映画「ダンケルク」~あらすじ【ネタばれ有り】と感想

映画「日の名残り」の中に出てきた「ダンケルク」について知りたいと思い、映画「ダンケルク」を鑑賞しました。
「ダンケルク」をセリフで説明するのではなく、映像で「ダンケルク」を体験させるという感じの映画です。

映画「ダンケルク」を鑑賞しただけでは、理解が難しいです。
映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」も鑑賞すると、理解しやすくなります。

基本情報・スタッフ

監督    クリストファー・ノーラン
脚本    クリストファー・ノーラン
製作    エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン
監督総指揮 ジェイク・マイヤーズ、グレッグ・シルバーマン
音楽    ハンス・ジマー
撮影    ホイテ・ヴァン・ホイテマ
美術    ネイサン・クロウリー
衣装    ジェフリー・カーランド
編集    リー・スミス
製作会社  シンコピー・フィルムズ、ラットパック・エンターテインメント
配給    ワーナー・ブラザース
公開    2017年9月9日
上映時間  106分
映倫区分  G

予告動画

舞台となる場所

ダンケルク・カレー・ディール・フォークストーン

ドーセット州ウェイマス(ウェーマス)

ミスター・ドーソン、ピーターとジョージ・ミルズがダンケルクへ出航し、トミーとアレックス等と共に帰還した港です。

ダートマス

ダンケルクに救助に来た小型船の出航地です。

ウォーキング

トミーとアレックスが、列車でたどり着き、歓待を受けた場所です。

あらすじ

三つのストーリーが、同時進行で描かれ、時間は前後します。
大変分かりにくい演出ですが、映画を鑑賞する人を混乱させることで、混乱した状況を伝えるという演出方法です。
別々である三つのストーリーが切り替わり、だんだんと早く切り替わり、ストーリーに勢いを与え、絡み合い、収束します。
三つのストーリーで共通して伝えたいのは、ダンケルクからの奇跡の撤退です。

各ストーリー、主人公、絡み合う前までのあらすじです。
各ストーリーは、切り替わり、時間も前後するので、理解するのが大変です。
1.防波堤、1週間
主人公は、トミーというイギリス陸軍二等兵です。
トミーが、フランスのダンケルクからイギリスに帰国するというストーリーです。

ダンケルクの町に取り残されたトミーが所属するイギリス小隊にドイツからの「包囲した 降伏せよ」という降伏勧告のビラが舞い降りています。
イギリス小隊は、ドイツ軍からの銃撃を受け、走って逃げますが、次々と撃ち殺され、トミーだけが逃げ切り、門を超え、RSAFリー・エンフィールド小銃が弾詰まりを起こして、反撃できません。
やっと、トミーは、RSAFリー・エンフィールド小銃で、反撃しますが、多勢に無勢で、RSAFリー・エンフィールド小銃を放棄して逃げ出します。
トミーは、フランス軍からも銃撃を受けますが「イギリス兵だ!」と叫んで、フランス軍に向かい入れられ、ドイツ軍の銃撃が始まり、フランス軍は応戦し、トミーは走り出しますが、すぐに海岸に到着します。
トミーは、トイレのために、海岸から離れた場所に移動し、イギリス兵の軍服を奪い、埋めて、イギリス兵のギブソンになっているフランス兵と目が合い、死体を埋めるのを手伝います。
ギブソンは、トミーに水を分け与えて、トミーに敵意はないことを示します。
トミーは、近衛連隊に紛れ込もうとしますが、拒否されます。
トミーもギブソンも、頼れるのは他にいないという状況で、行動を共にすることになります。
トミーは、防波堤に病院船が停泊し、衛生兵が負傷兵を担架に乗せて、病院船に運んでいるのを目撃します。
3機のメッサーシュミットBf109が、砂浜にいるイギリス兵を空爆します。
イギリス兵は「空軍は何をやっているだよ」と叫びますが、これがこの映画の伏線になっています。
トミーは、爆撃で飛ばされた担架に乗せられた負傷兵の中に生きているイギリス兵を見つけます。
トミーとギブソンは、生きている負傷兵を担架に乗せて、病院船に乗り込むために、病院船に向かって走ります。
防波堤では、イギリス兵はフランス兵に「イギリスの船にフランス兵は乗せない」と言って、フランス兵を追い返しています。
負傷兵を担架に乗せて病院船に向かう衛生兵は防波堤に通され、トミーとギブソンも防波堤に入ります。
イギリス将校は、病院船の出港準備をさせます。
負傷兵を担架に乗せて病院船に向かう衛生兵は病院船に乗り込みます。
トミーとギブソンは負傷兵を担架に乗せて病院船に乗り込みますが、下船させられます。
下船させられたギブソンは、防波堤の下に隠れ、トミーも続いて隠れます。
トミーとギブソンは、防波堤の上にいる少将、ボルトン海軍中佐とウィナント陸軍大佐の会話を聞きどのような状況なっているのかを知ります。
3機のユンカースJu-87が、病院船と防波堤を爆撃します。
病院船は、転覆し、沈没し、乗船していたハイランド師団のイギリス兵は、防波堤に向かって泳ぎます。
トミーは、ハイランド師団のアレックスを助けます。
トミーとギブソンは、海に身を沈めて、ハイランド師団に紛れ込み、別の船から駆逐艦に乗り移ります。
トミーとアレックスは、毛布を受け取り、駆逐艦の船室で、ジャムトーストを食べ、紅茶を飲みます。
ギブソンは、甲板に残り、小型ボートに乗ったイギリス兵が「乗せてくれ、助けてくれ」という叫びを聞き、Uボートから発射され、駆逐艦に向かってくる魚雷に気が付きます。
船員は「魚雷だ!」と叫びます。
駆逐艦に魚雷が命中し、船室に海水が流れ込み、船員は「船を捨てろ、逃げるんだ」と叫びます
ギブソンは、船室の閉められているドアを開けて、海に飛び込みます。
トミーとアレックスは、ギブソンの開けたドアから外へ出ます。
ギブソンは、先に小型ボートにたどり着いて、小型ボートに乗りこんでいます。
トミーとアレックスは、後から小型ボートにたどり着きますが、定員オーバーで小型ボートに乗せてもらえません。
小型ボートは、浜に戻り始めます。
ギブソンは、トミーとアレックスにロープを渡し、浜まで引き連れて行きます。
トミー、ギブソンとアレックスは、浜に上陸し、力尽きて、浜に寝ころびます。
トミー、ギブソンとアレックスは、一人のイギリス兵士が、装備を捨てて、海に飛び込むのを見て、イギリスに帰る思いが強くなります。
潮が満ち始めます。
アレックスは、防衛線の外で、座礁している青い色のトロール船に向かうハイランド師団に声をかけて合流し、トミーとギブソンも続きます。
青いトロール船の中で、潮が満ち、座礁している青い色のトロール船が浮いて、使えるようになるのを待ちます。
丘の上に隠れて、潮が満のを待っていたオランダ人船員が、青い色のトロール船に戻ってきます。
ドイツ兵は、青い色のトロール船を銃撃し、船体に穴が開き、塞ごうとしたイギリス兵は撃たれてしまいます。
潮が満ちてきますが、イギリス兵が青い色のトロール船の船体を揺らしても、浮上しません。
オランダ人船員は、荷物を軽くしないとと言います。
アレックスは、何も言わないギブソンをドイツ人として青い色のトロール船から降りるように言います。
ギブソンは、フランス語で「フランス人」だと言い返しますが、船から降りろと言われます。
ドイツ兵は、青い色のトロール船を銃撃し、船体に穴が開け、浮かないようにしようとします。
ギブソンは、突き付けられている小銃につかみかかり、反撃をすると反動で、青いトロール船は浮きます。
イギリス兵は、青い色のトロール船のオランダ人船員にエンジンをかけさせます。
ドイツ兵は、青い色のトロール船への銃撃が続きます。
ボルトン海軍中佐は、駆逐艦が出航するのを見守り、海の上に無数の小型船を発見します。
駆逐艦に乗ったイギリス兵も無数の小型船を見つけ、歓声を上げて、汽笛を鳴らします。
防波堤にうずくまっていたイギリス兵も、無数の小型船を見つけ、立ち上がって、歓声を上げます。
砂浜にいるイギリス兵も、無数の小型船を見つけ、立ち上がって、歓声を上げます。
ダンケルクの砂浜にいるイギリス兵は、次々と小型船に乗り込みます。
オランダ人船員は、青い色のトロール船が沈没するので、イギリス兵に「船を捨てろ、船を捨てろ」と命じます。
トミーとアレックスは、青い色のトロール船から脱出します。
ギブソンは、英語が分からず、逃げ遅れて、溺死します。

