映画「風と共に去りぬ」~あらすじ、登場人物、単語説明と感想

午前十字の映画祭15で「風と共に去りぬ」が上映されるので、この映画を鑑賞することにしました。
映画「リンカーン」を鑑賞すると、映画「風と共に去りぬ」が理解しやすいです。

基本情報・スタッフ

監督    ヴィクター・フレミング
脚本    シドニー・ハワード
原作    マーガレット・ミッチェル
製作    デヴィッド・O・セルズニック
音楽    マックス・スタイナー
撮影    アーネスト・ホーラー、レイ・レナハン
美術    ウィリアム・キャメロン・メンジース、ライル・ウィーラー
衣装    ウォルター・プランケット
編集    ハル・C・カーン、ジェームズ・E・ニューカム
製作会社  セルズニック・インターナショナル、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
配給    ロウズ、MGM日本支社
公開    1952年9月4日
上映時間  222分
映倫区分  G

予告動画・主題歌

場所

タラは、ジョージア州アトランタから南に30数キロのところにある架空の綿花農園です。

スカーレット・オハラの故郷です。
アトランタは、ジョージア州の州都で、アシュレー・ウィルクスとメラニー・ウィルクスが住んでいる場所です。

アイルランドです。

ジェラルド・オハラの故郷です。

ジョージア州サバンナです。

人気のリゾート地です。

サウスカロライナ州チャールストンです。

サムター要塞があり、南北戦争が始まったところで、レット・バトラーの故郷です。

ペンシルベニア州ゲティズバーグです。

1863年7月1日~3日、北軍と南軍は総力を結集し、ペンシルベニア州アダムズ郡近郊でゲティスバーグの戦いを行い、北軍が勝利しました。

ジョージア州メイコンです。

ピティパット・ハミルトンが、ジョージア州アトランタから避難する場所です。

ペンシルベニア州です。

アシュレー・ウィルクスが捕虜になった場所です。

英国リヴァプールです。

レット・バトラーがお金を保管している場所です。

ニューオリンズです。

レット・バトラーとスカーレット・オハラの新婚旅行先です。

テネシー州フランクリンです。

1864年11月30日、南軍は、北軍の防御陣に対する正面攻撃を行って失敗し、6人の将官が戦死または致命傷を負いました。

英国ロンドンです。

ロンドン塔とロンドン・ブリッジがあります。

あらすじ

スカーレットは、南北戦争が起きる前に、古き良き南部のジョージア州タラに生まれ、美人で、南部の男性たちに囲まれて、黒人奴隷たちを従えて、不自由なく育ち、園遊会を楽しみ、気が強く、自信過剰で、自分のことしか考えず、メラニーと結婚したアシュレーへ愛の告白をしても受け入れられず、レットに出会いますが、南北戦争が起きて、メラニーの弟のチャールズと結婚して、メラニーの義理の妹になりますが、メラニーの夫のアシュレーとメラニーの弟のチャールズは戦争に参加して、メラニーの弟のチャールズは病死して、未亡人になります。

スカーレットは、アシュレーと結婚したいと思いを引きずりながら、南北戦争中はジョージア州アトランタでアシュレーが帰ってくるのを待ち、レットと再会して、レットとダンスを踊ることになりますが、レットに嫌いだと言い、クリスマス休暇を与えられて帰ってきたアシュレーと再会して、アシュレーからメラニーの世話を頼まれて、メラニーの世話をして、レットの助けを借りて、北軍から逃れてジョージア州アトランタからジョージア州タラに戻り、母親のロビヤール・オハラがなくなり、父親のジェラルド・オハラは精神的に病んで、妹のスエレンとキャリーンと黒人奴隷のマミー、ポークと再会して、北軍に強奪され食べるのもお金もない状態で、嘘もつき、盗み、騙し、人をも殺すことになっても、生き抜いて見せると神に誓います。

スカーレットは、アシュレーと結婚したいと思いを引きずりながら、南北戦争後は帰還したアシュレーと再会して、南北戦争後にジョージア州タラの屋敷の300ドルの税金から逃れるために、アシュレーにメキシコへ駆け落ちを提案しますが、アシュレーに断られ、父親のジェラルド・オハラは落馬して亡くなり、300ドルの手に入れるために、緑のカーテンでドレスを作り着飾ってジョージア州アトランタに行って、レットに会いいますが、300ドルを手に入れられず、偶然に出会った妹のスエレンと結婚する相手のフランク・ケネディと再会し、フランク・ケネディを騙して結婚することで、300ドルを手に入れて、ジョージア州タラの屋敷の税金を支払い、アシュレーと妻のメラニーと子供をジョージア州アトランタに呼び寄せて、アシュレーと木材事業を行い、レットと再会しますが、頼ることもなく、相手にもせず、馬車乗って、貧民窟を通り、2人の男に襲われますが、ビック・サムに助けられます。
フランク・ケネディとアシュレーたちは、スカーレットの復讐のために、貧民窟を襲撃するために農場で集会を行います。
北軍兵士たちは、フランク・ケネディとアシュレーたちを農場で待ち伏せて攻撃します。
アシュレーは怪我を負いますが命はとりとめます、フランク・ケネディは亡くなります。

スカーレットは、未亡人になり、喪に服していますが、レットからプロポーズされて受け入れ、レットと結婚して、蒸気船でミシシッピー川を航海しながら、新婚旅行をしてますが、アシュレーとの木材事業を続けます。
スカーレットは、レットと共にジョージア州アトランタに帰り、豪邸を建てて、マミー、プリシーとポークを雇います。
レットとスカーレットは、娘が生まれて、ボニー・バトラーと名付けます。
スカーレットは、アシュレーへの思いを捨てられず、レットとの夫婦仲が悪化します。
レットは、スカーレットの代わりにボニー・バトラーを愛することで満足して、スカーレットとの夫婦仲が悪化します。

登場人物

スカーレット・オハラ

スカーレット・オハラは、ヴィヴィアン・リーが演じるジェラルド・オハラとエレン・オハラの長女で、スエレン・オハラとキャリーン・オハラとの姉で、ブレント・タールトンとスチュアート・タールトンに戦争の話をされ、ブレント・タールトンとスチュアート・タールトンに戦争は起きないし、戦争の話題を止めないなら、帰ると言い、ブレント・タールトンとスチュアート・タールトンにウィルクス家がオークス屋敷で開く園遊会の話題に変え、舞踏会でワルツを踊ろうと言われ、ブレント・タールトンとスチュアート・タールトンに他の男性からワルツの申し込みがなければ、ワルツを踊ると答え、スチュアート・タールトンからアシュレー・ウィルクスとメラニー・ハミルトンが婚約を発表すると言う話を教えられて、舞踏会でワルツを踊ろうと言いわれ、ブレント・タールトンとスチュアート・タールトンにもちろんと答えて、ブレント・タールトンとスチュアート・タールトンに大喜びをされ、メラニー・ハミルトンの弟のチャールズ・ハミルトンからプロポーズされて結婚して、メラニー・ハミルトンと義理の妹になります。

ブレント・タールトン

ブレント・タールトンは、フレッド・グリーンが演じるスチュアート・タールトンの双子兄弟で、スカーレット・オハラに騎士道を見せつけるために、戦争が始まるので、高校を退校処分なり、大学に進学できなくなっても、戦争に参加すると言い、スカーレット・オハラにウィルクス家がオークス屋敷で開く園遊会の話題に変え、舞踏会でワルツを踊ろうと言い、もちろんと答えられて、大喜びをします。

スチュアート・タールトン

スチュアート・タールトンは、ジョージ・リーヴスが演じるブレント・タールトンの双子兄弟で、スカーレット・オハラに騎士道を見せつけるために、戦争というと血が騒ぐし、戦争は必ず起きると言い、スカーレット・オハラにウィルクス家がオークス屋敷で開く園遊会の話題に変え、舞踏会でワルツを踊ろうと言い、スカーレット・オハラにアシュレー・ウィルクスとメラニー・ハミルトンが婚約を発表すると言う話を教えて、舞踏会でワルツを踊ろうと言い、もちろんと答えられて、大喜びをします。

