映画「天地創造」を鑑賞しました!

「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養」の中で、出てきた「トーラー」について知りたいと感じ、映画「天地創造」を鑑賞しました。
「トーラー」は、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記と申命記で構成されています。
映画「天地創造」では、創世記の神の天地創造、アダムとエバ 失楽園 、カインとアベル、ノアの箱舟、バベルの塔、ソドムとゴモラの滅亡、イサクをささげようとするアブラハムについて描いています。
映画「天地創造」では、創世記のイサクの生涯、イスラエルと呼ばれたヤコブの生涯とヨセフの物語については描かれていません。

ナレーション、人間の言葉と神の言葉で物語が語られるのが特徴です。

基本情報・スタッフ

監督    ジョン・ヒューストン
脚本    クリストファー・フライ
製作    ディノ・デ・ラウレンティス 
撮影    ジュゼッペ・ロトゥンノ
編集    ラルフ・ケンプレン
音楽    黛敏郎
ナレーター ジョン・ヒューストン
製作会社  20世紀フォックス、ディノ・デ・ラウレンティス・シネマトグラフィカ
配給    20世紀フォックス
公開    1966年10月8日
上映時間  175分

予告動画

舞台となる場所

舞台となる場所は、色々ありますが、はっきりとはわかっていません。

エデンは、アダムとイヴ(エバ)が住んでいた場所です。

ノドは、エデンの東にあり、カインが住んだ場所です。

アララテ山は、ノアの箱舟が漂着した場所です。

バベルは、ニムロデが高い塔を建てた場所です。

カルデヤ人の地ウルは、アブラム/アブラハムが生まれ、育った場所です。

カナンは、神がアブラム/アブラハムに約束した地です。

べテルは、アブラム/アブラハムが約束した地を縦横に行き巡った場所です。

エジプトは、アブラム/アブラハムが約束した地を縦横に行き巡った場所です。

ヨルダンは、平原でソドムとゴモラの町があり、主の園のように実り豊かで、ロトが選んだ場所です。

ベエルシバは、追放されたハガルとイシマエルが彷徨い、神の御使いに助けられた場所です。

モリヤは、アブラハムがイサクを神に捧げる場所です。

あらすじ

「THE BIBLE in the Beginning…」とタイトルが表示されます。
ナレーションは、創世記の「神の天地創造」について語り、映像と音楽で創世記の「神の天地創造」を見せます。
第1日目は、神が「光があれ」と言うと光がさし、光と闇の区別ができました。
第2日目は、神が空を造られ、水は空の上と下とに分かれました。
第3日目は、神が陸と海を区別され、地には植物と樹木が造られました。
第4日目は、神が太陽と月を造られ、昼と夜とができました。
第5日目は、神が水中の生物と鳥を創造されました。
第6日目は、神が動物が造られ、神のかたちに似せて。土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込みアダムを造り、独りでいるのは良くないということで、アダムを眠らせ、イブ(エバ)を造り、アダムのもとに遣わします。
神は、天地万物の創造が終わると、自らの仕事に非常に満足しました。
第7日目は、天地創造を完成を宣言し、祝福して聖なる日としました。

創世記の「アダムとイブ(エバ) 失楽園」
神は、エデンに園を設け、アダムとイブをエデンに園へ行かせて、アダムとイブにエデンを園を守らせ、アダムとイブに「どの木の実を食べてもよい。だが、善悪を知る木の実は食べてはならない。食べたら、必ず死ぬであろう」と言います。
アダムとイヴは、善悪を知る木と木になる実を見ます。
アダムとイヴは、一緒になって寝ます。
神は2人を祝福して、「生めよ、増やせよ」と言います。
イヴは「イヴ」と呼ばれる声で目を覚まし、声の方に歩いて行き、善悪を知る木の所へやって来て、善悪を知る木に近づきます。
アダムは、目覚めて、イヴのいない事に気が付き、イヴを捜します。
ヘビは、イヴに「この実を食べると、たちまち目が開けて、神のようになれることを、つまり善悪を分かってしまうことを、さあさあ、お食べ」と言います。
イヴは、善悪を知る木の実を手にして、一口食べます。
アダムは、イヴに近づいてきます。
イヴは、アダムに善悪を知る木の実を差し出します。
イヴは、アダムに「ヘビが教えてくれたわ。目が開かれて、神様のようになれるって。さあ、食べて。心配はいらないわ」と言います。
イヴは、アダムに善悪を知る木の実を渡します。
善悪を知る木の実を受け取ったアダムは、善悪を知る木の実を一口食べます。
神は、アダムとイブが善悪を知る木の実を食べたことを知ります。
神は、イブに出産の苦しみを与え、それでもなお夫を求めるが、夫が妻を支配するという罰を与えます。
神は、アダムに労役の苦しみを与え、大地を耕し、種をまき、額に汗をして苦労して、大地から糧を得なければならないという罰を与えます。
神は、ヘビに生涯、腹ばいになって動き回り、あらゆる家畜よりも、あらゆる獣よりも呪われるという罰を与えます。
神は、エデンに園からアダムとイブを追い出します。
アダムとイヴの間に、息子カインとアベルが生まれます。

創世記の「カインとアベル」
カインは土を耕す者となり、アベルは羊を飼う者となります。
アベルは、群れの中でも最も太った羊の初子を主に捧げます。
そして、カインも大地の実りを供え物を少々減らして主に捧げます。
主はアベルとその捧げ物とに目を止めらます。
主はカインとその供え物には、目を止められません。
アベルは、カインに「兄さん、何を怒っているんだ。正しく行えば、神は受け入れて下さる」と言います。
カインは、アベルを殺し、神にアベルのことを問い詰められて、逃げ出します。
アダムは、殺されたアベルを見つけ、アベルを葬ります。
イヴは、この様子を見守って、泣いています。
カインは、山の中を走ります。
カインは、許しを請います。
神は、カインが本心から己の罪を悔い改めるならば、額に印を付け、他の人から殺されないようにします。
カインは、神の前を去り、エデンの東にあるノドの地に住み、妻を娶り、息子をもうけます。

創世記の「ノアの箱舟」
カインの子孫が地に増え始め、人は土を耕す術を身に着け、豊かな実り享受するようになります。
多くの人々が善と悪を知る知恵を持ちながらも、悪へと導かれていくのを見て、神は悲しみます。
人は、常に悪事ばかりを心掛け、思いめぐらせた。地上は悪で満たされます。
いたるところで、血が大地にしたたり、その傷はもはや癒しがたいほどです。
カインの行いが、数限りなく繰り返されたのです。
神は人間を造ったが、今では悔いています。
神は地上から人も獣も鳥も拭い去ろうと決意します。