2.海、1日
主人公は、ミスター・ドーソンというムーンストーン号の船長です。
ミスター・ドーソンが、ムーンストーン号を使用し、イギリス兵士をイギリスに帰国させるというストーリーです。

ミスター・ドーソンは、ドーセット州ウェイマスの港に停泊しているムーンストーン号を海軍に緊急徴用され、余計なものは降ろして、救命胴衣を積み込み、息子のピーターと友人のジョージを乗せて、海軍の兵士を乗せずに、ダンケルクへ向かいます。
ジョージは、駆逐艦に乗って、イギリスに戻ろうとするイギリス兵を見て、戦争の悲惨さを感じます。
ミスター・ドーソンは、転覆した船の船尾にイギリス兵を見つけ、救助に向かい、救助します。
救助されたイギリス兵は、何を聞かれても答えまず、下の船室にも行かず、甲板にうずくまり、「Uボート・・・Uボートだった」とだけ言います。
救助されたイギリス兵は、ミスター・ドーソンにダンケルクではなく、イギリスに行くよう主張します。
ミスター・ドーソンは、救助されたイギリス兵を下の船室で休ませ、ダンケルクへ向かいます。
ピーターは、船室にいる救助されたイギリス兵に紅茶を渡し、ドアのカギを掛けます。
3機のスーパーマリン スピットファイアの編隊は、ムーンストーン号の上をダンケルクに向かい通過します。
船室にいる救助されたイギリス兵は、ドアに鍵がかけられていることに気が付き、大声を上げますが、天井から甲板に出てきて、ミスター・ドーソンに進路を変更するように言い、口論になり、船の舵を奪おうとして、ジョージを押し倒します。
ジョージは、後頭部を打って、倒れ、ピーターが手当をしますが、気を失います。
ミスター・ドーソンは、被弾したハインケルHe-111爆撃機が逃げて行き、被弾したスーパーマリン スピットファイアが着水するのを確認し、操縦士を救助に向かい、コリンズを救助します。
ミスター・ドーソンは、ハインケルHe-111爆撃機が掃海艇を爆撃するのを見て、救助に向かいます。
コリンズは、ハインケルHe-111爆撃機を銃撃するスーパーマリン スピットファイアを操縦しているファリアを応援します。

3.空、1時間
主人公は、ファリアというスーパーマリン・スピットファイアの操縦士です。
ファリアが、スーパーマリン・スピットファイアを操縦し、イギリス兵士をイギリスに帰国させるために、ドイツ戦闘機やドイツ爆撃機と戦うというストーリーです。

3機のスーパーマリン・スピットファイアのフォーティス編隊が、ダンケルクに向かって飛んでいます。
編隊長が「1、2、燃料をチェック」と無線で伝え、フォーティス1のファリアとフォーティス2のコリンズは無線で燃料の量を答えます。
編隊長は低い高度で、燃料を消費せず、距離を稼ぐために高度500フィート、方位はダンケルクの1-2-8を維持します。
編隊長が「燃料に注意しろ、戦っても、帰投するだけの量は残せ、敵は太陽から現れるぞ」と伝えます。

3機のスーパーマリン スピットファイアの編隊は、ムーンストーン号の上をダンケルクに向かい通過します。

ファリアは、「11時に敵機」と伝えます。
編隊長は、「散開」と命令します。
コリンズは、メッサーシュミットBf109に追尾されます。
ファリアは、メッサーシュミットBf109に追尾し、コリンズに「フォーティス2、合図する、左に旋回、3、2、1、今だ」と伝え、メッサーシュミットBf109を銃撃し、撃墜します。
ファリアは、背後からメッサーシュミットBf109の銃撃を受けます。
ファリアとコリンズはは、編隊長に連絡が取れず、周囲を捜索し、フォーティス隊長機の残骸を見つけ、位置を記録し、メッサーシュミットBf109に上から攻撃されないように、1,000フィートに高度を上がて、ダンケルクに向かいます。
ファリアは、燃料計が壊れていることに気が付き、コリンズに燃料を定期的に知らせるように依頼します。
ファリアは、目的地が近く、メッサーシュミットBf109からの急襲を避けるために2,000フィートまで高度を上げます。
ファリアは、掃海艇に爆撃をしようとしているハインケルHe-111と護衛の2機のメッサーシュミットBf109を見つけ、コリンズに伝えます。
ファリアはハインケルHe-111を追い、コリンズはメッサーシュミットBf109を追います。
コリンズは、メッサーシュミットBf109を追い、撃墜します。
ファリアは、ハインケルHe-111を銃撃し、命中し、ダメージを与えます。
メッサーシュミットBf109は、コリンズを銃撃し、撃墜します。
コリンズは、ファリアに背後を守られながら、ムーンストーン号の前に着水します。
メッサーシュミットBf109は、ファリアのスピットファイアに銃撃をします。
ファリアは、メッサーシュミットBf109を銃撃をかわし、逃げていくメッサーシュミットBf109を追尾し、銃撃し、撃墜します。
ファリアは、青い色のトロール船とムーンストーン号の近くにいる、掃海艇に爆撃しようとしているハインケルHe-111を見つけます。
ファリアは、残りの燃料でハインケルHe-111にどう対処するか悩み、イギリスに戻ろうとしますが、「クソ」とつぶやいて、イギリスに戻るのではなく、燃料が切れかかっりますが、ハインケルHe-111に向かって旋回します。
ファリアは、ハインケルHe-111と撃ち合い、ハインケルHe-111の後ろに回り込みます。
ハインケルHe-111の前方には、青い色のトロール船と掃海艇とムーンストーン号が見えます。
メッサーシュミットBf109が、ファリアの後ろに回り込み、銃撃します。
ファリアのスピットファイヤーは、ハインケルHe-111の後ろに回り込みます。
ハインケルHe-111は、掃海艇に爆弾を投下します。
爆撃を受けた掃海艇は、転覆します。
ファリアのスピットファイヤーは、ハインケルHe-111に銃撃し、命中させます。
ファリアは、メッサーシュミットBf109に向かい、追尾し、銃撃し、撃墜します
ファリアは、燃料が空になり、エンジンが停止し、予備タンクに切り替えて、エンジンを再始動します。
ファリアは、ハインケルHe-111に向かい、後ろに回り込み、銃撃し、銃撃されます。
ファリアは、ハインケルHe-111を撃墜します。

各ストーリーが絡み合うところのあらすじです。
1.防波堤、1週間
トミーが、沈没しかけている青い色のトロール船から掃海艇へ泳いでいきますが、ハインケルHe-111爆撃機が掃海艇を爆撃し、転覆させたので、近くにいるムーンストーン号に向かって泳ぎます。
撃墜されたハインケルHe-111爆撃機は、掃海艇がまき散らした重油に火をつけます。
トミーがムーンストーン号にしがみつき、ピーターとコリンズに助けられます。
ムーンストーン号は、火が燃え移らないよう素早く移動します。

2.海、1日
ミスター・ドーソンは、ハインケルHe-111爆撃機が掃海艇を爆撃しようとするのを見て、掃海艇に乗っているイギリス兵を救出するために、掃海艇に向かいます。
ミスター・ドーソンは、掃海艇がまき散らした重油に火が付く前に、多くのイギリス兵を救出します。
撃墜されたハインケルHe-111爆撃機は、掃海艇がまき散らした重油に火をつけます。
ミスター・ドーソンは、ムーンストーン号に火が燃え移らないように素早く移動します。

3.空、1時間
スーパーマリン・スピットファイアを操縦するファリアが、ハインケルHe-111爆撃機が掃海艇を爆撃しようとするのを見て、イギリスに帰投しなければ燃料が足りないと感じますが、ハインケルHe-111爆撃機を銃撃し、撃墜します。
掃海艇の近くには、青いトロール船とムーンストーン号も見えます。
ファリアは、スーパーマリン・スピットファイアを操縦し、ダンケルクに到達しますが、燃料が切れて、エンジンは停止し、プロペラは止まり、滑空します。
イギリス兵は、ダンケルク上空を滑空するスーパーマリン・スピットファイアを見ます。
ユンカースJu-87が急降下して爆撃体制に入りますが、銃撃を受けて、撃墜されます。
イギリス兵は、ユンカースJu-87を撃墜したファリアが操縦するスーパーマリン・スピットファイアに歓声を送ります。