メラニー・ハミルトン

メラニー・ハミルトンは、オリヴィア・デ・ハヴィランドが演じるチャールズ・ハミルトンの姉で、アシュレー・ウィルクスと婚約し、アシュレー・ウィルクスからスカーレット・オハラを紹介され、スカーレット・オハラに明るくて、活発で、羨ましいのでお友達になって欲しいと言い、スカーレット・オハラから心にもないことを仰ってと言い返され、アシュレー・ウィルクスによって屋敷の中から中庭に連れ出して、プロポーズをされて、アシュレー・ウィルクスに二人の世界には戦争など入り込めないし、何が起ころうと、今と変わりなく、命果てるまで愛し続けますとプロポーズを受け入れ、チャールズ・ハミルトンがスカーレット・オハラと結婚して、スカーレット・オハラは義理の妹になります。

アシュレー・ウィルクス

アシュレー・ウィルクスは、レスリー・ハワードが演じるジョン・ウィルクスの息子で、インディア・ウィルクスの兄で、メラニー・ハミルトンと婚約し、2階から階段で降りて来て、スカーレット・オハラを見つけて、挨拶をして、握手し、メラニー・ハミルトンを紹介し、メラニー・ハミルトンを屋敷の中から中庭に連れ出して、プロポーズをして、メラニー・ハミルトンから二人の世界には戦争など入り込めないし、何が起ころうと、今と変わりなく、命果てるまで愛し続けますとプロポーズを受け入れられます。

チャールズ・ハミルトン

チャールズ・ハミルトンは、ランド・ブルックスが演じるメラニー・ハミルトンの弟で、インディア・ウィルクスの彼で、ウィルクス家のオークス屋敷で開かれた園遊会に参加していて、スカーレット・オハラの後ろから近づき、挨拶し、バーベキューに誘われ、喜んで受けて、スカーレット・オハラを囲んでバーベキューを楽しみ、紳士たちと北部との戦争について話しをしていて、北部との戦争に賛成し、戦争が始まったことに興奮し、スカーレット・オハラにリンカーンが兵隊を集めているので、戦争になるだろうと教え、軍隊に入ると言い、スカーレット・オハラを世界一奇麗で、優しくて、かわいい女性で、結婚して下さるなら、どんなことでもしますし、どんな約束でも果たしますと言ってプロポーズし、スカーレット・オハラからプロポーズを受け入れられます。

ジェラルド・オハラ

ジェラルド・オハラは、トーマス・ミッチェルが演じるエレン・オハラの夫で、スカーレット・オハラ、スエレン・オハラとキャリーン・オハラの父親で、馬に乗って、川を渡って、柵を飛び越えて、スカーレット・オハラの方へやって来て、スカーレット・オハラからオークス屋敷に住んでいるウィルクス家について質問され、スカーレット・オハラにメラニー・ハミルトンとチャールズ・ハミルトンがやって来ていて、園遊会の準備をして、ジョン・ウィルクスからアシュレー・ウィルクスとメラニー・ハミルトンが婚約を発表すると答えます。

エレン・オハラ

エレン・オハラは、バーバラ・オニールが演じるフランス貴族の出身で、ジェラルド・オハラの妻で、スカーレット・オハラ、スエレン・オハラとキャリーン・オハラの母親で、恵まれない人々の看病をして、夜になり、馬車で、家に帰って来てます。

マミー

マミーは、ハティ・マクダニエルが演じるオハラ家の黒人女性の召使で、窓から顔を出して外出するスカーレット・オハラを見て、スカーレット・オハラを呼び止めますが、スカーレット・オハラからジェラルド・オハラが帰って来るのを出迎えると言われて、屋敷から立ち去られます。

スエレン・オハラ

スエレン・オハラは、イヴリン・キースが演じるジェラルド・オハラとエレン・オハラの次女で、スカーレット・オハラの妹で、キャリーン・オハラの姉で、フランク・ケネディの彼女で、エレン・オハラを出迎えるために2階から降りてきて、エレン・オハラに園遊会でスカーレット・オハラのグリーンのドレスを着たいと言い、エレン・オハラからブローチを貸すから、ピンクのドレスを着なさいと言い返されます。

キャリーン・オハラ

キャリーン・オハラは、アン・ラザフォードが演じるジェラルド・オハラとエレン・オハラの三女で、スカーレット・オハラとスエレン・オハラの妹で、エレン・オハラを出迎えるために2階から降りてきて、エレン・オハラに13歳になったので、園遊会の舞踏会に出たいと言い、エレン・オハラから園遊会とお夕食への出席を認められます。

ポーク

ポークは、オスカー・ポークが演じるオハラ家の黒人男性の召使で、夜になり、マミーからランプでエレン・オハラの足元を照らすように指示され、エレン・オハラの足元をランプで照らし、心配していましたと言い、エレン・オハラから無事よと言い返されます。

ジョナス・ウィルカーソン

ジョナス・ウィルカーソンは、ビクター・ジョリーが演じるオハラ家の農場監督で、夜になり、エレン・オハラに今日の作業を終え、明日は何をしましょうかと質問し、エレン・オハラからエミーの世話をしてきて、子供が生まれたが、死にましたと伝えられ、エレン・オハラにエミーの子供については分からないととぼけます。

ジョン・ウィルクス

ジョン・ウィルクスは、ハワード・ヒックマンが演じるウィルクス家のオークス屋敷の主人で、ジェラルド・オハラの友人で、ジェラルド・オハラ、スカーレット・オハラ、スエレン・オハラとキャリーン・オハラをウィルクス家のオークス屋敷で開かれた園遊会に招待し、インディア・ウィルクスと共にウィルクス家のオークス屋敷開かれた園遊会に来たジェラルド・オハラ、スカーレット・オハラ、スエレン・オハラとキャリーン・オハラを出迎えます。

インディア・ウィルクス

インディア・ウィルクスは、アリシア・レットが演じるジョン・ウィルクスの娘で、アシュレー・ウィルクスの妹で、チャールズ・ハミルトンの彼女で、ジョン・ウィルクスと共にウィルクス家のオークス屋敷開かれた園遊会に来たジェラルド・オハラ、スカーレット・オハラ、スエレン・オハラとキャリーン・オハラを出迎えます。

フランク・ケネディ

フランク・ケネディは、キャロル・ナイが演じるスエレン・オハラの彼で、ウィルクス家のオークス屋敷で開かれた園遊会に招待されていて、スカーレット・オハラから挨拶をされ、バーベキューに誘われ、喜んで受けて、スエレン・オハラによってスカーレット・オハラから引き離されます。

キャスリーン・カルバート

キャスリーン・カルバートは、マーセラ・マーティンが演じるスカーレット・オハラの友人で、ウィルクス家のオークス屋敷で開かれた園遊会に招待されていて、スカーレット・オハラからレット・バトラーについて質問され、スカーレット・オハラにレット・バトラーが一人で北部で暮らして、士官学校も退学させられ、女性を泣かせたので、紳士ではないと説明します。

レット・バトラー

レット・バトラーは、クラーク・ゲーブルが演じるチャールストン生まれで、船長で、ウィルクス家のオークス屋敷で開かれた園遊会に招待されていて、階段の下からスカーレット・オハラを見て、スカーレット・オハラに一目惚れをします。

プリシー

プリシーは、バタフライ・マックイーンが演じるオハラ家の黒人少女の召使で、ウィルクス家のオークス屋敷で開かれた園遊会で昼寝をしている女性たちに孔雀の羽で風を送り、スカーレット・オハラの身の回りのお世話をするためにアトランタへ行きます。

