ演奏旅行に行きます。
1762年9月、モーツァルトは、6歳のときにミュンヘンへウィーンへ演奏旅行に行きます。
1762年、モーツァルトは、父親に連れられて、6歳のときにシェーンブルン宮殿でマリア・テレジアの御前で演奏し、宮殿の床で滑って転んでしまい、助けられたマリー・アントワネットに「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」と言います。

1763年、モーツァルトは、7歳のときにフランクフルトで演奏を行い、ゲーテが聞いて高く評価します。
    アントニオ・サリエリの父親が、家族と共に食事をしているときに、食事を喉に詰まらせて亡くなります。
1964年、アントニオ・サリエリの母親が亡くなります。
1766年、フロリアン・レオポルト・ガスマンは、ヴェネツィアを訪れたときに15歳のアントニオ・サリエリの才能を評価し、アントニオ・サリエリをウィーンに連れて行きます。

1768年、アントニオ・サリエリは、18歳のときに最初のオペラ「ヴェスタの処女」を作曲します。
1769年~1771年、モーツァルトは、13歳から15歳のときに、ザルツブルク大司教のコロレード伯の宮廷に仕えながら、イタリアへ旅行してミラノ、ボローニャ、ローマ、ナポリ、ポンペイを観光し、ボローニャでは作曲者であり教師でもあったジョヴァンニ・バッティスタ・マルティーニ神父から対位法やポリフォニーの技法を学びます。
1770年、モーツァルトは、14歳のときにローマ教皇より黄金拍車勲章を授与されます。
1772年、アントニオ・サリエリは、22歳のときにオペラ「ヴェネツィアの市」を作曲して、有名になります。
1772年、モーツァルトは、16歳のときにザルツブルク大司教のコロレード伯によって、ザルツブルク宮廷楽師長に任命されます。
1773年、モーツァルトは、17歳のときにザルツブルクで、交響曲第25番と交響曲第29番を作曲します。
1773年、モーツァルトは、17歳のときに進歩的で有名な劇作家トビアス・フォン・ゲプラーと出会い、フリーメイソンを知ります。
1774年、アントニオ・サリエリは、24歳のときにヨーゼフ2世によって宮廷作曲家として任命されます。
1777年、モーツァルトは、21歳のときにザルツブルク宮廷楽師長を辞職し、ミュンヘン、マンハイムへと引っ越し、マンハイム楽派の影響を受けます。

1781年、モーツァルトは、25歳のときにザルツブルク大司教のコロレード伯の命令でミュンヘンからウィーンへ移りますが、ザルツブルク大司教のコロレード伯の宮廷でのザルツブルク宮廷楽団楽長を解雇され、フリーの作曲家として活動して、ミュンヘンのバイエルン選帝侯カール・テオドールの宮廷からの依頼で、オペラ「クレタ王イドメネオ」を作曲して、ミュンヘンのレジデンツ劇場で上演し、成功します。
1782年、モーツァルトは、26歳のときにウィーンでフリーの作曲家として活動し、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世から依頼でドイツ語オペラ「後宮からの誘惑」を作曲し、ウィーンのブルク劇場で上演して、成功します。
1782年、モーツァルトは、26歳のときにレオポルト・モーツァルトの反対を押し切り、オーストリアのウィーンにあるシュテファン大聖堂でコンスタンツェと結婚します。
1784年、モーツァルトは、28歳のときにヴィーンのフリーメイソンの小さなロッジに入会します。
1785年、モーツァルトは、29歳のときにフリーメイソンの第二級に進級します。
1785年、レオポルト・モーツァルトは、モーツァルトと会いにウィーンへ来て、ザルツブルグへ帰ります。
1786年、モーツァルトは、30歳のときにオペラ「フィガロの結婚」を作曲し、ウィーンのブルク劇場で上演し、9回の公演で打ち切りになり、失敗します。
1787年、モーツァルトは、31歳のときに「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を作曲します。
    父親のレオポルト・モーツァルトが亡くなります。
    モーツァルトは、プラハのエステート劇場からの依頼で「ドン・ジョヴァンニ」を作曲し、プラハのエステート劇場で上演し、成功しますが、ウィーンのブルク劇場で上演しますが、5回で打ち切られ、失敗します。
1789年、フランス革命が始まります。
1791年3月、モーツァルトは、エマヌエル・シカネーダーからオペラ「魔笛」の作成依頼を受けます。
1791年8月、モーツァルトは、グラーフ・ヴァルゼックという貴族から高額で「レクエイム」の依頼を受けます。
1791年9月、モーツァルトは、オペラ「魔笛」を完成させ、ウィーンのフライハウス劇場上演し、成功します。
1791年10月、モーツァルトは、「レクエイム」を作曲し始めます。
1791年12月5日、モーツァルトは、35歳のときに亡くなります。
モーツァルトの弟子のジュスマイヤーは、「レクエイム」を完成させます。
1791年12月10日、モーツァルトの葬儀は、オーストリアのウィーンにあるシュテファン大聖堂で行われます。
         レクエイムは、ミヒャエラー教会で初めて演奏されます。

1793年、フランスのルイ16世とマリー・アントワネットが処刑されます。
1794年、フランス革命は終わります。

1825年5月7日、アントニオ・サリエリは、74歳のときに亡くなります。

午前十時の映画祭で上映される25本の映画を全て鑑賞して、半券を集めて、金の殿堂入りを目指すという目標をにしました。
午前十時の映画祭で上映される25本の映画を全てを事前に鑑賞して、ブログ記事にするのは困難ですが、可能なら事前に鑑賞してブログ記事(ネタバレあり)にする予定です。

楽しい1年になりそうです。

面白いと思った方は、クリックして、応援してね!
にほんブログ村 映画ブログへ

にほんブログ村 シニア日記ブログへ   にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