アダムとイヴにもう一人の息子セトがいて、このセトの子孫に、何世代か後だが、ノアが生まれます。
ノアは妻と3人の息子と息子の嫁たちと一緒に暮らし、常に神と共に歩む人で、堕落した時代にあっても、心正しく、神を敬っています。

神は、ノアに「すべての生き物を滅ぼすことに私は決めた。今や地上は、暴力に支配されているからだ。人々は絶えず、悪しき想像や考えを巡らし、残虐な死が大地を埋めている。だから、私は彼らを滅ぼすために洪水を起こす。糸杉で箱舟を作るのだ。箱舟には小部屋をいくつも作り、内側にも外側にも松ヤニを塗れ。そして、次の大きさに作ることだ。箱舟の全長は300キュビト、全幅は50キュビト、高さは30キュビトとせよ。私は、お前を助けると約束しよう。その箱舟に乗り込むのだ。お前と3人の息子、そして妻、息子たちの嫁も一緒に。お前は、この堕落の時代にあって、正しく生き抜いてきたからだ」と言います。

ノア一家は、箱舟を作り始めます。
他の人々は、ノアと息子たちを笑います。
ノア一家は、箱舟を完成させます。

神は、ノアに「早速、お前は家族たちと乗り込むのだ。私はこれから40日と40夜の間、雨を降らせ、私の作った生き物をこの大地から滅ぼしつくすことにした。だが、その前に、他の生き物たちを各々2匹、雄と雌の一つがいを箱舟に乗せなさい。子孫が生き続けるように」と言います。

ノアは、笛を吹きながら、動物たちを一つつがいずつ箱舟に導きます。
息子たちは、穀物を箱舟に運び込みます。
妻と息子の嫁たちは苗木を運び込みます。
空が雲に覆われ始め、雷鳴がとどろきます。
雨が降り始めます。
雨が箱舟を打ち付けます。
人々は箱舟の周りに来ますが、濁流が箱舟を覆い、流します。
水はどんどん増えて、家を押し流し、箱舟は水に浮きあがり、流されます。
高い山に避難した人々を、水が押し流します。
ノア一家は、大洪水に押し流される人間たちのうめき声を聞きます。
ノア一家は、動物たちにエサをやります。
ノアの息子は、降り止むことがない雨に恐怖を感じます。
ノアの妻は、動物たち仕草から何日経過したかを伝え、安心させます。
雨は、降り止み、日が差し込みます。
ノアは、雨が止んだことに気が付きます。
ノアの家族たちも動物たちも、雨が降り止み、日が差し込んだことに気が付きます。
ノアは笛を吹き、ノアの家族たちは周りを回って、祝います。
ノアは、水の様子を見るためにカラスを放ちます。
カラスは、地上の水が乾くまであちこち飛び回り、箱舟には戻りません。
ノアは、ハトを放ちます。
ノアは、ハトの帰りを窓で待っています。
ノアは、ハトを見ますが、何もなく、全地が水で、足を置く場もないと判断します。
ノアは、ノアの妻に「ハトに餌を十分に食べさせて、7日後に、また飛ばす」と言います。
ノアは、7日後に、飛ばしたハトが、夕方に戻って来て、口にはオリーブの葉があり、陸地が現れたことに気が付きます。
ノアは、陸地を見つけに行くことをせず、神に任せて漂流し、7月17日目にノアの箱舟は、アララテ山頂に漂着します。
ノアは、動物たちを箱舟から陸地に出します。
ノアの息子は、箱舟の屋根を壊し、鳥たちを解き放ちます。
神は、今後私は人間故に大地を呪うことは2度となく、大地の続く限り、種まきも刈り入れも、寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、無くなることもなく、洪水によって、どんな生き物も滅びることもなく、雲の間に虹を置くことで、全ての生き物たちとの間に生まれた心の触れ合いの証とすることにします。
箱舟の上の空に虹がかかります。

創世記の「バベルの塔」
ノアの子孫たちにはたくさんの子孫ができて、世界中にノアの子孫は広がり、誰もが、同じ一つの言葉を使い、しゃべり合っていて、その中のニムロデという男は王となり、自らの権力を示すため、頂きが天にも届く塔を建てることを思いき、塔の上へと上がり、天に矢を放ちます。
神は、神をも恐れぬことをして、果たせぬことはないと思い上がり、高慢さを嘆かれ、人間たちの言葉を乱します。
人々は、使う言葉が異なるようになり、混乱し、争いが起きます。

創世記の「アブラハムの生涯」
神は、カルデヤ人の地ウルでアブラムという男の誕生まで、10世代も待ちます。
神は、アブラムがある年齢に達したとき、「お前は、生まれ故郷、生まれた国、お前の親族、お前の父の家を離れて、私が示す地へ行きなさい。私はお前を大いなる民とし、お前を祝福し、その名を高めるであろう」と言います。
アブラムは、神の言葉に従い、愛する妻のサライと亡くなった弟の子ロトとすべての財産と従えてたすべての人々と共に砂漠をさすらい、カナンの地に到着します。
神は、アブラムに「さあ、目を上げて、今立っている所から、見渡すがいい。北を、南を、東を、西を、見渡せる限りのすべての土地を私は永久にお前とお前の子孫に与えよう」と言います。
カナンの地には、カナン人が住んでいます。
アブラムは、神の知恵は、我らの理解を超えるので、何が起こり、どう事がなるか、分からないが、必ず、我らは繫栄できると信じて天幕を張り、住み着きます。
アブラムは、サライと愛し合いますが、サライには子供が産まれません。
アブラムは、愛する妻のサライと亡くなった弟の子ロトと人々と共に、神が約束したべテルからエジプトまでを縦横に行き巡ります。
サライは、エジプト人のハガルを侍女にします。
アブラムたちは、井戸と肥沃な土地を知り、栄えます。
アブラムの牧者とロトの牧者が水場を巡って、争います。
アブラムは、従者に指示を出して、争いを止めさせます。
アブラムは、ロトに「争いは醜い。まして、私たちは身内だ。どちらにも財産が多く、同じ土地に共に住めない。全地が君の前だ。別行動を取ろう」と提案します。
ロトは、下のヨルダンの平原を私は選びます。
アブラムは牧者を連れて山を登り、ロトは牧者を連れて平原を目指し、別々の地へ向かいます。
神は、アブラムに「さあ、目を開けて、見るがいい。そこから、未来を見渡すのだ。北を、南を、東を、西を、見渡せる限りの土地をすべて、私は永久にお前とお前の子孫に与えよう」と言います。
アブラムは、神に「主よ、何を下さろうと、私にはそれを伝える子供がいません。何故、私に子孫を下さらないのです?」と質問します。
神は、アブラムに「お前の子孫は、やがて空の星の如く増えるだろう。天を仰ぎ、星の数を数えるがいい。それがすなわちお前の子孫の数だ」と答えます。
アブラムは、神に「何によってそれを知り得ましょうか?」と質問します。
神は、アブラムに「では、我がもとへ3歳の雌の牛と3歳になる山羊、3歳になる雄羊、それに山鳩と家鳩のひなを持ってきなさい。それらを2つに切り裂き、裂いた部分を互いに向き合わせて、2列に置くのだ。ただし、鳥は切り裂かなくてよい」と言います。
アブラムは、神に言われた通りにします。
アブラムは、家畜の死体にまとわりつく、鳥を槍で、払い、天を見上げます。
天から赤い雲が降りてきます。
神は、アブラムに「では、私とお前との間で約束をしよう。お前の血から生まれた子がお前の跡継ぎだ。その名は、イサクと名付けるがよい。だが、覚えておくがいい。お前の子孫は、一時だけ、異国の地に身を置くことになろう。その支配者は、虐待し、苦しみと悲しみが、彼らの心を覆い、女の産みの苦しみに似た苦痛を味わうであろう。彼らは、炉で鍛えられる鉄のように試されるが、私はお前をも試そう。私はさらにに貴い人にしたいからである」と言います。