ピティパット・ハミルトン

ピティパット・ハミルトンは、ローラ・ホープ・クルーズが演じる叔母で、アトランタに住んでいて、スカーレット・オハラを住まわせていて、メラニー・ウィルクスにアトランタ陸軍病院で行われた大バザーに参加している喪中のスカーレット・オハラがダンスを楽しんでいるようだと非難します。

ミード医師

ミード医師は、ハリー・ダベンボートが演じるミード夫人の夫で、ゲティズバーグで戦死したダーシー・ミードとフィル・ミードの父親で、医師で、南北両軍の勝敗の行方を決めるペンシルベニア州ゲティズバーグでの戦いの戦死者のリストに息子のダーシー・ミードを見つけて、泣き出し、北軍の砲撃が病院として使用されている教会のステンドガラスが破壊し、スカーレット・オハラと共に負傷した南軍兵士たちの治療し、看病します。

ミード夫人

ミード夫人は、レオーナ・ロバーツが演じるミード医師の妻で、ゲティズバーグで戦死したダーシー・ミードとフィル・ミードの母親で、南北両軍の勝敗の行方を決めるペンシルベニア州ゲティズバーグでの戦いの戦死者のリストに息子のダーシー・ミードを見つけて、泣き出し、戦争が終わります。

フィル・ミード

フィル・ミードは、ジャッキー・モーガンが演じるミード医師とミード夫人の息子で、ゲティズバーグで戦死したダーシー・ミードの弟です。

ベル・ワトリング

ベル・ワトリングは、オナ・マンソンが演じるレット・バトラーの友人で、酒場付きの売春宿の女主人で、メラニー・ウィルクスに金貨で50ドルを寄付し、メラニー・ウィルクスからお礼を言われて、寄付を受け取られます。

ビック・サム

ビック・サムは、エバレット・ブラウンが演じるオハラ家の黒人奴隷で、塹壕堀りにかり出されたので、アトランタを歌を歌いながら歩いていて、スカーレット・オハラに再会し、スカーレット・オハラからオハラ家について質問され、エレン・オハラが病気で、ジェラルド・オハラが膝の怪我で戦争には行けないと答えます。

ピーター

ピーターは、エディ・アンダーソンが演じるハミルトンの黒人の召使で、ピティパット・ハミルトンがアトランタから逃げ出すときに、ピティパット・ハミルトンのトランクを馬車に積み込み、馬車を走らせて、メイコンへ移動し、戦争が終わります。

北軍のトム大尉

北軍のトム大尉は、ワード・ボンドが演じるアトランタで収監されているレット・バトラーとポーカーをしていて、伍長から召使を連れたレット・バトラーの妹が面会に来ていることを伝えられ、レット・バトラーにまた妹が来たぞ、監獄はハーレムじゃないと言い、レット・バトラーから召使抜きで妹と会いたいし、今日の負けはいくらになるか質問し、手帳を見せられて、340ドルだと確認し、伍長にレット・バトラーの妹を監獄に通してやれと命令し、レット・バトラーに負けっぷりのいい男を粗末には扱えんよと言い、戦争が終わります。

伍長

伍長は、アーヴィング・ベーコンが演じる北軍の伍長で、トム大尉に召使を連れたレット・バトラーの妹が面会に来ていることを伝え、北軍のトム大尉からレット・バトラーの妹を監獄に通してやれと命令されます。

ジョニー・ギャラガー

ジョニー・ギャラガーは、J・M・キリガンが演じる囚人たちを労働者として働かせる現場監督で、スカーレット・オハラ・ケネディに木材の商いに必要な労働者を囚人たちから選んで見せ、スカーレット・オハラ・ケネディから囚人たちを任されて、注文がきたらいつで出荷できるようにするように言われます。

ボー・ウィルクス

ボー・ウィルクスは、ミッキー・カーンが演じるアシュレー・ウィルクスとメラニー・ハミルトンの息子で、バトラー家で、ボニー・バトラーと一緒に遊んでいます。

ボニー・バトラー

ボニー・バトラーは、カミー・キングが演じるレット・バトラーとスカーレット・オハラの娘で、レット・バトラーからポニーに乗っているのを見て、手綱さばきが見事で、乗馬の名人になると言われ、レット・バトラーからポニーで柵を飛び越えさせてもらいます。

単語説明

タラは、架空の場所ですが、アイルランドにタラという丘がダブリンの北のミース州にあり、ここは古代アイルランドの王の戴冠式が行われ、また祭礼の中心となっていたアイルランド人にとって神聖です。

騎士道は、貴族階級の紳士が守るべき南部への忠誠、名誉と礼節、貴婦人への愛という行動規範です。

淑女は、レディーとも呼ばれ、騎士に対して深い愛情を与えます。

綿畑は、米国に入植した白人が黒人奴隷を労働力として支配し、綿花を大規模に生産する大農園です。

戦争は、米国が南部と北部に分かれて行われる南北戦争のことです。

南部同盟は、南北戦争の際、アメリカ合衆国を脱退して、南部11州が形成した政治同盟です。

南部は、ジョージア州、サウスカロライナ州、ミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ルイジアナ州、テキサス州、バージニア州、アーカンソー州、テネシー州、ノースカロライナ州の11州です。

北部は、マサチューセッツ州、メイン州、ニューハンプシャー州、ヴァーモント州、ロードアイランド州、コネティカット州、ニューヨーク州、ニュージャージー州、ペンシルヴェニア州、オハイオ州、インディアナ州、イリノイ州、アイオワ州、ミネソタ州、ウィスコンシン州、カンザス州、オレゴン州、カリフォルニア州、ケンタッキー州、ミシガン州、デラウェア州、メリーランド州、ミズーリ州の23州です。

奴隷は、アフリカから労働力として、米国に強制的に移送され、白人が綿畑等で働かせるために購入された黒人の人々です。

奴隷制度は、奴隷が身分として、子孫にまで引き継がれるという社会制度です。

退校処分は、生徒が戦争に参加することを認めていないのに、生徒が戦争に参加すると、生徒の在籍資格が無くなると言う処分です。

オークス屋敷は、ジョン・ウィルクスが所有していて、ウィルクス一家が住んでいる架空の屋敷です。

園遊会は、主催者が招待客にお祝い事を伝えるために、招待客に集まってもらい、昼食会、夕食会、舞踏会を提供します。

舞踏会は、成人男女たちが伴奏を伴ってダンスをする集会です。

マリアは、イエス・キリストの聖母のことです。

ミカエルは、大天使で、偉大な天使の一人です。

ヨハネは、人々にバプテスマ(洗礼)を授けた人で、イエス・キリストにもバプテスマを授けました。

ペテロは、イエス・キリストに従った使徒の一人です。

パウロは、イエス・キリストに従った使徒の一人です。

ソバカスは、鼻と左右のほほを中心に現れる茶色の直径3ミリ程度の斑点のことで、シミの一種です。

バターミルクは、牛乳から分離したクリームを撹拌しバターを作る時に残った液体のことです。

士官学校は、軍隊の将校を養成する軍学校です。

大砲は、前装式のライフル砲です。
北軍は、口径74mmの大砲に統一し、砲弾供給をスムーズに行うことができました。
南軍は、口径74mmの大砲と口径76mmの大砲を使用したために、砲弾供給を複雑化させてしまいました。

