映画「スティーブ・ジョブズ(2013年)」~あらすじ【ネタばれ有り】と感想

夢をかなえるゾウ1」の中で、出てきた「スティーブ・ジョブズ」について知りたいと感じました。
伝記は、登場人物が多く、長く、読むのは大変ですが、映画を見る方が簡単です。
いきなり伝記を読むより、映画を鑑賞しておくと、伝記も読みやすいです。
映画「スティーブ・ジョブズ」を鑑賞し、レビューします。
この映画を観て、スティーブ・ジョブズについて知りたくなった人には、ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブス 1」と「スティーブ・ジョブス 2」講談社を読むと理解できるようになります。
この映画のキャッチコピーは、「最低な男が、最高の未来を創った。」です。

この映画は、スティーブ・ジョブズがいなければ、社会はどうなっていたのだろうか、PCはどうなっていたのだろうかということを考える映画です。

基本情報・スタッフ

監督    ジョシュア・マイケル・スターン
脚本    マット・ホワイトレイ
製作    マーク・ヒューム
製作総指揮 マーク・ヒューム、ロナルド・バラード、ビル・ジョンソン、ジェイコブ・ペチェニク、マルコス・A・ロドリゲス 
      ジム・セイベル、デヴィッド・C・トラウブ
音楽    ジョン・デブニー
撮影    ラッセル・カーペンター
編集    ロバート・コマツ
製作会社  エンドゲーム・エンターテインメント、ファイヴ・スター・フィーチャー・フィルムズ
配給    オープン・ロード・フィルムズ
      ギャガ
公開    2013年11月1
上映時間  122分
映倫    G

予告動画

舞台となる場所


スティーブ・ジョブズが育ったマウンテンビューと中学、高校時代に過ごしたロスアルトスです。

スティーブ・ジョブズが在籍したリード・カレッジです。

スティーブ・ジョブズは、ニューデリーに到着し赤痢になり、ハリドワードで3年に1を行われるメーラというヒンズー教のお祭りに参加しました。
スティーブ・ジョブズは、ニーム・カロリ・ババに会いに、ナイニタール近郊の村に行きましたが、ニーム・カロリ・ババは亡くなっていて、会うことはできませんでした。

アップルコンピュータの本社は、クパチーノにあります。

スティーブ・ジョブズは、ウッドサイトに住んでいました。
スティーブ・ジョブズは、結婚後は、家族でパロアルト旧市街に住んでいました。

あらすじ

「2001年、アップル社スタッフ タウンホール・ミーティング」と表示されます。

スティーブ・ジョブズは、タウンホールに向かって歩いています。
スティーブ・ジョブズは、壇上に上がると、アップル社スタッフ達のスタンディング
オベーションで迎え入れられます。
スティーブ・ジョブズは、鳴り止まぬ拍手に、もう十分だという仕草を見せます。
スティーブ・ジョブズは、「今、気持が高ぶっている。今日は君達にとても特別な発表があるからだ。
本年度、iMacとパワーブックはトータルで、我々は300万台以上の販売を達成した。
では、以上。いや、もう一つあったかな?これから、君達に素晴らしいものを見せよう。
それは世界でまだ誰一人として目にしていないもの。そう、ジョナサンと僕と小さなチームで本当に必死になって進めてきた極秘プロジェクトだ。僕はよくそんなプロジェクトをやるので有名。今から紹介するデバイスは、業界全体に大革命を引き起こすものだ。
音楽を再生するデバイス。よし、もう少し話をしよう。なぜなら、そのコンセプトはそのデバイスと同じくらい重要だからだ。それは、ハートのためのツールだ。そして、誰かのハートに触れることができれば、可能性は無限になる。自分で言うのも何だけど、めちゃくちゃクールだ。1台の音楽プレーヤー、それで1,000曲もの音楽がポケットに入る。それでは、紹介しよう。iPodだ」と言いながら、ポケットからiPodを取り出して、iPodを手にして見せるところから、始まります。