登場人物

全ての人物は、実在した人物でなく、創作された人物です。
同じ軍服を着用しているので、誰が誰だか区別がつきにくいですが、登場人物を理解すれば、区別はつきます。

トミーは、フィン・ホワイトヘッドが演じるイギリス陸軍二等兵でダンケルク市内に小隊で到着し、ドイツ軍の銃撃を受けて、一人だけ生き残り、フランス軍の援護でダンケルクの海岸にたどり着き、用を足そうとして、ギブソンが兵士を埋めているところに出くわし、ギブソンと共に兵士を埋め、ギブソンから水を分けてもらいますが、近衛連隊の列に紛れ込もうとして、拒否され、病院船に負傷兵を担架で運んで行く衛生兵を見て、ドイツ軍の空爆を受けて、生き残り、衛生兵に代わって、ギブソンと共に負傷兵を病院船に運びますが、病院船から降ろされ、ギブソンに続いて防波堤の下に隠れ、少将、ボルトン海軍中佐とウィナント陸軍大佐の話を聞いて状況を把握し、ドイツ軍の空爆を受けて病院船は転覆し、病院船に乗っていたハイランド師団のアレックスを助け、ハイランド師団に紛れて、小舟から駆逐艦に乗り、船室でジャムトーストを食べ、紅茶を飲み、駆逐艦がUボートの魚雷攻撃を受けて、沈没する前に、ギブソンの開けたドアから脱出し、小舟にたどり着きますが、乗船を拒否され、小舟に乗船していたギブソンからロープを受け取り、浜辺に戻り、ギブソンとアレックスと共にハイランド師団と合流し、防衛線の外にある青い色のトロール船に乗り込み、青い色のトロール船がドイツ兵の銃撃を受けても、浮上し、ムーンストーン号と掃海艇の近くで、沈没する前に青い色のトロール船から脱出し、アレックスと共にムーンストーン号に救助され、イギリスに戻り、列車で移動し、ウォーキング駅で、アレックスに頼まれて、新聞を読み上げます。

ギブソンは、アナイリン・バーナードが演じる死んだイギリス兵の軍服を盗み、着て、死んだイギリス兵を埋めているところで、トミーと出会い、トミーに水筒の水を分け与えて、トミーと行動を共にすることでイギリス兵に紛れ込もうとしているフランス兵で、英語が喋れないので、何もしゃべらず、トミーと共に、負傷兵を病院船に運びますが、病院船から降ろされ、防波堤の下に隠れ、ハイランド師団に紛れて、小舟から駆逐艦に乗り、英語が喋れないので、船室には入らず、Uボートから発射された魚雷を見て、驚き、転覆する駆逐艦から逃げようとしますが、逃げる前に船室のドアを開け、小舟に乗り込み、トミーとアレックスにロープを渡し、小舟で浜辺に戻り、トミーとアレックスと共にハイランド師団と合流し、防衛線の外にある青い色のトロール船に乗り込み、青い色のトロール船がドイツ兵の銃撃を受け、水が浸水したので、青い色のトロール船を軽くするために、船から降りるように強要されますが、イギリス兵が持つ小銃を奪おうとした反動で青い色のトロール船は浮上しますが、ムーンストーン号と掃海艇の近くで、英語が理解できないので、沈没する前に青い色のトロール船から脱出するのが遅れ、溺死します。

ジョージは、バリー・コーガンが演じる学校では落ちこぼれの17歳の青年で、いつか新聞に載るようなことををやって見せるという思いを抱いていて、ピーターの友人で、ムーンストーン号に積み込む大量の救命胴衣を見て、ミスター・ドーソンとピーターを手伝うためにムーンストーン号に乗り込み、ドーセット州ウェイマス港から戦場であるダンケルクに向かい、戦争の姿を見て、ミスター・ドーソンから戦争について学び、転覆した船にいたイギリス兵に紅茶を差し出しますが、はねつけられ、ミスター・ドーソンと転覆した船にいたイギリス兵がダンケルクに行くか、イギリスに行くかで揉めるの止めようとして、押し倒され、後頭部に重傷を負い、ピーターが手当をしますが、亡くなります。

ミスター・ドーソンは、マーク・ライランスが演じるムーンストーン号の船長で、長男はハリケーンで出撃し3週目に戦死し、次男のピーターの父親で、戦闘機に詳しく、海軍の依頼を受けて、ムーンストーン号から積荷を降ろして、大量の救命胴衣を積み込ませて、海軍の兵士を乗せずに、ピーターとジョージと共に、ドーセット州ウェイマス港から戦場であるダンケルクへ向かい、ジョージに戦争について教え、転覆した船にいたイギリス兵を救助し、救助したイギリス兵とダンケルクに行くか、イギリスに行くかで、口論となり、救助したイギリス兵を船室で休ませて、ダンケルクへ向かい、救助したイギリス兵とイギリスに向かわないことで再び口論になり、揉み合い、ジョージに助けられ、イギリスの掃海艇を狙っているハインケルHe-111爆撃機を見つけ、掃海艇のイギリス兵を救助するために掃海艇に向かい、銃撃を受け、不時着したスーパーマリン・スピットファイヤのパイロットのコリンズを救助し、ハインケルHe-111爆撃機の爆撃を受け転覆した掃海艇のイギリス兵、トミーとアレックスを救助し、掃海艇から漏れた重油に、ハインケルHe-111爆撃機が墜落し、出火するまでに多くのイギリス兵を救助し、火がムーンストーン号に燃え移る前に、離脱し、メッサーシュミットBf109からの機銃掃射を回避し、ドーセット州ウェイマス港に戻ります。

ピーターは、トム・グリン=カーニーが演じるミスター・ドーソンの息子で、ジョージの友人で、ムーンストーン号から積荷を降ろして、大量の救命胴衣を積み込み、ミスター・ドーソンとジョージと共にムーンストーン号に乗り込み、ドーセット州ウェイマス港から戦場であるダンケルクへ向かい、転覆した船にいたイギリス兵を救助し、ミスター・ドーソンと救助したイギリス兵とダンケルクに行くか、イギリスに行くかで口論となっているのを見て、転覆した船にいたイギリス兵を船室に入れて、鍵を掛けて閉じ込め、後頭部に重傷を負ったジョージを手当てし、不時着したスーパーマリン・スピットファイヤのキャビンを破壊し、パイロットのコリンズを救助し、コリンズと共にハインケルHe-111爆撃機の爆撃を受け転覆した掃海艇のイギリス兵、トミーとアレックスを救助し、ミスター・ドーソンの指示で、メッサーシュミットBf109からの機銃掃射を回避し、ドーセット州ウェイマス港に戻り、ジョージの思いを叶えます。

ファリアは、トム・ハーディが演じるイギリス空軍スーパーマリン・スピットファイアのパイロットで、コールサインはフォーティス1で、編隊長とコリンズと共に、ダンケルクへ向かい、11時方向から来るメッサーシュミットBf109を発見し、知らせ、編隊長の命令で散会し、コリンズの後ろに付いたメッサーシュミットBf109を、コリンズに指示を出して、撃墜し、別のメッサーシュミットBf109からの銃撃を受けて、燃料計が壊れ、コリンズに定期的に燃料の量を報告するように伝え、編隊長との連絡が取れずに、編隊長を捜索し、撃墜され、海に浮かんでいる編隊長気を発見し、撃墜場所を記録し、ダンケルクへ向かい、掃海艇を爆撃しようとするハインケルHe-111と護衛のメッサーシュミットBf109を発見し、ハインケルHe-111を追い、銃撃し、撃退させ、銃撃を受けたコリンズの背後を守り、コリンズの不時着を確認すると、銃撃してきたメッサーシュミットBf109を追いかけ、掃海艇を爆撃しようとするハインケルHe-111と護衛のメッサーシュミットBf109を発見しますが、イギリスに戻ることにしますが、イギリスに戻ることを諦めて、反転し、ハインケルHe-111に向かって旋回し、ハインケルHe-111の後に付きますが、ハインケルHe-111は掃海艇を爆撃し、掃海艇が転覆するのを見て、銃撃し、後のメッサーシュミットBf109を振り切り、後に付き、撃墜し、燃料が切れたので、予備タンクに切り替えて、ハインケルHe-111に向かって旋回し、ハインケルHe-111の後に付き、銃撃し、撃墜し、ダンケルクに向かい、ダンケルクに到着しますが、燃料を使い果たして、プロペラが停止し、滑空し、ユンカースJu-87を発見し、銃撃し、撃墜し、フランス軍の防衛線の外の砂浜に不時着し、スーパーマリン・スピットファイアに向けて、信号弾を撃ち込み、炎上させ、ドイツ兵に拘束されます。