はしかは、麻疹ウイルスによる急性熱性発疹性感染症で、発疹が麻の実のように見え、ワクチンによって予防可能で、抗生物質で治療可能ですが、死に至ることもあります。

肺炎は、肺の炎症性疾患の総称で、ワクチンによって予防可能で、抗生物質で治療可能ですが、死に至ることもあります。

チフスは、腸チフスとパラチフスを指す感染症の総称で、ワクチンによって予防可能で、抗菌薬で治療可能ですが、死に至ることもあります。

喪服は、夫を亡くした未亡人が集会に参加する際に着用する黒で統一された礼服です。

喪中は、夫や子供の死を受けて、妻が日常生活とは異なる儀礼的禁忌状態で、外出を避けたり、外出をするときには喪服を着用します。

バザーは、資金調達のために、不用品ではあるが、金銭的価値が有る物を持ち寄って競売にかけ、販売益を寄付する集会です。

募金運動は、資金調達のために、善意の寄付を募る活動です。

リー将軍は、南軍の軍司令官を務めましたが、北軍のグラント将軍に負け、北軍に降伏しました。

リンカーンは、北軍の軍司令官を務め、南軍に勝ちました。

シャーマン将軍は、北軍の将軍で、ジョージア州アトランタを制圧しました。

グラント将軍は、北軍の将軍で、南軍のリー将軍に勝ちました。

カマトトは、上品ぶったり、うぶを装ったりする女性です。

マディラは、ポルトガル領のマデイラ島で造られている酒精強化ワインで混成酒で、シェリーやポートワインと並んで、世界3大酒精強化ワインの1つです。

プラムは、生食用果実で、果汁が多く、適度な甘みと酸味が特徴です。

クリスチャンは、イエスや使徒たちを信じて、従い、教えを守るキリスト教徒のことです。

シラミは、人に寄生して、かゆみなどの不快な症状を引き起こします。

壊疽は、外傷を追い、外書から出血し、血液が不足し、足への血液の供給が不足し、放置すれば化膿性の関節炎、骨髄炎、敗血症、多臓器不全などを併発し、死に至るので、足を切断する処置が行われます。

公債は、行政組織が資金調達のために発行する債券です。
南部同盟が資金調達のために発行する債券は、南部同盟が敗戦し、解体されると、無価値になります。

ペティコートは、被服のスカートの下に着用する女性用の下着です。

コロンは、香水の中でも一番濃度の低い「オーデコロン」を省略した言い方。 香料を揮発性のある物質に溶かしたもので、ボディミストと違って香りに特化して作られていることが特徴です。 香水はきついイメージがあると思いますが、コロンは濃度がわずか2~5%なので香りがきつすぎず、ふんわり身にまとうことができます。

ブレンデーは、果実を酵母によりアルコール発酵させ、蒸留したお酒で、アルコール度数は約40~43度です。

キニーネは、マラリアの特効薬として使用されていました。

最後のセリフ

「明日に望みを託して(Tomorrow is another day.)」です。

時代背景

1820年3月3日、ミズーリ協定が、アメリカ合衆国議会で、奴隷制擁護と反奴隷制の党派の間で成立しました。

1841年3月9日、アメリカ合衆国最高裁判所は、商船ラ・アミスタッド号に乗っているアフリカ人たちについては、もともとのアフリカ大陸からの移送が非合法であったと認定し、彼等は法的に奴隷ではなく、自由の身にあると認め、アフリカ人たちは故郷へ帰還しました。

1848年2月21日、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは、「共産党宣言」を出版しました。

1853年1月3日、ソロモン・ノーサップは、長い奴隷生活から解放され、再び自由になりました。

1854年3月4日、カンザス・ネブラスカ法案は、上院本会議では、賛成37票、反対14票で可決されました。

1854年3月20日、共和党が、反奴隷制の政党として設立されました。

1854年5月22日、カンザス・ネブラスカ法案は、下院本会議では、賛成113票、反対110票で可決されました。
1854年5月30日、民主党のアメリカ大統領フランクリン・ピアースは、カンザス・ネブラスカ法案に署名して、カンザス・ネブラスカ法が成立し、ミズーリ協定は効力を失いました。

1854年7月6日、初めて共和党の党大会が、ミシガン州ジャクソンで開催され、綱領を採択し、新規獲得領土への奴隷制拡大に反対することを宣言するとともに、州の候補者名簿を採択し、共和党を結成しました。
民主党は、南部を中心に奴隷制を支持する政党でした。

1855年11月21日、チャールズ・ドーという自由州人が、カンザスで、奴隷制度擁護派の開拓者に撃たれ「血を流すカンザス」が始まりました。

1856年2月22日、共和党は、ペンシルベニア州ピッツバーグで、初めての全国大会を開き、正式に全国政党となりました。

1857年3月6日、最高裁判所は、ドレッド=スコット判決を下しました。

1860年11月6日、共和党のリンカーンは、南部州の支持を得ることなしに、米国大統領選挙に勝利しました。

1860年12月20日、サウスカロライナ州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年1月9日、ミシシッピ州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年1月10日、フロリダ州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年1月11日、アラバマ州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年1月18日、ジョージア州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年1月26日、ルイジアナ州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。

1861年1月29日、カンザスは、自由州として認められ、「血を流すカンザス」は終わりました。

1861年2月1日、テキサス州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。

1861年2月8日、南部の首都は、アラバマ州モントゴメリーになりました。
南部の首都であるアラバマ州モントゴメリーで、南部の結成を宣言しました。

1861年3月4日、リンカーンは、アメリカ合衆国大統領に就任しました。

1861年4月12日、南軍が、北軍のサムター要塞を攻撃し、南北戦争の最初の戦いであるサウスカロライナ州でサムター要塞の戦いが始まりました。
1861年4月14日、南軍が、北軍にサムター要塞で勝利しました。

1861年4月15日、アメリカ合衆国大統領リンカーンは、南部の反乱を鎮圧するために7万5千人の志願兵を募りました。

1861年4月17日、バージニア州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。

1861年4月19日、アメリカ合衆国大統領リンカーンは、海上封鎖を宣言しました。

1861年5月6日、南部の首都は、バージニア州のリッチモンドすると宣言されました。
1861年5月6日、アーカンソー州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年5月7日、テネシー州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年5月20日、ノースカロライナ州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。

1861年5月29日、南部の首都は、バージニア州のリッチモンドになりました。

1862年9月22日、アメリカ合衆国大統領リンカーンは、第1部の奴隷解放宣言をしました。
1863年1月1日、アメリカ合衆国大統領リンカーンは、第2部の奴隷解放宣言をしました。
奴隷解放宣言について知りたい人は、「奴隷解放宣言」(1963年)を読むと良いでしょう。

1863年7月1日~3日、北軍と南軍は総力を結集し、ペンシルベニア州アダムズ郡近郊でゲティスバーグの戦いを行い、北軍が勝利しました。

1863年7月18日、北軍の黒人部隊第54マサチューセッツ志願歩兵連隊は、南軍が守るワグナー要塞へ先頭を切って攻撃しますが、失敗に終わりました。

1863年12月23日、アシュレー・ウィルクスは、3日のクリスマス休暇を与えられ、アトランタに戻って来て、メラニーとスカーレットたちと再会します。(フィクション)
1863年12月26日、アシュレー・ウィルクスは、アトランタを離れるので、メラニーとスカーレットたちと別れます。(フィクション)

1864年4月8日、アメリカ合衆国憲法修正第13条は、上院議員では、賛成38票、反対6票で可決されました。

1864年4月30日、北軍と南軍は、ジェンキンス・フェリーで激しい戦いが行われ、両軍ともに多数の死傷者を出しましたが、北軍が勝利しました。

1864年5月31日~6月12日、北軍の陸軍総司令官ユリシーズ・S.グラント中将は、南軍の陸軍将軍ロバート・E・リーが率いる部隊に攻撃し、惨敗しました。

1864年8月31日、北軍は、アトランタで鉄道を占領し、南軍をラブジョイ駅方向に押し込みます。
南軍は、アトランタから兵を退きますが、北軍の手に落ちないよう補給庫を爆破します。

1864年11月8日、共和党のリンカーンは、アメリカ合衆国大統領選挙で圧勝して、再選しました。
共和党は、下院議員選挙でも勝利しました。

1864年11月30日、南軍は、テネシー州フランクリンで北軍の防御陣に対する正面攻撃を行って失敗し、6人の将官が戦死または致命傷を負いました。

1865年1月13~15日、北軍が、南軍が守るフィッシャー砦を攻撃し、陥落しました。

1865年1月31日、アメリカ合衆国憲法修正第13条は、下院議員では、3分の2を2票上回る、119対56(欠席および棄権が8)で可決されました。
8人の欠席および棄権がなければ、3分の2を上回るためには、123票が必要でした。