アブラムは、大地に倒れたまま、目が覚めます。
アブラムの妻サライは、アブラムを見上げます。
サライの侍女ハガルは、壺に水を入れます。
アブラムの妻サライは、山から下りて来るアブラムを再び見上げます。
サライの侍女ハガルは、サライの所にやって来て、皿に水を注ぎ、壺を柱にかけます。
アブラムの妻サライは、侍女ハガルを見つめてから、話しかけます。
アブラムの妻サライは、侍女ハガルに「お行き、さあ」と言います。
侍女ハガルは、向かいの天幕に入っていきます。
アブラムの妻サライは、立ち上がり、アブラムを出迎えます。
サライは、アブラムに「アブラム、どうか聞いてください。私には、もう子供が授かりません。どうかお願いですから、私の侍女の元へ。掟にはこう定められています。”妻に子がなければ、その侍女が代わりに子を産めると”ハガルの身を借りて、持てるかもしれません。私の侍女を差し上げます。エジプト人ですけど、あなたの妻として」と言います。
アブラムは、サライに「そうすることで、神は私に多くの民を下さるのだろうか?」と言います。
サライは、アブラムに「ええ、それが定めです」と言います。
サライは、アブラムを侍女ハガルが待つ天幕に送り出します。
アブラムは、侍女ハガルが待つ天幕に入ります。
侍女ハガルは、アブラムの子供を妊娠し、出産の日が近づくにつれて、主人であるサライを見下し始めます。
侍女ハガルに見下されたサライは、アブラムに「女としては死んだも同然と思い知りました。私は、神との約束も果たせない女です。この世に生まれて来なかったらと、何の違いもありません」と言い、泣きます。
アブラムは、サライに「違う。子供はお前の物だ。生むのはお前の侍女だが、お前の愛が身ごもらせたのだ」と慰めます。

シナルの王のアルマテル、エラサルの王のアリオク、エラムの王のケダラ・オメル、ゴイムの王のテダルの4人の王は、南方からヨルダンに攻めます。
ソドムの王のベラ、ゴモラの王のビルシャ、アデルの王のシナン、ゼボイムの王のセメベル、それにゾアルの王は、シデムの谷で戦います。
ソドムの王のベラ、ゴモラの王のビルシャは、逃亡し、亡くなります。
シナルの王のアルマテル、エラサルの王のアリオク、エラムの王のケダラ・オメル、ゴイムの王のテダルの4人の王は、あらゆるものを略奪し、立ち去ります。
ロトたちは、捕虜になります。
アブラムは、捕虜となったロトたちを助けるために、酒を飲んで油断している敵に、夜襲をかけ、ほら貝が吹き、敵を起こし、ヤギの角に松明を付けて、敵陣に突入させ、ヤギを兵士と錯覚させ、敵がヤギへ立ち向かった隙に、背後から敵を攻撃し、ロトと捕虜たちを解放します。
アブラムは、神に感謝し、子牛を生贄に捧げます。
神は、アブラムに「全き人でありなさい。お前の名は、もうアブラムではない。これからは、アブラハムと呼ばれるであろう。お前の子孫から、王が出るからである。私は、お前と、そしてお前の名誉を継ぐ代々の子孫たちの神となることをここに約束しよう。お前の妻サライは、これからはサライと呼んではならない。その名はサラである。私は彼女を祝福し、彼女自身の子供をいつか、お前に授けると約束しよう」と言います。
アブラムはアブラハムに、サライはサラになります。
侍女のハガルは、アブラハムの息子を出産し、割礼を行い、イシマエルと名付けられます。
侍女のハガルは、アブラハムにイシマエルにを後継ぎとして認めるようにお願いします。
アブラハムは、神に従い、侍女のハガルにイシマエルを後継ぎと認めず、サラが生むとされるイサクを後継ぎにすると言います。
神は、アブラハムを試すかのように、長い沈黙を守り、3年が過ぎ、さらに2年が過ぎ、サラもアブラハムも年老いていきます。

創世記の「ソドムとゴモラの滅亡」
神と2人の神の御使いがやって来ます。
アブラハムは、神と2人の神の御使いに休憩することを勧めます。
神と2人の神の御使いは、休憩することにします。
神は、アブラハムにロトが城門の前に座っているソドムの町とゴモラの町が神をも恐れずに、享楽を追っていることを確認し、真実なら、ソドムの町とゴモラの町を滅ぼすために、ソドムの町とゴモラの町へ行くと教えます。
神は、アブラハムにサラが男の子を産むと教えます。
サラは、この話を聞いて笑い、アブラハムも年老いているので、子供を産むことはできないと言います。
神は、サラに男の子を産むと断言します。
アブラハムは、神に10人の正しき者がいても、悪しき者と共に町を滅ぼすのかと聞きます。
神は、アブラハムに10人の正しき者ために、悪しき者を滅ぼすのを止めようと約束します。
神と2人の神の御使いは、ソドムの町とゴモラの町へ向かいます。