コリンズは、ジャック・ロウデンが演じるイギリス空軍スーパーマリン・スピットファイアのパイロットで、コールサインはフォーティス2で、編隊長とファリアと共に、ダンケルクへ向かい、11時方向から来るメッサーシュミットBf109を発見を聞き、編隊長の命令で散会しますが、メッサーシュミットBf109が後ろにつかれ、ファリアの指示で、回避し、ファリアに定期的に燃料を報告することになり、編隊長との連絡が取れずに、編隊長を捜索し、撃墜され、海に浮かんでいる編隊長気を発見し、撃墜場所を記録し、ダンケルクへ向かい、掃海艇を爆撃しようとするハインケルHe-111と護衛のメッサーシュミットBf109を発見し、メッサーシュミットBf109を追い、銃撃し、撃墜し、別のメッサーシュミットBf109から銃撃を受けて、海面に不時着し、キャノピーを開けようとしますが、開かず、キャノピーを破壊しようとしますが、破壊できず、コックピットに海水が侵入し、溺死するところをピーターに助けられ、ムーンストーン号に乗り込み、掃海艇から逃げてきたイギリス兵、トミーとアレックスを救助し、ドーセット州ウェイマス港に戻ります。

ボルトン海軍中佐は、ケネス・ブラナーが演じる防波堤で撤退戦の指揮を執るイギリス海軍将校で、イギリス政府との連絡を取るための通信回線はなく、船に何人の負傷兵を乗せ、船に何人の兵士を乗せるのかを決め、イギリス海軍の動向、イギリスからやってきた少将からはイギリス政府の動向を、ウィナント陸軍大佐からは地上戦の状況を聞き、ダンケルクの状況とダンケルクの撤退戦についても映画を鑑賞する人に状況を伝えるという役割です。

ウィナント陸軍大佐は、ジェームズ・ダーシーが演じるボルトンと共に作戦を見守るイギリス陸軍将校で、地上戦の状況を伝え、イギリスからやってきた少将からはイギリス政府の動向を、ボルトン海軍中佐からはイギリス海軍の動向を聞き、映画を鑑賞する人に状況を伝えるという役割です。

名乗らないイギリス兵は、キリアン・マーフィーが演じるUボートの魚雷で沈没した船、ミスター・ドーソンに救出され、ダンケルクに行かずに、イギリスに向かうよう主張し、ジョージを押し倒し、重傷を負わせます。

アレックスは、ハリー・スタイルズが演じるハイランド師団の二等兵で、爆撃された病院船から逃げ出し、トミーに助けられ、ハイランド師団にトミーとギブソンが紛れ込むのを黙認し、小から駆逐艦に乗り、船室でジャムトーストを食べ、紅茶を飲み、駆逐艦がUボートの魚雷攻撃を受けて、沈没する前に、ギブソンの開けたドアから脱出し、小舟にたどり着きますが、乗船を拒否され、小舟に乗船していたギブソンからロープを受け取り、浜辺に戻り、トミーとギブソンと共にハイランド師団と合流し、防衛線の外にある青い色のトロール船に乗り込み、青い色のトロール船がドイツ兵の銃撃を受けても、浮上し、ムーンストーン号と掃海艇の近くで、沈没する前に青い色のトロール船から脱出し、トミーと共にムーンストーン号に救助され、イギリスに戻り、列車で移動し、ウォーキング駅で、トミーに頼んで、新聞を読み上げさせます。

単語説明

RSAF リー・エンフィールドは、ライフル303とも呼ばれ、トミー等のイギリス兵とフランス兵が使用しているボルトアクションライフルで、全長は1130mmで、重量は3,96kgで、口径は.303Britishで、着脱式マガジンがあり、弾を装填するには、5発ずつ10発の弾を本体レシーバー上部から行います。
ボルトを引いて、弾を着脱式マガジンから銃身に移動し、発射するので、連射はできません。

StG44は、ドイツ兵が使用している突撃銃で、全長は940mmで、重量は5,22kgで、口径は7.92mmで、着脱式マガジンがあり、装弾数は10発、または30発で、発射速度は500-600発/分です。

スーパーマリン・スピットファイアは、イギリスのロールス・ロイス社のマーリンエンジンで、スパーチャージャー水冷V型12気筒SOHC48バルブでバンク角は60度で、排気量は27.04Lで、最高出力は1,160hp/3,000rpmで、機体は全金属製・モノコック構造で、エンジンを一基搭載した単座戦闘機で、格納式の引き込み着陸脚、ドッグファイトを重視し、旋回性能を向上させるため楕円形で薄い主翼を採用しているのが特徴で、最高速度は594km/hで、航続距離は680kmで、武装は機銃だけです。
スーパーマリン・スピットファイアは、大量生産するのが難しく、ロンドンを中心に国内に配備されました。

ハリケーンは、イギリスのロールス・ロイス社のマーリンエンジンで、スパーチャージャー水冷V型12気筒SOHC48バルブでバンク角は60度で、排気量は27.04Lで、最高出力は1,030hp/3,000rpmで、機体は翼や胴体には木材や帆布を多用し、エンジンを一基搭載した単座戦闘機で、格納式の引き込み着陸脚、最高速度は547km/hで、航続距離は966kmで、武装は機銃と500lb爆弾です。
ハリケーンは、大量生産され、フランスに派遣されましたが、被弾すると出火しやすく、撃墜され、多くのパイロットを失い、メッサーシュミットBf109の進撃を止めることはできませんでした。

メッサーシュミットBf109は、ドイツのダイムラー・ベンツ社のDB601エンジンで、燃料噴射式スパーチャージャー水冷倒立V型12気筒SOHC48バルブでバンク角は60度で、排気量は33.9Lで、最高出力は1,175ps/2,500rpmで、エンジンを一基搭載した単座戦闘機で、ダイブ性能とスピードを重視し、軽く薄いテーパーの主翼を採用し、格納式の引き込み着陸脚、最高速度は606km/hで、航続距離は665kmで、武装は機銃と500kg爆弾を搭載できます。

ユンカースJu-87は、ドイツのユンカース社のユンカース・ユモJumo211エンジンで、燃料噴射式スパーチャージャー水冷倒立V型12気筒SOHC36バルブで、排気量は34.97リットルで、最高出力は1,200ps/2,400rpmで、ドイツの複座急降下爆撃機で、上下逆のW字型となる主翼を採用し、下方視界の良く、安定した急降下性能により精密な爆撃を実施でき、急降下時にサイレンのような音を立て、固定脚が特徴で、最大速度は387km/hで、航続距離は600kmで、武装は機銃と500kg爆弾を搭載しています。

ハインケルHe-111は、ドイツのユンカース社のユンカース・ユモJumo211エンジンをエンジンを2基搭載し、ドイツの4名乗員の高速爆撃機で、格納式の引き込み着陸脚、最大速度は400km/hで、航続距離は2,800kmで、武装は機銃と、爆弾は最大2,500kgを搭載しました。

ドイツの航空機のエンジンは、燃料噴射式なので、急降下して、マイナスGがかかる状況下でも安定して燃料をエンジンに送ることが出来るので、上空からの急降下による攻撃を得意としていました。

ロンドンからダンケルクまでの距離は180kmで、往復は360kmになります。

70ガロンは、264.95リットルです。
68ガロンは、257.38リットルです。
50ガロンは、189.25リットルです。
40ガロンは、151.4リットルです。
15ガロンは、56.775リットルです。

500フィートは、152.4 メートルで、42階建ての建物に相当する高さです。
1000フィートは、304.8 メートルです。
2000フィートは、609.6 メートルです。
低空を飛行することで、上昇に消費する燃料を節約することができますが、上空からの攻撃には不利です。

方位1-2-8は、南東やや東という方向です。

防波堤は、外洋から打ち寄せる波を防ぐために設置された構造物で、船を着岸する場所ではありません。

桟橋は、船舶が着岸するために陸域部から水上へ向けて作った橋状の係留施設です。

マストに、国旗と赤十字を掲げているのは、病院船という意味です。

もやいは、船をつなぎ止める綱です。

タラップは、船の乗り降りのために一時的に架設される梯子、階段、スロープです。

舵は、ラダーとも呼ばれ、船の進行方向を決める装置です。

11時は、正面の左に約30度という意味です。

駆逐艦は、大型のうえに高速で強力な兵装を持つ信頼性の高い戦艦です。

掃海艇は、機雷の掃海を任務とする軍艦です。

Uボートは、潜水艦で、船舶に魚雷を発射し、船舶を撃沈します。

トロール船は、海底や調定された深度をさらう網を引き魚を捕る漁船で、軍用に転用し、哨戒任務などを務めました。

工兵隊は、戦地での土木・建築などの任務を行う専門部隊です。

満潮は、海面が上昇しきった状態で、1日に2回起きます。

キャノピーは、航空機の操縦席を覆う透明な天窓で、可動式で乗降口になっています。

信号銃は、海上または地上の人からの救難信号として使用されます。

最後のセリフ

古き世界を救い、解き放つだろう

年表

1940年5月25日、ウィンストン・チャーチル首相は、ナチスドイツをカレーに向かわせ、ダンケルクに向かわせないために、カレーにいるニコルソン准将に電信を送信しました。