1865年2月1日、リンカーン米国大統領は、アメリカ合衆国憲法修正第13条に署名し、成立しました。
映画「リンカーン」

1865年2月11~22日、北軍が、フィッシャー砦の48km上流にある南部の最後の港であるウィルミントンを陥落しました。

1865年4月9日、北軍と南軍は、バージニア州アポマトックス郡で戦い、南軍は敗北しました。
南軍の陸軍将軍ロバート・E・リーは、北軍の陸軍総司令官ユリシーズ・グラントに降伏し、南北戦争が終わりました。

1865年4月15日午後10時、リンカーン米国大統領は、フォード劇場で妻メアリー・トッド・リンカーンらと「われらのアメリカのいとこ」の観劇中にジョン・ウィルクス・ブースによって、56歳で、暗殺されました。

1865年12月18日、アメリカ合衆国国務長官ウィリアム・ヘンリー・シーワードは、36州のうち27州の議会によりアメリカ合衆国憲法修正第13条が批准されたことが布告しました。

1865年12月24日、ネイサン・ベッドフォード・フォレストは、テネシー州プラスキにて、5人の南部連合の退役軍人と共に「クー・クラックス・クラン(KKK)」を設立しました。

1867年3月1日、ネブラスカは、州として認められました。

1876年、アメリカ合衆国南部諸州の人種差別的な州法の総称であるジム・クロウ法が制定され始めました。

1890年7月29日、ゴッホは、37歳で、フランスのヴァル=ドワーズ県オーヴェル=シュル=オワーズで、自ら命を絶ち、カフェ・ラボオーの一室で亡くなりました。
映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」

1896年5月18日、アメリカ合衆国最高裁判所は、7対1の判決により、列車、学校など社会のあらゆる領域で、「分離すれども平等」という白人と黒人を分離することを合法とする判決を下しました。

1955年12月1日、全国有色人種向上協会モンゴメリー支部書記を務めていたローザ・パークスは、アラバマ州モンゴメリーで市営バスの黒人優先席に座っていました。市営バスの運転手のジェームズ・ブレイクが、ローザ・パークスに後から乗車した白人のために席を空けるように指示したが、ローザ・パークスは指示に従いませんでした。ジェームズ・ブレイクは、警察に通報しました。警察は、ローザ・パークスを、運転手の座席指定に従わなかったという理由で逮捕し、保釈しました。モンゴメリー市役所内の州簡易裁判所は、ローザ・パークスに罰金刑を宣告しました。

1955年12月5日、キング牧師は、モンゴメリー市営バスへの乗車を拒否するモンゴメリー・バス・ボイコット運動を呼びかけて、始めました。

1956年4月10日、アサ・アール・カーター達は、アラバマ州バーミンガムにある劇場ザ・ガーディアンのステージ上で「Little Girl」を歌っているナット・キング・コールを襲撃しました。

1956年11月13日、連邦最高裁判所は、アラバマ州モンゴメリーの人種隔離政策に対して違憲判決を下しました。
1956年12月20日、モンゴメリー・バス・ボイコット運動は終了しました。

1955年11月、サイゴンで組織されていたインドシナ米軍事援助顧問団(MAAG)は、南ベトナム米軍事援助顧問団へと改組され、南ベトナム政府軍の軍事教練が開始しました。

1960年10月、キング牧師は、ジョージア州アトランタで逮捕されました。
ケネディ民主党大統領候補は、キング夫人に電話をかけて、マスコミに公開し、好意的な反応を受けました。翌日に弟のロバート・ケネディは、ジョージア州知事に連絡し、キングに有罪判決を言い渡した判事に電話をかけて釈放を求め、この翌日キングは釈放されました。

1960年11月8日、ケネディ民主党大統領候補は、ニクソン共和党大統領候補に僅差で勝ち、アメリカ合衆国大統領に当選しました。

1960年12月20日、南ベトナム解放民族戦線は、ジエム大統領とアメリカ合衆国を打倒するために結成されました。

1961年1月20日、ジョン・F・ケネディは、アメリカ合衆国大統領に就任しました。

1961年4月11日、エルサレムで、アドルフ・アイヒマンの裁判が始まりました。
映画「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」

1961年4月15日、亡命キューバ人部隊が、キューバ空軍の飛行場を爆撃し壊滅させて制空権を奪うのに失敗しました。
1961年4月17日、1400人の亡命キューバ人部隊がピッグス湾に上陸し、キューバ政府軍の反撃に遭い、キューバ空軍の攻撃を受け、沖合に待機した艦船が撃沈、弾薬も食糧も欠乏する事態の中で海岸で部隊は孤立しました。
ケネディ大統領は、米国正規軍の派遣を拒否し、ピッグス湾上陸作戦は失敗しました。

1961年5月、ケネディ大統領は、アメリカ軍の正規軍人から構成された「軍事顧問団」という、ゲリラに対する掃討作戦を行う特殊作戦部隊600人の派遣と軍事物資の支援を増強することを決定し、南ベトナム解放民族戦線を壊滅させる目的でクラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤を使用する攻撃を開始しました。

1961年12月15日、アドルフ・アイヒマンは、全ての罪で有罪となり、死刑が宣告されました。
1962年6月1日、アドルフ・アイヒマンは、ラムラの刑務所で絞首刑になりました。

ソ連は、キューバに核ミサイル等の以下の兵器を運び込みました。
中距離弾道ミサイル(IRBM)24基、準中距離弾道ミサイル(MRBM)36基、戦車、大砲、対戦車ミサイル、短距離ロケット36基、軽爆撃機「イリューシン」(Il-28)42機、戦闘機(MiG21)40機、地対空ミサイル72基、巡航ミサイル(KR-1)80基、巡航ミサイル(S-2)32基、巡視艇12隻、兵員4万5234名

1962年10月14日、アメリカ軍が、空中偵察によりキューバに核ミサイル基地を発見しました。
1962年10月22日、ケネディ大統領は、海上封鎖を宣言し、新たなミサイルの配備を阻止し、ソ連にミサイルを解体、撤去することを要求しました。
1962年10月28日、ソ連のフルシチョフ最高指導者は、キューバから核ミサイル基地を撤去すると発表しました。

1962年11月21日、ソ連は、核ミサイルをキューバから撤去し、アメリカ合衆国は海上封鎖を解除しました。

1962年2月、ケネディ大統領は、南ベトナム軍事援助司令部を設置し、爆撃機や武装ヘリコプターなどの各種航空機や、戦車などの戦闘車両や重火器などの装備も送るなどにより、軍事顧問団という名目の特殊作戦部隊であるものの、事実上の正規軍の派遣に格上げしました。

1962年5月、ケネディ大統領は、南ベトナムとラオスへの支援を目的にタイ国内の基地に数百人規模のアメリカ海兵隊を送ることを決定しました。

1963年1月2日、2000人で構成され装備の面で圧倒的に勝るアメリカ軍及びベトナム共和国軍は、約200人で構成された南ベトナム解放民族戦線にアプバクで敗北しました。
ケネディ大統領は、アメリカ軍を本格的にベトナムに投入することを決断し、アメリカ軍を16,263人に増加させました。

1963年8月28日、キング牧師は、20万人を超える大規模なワシントン大行進に参加し、リンカーン記念堂の前で有名な「I Have a Dream」という演説を行いました。

1963年9月15日、アラバマ州北部のバーミングハムの公民権運動の拠点16番通りバプティスト教会にダイナマイト10本分の爆発物が仕掛けられ、日曜学校に来ていた黒人女の子である14歳のアディ・メエ・コリンズ、14歳のシンシア・ウェズリィ、14歳のキャロル・ロバートスン、11歳のデニーズ・マクネアが死亡しました。