夕暮れの時、ソドムの町の城門の前に座っているロトは、2人の神の御使いがやって来たのに気が付き,ひざまずき、ソドムの町を案内します。
2人の神の御使いは、神をも恐れずに、享楽を追っていることを確認し、ソドムの町を滅ぼすことを決め、ロトとロトの妻と娘をソドムの町から山へ逃がし、「決して後ろを振り返ってはならぬ」と言います。
ロトの妻は、山へ向かう途中で後ろを振り向き、塩柱になります。

創世記の「イサクをささげようるアブラハム」
サラは妊娠し、男の子を出産し、イサクと名付けられます。
アブラハムは、イサクが乳離れをしたことを祝い、祝宴を開きます。
サラは、ハガルと息子イシマエルの態度を見て、アブラハムに息子イサクと息子イシマエルが将来争うことを避けるために、ハガルと息子イシマエルを追放するようにお願いします。
アブラハムは、サラにハガルと息子イシマエルを追放しないと答えます。
神は、アブラハムにサラの言う通り、ハガルと息子イシマエルを追放するように言います。
アブラハムは、ハガルと息子イシマエルを追放します。
追放されたハガルとイシマエルは、ベエルシバの荒野を彷徨い、行き倒れになりそうになりますが、神の御使いに助けられます。

アブラハムは、祖先の家系図を忘れないように杖に書き込んで、読み上げます。
神は、アブラハムに「お前のただ一人の息子のイサクをモリヤの地で生贄として捧げるんだ」と言います。
アブラハムは、神に「嫌だ。嫌だ。断る」と言います。

アブラハムは、短剣を手に取り、袋に入れて、背中に短剣を背負い、棒を手に持ち、イサクに母上にあいさつをさせ、イサクを連れて、モリヤの地へ旅立ちます。
アブラハムとイサクは、破壊されたソドムの町を通りかかります。
イサクは、アブラハムを見失います。
アブラハムは一人で、神に苦言を言います。
イサクは、アブラハムの杖を見つけ、アブラハムを見つけます。
イサクは、アブラハムに破壊されたソドムの町を離れ、モリヤの地へ行くことを促します。
アブラハムは、イサクに「どうあろうと、神には従わねば」と言います。
アブラハムとイサクは、3日後、モリヤの地に到着します。
2羽のが空を飛んでいます。
イサクは、アブラハムに何を生贄にするのか尋ねます。
アブラハムは、何も答えません。
アブラハムは、イサクを見つめ、腰の紐をほどきます。
イサクは、驚きます。
イサクは、アブラハムに抱き着きます。
アブラハムは、イサクを抱きしめます。
アブラハムは、イサクの両手を縛り、体を縛り、両手で抱え上げ、薪の上に置き、火を薪に付けます。
イサクは、アブラハムに「主の御言葉は絶対なのですね」と言います。
アブラハムは、イサクに「そうだ」と答えます。
アブラハムは、ナイフを手にして、イサクの目を隠し、ナイフを天にかざします。
神は、アブラハムに「神を恐れ、一人の息子の命さえ、捧げることを惜しまなかったことが分かったので、その子に手をかけてはならない」と言います。
アブラハムは、イサクの額にキスをし、抱きしめます。
アブラハムは、イサクを両手で抱え上げ、喜びます。
アブラハムは、イサクを縄から解き、喜び合います。

登場人物

神は、6日間で地球、海、陸、生物と人(アダムとイヴ)を造り、エデンに園を設け、アダムとイヴに”どの木の実を食べてもよい。だが、善悪を知る木の実は食べてはならない”と言い、アダムとイヴを祝福して”生めよ、増やせよ”と言い、善悪を知る木の実は食べたアダムとイヴをエデンに園から追い出し、イヴに子供を産む苦しみを与えるだけでなく、夫に支配される苦しみを与え、アダムに大地を耕し、種をまき、額に汗をして糧を生む苦しみを与え、アダムとイヴの息子で弟のアベルを殺した兄のカインを放浪者にして、罪を悔い改めたカインを赦し、カインの子孫が増え、血を流して争う人を見て、後悔し、人も獣も鳥も地上から流し去ることを決意し、アダムとイヴの息子のセトの子孫であるノアに糸杉で長さ135m、幅22.5m、高さ13.5mの箱舟を作らせ、箱舟の内側にも外側にも松ヤニを塗らせ、箱舟を完成させ、妻と3人の息子のセムとヤペテにハムと息子の嫁たちを箱舟に乗せ、箱舟の中に小部屋をいくつも作らせ、生き物たちを各々2匹、雄と雌の一つがいを箱舟に乗せ、40日と40夜の間、雨を降らせ、生き物をこの大地から滅ぼしつくしますが、人間のために大地を呪うことは2度としないし、洪水によって、どんな生き物も滅ぼすこともしないと決め、高い塔を作り神に矢を射たニムロデ王を見て、人の使う言葉が異なるようにして、人を混乱させ、人に争いが起きるようにし、アブラムがカルデヤ人の地ウルで生まれ、アブラムがある年齢に達したときに、アブラムに”生まれ故郷、生まれた国、お前の親族、お前の父の家を離れて、私が示す地へ行きなさい。私はお前を大いなる民とし、お前を祝福し、その名を高めるであろう”と言い、アブラムにカナンの地で”目を上げて、今立っている所から、見渡すがいい。
北を、南を、東を、西を、見渡せる限りのすべての土地を私は永久にお前とお前の子孫に与えよう”と言い、アブラムの”何故、私に子孫を下さらないのです?”問いかけに、アブラムに”お前の子孫は、やがて空の星の如く増えるだろう。天を仰ぎ、星の数を数えるがいい。それがすなわちお前の子孫の数だ。カルデヤ人の地ウルから導いてきたのは、お前にこの土地を継がせるためだ。3歳の雌の牛と3歳になる山羊、3歳になる雄羊、それに山鳩と家鳩のひなを持ってきなさい。それらを2つに切り裂き、裂いた部分を互いに向き合わせて、2列に置くのだ。ただし、鳥は切り裂かなくてよい”と答え、アブラムに”生まれた子がお前の跡継ぎだ。その名は、イサクと名付けるがよい。だが、覚えておくがいい。お前の子孫は、一時だけ、異国の地に身を置くことになろう。その支配者は、虐待し、苦しみと悲しみが、彼らの心を覆い、女の産みの苦しみに似た苦痛を味わうであろう。彼らは、炉で鍛えられる鉄のように試されるが、私はお前をも試そう。私はオルフの黄金で作った楔よりも、さらにに貴い人にしたいからである”と伝え、戦いに勝利し貢物を捧げるアブラムに”私の前を歩み、全き人でありなさい。お前の名は、もうアブラムではない。これからは、アブラハムと呼ばれるであろう。お前の子孫から、王が出るからである。私は、お前と、そしてお前の名誉を継ぐ代々の子孫たちの神となることをここに約束しよう。お前の妻サライは、これからはサライと呼んではならない。その名はサラである。私は彼女を祝福し、彼女自身の子供をいつか、お前に授けると約束しよう”と伝え、次女のハガルとの間に息子イシマエルが生まれたアブラハムに”男の子は、全て割礼を受けねばならない。これは、私たちとお前たちの契約の印である”と言い、2人の神の御使いを連れてアブラハムの所に来て、サラに息子を授けると約束し、アブラハムに神をも恐れずに、享楽を追っているソドムの町とゴモラの町に心正しき者がたったの10人もいなければ、ソドムの町とゴモラの町を滅ぼすと約束し、ソドムの町とゴモラの町を滅ぼし、アブラハムに”サラの言葉通り、次女ハガルと息子のイシマエルを町から追放するよう”に言い、アブラハムに”息子を連れて、お前の愛する一人息子イサクとモリヤの地に行くのだ。そして、私が示す山の上で、息子のイサクを生贄として捧げるんだ”と言い、息子のイサクを生贄として捧げようとするアブラハムに”その子に手をかけてはならない。お前が神を恐れる者であることはよくわかった。お前は自分のたった一人の息子の命さえ、私に捧げることを惜しまなかったからだ。私は、炉の中の鉄のようにお前を試した。
お前がそれに耐えられる人間だと思ったからだ。今、お前を祝福し、その子孫を空の星のごとく、砂浜の砂のごとくに、増やそう。限りなく”と言います。