「ニコルソン准将。カレーを極限まで防衛すること、これはわが国とフランスとの協力の継続を象徴する最高度の重要性を帯びた任務である。帝国の人々の視線はカレーの防衛へ注がれている。また国王陛下の政府は、貴君と貴君の勇敢な連帯がイギリスの名に恥じない手柄を挙げてくれると確信している」<アンソニー・マクカーテン著/染田屋 茂・井上 大剛共訳『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』角川文庫 p.196, ISBN-13:978-4041066454>

1940年5月26日、バートラス・ラムゼイ海軍中将は、800もの小型船を集めました。
ウィンストン・チャーチル首相は、小型船によるダンケルクのイギリス海外派遣軍の撤退作戦、ダイナモ作戦を指令しました。

1940年5月27日、ベルギー政府は、イギリス政府に、ナチスドイツに休戦条約を結び、停戦すると伝えてきました。
ベルギー軍が停戦すれば、イギリス海外派遣軍のいるダンケルクの東を守る軍はいなくなります。

1940年5月28日、ウィンストン・チャーチル首相は、議会で、ベルギー政府が降伏したこと、戦況についての評価が行われたら伝えると発表しました。
バートラス・ラムゼイ海軍中将は、ウィンストン・チャーチル首相に、ダンケルクの海岸に1万4千名のイギリス海外派遣軍が到着し、2,500名のイギリス海外派遣軍がドーバー海峡を横断中と報告しました。

1940年5月29日、1時間に2,000名のイギリス海外派遣軍が撤退し、4万のイギリス海外派遣軍がイギリス本土に帰還しました。
ドイツ空軍は、ダンケルクの港を破壊し、25隻もの船を撃沈し、ダンケルクの港に船が入港でいないようにしました。

1940年5月30日、ウィンストン・チャーチル首相は、10万のイギリス海外派遣軍がイギリス本土に帰還したと報告を受けました。

1940年5月31日、ウィンストン・チャーチル首相は、フランスへ飛行機で行き、フランス首相ポール・レイノーに状況を説明し、激励し、イギリスは単独でも、戦う場所を変えてでも、ナチスドイツと戦い続けるので、イギリス海外派遣軍をどれだけイギリス本土に帰還させられるかで、今後のことが決まると伝えました。

1940年6月1日、ウィンストン・チャーチル首相は、イギリスに飛行機で戻りました。
ウィンストン・チャーチル首相は、22万5,000のイギリス海外派遣軍がイギリス本土に帰還したと報告を受けました。

1940年6月2日、イギリスの新聞は、27万6,030のイギリス海外派遣軍がイギリス本土に帰還したと報道しました。

1940年6月3日、29万2,380のイギリス海外派遣軍がイギリス本土に帰還しました。

1940年6月4日、33万のイギリス海外派遣軍がイギリス本土に帰還し、ダイナモ作戦は完了しました。
ウィンストン・チャーチルは、庶民院でと演説し、議員たちの支持を得ました。

「我々は、最後までやり抜きます。我々はフランスで戦い、海で大洋で戦い、自信を強め力を増して空で戦い、どんな犠牲を払っても本土を守り抜きます。我々は海岸で戦い、上陸地点で戦い、野原で戦い、道端で戦い、丘で戦います。我々は、けっして降伏しません。私自身、一瞬たりともそんあると思ったことはありませんが、もし本土全体、あるいは大部分が征服され、飢餓状態に置かれたとしても、時が来れば海の向こうの大英帝国が武装し、イギリス海軍に警護されて、戦いを継続してくれるでしょう。新世界がその軍事力と能力のすべてを注いで、旧世界の救援と解放に乗り出してくるでしょう」<アンソニー・マクカーテン著/染田屋 茂・井上 大剛共訳『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』角川文庫 p.277, ISBN-13:978-4041066454>

1940年6月14日、ドイツ軍は、パリに進軍しました。
1940年6月16日、フランスは、ドイツに休戦を申し入れました。
1940年6月22日、ドイツとフランスは、休戦条約に調印しました。
ドイツ軍は、パリを含む北部フランスを占領し、フランスにヴィシーを首都とするドイツの傀儡政権であるヴィシー政権を設立しました。
ドイツ軍は、フランス軍空軍基地をイギリス前進基地として使用可能になりました。

時代背景

1912年4月14日午後23時40分、タイタニック号は、氷山に衝突しました。
1912年4月15日午後2時20分、タイタニック号は、沈没しました。
映画「タイタニック」

1915年10月24日、イギリスは、アラブ人に対トルコ戦協力を条件にパレスチナ独立支持を約束した「フサイン=マクマホン協定」を結びました。

1916年5月16日、イギリス、フランス、ロシアの間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した秘密協定、「サイクス・ピコ協定」を結びました。
この協定では、アラブ人のパレスチナ独立支持を認めない内容でした。

1917年11月2日、「バルフォア宣言」として、イギリス政府の公式方針として、パレスチナにおけるユダヤ人の居住地の建設に賛意を示し、その支援を約束しました。

1919年1月5日、ミュンヘンの「フュルステンフェルダー・ホーフ」というビアホールでドレクスラーが労働者24人と共にミュンヘンで「ドイツ労働者党」を結成しました。

1919年6月28日、連合国とドイツが、ヴェルサイユで講和条約を締結し、第一次世界大戦は終わりました。
ドイツは、ドイツの領土は縮小され、植民地を放棄し、軍備・兵器は制限され、賠償総額が1320億金マルクとされました。

1919年10月19日、アドルフ・ヒトラーは、「ドイツ労働者党」に入党しました。

1920年1月5日、アントン・ドレクスラーは、政党名を「ドイツ労働者党」から「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」に変更しました。
アドルフ・ヒトラーは、ナチスの第一宣伝部長に就任しました。

1921年7月29日、アドルフ・ヒトラーは、ナチスの議長に選出されました。

1923年1月11日、フランスとベルギーは、賠償金を支払わないドイツの石炭の73%、鉄鋼の83%を生産するルール地方の占領を開始しました。
ドイツは、ルール地方でストライキを行い、ドイツ経済は破綻し、ハイパーインフレーションに陥りました。

1923年11月8日、ミュンヘンのビュルガーブロイケラーというビアホールで行われていたバイエルン州総督グスタフ・フォン・カールの演説会に、アドルフ・ヒトラーらが乱入し、クーデター未遂事件を起こしましたが、1日で鎮圧されました。
1923年11月9日、バイエルン州は、ナチスに対して、活動禁止命令を下しました。
1923年11月23日、ドイツは、ナチスに対して、活動禁止命令を下しました。

1924年4月1日、アドルフ・ヒトラーは、ランツベルク・アム・レヒの要塞刑務所の7号室で5年の城塞禁固刑となりました。
アドルフ・ヒトラーは、「我が闘争」の執筆を開始しました。
1924年5月4日、ドイツの総選挙において、ナチスの偽装政党である「国家社会主義自由運動」が32議席を獲得しました。

1924年9月26日、米国は、フランスにルール占領の解消、賠償金額の免除と段階的引き上げにするドーズ案を受け入れさせました。
1924年10月、フランスとベルギーは、ドイツのルール地方から撤退を開始しました。

1924年12月20日、アドルフ・ヒトラーは、保護観察処分に減刑され、仮出獄されました。

1925年2月16日、バイエルン州首相ハインリヒ・ヘルトは、ナチス再結成を許可しました。
1925年2月27日、ナチスはビュルガーブロイケラーでナチス再結党大会という集会を開催し、アドルフ・ヒトラーは演説をしました。
1925年7月18日、アドルフ・ヒトラーは、「我が闘争」の第1巻を出版しました。
1926年12月11日、アドルフ・ヒトラーは、「我が闘争」の第2巻を出版しました。
1928年5月20日、ナチスは、初めての国政選挙で、12議席を獲得しました。

1929年10月24日、ニューヨーク証券取引所の株が大暴落することから始まり、日本を含む世界中の株が大暴落した世界大恐慌が発生しました。
日本では、昭和恐慌と呼ばれています。

1930年3月12日、ガンジーは、「塩の行進」をアーメダバードから始めました。
1930年4月6日、ガンジーは、「塩の行進」をダーンディーに到着し、世界中のメディアが伝えました。
映画「ガンジー」