1963年10月31日、ケネディ大統領は、「1963年の末までに軍事顧問団をベトナムから1,000人を引き上げる」と発表しました。

1963年11月22日、ケネディ大統領は、43歳で、殺害されました。
リンドン・B・ジョンソンは、アメリカ合衆国大統領に就任しました。

1963年、ハンナ・アーレントは、「ザ・ニューヨーカー」誌に「イエルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告」を発表しました。
映画「ハンナ・アーレント」

1964年6月21日、クー・クラックス・クラン(KKK)のメンバーが、ミシシッピー州フィラデルフィアで、3人の公民権運動家、黒人のジェムズ・チェイニー、ユダヤ人のアンドリュー・グッドマンとマイケル・シュワーナーを殺害しました。

1964年7月2日、アメリカ合衆国大統領リンドン・ジョンソンは公民権法を制定し、南部各州のジム・クロウ法は廃止となりました。

1964年12月10日、キング牧師にノーベル平和賞が授与されました。

1965年2月21日、マルコムXは、ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区ワシントンハイツ地区にあるオードゥボン舞踊場でスピーチしているときに、殺害されました。

1965年3月7日、600名ほどの公民権運動家達がアラバマ州セルマを出発し、アラバマ州の州都モンゴメリーまで行進を続けることで、警官隊達が合衆国憲法違反をしたことをアピールしました。
アラバマ州知事ジョージ・ウォレスは、そのデモ行進が「公共の秩序を乱す恐れがある」としてこれを非難し、あらゆる手段を使ってデモの阻止を宣言し、州兵やダラス郡保安官達が無抵抗のデモ隊に対して棍棒や催涙ガス、鞭などを使ってセルマに追い返しました。

1965年3月9日、キング牧師が率いる公民権運動家達がアラバマ州セルマを出発し、エドモンド・ペタス橋で、犠牲者に黙とうをささげ、セルマに戻ります。
公民権運動に反対する白人が、ジェイムズ・リーブを殺害します。

1965年3月15日、ジョンソン大統領は、テレビ放送された議会合同委員会で演説を行い、広範な投票権法を成立させることを訴えた。その演説の最後を「我々は打ち勝つ」という言葉で締め、この言葉が公民権運動の主要テーマとなりました。

1965年3月21日、キング牧師が率いる2,000名ほどの公民権運動家達は、ジョンソン大統領が命じた連邦政府の管理下で米国陸軍とアラバマ州兵によって保護され、アラバマ州セルマを出発し、エドモンド・ペタス橋を渡り、州都モンゴメリーに向けてデモ行進を始めました。

1965年3月25日、キング牧師は、デモ隊と共にモンゴメリーに無事到着しました。
KKKのメンバーが、モンゴメリーからセルマに戻る車を運転しているヴィオラ・リッツォを射殺しました。
映画「グローリー/明日への行進」

1965年5月26日、上院は、投票権法を賛成77票(民主党47票、共和党30票)、反対19票(民主党16票、共和党2票)で可決しました。
1965年7月9日、下院は、州と地方の選挙における人頭税の禁止を付加した投票権法を、賛成333票(民主党221票、共和党112票)、反対85票(民主党61票、共和党24票)で可決しました。
1965年7月29日、下院と上院で成立した法案の違いを調節するために両院協議会は、投票権法の協議会案を上程した。
1965年8月3日、下院は、投票権法の協議会案を賛成28票(民主党217票、共和党111票)、反対74票(民主党74票、共和党20票)で可決しました。
1965年8月4日、上院は、投票権法の協議会案を賛成79票(民主党49票、共和党30票)、反対18票(民主党17票、共和党1票)で可決しました。
1965年8月6日、ジョンソン大統領が国会議事堂で投票権法の協議会案に署名して法となり、キング牧師、ローザ・パークス、ジョン・ルイスなど公民権運動の指導者達が同席しました。
投票権法によって、投票権が州でなく、連邦政府によって監督され、執行されるようになりました。

1966年7月、学生非暴力調整委員会(SNCC)は、「ブラック・パワー」を提唱するストークリー・カーマイケル(クワメ・トゥーレ)が新委員長に就任しました。

1967年7月23日、アルジェ・モーテル事件が発生しました。

1968年4月4日、キング牧師は、テネシー州メンフィスで殺害されました。

1969年1月20日、リチャード・ニクソンは、アメリカ合衆国大統領に就任しました。

1969年7月21日、ニール・アームストロング達は、月面着陸し、月面に降り立ち、滞在時間は2時間30分くらいです。
1969年7月24日、ニール・アームストロング達は、無事太平洋に着水しました。
映画「ファースト・マン」

1971年7月、マーク・フェルトは、FBI副長官に就任しました。

1971年6月13日、ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者は、「ペンタゴン・ペーパーズ」の報道を始めました。

1972年5月2日、ジョン・エドガー・フーバーは、77歳で、亡くなり、FBI長官を辞めました。

1972年6月17日、ウォーターゲート事件が発生しました。

1972年6月20日、ワシントン・ポストのボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者は、ウォーターゲート事件の報道を始めました。

1973年6月22日、マーク・フェルトFBI副長官は、FBIを退局しました。

1974年8月9日、ニクソン大統領は、辞任しました。

1976年6月16日、スティーヴン・ビコの影響を受けた1万人もの黒人学生達は、ソウェトで蜂起が発生しました。
映画「遠い夜明け」

1986年、レーガン大統領は、1月の第3月曜日をマーティン・ルーサー・キング・ジュニアを称える連邦法定休日とすることを宣言しました。
1986年1月20日の月曜日、全米の人々は、第1回の正式なマーティン・ルーサー・キング牧師の日を祝いました。

1989年12月3日に、地中海のマルタ島沖のソビエト連邦客船マクシム・ゴーリキーの船内で、ハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフソビエト連邦最高会議議長兼ソビエト連邦共産党書記長とジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領が会談し、冷戦の終結を宣言しました。

1990年2月11日、南アフリカ共和国のデクラーク大統領は、アパルトヘイト関連法案の撤廃決定し、ネルソン・マンデラを釈放しました。
映画「マンデラ 自由への長い道」映画「マンデラの名もなき看守」映画「インビクタス/負けざる者たち」

1991年3月3日、ロドニー・キングはロサンゼルス市内を運転中、スピード違反容疑で警察車両から停車を指示されますが、強盗罪で懲役刑を受けた後の仮釈放中だったので、再収監されることを恐れて逃亡し、警察による追跡により強制停車させられ、自動車から降ろされ、警官らに取り囲まれて、激しい暴行を受けました。

1992年4月末~5月、アメリカ合衆国のカリフォルニア州ロサンゼルスで大規模な暴動が起きました。

1995年3月16日、ミシシッピー州は、アメリカ合衆国憲法修正第13条を批准しました。
すべての州が、アメリカ合衆国憲法修正第13条を批准しました。

2009年1月1日、アメリカ合衆国のカリフォルニア州フルートベール駅で、グラントはケイティに呼び止められ、ある男がグラントに襲いかかってきました。BARTの鉄道警察隊がやって来て、事態の収拾ができなくなった警官たちは、グラントを銃撃しました。

2012年2月26日、自警団員のジョージ・ジマーマンが、フロリダ州のサンフォードで、黒人高校生トレイボン・マーティンを射殺しました。
Black Lives Matter運動が、起きました。

2017年8月12日、ジェイムズ・フィールズは、バージニア州シャーロッツビルで、白人極右集会に抗議する人たちの間に自動車で突入し、女性であるヘザー・ハイヤーを死亡させ、19人を負傷させました。

2019年6月28日、連邦地裁は、ジェイムズ・フィールズに仮釈放を認めない、終身刑を言い渡しました。

2020年5月25日、警察官デレク・ショーヴィンが、ミネソタ州ミネアポリスのダウンタウンの南にあるパウダーホーンで、黒人男性ジョージ・フロイドを不適切な拘束方法によって殺害しました。