ナレーション

ナレーションは、状況を映画を鑑賞する人に説明します。
ナレーションは、創世記の「神の天地創造」、創世記の「アダムとエバ 失楽園」、創世記の「カインとアベル」と創世記の「ノアの箱舟」について説明します。
ここまでは、セリフらしいセリフはほとんどなく、神の言葉とナレーションで説明されます。
ナレーションは、創世記の「ノアの箱舟」について「こうして、7月17日目にノアの箱舟は、アララテ山頂に漂着した。主は、心の中で言われた、今後私は人間故に大地を呪うことは2度とすまい。大地の続く限り、種まきも刈り入れも、寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、無くなることはない。また、洪水によって、どんな生き物も滅びることはない。私は、雲の間に虹を置こう、私が大地の上に雲を沸き立たせ、その雲の間に虹が現れたら、それは、私と人間たちと、また私と全ての生き物たちとの間に生まれた心のふれあいだと思うが良い」とを締めくくります。
ナレーションは、創世記の「バベルの塔」について「洪水の後、ノアの子孫たちにはたくさんの子孫ができて、世界中にノアの子孫は
広がっていった。誰もが、同じ一つの言葉を使い、しゃべり合っていた。ノアの息子たちの系図は、次の通りである。ヤペテの子孫は、ゴメル、エラム、マダイ・・・、セムの子孫は、カナン、クシュ・・・、ハムの子孫は・・・、そのクシュにニムロデという息子ができた。
ニムロデは、王であった。彼は、自らの権力を示すため、塔を建てることを思いついた。それは、頂きが天にも届く塔であった。人々は、塔を築きながら、こんな歌を歌った。”ニムロデが強く弓をひけば、矢は千里の野山を駆け抜ける。いかなる獲物も仕留めよう。王の力でねじ伏せられぬものはなく。王の力をしのぐ力もない。王は大地を従え、自らの者とした。雷さえも膝まづき、稲妻を宝石の如く身にまとう。ニムロデ王の栄光は太陽よりも強く輝き、その偉大さにかなう者はいない。地上にも天井にも”、この日、主なる神は、人間の子らが建てた塔をご覧になるため、降りてこられた。そして、こう言われた”人間たちは皆、一つの言葉だけをしゃべり、このような神をも恐れぬことをしている。そればかりか、果たせぬことはないと、そう思い上がっているようだと。主は、ニムロデの高慢さを嘆かれた、人間たちの言葉を乱そう。そうすれば、互いの言葉も通じまい。こうして、この地はバベル、すなわち”乱れ”と呼ばれた。神は、言葉を乱すことによって、人々を世界各地に分散されたのである」と説明します。
ナレーションは、アブラムについて「この後、主はアブラムという男の誕生まで、10世代待たれた。アブラムは、カルデヤ人の地ウルで生まれた。彼がある年齢に達したとき、神は言われた。”お前は、生まれ故郷、生まれた国、お前の親族、お前の父の家を離れて、私が示す地へ行きなさい。私はお前を大いなる民とし、お前を祝福し、その名を高めるであろう”とアブラムは、主の御言葉に従い、旅立った。亡くなった弟の子ロトを伴い。愛する妻のサライを連れて、すべての財産と従えてたすべての人々と共にである。それは、さすらい人のように、当てのない旅だった。しかし、当てのない旅もやっと終わりを告げた。主の約束された地が、目の前に開けたのである。主は、朝に夕なに道をお示しになったのだ。カナンの地である。神は言われた。さあ、目を上げて、今立っている所から、見渡すがいい。北を、南を、東を、西を、見渡せる限りのすべての土地を私は永久にお前とお前の子孫に与えよう。しかし、アブラムの妻サライには子供が産まれなかった。彼らは、神が約束した地を縦横に行き巡り天幕を張った。べテルからエジプトまで、サライの侍女は名をハガルと言う、エジプト人です。彼らは井戸と肥沃な土地を知り、栄えた。べテルに戻ると、アブラムとロトの牧者に不和が起きた。アブラムはハガルのもとへ行き、ハガルは身ごもった。ところが、ハガルは出産の日が近づくにつれて、主人であるサライを見下し始めた。事実、アブラハムは待ち続けたのである。しかし、神はアブラハムを試すかのように、長い沈黙を守った。それから、3年が過ぎ、さらに2年が過ぎた。サラもアブラハムも年老いていた」と説明します。
ナレーションは、創世記の「ソドムとゴモラの滅亡」について「その頃、南方からヨルダンに攻め行った4人の戦う王たちがいた。シナルの王のアルマテル、エラサルの王のアリオク、エラムの王のケダラ・オメル、ゴイムの王のテダルだ。そして、迎え撃ったのは、ソドムの王のベラ、ゴモラの王のビルシャ、アデルの王のシナン、ゼボイムの王のセメベル、それにゾアルの王である。王たちは、5対4で戦った。戦場となったのはシデムの谷だった。シデムの谷には、いたるところに穴があり、ソドムの王のベラ、ゴモラの王のビルシャは、逃亡の際に、その穴に落ちた。かくて、勝者は、あらゆるものを略奪し、立ち去った。夕暮れの時、トロは町の門に座っていた。目をあげ、町に近づく2人のよそ人を見た」と説明します。
ナレーションは、アブラハムにハガルとイシマエルについて「イサクが乳離れをし、アブラハムは祝宴を開いた。神はアブラハムに言った。”親子のために心配はいらない。サラの言葉通りにせよ。イサクの子が汝の子孫である”。神は、子供を大いなる国民とした」と説明します。
ナレーションは、創世記の「イサクをささげようとするアブラハム」の中で「そして、3日目、アブラハムが見上げると、そこには神が示したもうたモリアの地があった」と説明します。