1930年9月14日、ナチスは、国政選挙で、107議席を獲得し、第二党になりました。

1931年9月18日、日本軍は、満洲事変を起こして満洲全土を占領しました。
1932年3月1日、日本は、満州国の独立を宣言しました。

1932年3月13日、ドイツの大統領選挙で、アドルフ・ヒトラーは、30%の票を獲得しますが、大統領には選出されませんでした。

1932年7月31日、ナチスは、国政選挙で、203議席を獲得し、第一党になりました。

1932年9月15日、日本は、満州国の独立を承認しました。
1932年10月1日、国際連盟理事会に満州国の独立を認めないリットン報告書が提出されました。

1932年11月6日、ナチスは、国政選挙で、196議席を獲得し、第一党を維持しました。
1933年1月30日、アドルフ・ヒトラーが首相に任命され、アドルフ・ヒトラー内閣が成立します。

1933年2月24日、国際連盟理事会は、リットン報告書に対する同意確認の結果、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(タイ)、投票不参加1国(チリ)となり、満州国は認められませんでした。

1933年2月27日、ドイツの国会議事堂が放火され、炎上しました。
1933年2月28日、ドイツは、国家防衛緊急令を公布しました。
1933年3月1日、ドイツは、反逆防止緊急令を公布しました。
ドイツの言論の自由や所有権は著しく制限されました。
ドイツ政府は、連邦各州の全権を掌握し、反ナチスとみなす人、左翼思想家を強制収容所へ送り込む法的根拠となりました。

1933年3月8日、日本は、国際連盟を脱退しました。

1933年3月24日、ドイツは、全権委任法が成立しました。
アドルフ・ヒトラーは、議会を通すことなく、法律を作ることができることになり、ドイツの議会政治は終わり、独裁政治が始まりました。
ドイツでは、ユダヤ系ドイツ人に激しい迫害が加えられましたが、国交を結んでいるユダヤ系ポーランド人は比較的迫害から免れていました。
1933年10月14日、ドイツは、国際連盟を脱退しました。
1934年11月12日、ドイツの国際連盟脱退の是非を直接国民に問うために国民投票を実施し、95.1%という圧倒的多数の賛成により、ドイツの国際連盟脱退が支持されました。
1935年3月16日、ドイツは、ヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄し、再軍備を宣言しました。

1935年3月27日、日本は、国際連盟の脱退が正式に発効されました。

1935年8月31日、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは、「中立法」を制定しました。
「中立法」は、戦争状態にある国が存在していること、または内乱状態にある国が存在していることを宣言した場合には、その国に対して武器や軍需物質の輸出を禁止します。

1937年5月28日、ネヴィル・チェンバレンがイギリス首相に就任しました。

1937年、ドイツは、反社会分子とみなす人、暴力団、売春婦、乞食、浮浪者、住所不特定の者、労働忌避者、同性愛者、アルコール中毒者、訴訟を大量に起こしている者、交通規則違反者、絶えず職場に遅刻する者、無断で休暇を取る者、自分の職務以外の仕事を勝手に引き受けている者を強制収容所へ送り込むようになりました。

1938年3月13日、ドイツのアドルフ・ヒトラー総統は、オーストリアへ進駐し、歓迎を受けて、統合しました。
オーストリアは、「ドイツ帝国とオーストリアの再統一に関する法律」を決議し、発布しました。
ドイツは、「ドイツ帝国とオーストリアの再統一に関する法律」が公布されました。

1938年4月、ドイツのアドルフ・ヒトラー総統は、対チェコスロバキアへ進駐しました。

1938年9月29~30日、イタリアのベニート・ムッソリーニ首相が仲介し、イギリスのネヴィル・チェンバレン首相、フランスのダラディエ首相、ドイツのアドルフ・ヒトラー総統がドイツのミュンヘンで会談を行い、ドイツとの戦争を回避するために、ドイツの主張を受け入れ、チェコスロバキアのズデーテン地方をドイツへ譲渡することを認めるという融和政策で問題を解決しました。

1938年10月6日、ポーランドは、ドイツ在住のポーランド系ユダヤ人の旅券と国籍を無効にすることを決定しました。
1938年10月28日、ドイツは、ドイツ在住のポーランド系ユダヤ人の旅券と国籍を無効が無効になる前に、ドイツ在住のポーランド系ユダヤ人をポーランドに移送しました。
ポーランドは、ドイツ在住のポーランド系ユダヤ人の入国を拒否しました。
ドイツ在住のポーランド系ユダヤ人は、国境地帯で放浪し、窮乏し、餓死しました。

1938年11月7日、ドイツによって追放されたポーランド系ユダヤ人のヘルシェル・グリュンシュパン(17歳)は、ドイツ警察から非道の仕打ちを受けていることを世界に訴えるために、リボルバーを手にパリのドイツ大使館へ赴き、応対していた三等書記官エルンスト・フォム・ラートに二発の銃弾を撃ち込んで、殺害しました。
1938年11月9日、ドイツのSA(突撃隊)がユダヤ人の商店や企業を破壊しました。
1939年3月、ドイツは、ミュンヘン会談の合意に従わずに、チェコスロバキアを支配下にしました。

1939年5月~9月、日本とソ連は、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐっての間で断続的に日ソ国境紛争が発生しました。

1939年8月23日、ドイツとソ連は不可侵条約を締結するだけでなく、ドイツとソ連がポーランドへ進行することを認めていました。

1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドへ侵攻しました。
ポーランドのダンツィヒ郊外にシュトゥットホーフ強制収容所が設置されました。

1939年9月3日、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告しました。
1940年4月9日、ドイツ軍はデンマークとノルウェーに侵攻し、デンマークを占領しました。

1940年4月、ドイツが占領していたポーランドのアウシュヴィッツに巨大な強制収容所の建設を命じました。
ドイツは、ヨーロッパ中に強制収容所を建設しました。

1940年5月10日、ドイツ軍はフランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクに侵攻を開始しました。
イギリスのネヴィル・チェンバレン首相が辞職し、ウィンストン・チャーチルが首相に就任しました。

1940年5月15日、ドイツ軍はオランダを占領しました。
1940年5月20日、ドイツ軍は英仏海峡に到達し、イギリス軍とフランス軍を包囲しました。
1940年5月21日、イギリス軍とフランス軍は、ドイツ軍の侵攻を遅らせるためにカレーから進軍し、ドイツ軍を反撃し、ダメージを与えました。
1940年5月22日、ドイツ軍は、カレーに向かって進軍しました。
1940年5月23日、イギリス軍とフランス軍は、カレーに後退しました。
1940年5月24日、ドイツ軍は、カレーを包囲し、降伏するよう説得しました。
イギリスとフランスからの抵抗せよという命令を受けたイギリス軍とフランス軍は、ドイツ軍に抗戦しました。
1940年5月25日、イギリス首相ウィンストン・チャーチルにダイナモ・ルーム(発電機があるドーバー城地下の海軍指揮所の一室) にて概要を説明したことから「ダイナモ作戦」と名づけられました。
1940年5月26日、イギリスは、「ダイナモ作戦」を実施し、ダンケルクから33万の連合軍兵士を撤退を開始しました。
カレーのイギリス軍とフランス軍は降伏しました。
1940年5月28日、ドイツ軍はベルギーを占領しました。
1940年6月4日、イギリスは、「ダイナモ作戦」によって、ダンケルクから30万の連合軍兵士を撤退させるのに成功しました。
映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」
1940年6月7日、ノルウェー国王は家族とともに英国に亡命しました。
1940年6月8日、連合国派遣軍は、ノルウェーからの撤退しました。
1940年6月9日、ドイツは、ノルウェーを占領しました。
1940年6月10日、イタリアが、イギリスとフランスに宣戦しました。
1940年6月14日、ドイツ軍は、パリに進軍しました。
1940年6月16日、フランスは、ドイツに休戦を申し入れました。
1940年6月22日、ドイツとフランスは、休戦条約に調印しました。
ドイツ軍は、パリを含む北部フランスを占領し、フランスにヴィシーを首都とするドイツの傀儡政権であるヴィシー政権を設立しました。
ドイツ軍は、フランス軍空軍基地をイギリス前進基地として使用可能になりました。
ドイツ軍は、ソ連への侵攻を開始しました。
日本は、イギリスにビルマおよび香港を経由する中国への物資輸送を閉鎖させました。

1940年7月1日、ドイツ軍は英国領チャンネル諸島を占領しました。
1940年7月10日、ドイツ空軍がイギリス空軍を発見し、攻撃しました。
1940年7月16日、ドイツは、イギリス上陸作戦の準備を始めました。
1940年7月22日、イギリスは、ドイツの和平案を拒否しました。
1940年8月1日、ドイツは、ドイツ空軍がイギリスの制空権を確保することを前提したイギリス上陸作戦を決定しました。
ドイツ空軍は、イギリス空軍の殲滅を第一に掲げられ、戦闘機の殲滅と飛行場や航空機産業も攻撃の対象にするよう指令を出しました。
1940年8月30日、ドイツは、爆撃目標をロンドンに変更しました。
1940年9月15日、ドイツ空軍は、大規模なロンドン空爆を行いましたが、大きな損害を出しました。
ドイツ空軍は、イギリスの制空権を取ることができませんでした。
ドイツ軍が初めて大敗を喫した戦いでした。
1940年9月17日、ドイツはイギリス上陸作戦を中止しました。