2021年7月10日、バージニア州シャーロッツビル市長のニクヤ・ウォーカーは、白人至上主義の象徴としてアメリカ連合国陸軍将軍ロバート・E・リー像など公共の場にある記念碑を撤去しました。

南北戦争が終わって、150年以上経過していますが、奴隷制度を忘れることはできません。

Black Lives Matter運動は、続いています。

感想

南北戦争と恋愛物語

原題も邦題も同じで「風と共に去りぬ(Gone With the Wind)」です。
南北戦争と共に、紳士たちも淑女たちが去って行くという物語なので、良いタイトルです。

映画「リンカーン」を鑑賞して、南北戦争について、知っておくと映画を理解しやすいです。
日本でいうと、明治維新の頃の物語です。
米国は、南北戦争を行っていたので、日本を占領できなかったとも言えます。

米ワーナーメディアは、動画配信サービス「HBOマックス」で映画「風と共に去りぬ」の配信を停止しました。
2020年5月25日、警察官デレク・ショーヴィンが、ミネソタ州ミネアポリスのダウンタウンの南にあるパウダーホーンで、黒人男性ジョージ・フロイドを不適切な拘束方法によって殺害しました。
警官による黒人暴行死に端を発した人種差別への抗議が広がっており、作品内の描写が偏見を含むと判断したそうです。
白人至上主義の象徴としてアメリカ連合国陸軍将軍ロバート・E・リー像など公共の場にある記念碑を撤去が行われました。

映画「風と共に去りぬ」を鑑賞しましたが、黒人への人種差別の描写は歴史上の範囲内だと思うし、白人による黒人暴行死が語られていますが、歴史上の範囲内だと思います。
映画「風と共に去りぬ」では描かれていませんが、アシュレー・ウィルクスとフランク・ケネディなどの南部の白人たちが白人至上主義団体であるKKK(クー・クラックス・クラン)に加わっている設定です。
映画「風と共に去りぬ」で描かれていた南北戦争時代より現在の方が人種差別が行われていると言う感じさえあります。
映画「風と共に去りぬ」は、映画の中でリンカーン大統領が率いる北軍が美しいオークス屋敷を廃墟にして、強盗を行うという恐怖の対象として描かれているのが気に入らないから、配信停止にしたのではないかと感じます。

歴史は、勝者であるリンカーン大統領が率いる北軍の子孫たちによって都合よく、南部はなかったように歴史を改ざんするとということだと思います。

上映時間は、途中休憩がありますが、3時間44分もあります。
登場人物は、多人物描写は丁寧ですが、貴族と奴隷なので、貴族でも奴隷でもない日本人が登場人物に感情移入はしにくいです。
広大な米国南部とスクリーン映えする俳優が登場するので、大きなスクリーンで鑑賞すると、良いです。

午前10時の映画祭15で上映されますし、可能であれば、映画館で鑑賞した方が良い映画です。

スカーレット・オハラ、アシュレー・ウィルクス、メラニー・ハミルトンとレット・バトラーという4人の米国南部の紳士と淑女たちによる、南北戦争の前から後に至るまでの恋愛物語です。
上映開始から途中休憩までの間は、スカーレット・オハラがタラで生まれ育った貴族から南北戦争の敗戦によって、全てを失うという物語です。
途中休憩から上映終了までの間は、スカーレット・オハラが全てを失った貴族から成りあがりますが、再び全てを失い、タラに戻るという物語です。

登場人物が多く、人間関係も複雑です。
ウィルクス家のオークス屋敷の園遊会が終わり、チャールズ・ハミルトンとスカーレット・オハラが結婚するまでに、登場人物は出揃い、人間関係も歴史的背景も判明するので、長い映画ですが、最初の部分で物語に置いて行かれないように集中して鑑賞する必要があります。

歴史的背景を理解するのは難しいですし、多数の伏線が張り巡らされ、綺麗に回収される物語なので、気に入れば何度鑑賞しても楽しめると思います。
友人同士、カップルや夫婦で鑑賞すると、恋愛話で盛り上がるので、お勧めです。

スカーレット・オハラは、美人で、スタイルも抜群で、社交的で、経営手腕もあり、良い人生を送れそうですが、良い妻にはなれず、良い人生を送れません。
メラニー・ハミルトンは、平均以上ですが、突出した才能はないのですが、良い妻になることで、良い人生を送れます。
アシュレー・ウィルクスは、平均以上ですが、突出した才能はないのですが、良い妻と結婚した上で、スカーレット・オハラの気持ちを利用して、良い人生を送れます。
レット・バトラーは、ハンサムで、スタイルも抜群で、社交的で、経営手腕もあり、良い人生を送れそうですが、自信過剰が裏目に出て、良い妻には恵まれず、良い人生を送れません。

スカーレット・オハラは、アシュレー・ウィルクスの南部貴族的な所に惹かれ、愛し続けますが、チャールズ・ハミルトン、フランク・ケネディとレット・バトラー結婚と別れを繰り返します。
メラニー・ハミルトンは、アシュレー・ウィルクスと結婚し、アシュレー・ウィルクスの子供を出産し、アシュレー・ウィルクスとの家庭を守ります。
アシュレー・ウィルクスは、美人で、スタイルも抜群で、社交的なスカーレット・オハラではなく、価値観が近い従妹のメラニー・ハミルトンと結婚します。
レット・バトラーは、スカーレット・オハラに一目惚れしますが、スカーレット・オハラの気持ちが自分に向くまで、スカーレット・オハラとの結婚を待ち、結婚しますが、別れることになります。

スカーレット・オハラの性格は、客観的には悪いですが、俳優、モデルやタレントで有名になり、ビジネスで成功するような人は同じような性格なのではないのでしょうか?
メラニー・ハミルトンの性格は、客観的には良いですが、ここまで良い性格の人はいないのではないでしょうか?
アシュレー・ウィルクスの性格は、客観的には良いですが、スカーレット・オハラの気持ちを上手く利用できる人はいないのではないのでしょうか?
レット・バトラーの性格は、客観的には良いですが、自信過剰が全てを台無しにしてしまう人は多そうです。

スカーレット・オハラは、アシュレー・ウィルクスと結婚できたとしても、メラニー・ハミルトンのようには生きられないと思うので、別れることになってような気がします。
ジェラルド・オハラは、アシュレー・ウィルクスがスカーレット・オハラに結婚を申し込んできても、アシュレー・ウィルクスがスカーレット・オハラを愛しいないので、幸せにすることはできないと言い、スカーレット・オハラにアシュレー・ウィルクスとの結婚は認めないと言っているので、アシュレー・ウィルクスに何か感じる所があったのではと思います。

スカーレット・オハラは、アシュレー・ウィルクスに利用されずに、タラから離れ、アシュレー・ウィルクスの思いを断ち切り、価値観が近いレット・バトラーと結婚していれば、良い人生を送れたと思います。
メラニー・ハミルトンは、アシュレー・ウィルクスと結婚しなくても、他の男性、例えばレット・バトラーと結婚しても、良い妻になり、良い人生を送れたと思います。
アシュレー・ウィルクスは、スカーレット・オハラと結婚しても、スカーレット・オハラに振り回されて、スカーレット・オハラについて行けずに別れることになると思います。
レット・バトラーは、スカーレット・オハラに一目惚れしますが、自信過剰にならずに、スカーレット・オハラにこだわらずに、他の女性、例えばメラニー・ハミルトンと結婚していれば、良い人生を送れたと思います。

「時を浪費するなかれ、人生は時にて成ればなり(時間を無駄に使うな。人生は時間で作られているからだ)」という言葉があります。
スカーレット・オハラが、愛してくれないアシュレー・ウィルクスを追いかけ続けるという時間を無駄に使い、人生を台無しにするという意味だと感じました。
女性が、ホストに金と時間を無駄に使い、人生を台無しにするところに通じている感じもします。
男性が、アイドルに金と時間を無駄に使い、人生を台無しにするところに通じている感じもします。