アダム

アダムは、神が天地創造を行い、6日目に神に似せて、同じ形になるように土から造り、命を吹き入れて生まれた男性の人で、イヴと森の中を歩き、果物を食べ、イヴに渡し、神によって造られたエデンに園にイヴと共に行き、神から”どの木の実を食べてもよい。だが、善悪を知る木の実は食べてはならない。食べたら、必ず死ぬであろう”と言われますが、イヴ(エバ)から勧められて、善悪を知る木の実を食べて、裸でいることを恥じるようになり、神に善悪を知る木の実を食べた罰として、エデンに園から追い出され、大地を耕し、種をまき、額に汗をして糧を生むことになり、イヴ(エバ)との間にカイン、アベルとセトという3人の息子を生みます。

イヴ(エバ)

イヴ(エバ)は、神が天地創造を行い、6日目に造った男性の人間を一人にするのは良くないとして作られた女性の人で、アダムと森の中を歩き、アダムから渡された果物を食べ、神によって造られたエデンに園にアダムと共に行き、神から”どの木の実を食べてもよい。だが、善悪を知る木の実は食べてはならない。食べたら、必ず死ぬであろう”と言われますが、ヘビに「この実を食べても死ぬものか。神はご存じなんだ。あんたたちがこの実を食べると、たちまち目が開けて、神のようになれることを、つまり善悪を分かってしまうことを、さあさあ、お食べ」と言われて、善悪を知る木の実を食べて、アダムにも善悪を知る木の実を食べることを勧め、裸でいることを恥じるようになり、神に善悪を知る木の実を食べた罰として、エデンに園から追い出され、夫を求めるが、夫はお前を支配され、子供を出産するときの苦しみを増やされ、アダムとの間にカイン、アベルとセトという3人の息子を生みます。

ヘビ

ヘビは、イヴ(エバ)に「この実を食べても死ぬものか。神はご存じなんだ。あんたたちがこの実を食べると、たちまち目が開けて、神のようになれることを、つまり善悪を分かってしまうことを、さあさあ、お食べ」と言って、善悪を知る木の実を食べさせて、神から「これからは、あらゆる家畜よりも、あらゆる獣よりも呪われよ。お前は、生涯、腹ばいになって動き回り、命の続く限り、ちりを食べ続けるがよい」と言われます。

カイン

カインは、アダムとイヴ(エバ)の最初の息子で、という名前は”所有”を意味し、土を耕す者となり、大地の実りを少し減らして神へ捧げ、神はその捧げ物とに目を止めらず、神に怒りをぶつけ、アベルを殺し、神によって放浪者となり、神によって本心から己の罪を悔い改めることを条件に赦され、エデンの東にあるノドの地に住み、妻を娶り、息子をもうけ、カインの子孫が地に増えました。

アベル

アベルは、アダムとイヴ(エバ)の2番目の息子で、羊を飼う者となり、最も太った羊の初子を神へ捧げ、神はその捧げ物とに目を止められ、カインに殺されます。

セト

セトは、アダムとイヴ(エバ)の3番目の息子です。

ノア

ノアは、セトの子孫で、常に神と共に歩む人で、妻を娶り、セム、ヤペテとハムという3人の息子がいて、神の”堕落した人々を滅ぼすために洪水を起こす。糸杉で箱舟を作るのだ。箱舟には小部屋をいくつも作り、内側にも外側にも松ヤニを塗れ。お前と3人の息子、そして妻、息子たちの嫁も一緒に箱舟に乗り込んめば助ける”という言葉を聞いて、信じて箱舟を造り、神の”生き物たちを各々2匹、雄と雌の一つがいを箱舟に乗せなさい”という声を聞き、動物たちを箱舟まで連れてきて、ヤペテに動物たちを箱舟の中へ入れるように、ハムとセムに穀物を運び込むように、娘たちとランプの用意させて、箱舟で暮らす準備をさせ、雨が降り出すと、箱舟の扉を閉じて、濁流が箱舟を覆い、流され、大洪水に押し流される人間たちのうめき声を聞き、家族に指示して動物たちにエサをやり、神が40日と40夜、雨を降らせると言ったと言い、雨が止んだことに気が付き、カラスを放ちますが戻ってこず、ハトを放つと戻って来て、ハトにエサをやり、一週間後にハトを放つと、ハトがオリーブの葉を持って帰ったことで陸地があることに気が付きますが、神の意志に任せて漂流し、7月17日目にアララテ山頂に漂着し、動物たちを陸地に放ちます。

ノアの妻

ノアの妻は、息子に”恥ずべき事よ。親のやり方を疑うのは”と言い、ノアに”でも、いつ終わるの?忙しい時期よ。種まきの他に家の屋根の修理もあるわ。雨が降ったら、事だわ”だと言い、ノアに”生き物たちを各々2匹、雄と雌の一つがいを箱舟に乗せなさい”に言われ、完成した箱舟に苗木を運び込み、箱舟で暮らす準備をして、雨が降り出すと、箱舟の扉を閉じて、濁流が箱舟を覆い、流され、大洪水に押し流される人間たちのうめき声を聞き、動物たちにエサをやり、動物たちの体内にある時計を利用して、月日を数え、雨が止んだことに気が付き、ハトがオリーブの葉を持って帰ったことで陸地があることに気が付きますが、神の意志に任せて漂流し、7月17日目にアララテ山頂に漂着し、動物たちを陸地に放ちます。

セム

セムは、ノアと妻の最初の息子で、ノアと共に箱舟を作り、ノアに文句を言って、母親に叱られ、箱舟を完成させ、ノアに”生き物たちを各々2匹、雄と雌の一つがいを箱舟に乗せなさい”に言われ、完成した箱舟に動物たちを運び込み、箱舟で暮らす準備をして、雨が降り出すと、箱舟の扉を閉じて、濁流が箱舟を覆い、流され、大洪水に押し流される人間たちのうめき声を聞き、動物たちにエサをやり、雨が止んだことに気が付き、ハトがオリーブの葉を持って帰ったことで陸地があることに気が付きますが、神の意志に任せて漂流し、7月17日目にアララテ山頂に漂着し、動物たちを陸地に放ちます。