1940年9月27日、日本とドイツとイタリアは、日独伊三国同盟を締結しました。

1940年11月9日、イギリス前首相ネヴィル・チェンバレンは亡くなりました。

1941年3月11日、アメリカ合衆国は、レンドリース法成立させ、その国の防衛がアメリカ合衆国の防衛にとって重要であると大統領が考えるような国に対して、あらゆる軍需物資を、売却し、譲渡し、交換し、貸与し、賃貸し、あるいは処分することができるようになりました。

1941年4月13日、日本とソビエト連邦は、「日本国及ソヴイエト連邦間中立条約(日ソ中立条約)」を締結し、相互不可侵、一方が第三国に軍事攻撃された場合の他方の中立などを定めた全4条の条約本文、および、満州国とモンゴル人民共和国それぞれの領土の保全と相互不可侵を義務付けた声明書から構成され、有効期間は5年間で、有効期間満了1年前までに両国のいずれかが廃棄通告しなかった場合は5年間自動延長されるとしている。

1941年8月1日、アメリカ合衆国は、日本への石油の全面禁輸を行いました。
日本には石油の備蓄が平時で2年分、戦時で1年半分しかなく、石油がなくなる前に東南アジアの産油地帯を攻略することになりました。
東南アジアの攻略と資源の輸送ルートを考慮すると、アメリカ合衆国の植民地だったフィリピンおよびグアムの攻略も不可欠であり、アメリカ合衆国への開戦することになりました。日本への石油の全面禁輸と日本の東南アジアの攻略は、日本とアメリカ合衆国による太平洋戦争の原因になりました。

1941年8月、ドイツは、全ヨーロッパのユダヤ人を絶滅させることにしました。
1941年10月、ドイツは、アウシュヴィッツ強制収容所兼絶滅収容所でユダヤ人をガスで殺害し始めました。

1941年11月27日、アメリカ合衆国から日本に提示された交渉文書であるハル・ノートをもとにした交渉が決裂しました。

1941年12月8日、日本軍は、アメリカ合衆国ハワイのオアフ島の真珠湾にある米軍の太平洋艦隊と基地に対して攻撃しました。
日本海軍は、航空機54機を失い、航空機74機が損傷しました。
アメリカ海軍は、戦艦アリゾナ、戦艦オクラホマ、標的艦ユタ、戦艦カリフォルニアが沈没し、戦艦ウエストバージニア、機雷敷設艦オグララ、戦艦ネバダ、駆逐艦ショー、駆逐艦ダウンズ、駆逐艦カッシン、工作艦ヴェスタルが大破し、戦艦テネシー、戦艦メリーランド、戦艦ペンシルベニア、軽巡洋艦ロウリー、駆逐艦母艦ドビン、水上機母艦カーチスを損傷し、航空機188機を失い、航空機159機が損傷しました。

日本軍は、英国領の香港を陥落しました。

1942年1月20日、ドイツの高官15人は、ヴァンゼー湖のほとり、ベルリンの高級住宅街にある大邸宅で会議を行い、「ヨーロッパのユダヤ人問題に対する最終的解決」を話し合い、ヨーロッパのすべてのユダヤ人を意図的に慎重に計画的に抹殺することを決定しました。
ドイツは、全ヨーロッパのユダヤ人を絶滅させることを正式に宣言しました。
ユダヤ人の絶滅を行ったのは、ベラルーシのマリィ・トロステネツ強制収容所、ポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、ソビボル強制収容所、トレブリンカ強制収容所、ベウジェツ強制収容所、ヘウムノ強制収容所、マイダネク(ルブリン)強制収容所です。
数百万人のユダヤ人が殺害されました。

1942年1月25日、ヒトラーは、ユダヤ人をドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市にあるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所への移送を命令しました。

1942年2月15日、日本軍は、英国領のシンガポールを陥落しました。

1942年4月18日、航空母艦ホーネットと航空母艦エンタープライズから発進したB-25双発爆撃機ミッチェル16機が、太平洋戦争で初めて日本本土(東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸等)を爆撃しました。
日本本土爆撃を終えたB-25双発爆撃機ミッチェルのうち15機は中国大陸に不時着して放棄されました。
残りの1機は、ソビエト連邦支配地域に不時着して、搭乗員は抑留されました。

1942年5月4~8日、珊瑚海に進出する日本海軍の計画を知った米国海軍が、先に進出し、航空機で日本の空母部隊を空襲し、日本海軍が航空機で米国の空母部隊を捕捉し、空襲しました。
日本海軍は、空母祥鳳、駆逐艦菊月、掃海艇3隻が沈没し、空母翔鶴、駆逐艦夕月、敷設艦沖島が損傷し、航空機97機を失いました。
米国海軍は、空母レキシントン、油槽船ネオショー、駆逐艦シムスが沈没し、空母ヨークタウンが損傷し、航空機69機を失いました。

1942年5月27日、亡命チェコ軍人がラインハルト・ハイドリヒ暗殺を実行しました。
1942年6月4日、ラインハルト・ハイドリヒは死去しました。

1942年5月、連合国軍はビルマから総退却し、日本軍はビルマ全域を占領しました。
日本は、アメリカがビルマを経由して中国に物資輸送するルートを閉鎖しました。

1942年6月5日から7日、日本海軍とアメリカ海軍がミッドウェー海で交戦し、日本海軍はアメリカ海軍に敗北しました。
日本海軍は、航空母艦赤城、航空母艦加賀、航空母艦蒼龍、航空母艦飛龍、重巡洋艦三隈が沈没し、重巡洋艦最上、駆逐艦荒潮が損傷し、航空機289機を失いました。
アメリカ海軍は、航空母艦ヨークタウン、駆逐艦ハムマンが沈没し、航空機150機を失いました。

1942年11月26日、ノルウェー秘密国家警察・クヌート・ロッドは、警官とタクシー運転手らによって、ノルウェーに住むユダヤ人全員をオスロ港へと強制移送し、「ドナウ号」でアウシュヴィッツへ強制移送しました。

1943年1月14~23日、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトとイギリス首相ウィンストン・チャーチルは、モロッコのカサブランカで会談し、ドイツ、イタリアと日本に対して無条件降伏を要求すること、ビルマにおける本格的に反攻することなどに合意しました。

1943年7月4日から8月27日、ドイツ軍とソ連軍がクルスクで交戦し、ドイツ軍はソ連軍に敗北しました。

1943年9月8日、イタリアは、連合国に降伏しました。

1943年11月22~26日、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト、イギリスの首相ウィンストン・チャーチル、中華民国国民政府主席蒋介石がエジプト王国のカイロで会談を行い、連合国が日本の無条件降伏まで戦うこと、満州・台湾・澎湖島等を中華民国に返還することを提示し、中華民国が日本と単独講和をしないようにしました。
ヨーロッパでの戦局を有利に導くためには、中国の戦争からの脱落を防ぎ、日本軍が中国を攻撃することで、日本軍が太平洋やインドで大規模な攻撃をできないようにしました。

1943年11月28日~12月1日、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト、イギリスの首相ウィンストン・チャーチル、ヨシフ・スターリンソ連議長が、イランのテヘランで会談を行い、ビルマ奪回作戦、ノルマンディー上陸作戦などの連合国側の作戦における各国間の調整を行い、ポーランド国境の確定、ドイツ降伏後のソ連の対日参戦も話し合いました。

1944年6月5日、イギリス第6空挺師団、アメリカ第82、第101空挺師団がノルマンディー一帯に降下作戦を開始し、橋を確保し、砲台陣地を破壊し、ドイツの反撃を阻止しました。

1944年6月6日、米国とイギリスは、100万人を超える兵士で、ノルマンディー上陸作戦を行い、1日で上陸を果たしました。

1944年7月23日、ソ連軍は、マイダネク(ルブリン)強制収容所を開放しました。

1944年8月25日、連合軍は、パリを含むフランスを開放し、フランスにヴィシーを首都とするドイツの傀儡政権であるヴィシー政権を打倒しました。

1945年1月27日、ソ連軍は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を開放しました。

1945年1月30日~2月3日、アメリカのエドワード・ステティニアス国務長官とイギリスのウィンストン・チャーチル首相が、マルタ共和国のマルタで会談し、ソ連軍が中央ヨーロッパまで前進することは望ましくないと言うことで合意し、ホロコーストによる数百万人の難民をどうするについて話し合い、ソ連とのヤルタ会談の事前会談になりました。