スカーレット・オハラとレット・バトラーのような人は、俳優、モデルやタレントで有名になり、ビジネスで成功し、結婚生活で失敗するという人なので、日本にでも存在します。
メラニー・ハミルトンとアシュレー・ウィルクスのような人は、平均以上の能力があり、平均以上の努力をして、平均以上の生活を幸せに過ごしている人なので、日本にもで存在します。

スカーレット・オハラとレット・バトラーのようなに人に嘘をつき、人から盗み、人を騙し、人を殺してでも、試練に決して負けるなく、生き抜く人に憧れる気持ちも嫌う気持ちも理解できます。
自分は、メラニー・ハミルトンとアシュレー・ウィルクスのような人の方が幸せになるという気持ちです。

この映画で描かれていることは、人が努力して平均以上の能力を得て、価値観が近い人と結婚すれば、良い人生を送れるということです。
良い人生を送りたいと言う気持ちは、時代に関わらず、人の心に存在し、普遍性があり、この映画を鑑賞する価値があります。

突出した人生を送るには、突出した才能、突出した努力に運が必要で、憧れることはできますが、真似ることは難しいです。

スカーレット・オハラとメラニー・ハミルトンについて、マズローの欲求5段階を利用して、説明してみます。
スカーレット・オハラはアシュレー・ウィルクスからの愛情という承認欲求を満足させるために奔走することが、性格が悪く見えることになり、アシュレー・ウィルクスからの愛情という承認欲求を諦めて、レット・バトラーとの関係を修復するという承認欲求を目指しますが、失敗します。
メラニー・ハミルトンはアシュレー・ウィルクスと結婚することで承認欲求までは満たされ、他者への思いやりという自己実現欲求を満足させようとするところが、性格を良くさせることになっています。
承認欲求を満たすために奔走することはせず、自己実現欲求を満足させるように向かうことが大事だということです。

スカーレット・オハラは、レット・バトラーとの関係を修復できるとは思いません。

若くて、美しく、スタイル抜群な女性が他の女性から過剰に叩かれるのは、他の女性の彼や夫を奪うという生理的欲求、安全欲求、社会的欲求と承認欲求を壊す存在だからです。

メラニー・ウィルクスは、南部兵士が好んで読んだ「レ・ミゼラブル」を朗読して、戻って来るであろうアシュレー・ウィルクスに家の中に北軍の兵士がいることを伝えところは、緊張感があって良いです。

それでは年表です。
1853年7月8日、米国海軍ペリー提督は、黒船に乗って、浦賀沖に現れました。

1854年3月20日、共和党が、反奴隷制の政党として設立されました。

1854年7月6日、初めて共和党の党大会が、ミシガン州ジャクソンで開催され、綱領を採択し、新規獲得領土への奴隷制拡大に反対することを宣言するとともに、州の候補者名簿を採択し、共和党を結成しました。
民主党は、南部を中心に奴隷制を支持する政党でした。

1856年2月22日、共和党は、ペンシルベニア州ピッツバーグで、初めての全国大会を開き、正式に全国政党となりました。

1860年3月24日、水戸藩からの脱藩者17名と薩摩藩士1名は、桜田門外で、彦根藩の行列を襲撃し、大老井伊直弼を暗殺しました。

1860年11月6日、共和党のリンカーンは、南部州の支持を得ることなしに、米国大統領選挙に勝利しました。

1860年12月20日、サウスカロライナ州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年1月9日、ミシシッピ州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年1月10日、フロリダ州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年1月11日、アラバマ州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年1月18日、ジョージア州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年1月26日、ルイジアナ州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年2月1日、テキサス州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。

1861年2月8日、南部の首都は、アラバマ州モントゴメリーになりました。
南部の首都であるアラバマ州モントゴメリーで、南部の結成を宣言しました。

1861年3月4日、リンカーンは、アメリカ合衆国大統領に就任しました。

1861年4月12日、南軍が、北軍のサムター要塞を攻撃し、南北戦争の最初の戦いであるサウスカロライナ州でサムター要塞の戦いが始まりました。
1861年4月14日、南軍が、北軍にサムター要塞で勝利しました。

1861年4月15日、アメリカ合衆国大統領リンカーンは、南部の反乱を鎮圧するために7万5千人の志願兵を募りました。

1861年4月17日、バージニア州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。

1861年4月19日、アメリカ合衆国大統領リンカーンは、海上封鎖を宣言しました。

1861年5月6日、南部の首都は、バージニア州のリッチモンドすると宣言されました。
1861年5月6日、アーカンソー州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年5月7日、テネシー州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。
1861年5月20日、ノースカロライナ州は、アメリカ合衆国からの脱退を宣言しました。

1861年5月29日、南部の首都は、バージニア州のリッチモンドになりました。

1862年9月22日、アメリカ合衆国大統領リンカーンは、第1部の奴隷解放宣言をしました。
1863年1月1日、アメリカ合衆国大統領リンカーンは、第2部の奴隷解放宣言をしました。
奴隷解放宣言について知りたい人は、「奴隷解放宣言」(1963年)を読むと良いでしょう。

1863年7月1日~3日、北軍と南軍は総力を結集し、ペンシルベニア州アダムズ郡近郊でゲティスバーグの戦いを行い、北軍が勝利しました。

1864年4月8日、アメリカ合衆国憲法修正第13条は、上院議員では、賛成38票、反対6票で可決されました。

1864年4月30日、北軍と南軍は、ジェンキンス・フェリーで激しい戦いが行われ、両軍ともに多数の死傷者を出しましたが、北軍が勝利しました。

1864年5月31日~6月12日、北軍の陸軍総司令官ユリシーズ・S.グラント中将は、南軍の陸軍将軍ロバート・E・リーが率いる部隊に攻撃し、惨敗しました。

1864年8月31日、北軍は、アトランタで鉄道を占領し、南軍をラブジョイ駅方向に押し込みます。
南軍は、アトランタから兵を退きますが、北軍の手に落ちないよう補給庫を爆破します。

1864年11月8日、共和党のリンカーンは、アメリカ合衆国大統領選挙で圧勝して、再選しました。
共和党は、下院議員選挙でも勝利しました。

1864年11月30日、南軍は、テネシー州フランクリンで北軍の防御陣に対する正面攻撃を行って失敗し、6人の将官が戦死または致命傷を負いました。

1865年1月13~15日、北軍が、南軍が守るフィッシャー砦を攻撃し、陥落しました。

1865年1月31日、アメリカ合衆国憲法修正第13条は、下院議員では、3分の2を2票上回る、119対56(欠席および棄権が8)で可決されました。
8人の欠席および棄権がなければ、3分の2を上回るためには、123票が必要でした。

1865年2月1日、リンカーン米国大統領は、アメリカ合衆国憲法修正第13条に署名し、成立しました。
(映画「リンカーン」)

1865年2月11~22日、北軍が、フィッシャー砦の48km上流にある南部の最後の港であるウィルミントンを陥落しました。

1865年4月9日、北軍と南軍は、バージニア州アポマトックス郡で戦い、南軍は敗北しました。
南軍の陸軍将軍ロバート・E・リーは、北軍の陸軍総司令官ユリシーズ・グラントに降伏し、南北戦争が終わりました。

1865年4月15日午後10時、リンカーン米国大統領は、フォード劇場で妻メアリー・トッド・リンカーンらと「われらのアメリカのいとこ」の観劇中にジョン・ウィルクス・ブースによって、56歳で、暗殺されました。

1865年11月14日、ジェラルド・オハラは、亡くなりました。(フィクション)

1867年11月9日、徳川慶喜将軍は、二条城で政権返上を明治天皇へ奏上しました。

まとめ

次は、午前十字の映画祭15で上映される映画「羊たちの沈黙」を鑑賞する予定です。
ご期待ください。

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

面白いと思った方は、クリックして、応援してね!
にほんブログ村 映画ブログ 映画DVD・ビデオ鑑賞へ

にほんブログ村 シニア日記ブログへ   にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