ヤペテ

ヤペテは、ノアと妻の2番目の息子で、ノアと共に箱舟を作り、ノアに文句を言って、母親に叱られ、箱舟を完成させ、ノアに”生き物たちを各々2匹、雄と雌の一つがいを箱舟に乗せなさい”に言われ、完成した箱舟に穀物を運び込み、箱舟で暮らす準備をして、雨が降り出すと、箱舟の扉を閉じて、濁流が箱舟を覆い、流され、大洪水に押し流される人間たちのうめき声を聞き、動物たちにエサをやり、雨が止んだことに気が付き、ハトがオリーブの葉を持って帰ったことで陸地があることに気が付きますが、神の意志に任せて漂流し、7月17日目にアララテ山頂に漂着し、動物たちを陸地に放ちます。

ハム

ハムは、ノアと妻の3番目の息子で、ノアと共に箱舟を作り、ノアに文句を言って、母親に叱られ、箱舟を完成させ、ノアに”生き物たちを各々2匹、雄と雌の一つがいを箱舟に乗せなさい”に言われ、完成した箱舟に穀物を運び込み、箱舟で暮らす準備をして、雨が降り出すと、箱舟の扉を閉じて、濁流が箱舟を覆い、流され、大洪水に押し流される人間たちのうめき声を聞き、動物たちにエサをやり、雨が止んだことに気が付き、ハトがオリーブの葉を持って帰ったことで陸地があることに気が付きますが、神の意志に任せて漂流し、7月17日目にアララテ山頂に漂着し、動物たちを陸地に放ちます。

ニムロデ

ニムロデは、セムの子孫で、王で、神をも恐れぬ塔を立て、塔の最上部から天に向かって矢を放ち、神の怒りを買い、人々の言葉を乱され、互いの言葉も通じず、人々は混乱し、逃げまどい、人々を世界各地に分散さられます。

アブラム/アブラハム

アブラムは、カルデヤ人の地ウルで生まれ、神の声を聞くことができる人で、ある年齢になった時に、神に”生まれ故郷、生まれた国、お前の親族、お前の父の家を離れて、私が示す地へ行きなさい。私はお前を大いなる民とし、お前を祝福し、その名を高めるであろう”という神の声を聞き、従い、亡くなった弟の子ロトを伴い、愛する妻のサライを連れて、すべての財産と従えてたすべての人々と共に、旅立ち、さすらい人のように、当てのない旅をした末に、神からカナンの地を与えられますが、カナン人がいるので、どうなるのか分からず、必ず、我らは繫栄できると信じ天幕を張り、日が暮れるまで働き、妻のサライを愛し、子供に恵まれず、べテルからエジプトまで行って、べテルに戻ると、アブラムとロトの牧者の間に争いが起きて、ロトが向かう下のヨルダンの平原ではない、山に向かって進み、神から土地を与えられますが、神に伝える子供がいないと言い、神に”やがて空の星の如く増えるだろう。天を仰ぎ、星の数を数えるがいい。それがすなわちお前の子孫の数だ”と言われ、神に”3歳の雌の牛と3歳になる山羊、3歳になる雄羊、それに山鳩と家鳩のひなを持ってきなさい。それらを2つに切り裂き、裂いた部分を互いに向き合わせて、2列に置くのだ。ただし、鳥は切り裂かなくてよい”と言われ、その通りにして、神に”お前の血から生まれた子がお前の跡継ぎだ。その名は、イサクと名付けるがよい。だが、覚えておくがいい。お前の子孫は、一時だけ、異国の地に身を置くことになろう。その支配者は、虐待し、苦しみと悲しみが、彼らの心を覆い、女の産みの苦しみに似た苦痛を味わうであろう。彼らは、炉で鍛えられる鉄のように試されるが、私はお前をも試そう。私はオルフの黄金で作った楔よりも、さらにに貴い人にしたいからである”と言われ、サライに”どうかお願いですから、私の侍女の元へ。掟にはこう定められています。”妻に子がなければ、その侍女が代わりに子を産めると”ハガルの身を借りて、持てるかもしれません。私の侍女を差し上げます”と言われ、侍女ハガルが待つ天幕に入り、ハガルがアブラムの息子を妊娠し、戦争が起きて、甥のロトが捕虜になったのを知り、夜に奇襲攻撃を敵に仕掛けて、ロトを始めとする捕虜たちを解放し、神に感謝し、生贄を捧げ、神の”アブラハムと呼ばれるであろう。お前の子孫から、王が出るからである。私は、お前と、そしてお前の名誉を継ぐ代々の子孫たちの神となることをここに約束しよう。お前の妻サライは、これからはサライと呼んではならない。その名はサラである。私は彼女を祝福し、彼女自身の子供をいつか、お前に授けると約束しよう”という声を聞いて、ハガルがアブラムの息子を出産し、イシマエルと名付け、サラが息子を妊娠し、出産するのを待ち続け、神と2人の神の御使いがやって来て、神と2人の神の御使いに休息を勧め、神から甥のロトが城門に座っているソドムの町とゴモラの町へ行き、神をも恐れずに、享楽を追っていることが事実かを確かめに行き、戻ってくるまでにサラは妊娠し、出産しているし、心正しき者がたったの10人いるのならソドムの町とゴモラの町を滅ぼさないと約束し、サラがアブラムの息子を妊娠し、出産し、イサクと名付け、イサクが乳離れをすると、祝宴を開き、神の声に従い、ハガルとイシマエルを追放し、杖に書かれた家系図をイサクに読ませ、神にモリヤの地に息子イサクを連れて行き、イサクを生贄として捧げるように言われ、嫌だ、断ると答えますが、短剣を手に取り、袋に入れて、背中に短剣を背負い、杖を手に持ち、息子イサクを連れて、モリヤへ向かい、神によって破壊されたソドムの町を通り、息子イサクに神には従わなければならないと言い、息子イサクを連れてモリヤの地に到着し、生贄を捧げる準備を始め、自分が生贄として神に捧げられると気が付いた息子イサクを腰縄で縛り、両手で抱え上げ、薪の上に置き、火を薪に付け、ナイフを手にして、イサクの目を隠し、ナイフを天にかざし、神が息子イサクを殺してはならぬ、神を恐れる者であることはよくわかったという声を聞き、息子イサクの額にキスをし、息子イサクを両手で抱え上げ、喜び、息子イサクの縄を解き、神からの声を聞きます。