1945年2月4~11日、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト、イギリスの首相ウィンストン・チャーチル、ヨシフ・スターリンソ連議長が、ソ連クリミア自治ソビエト社会主義共和国のヤルタ近郊のリヴァディア宮殿で会談し、イギリス・アメリカ・フランス・ソ連の4カ国によるドイツの分割統治、ポーランド人民共和国の国境策定、エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国の処遇などの東欧諸国の戦後処理が取り決められました。
国際連合の投票方式について、イギリス・アメリカ・フランス・中華民国・ソ連の5カ国の拒否権を認めました。
アメリカとソ連の間でヤルタ秘密協定を締結し、ドイツ敗戦後90日後のソ連対日参戦、および千島列島・樺太・朝鮮半島・台湾などの日本領土の処遇も決定し、北方領土問題の発端となりました。

1945年2月19日、アメリカ軍は、硫黄島への上陸作戦を始めました。
1945年3月17日、アメリカ軍は、硫黄島を制圧しました。

1945年4月11日、アメリカ軍は、ブーヘンヴァルト強制収容所を解放しました。
1945年4月15日、イギリス軍は、ベルゲン・ベルゼン強制収容所を解放しました。
アンネ・フランクは、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で死亡していました。

1945年4月25日、アメリカ軍は、前田高地への攻撃を開始しました。

1945年4月29日、アメリカ軍は、ダッハウ強制収容所を解放しました。
1945年4月30日、アドルフ・ヒトラーは、総督官邸の地下壕で自殺しました。

1945年5月6日、アメリカ軍は、前田高地を制圧しました。

1945年5月7日、ドイツは、連合国に無条件降伏しました。
1945年5月9日、イギリス領チャンネル諸島を占領していたドイツ軍は降伏しました。

1945年5月27日、沖縄守備軍は、首里を放棄し、南部への撤退を開始しました。
1945年6月23日、牛島満司令官達が自決しました。
1945年7月2日、アメリカ軍は、沖縄戦終了を宣言しました。

1945年7月17日~8月2日、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト、イギリスの首相ウィンストン・チャーチル、ヨシフ・スターリンソ連議長が、ソ連占領地域となったポツダムで会談し、第二次世界大戦の戦後処理を決定しました。
ポツダム宣言には、「日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである」と記述されています。
原子爆弾の準備ができたから、日本に投下するということです。

1945年8月6日、アメリカ軍は、日本の広島市に原子爆弾を投下しました。
1945年8月9日、アメリカ軍は、日本の長崎市に原子爆弾を投下しました。

1945年8月14日、日本は、ポツダム宣言を受諾しました。

1945年8月15日、日本は、昭和天皇による玉音放送をもって、ポツダム宣言受諾を全国民と全軍に表明し、連合国に降伏しました。

1945年9月2日、日本は、ポツダム宣言に調印・即時発効(降伏文書)によって第二次世界大戦は終結しました。

1945年9月7日、沖縄守備軍は、降伏しました。

1961年4月11日、アドルフ・アイヒマンは、「人道に対する罪」「ユダヤ人に対する犯罪」および「違法組織に所属していた犯罪」などの15の犯罪で起訴され、裁判が始まりました。
映画「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」

1961年12月15日、アドルフ・アイヒマンは、すべての訴因で有罪が認められた結果、死刑の判決が下されました。

1962年6月1日、アドルフ・アイヒマンは、ラムラ刑務所で絞首刑が執行されました。

1962年8月5日、ネルソン・マンデラは、44歳で、逮捕されます。
映画「マンデラ 自由への長い道」

1963年、ハンナ・アーレントは、「ザ・ニューヨーカー」誌に「イエルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告」を発表しました。
映画「ハンナ・アーレント」

感想

生死を彷徨う混乱した状況を体験する

原題も邦題も同じで「ダンケルク」です。
「ダンケルク」は、フランスの大西洋に面した港街です。

登場人物にセリフで語らせるのではなく、映像で語らせるという演出が優れています。
・主人公がドイツのビラを拾い、イギリス兵はダンケルクに包囲され、投降するしかないという状況を語らせます。
・主人公がドイツ兵に銃撃を受けることで、ドイツ兵はダンケルク市内にまで、侵攻しているという状況を語らせます。
・イギリス兵はボルトアクションライフルなので、発射するたびにボルトを引いて弾を銃身に送り込まなければならず、連射はできません。
ドイツ兵は、発射速度は500-600発/分という突撃銃を使用しているので、連射できます。
イギリス兵は、ドイツ兵に対して、圧倒的に不利な状況を語らせます。
・主人公は、フランス軍の守る防衛線を超えて、走ってすぐにダンケルクの砂浜に到着することで、ドイツ軍がすぐ近くにまで迫っていることを語らせます。
・主人公が走る姿を大きく映し出すことで主人公であることを語らせます。
・イギリス兵に偽装したフランス兵は、何も話さないので、状況をしぐさで語らせます。
・救助したイギリス兵は、何も話さないので、状況をしぐさで語らせます。
・3機のスーパーマリン スピットファイアの編隊が、ムーンストーン号の上をダンケルクに向かい通過することで、同じ目的のために行動しているということを語らせます。

スーパーマリン・スピットファイアは、第二次世界大戦当初は量産化されていなくて、航続距離も短いことから、フランスに派遣されずに、ロンドンの防衛に当たっていました。
メッサーシュミットBf109も、航続距離が短いので、ロンドンまでは攻撃できませんした。
イギリスは、ハリケーンをフランスに派遣し、メッサーシュミットBf109と戦っていました。
ダンケルクで、初めて、スーパーマリン・スピットファイアは、メッサーシュミットBf109と交戦しました。

実話に基ずく、フィクションのストーリーで、伏線を張り、伏線を回収するので、すっきりとするストーリーです。
伏線に気が付き、回収できるかで、この映画への評価も別れます。
名言もあり、名言にどう感じるかで、この映画への評価も別れます。
戦争映画なので、人は死にますが、映倫区分は「G」でどなたでも鑑賞することが出来ます。
歴史に興味があり、第二次世界大戦に興味のある人には、お勧めの映画です。
CGは使用せずに、実際にスーパーマリン・スピットファイアやメッサーシュミットBf109等を飛行させて、撮影しているので、臨場感があります。
CGは使用せずに、ダンケルクの浜辺のシーンも大量のエキストラを動員し、撮影しているので、臨場感があります。
女性はほとんど登場せず、ロマンスの要素はありません。

上映時間は106分と短いですが、1週間、1日、1時間という時間が異なる3つのストーリーを防波堤、海、空という3つの視点から描かれるので、混乱させられますが、混乱した状況を体験させるという演出です。
誰一人として、状況を把握できない混乱した中で、皆が正しい行動をした結果、30万人を救出するという奇跡を起こしたということです。
歴史的な背景を知っていることを前提にストーリーは進みます。
歴史的な背景を理解していないと、ストーリーについていけない可能性があります。
「ダンケルク」について知らない人は、映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」を先に鑑賞すると理解しやすいです。

なぜ、イギリス軍とフランス軍がダンケルクに追い込まれ、救助を待つだけで、ドイツ軍と戦わなかったのは、ドイツ軍は、アレキサンダー大王がガウガメラで戦い、ペルシア王ダレイオスを敗走させ、勝利しのと同じ鉄床戦術を用い、少数のドイツ軍が多数のイギリス軍とフランス軍に武装を放棄させ、敗走させたからです。
鉄床戦術は、低機動で耐久力のある部隊が敵を引き付け、機動力の高い部隊が敵の側面や背後に回り込み、敵を攻撃し、敵を敗走させる戦術です。
ドイツ軍の低機動で耐久力のあるC軍集団は、マジノ線に侵攻し、マジノ線の要塞群に立てこもるフランス軍守備隊を釘づけにします。
ドイツ軍の機動力の高い装甲師団主力のA軍集団は、小型でガソリンエンジンを搭載したI号戦車、II号戦車で構成され、アルデンヌ森林地帯を抜け、ユンカースJu-87急降下爆撃機による正確な支援爆撃を受けて、ムーズ川を渡り、敵国のガソリンスタンドを補給に利用し、早い速度で進軍し、イギリス軍とフランス軍の背後に回り、攻撃することで、イギリス軍とフランス軍を総撤退させ、ダンケルクに達します。
ドイツ軍の機動力の高い空挺部隊は、防御陣地の後方に降下して、防御陣地を爆破し、混乱させ、機動力の低い歩兵主力のB軍集団が防御陣地を制圧し、ベルギーとオランダに侵攻します。
鉄床戦術については、映画「アレキサンダー」を鑑賞すると理解しやすいです。

まとめ

次は、映画「スタンドバイ・ミー」をレビューする予定です。
ご期待ください。
以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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