ロト

アブラムの亡くなった弟の子で、つまり甥で、アブラムと共にカルデヤ人の地ウルを離れ、旅立ち、さすらい人のように、当てのない旅をした末に、カナンの地にたどり着きますが、カナン人がいるので、どうなるのか分からず、べテルからエジプトまで行って、べテルに戻ると、アブラムとロトの牧者の間に争いが起きて、下のヨルダンの平原を選び、ソドムの町の城門に座っていると、2人の神の御使いに出会い、丁重に出迎えて、神の御使いに神がこの町を滅ぼすので、後ろを振り返ってはならぬと言われ、妻と娘を連れて山の方に逃げます。
ロトの妻は後ろを振り返り、塩柱になります。

サライ/サラ

アブラムの妻で、アブラムと共にカルデヤ人の地ウルから、愛する夫と共に、旅立ち、さすらい人のように、当てのない旅をした末に、神からカナンの地へ定住し、アブラムを愛し、子供に恵まれず、べテルからエジプトまで行って、エジプト人の侍女ハガルを得て、山から降りてくるアブラムを見て、侍女ハガルにアブラムの子供を産むように伝え、アブラムに”妻に子がなければ、その侍女が代わりに子を産めると”という掟により、アブラムに侍女ハガルの所へ行くように勧め、アブラムが侍女ハガルの所へ行くのを見送り、アブラムの子供を妊娠した侍女ハガルに見下され、落ち込みますが、アブラムに励まされ、侍女ハガルが出産したアブラムの息子イシマエルを受け取り、夫のアブラハムに渡し、男の子を産むであろうと言った神を笑い、アブラハムの子供を妊娠し、男の子を出産し、イサクと名付けられ、イサクが乳離れして祝宴を開かれ、夫のアブラハムに侍女ハガルと息子イシマエルを追放するように言い、夫のアブラハムと共にモリヤへ向かうイサクを見送ります。

ハガル

サライの侍女で、子供に恵まれないサライの代わりにアブラムの子供を妊娠し、サライを見下し、アブラムの息子イシマエルを出産し、イシマエルが7歳になるとアブラハムにイシマエルを後継ぎとして認めるように言いますが、アブラハムに断られ、サラがアブラハムの息子イサクを出産し、乳離れをすると、
アブラハムに息子イシマエルと共に追放され、ベエルシバの荒野をさまよい、死にかけますが、神の御使いによって助けられます。

イシマエル

アブラムとハガルの息子で、サラがアブラハムの息子イサクを出産し、乳離れをすると、アブラハムに母親ハガルと共に追放され、ベエルシバの荒野をさまよい、死にかけますが、神の御使いによって助けられます。

神の御使い

神の御使いは、神と共にアブラハムの所に立ち寄り、ソドムの町の城門に座っているロトにソドムの町を案内され、神によって破壊されるソドムの町からロト、ロトの妻とロトの2人の娘を救い出します。

イサク

イサクは、アブラハムとサラの息子で、神の声を聞いたアブラハムと共に神によって破壊されたソドムの町を通り、アブラハムに神には従わなければならないと言い、モリヤの地に到着し、生贄にされると気が付き、アブラハムに腰縄で縛られ、両手で抱えられ、薪の上に置かれ、火を薪に付けられ、目を隠され、ナイフで殺されそうになりますが、生贄にはされずに、生贄となる雄羊を見つけ、アブラハムと共に喜びます。

最後のセリフ

「今、お前を祝福し、その子孫を空の星のごとく、砂浜の砂のごとくに、増やそう。限りなく」です。

感想

ユダヤ教入門映画

ユダヤ教やユダヤ教徒について知らない人で、ユダヤ教やユダヤ教徒について知りたい人が鑑賞すると良いです。
ユダヤ教徒の知り合いはいないです。
この映画で描かれていることを信じることがユダヤ教であり、この映画で描かれていることを信じている人がユダヤ教徒なのでしょう。
ユダヤ教を信じていないユダヤ教徒ではない人が鑑賞すると、ユダヤ教やユダヤ教徒を理解できないということが、理解できるかもしれません。
日本人は、第二次世界大戦までは、政府から神道を押し付けられ、古事記や日本書紀を教えられ、信じていました。
日本人は、第二次世界大戦以降は、古事記や日本書紀を知っていても、信じていません。
神によって選ばれた民ということを信じるユダヤ教を信じるユダヤ教徒は、第二次世界大戦以前の日本人のように感じます。
古事記や日本書紀と天地創造を比べて鑑賞すると面白いです。
神道とユダヤ教を比べて鑑賞すると面白いです。

宗教というのは、強力な同調圧力で、人の意識や行動に影響を与えることが怖いです。
大昔の大自然の驚異の中で、人が生き残るには宗教という方法で、人の意識や行動をまとめる必要性はあったのだろうと想像します。
ユダヤ教も数千年も信じられ、伝えらて、今もなお信じられています。
後世に何かを伝えるというために宗教を利用すると、後世に伝えることができます。
政治と宗教を結び付けることには、反対です。

ユダヤ教を普及させるために、神を信じて、働き、神に捧げものをして、子孫を増やすということが重要だということです。
これは、ユダヤ教だけでなく、他の宗教にも通じる所なので、どの宗教でも似たような感じになっている所が面白いです。

上映時間は長いですが、ユダヤ教の聖書である旧約聖書の創世記の中の神の天地創造、アダムとエバ 失楽園 、カインとアベル、ノアの箱舟、バベルの塔、ソドムとゴモラの滅亡、イサクをささげようとするアブラハムという物語が独立して描かれているので、上映時間の長さは感じませんでした。
現代でも、宗教で語られる話が事実であると信じる人とは理解し合えるとは思いません。

アブラハムは、神の言葉を聞き、神に従う人です。
その後についてさらに知るためには、出エジプト記について描かれた映画「十戒」を鑑賞すると良いです。
映画「十戒」では、アブラハムは、全能の神として崇拝されているところには違和感を感じます。
「私はお前を大いなる民とし、お前を祝福し、その名を高めるであろう」、「お前の子孫は、一時だけ、異国の地に身を置くことになろう。その支配者は、虐待し、苦しみと悲しみが、彼らの心を覆い、女の産みの苦しみに似た苦痛を味わうであろう」、「ハガルとイシマエルのために心配はいらない」と「お前の子孫は、やがて空の星の如く増えるだろう。天を仰ぎ、星の数を数えるがいい。それがすなわちお前の子孫の数だ」という伏線を回収できるので楽しいです。

まとめ

次は、映画「十戒」をブログ記事に予定です。
ご期待ください。

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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