スティーブ・ジョブズは、リード大学で、自分探しをしている中で、友人、ドラックとカリグラフィーに出会います。
スティーブ・ジョブズは、アタリ社で働き、ダニエル・コトキと一緒にインドに行って、自分探しを続けます。
スティーブ・ジョブズは、スティーブ・ウォズニアックが作成しているAppleⅠの試作機に出会い、PCで人々の創造力を引き上げるという自分にたどり着きます。
スティーブ・ジョブズは、AppleⅠを人々に届けるために、AppleⅠを販売する人を説得し、AppleⅠを製作する場所を確保し、AppleⅠを製作する人を集め、結びつけて、お膳立てすることで、人の限界以上の仕事をやり遂げさせて、創造しました。
スティーブ・ジョブズは、AppleⅠを人々に届けたことで、人々は一体型のPCを欲しがっていることに気が付き、AppleⅡを人々に届けるために、マイク・マークラを惹きつけ、出資させ、アップルコンピュータを法人化し、AppleⅡを多くの人々に届けることで、一体型のPCを創造しました。
スティーブ・ジョブズは、アップルコンピュータの株式上場で、2億ドルを得ました。
スティーブ・ジョブズは、Lisaを人々に届けたことで、GUI技術とオブジェクト指向のプログラミング技術によるユーザー体験を創造しようとしましたが、Lisaプロジェクトから外されてしまいました。
スティーブ・ジョブズは、Macintoshを人々に届けたことで、GUI技術とオブジェクト指向のプログラミング技術によるユーザー体験を創造しようとしましたが、価格が高く、多くの人には届けることができずに、アップルコンピュータを辞職することになりました。

スティーブ・ジョブズは、NeXT社を創業し、CEOに就任し、NeXTcubeを人々に届けることで、新しいユーザー体験を創造しようとしましたが、価格が高く、多くの人には届けることができずに、ハードウェア部門を売却することになりました。

スティーブ・ジョブズは、ピクサー社を買収し、会長に就任し、アニメを作るというユーザー体験を創造しようとしましたが、価格が高く、多くの人には届けることができずに、ハードウェア部門もソフトウェア部門も売却しました。
スティーブ・ジョブズは、ピクサー社のアニメ部門で、新しいアニメを観るというユーザー体験を創造し、成功し、ピクサー社の株式上場で、11億ドルを得ました。

スティーブ・ジョブズは、アップルコンピュータにNeXT社のソフトウェアを採用させ、アップルコンピュータに復帰し、CEOになりました。

スティーブ・ジョブズは、「宇宙にへこみを作る。クレージーな者達へ、はみ出し者、反逆者、やっかい者、四角い穴に丸い杭を打ち込む者、物事を違った目で見る者、彼らはルールが嫌いだ。彼らは現状を認めない。彼らに賛成も反対もできる。賞賛も非難もできる。
だけど、ただ一つできないことがある。彼らを無視すること。なぜなら全てを変えるから、人類を前進させるからだ。ただクレージーだという人もいるが、我々には天才に見える。
世界を変えられると信じている。クレージーな彼らこそが、世界を変えられるから。」と言って、終わります。

登場人物

スティーブ・ジョブズは、アシュトン・カッチャーが演じる米国カルフォルニア州サンフランシスコのシリア系米国人として生まれ、ボブ・デュランが好きで、スティーブ・ウォズニアックと共に、AppleⅠ、AppleⅡを開発し、アップルコンピュータを設立します。

ダニエル・コトキは、ルーカス・ハースが演じるスティーブ・ジョブズのリード大学時代の友人で、一緒にインドへ旅行して、アップルコンピュータの設立従業員ですが、アップル社の発起人者株を受け取れず、アップルコンピュータを辞職します。
ダニエル・コトキは、リサがスティーブ・ジョブズの娘であることをタイム誌の記者に話しました。

ロバート・パラディーンは、リード大学でカリグラフィークラスを教える修道士です。

ジュリーは、アマンダ・クルーが演じるスティーブ・ジョブズのリード大学時代のガールフレンドです。

アル・アルコーンは、デヴィッド・デンマンが演じるアタリ社の技術部長です。

スティーブ・ウォズニアックは、ジョシュ・ギャッドが演じる米国カルフォルニア州サンノゼでポーランド系米国人として生まれ、ビートルズが好きで、ヒューレット・パッカードを退職して、スティーブ・ジョブズと共にAppleⅠ、AppleⅡを開発し、アップルコンピュータを設立し、アップルコンピュータを辞職します。

クリス=アン・ブレナンは、アーナ・オライリーが演じるスティーブ・ジョブズの恋人で、リサ・ブレナンというスティーブ・ジョブズの娘を出産します。

ポール・テレルは、ブラッド・ウィリアム・ヘンケが演じるマウンテンビューでバイトショップというコンピュータのパーツの店を経営し、AppleⅠを発売しました。

ポール・ジョブズは、ジョン・ゲッツが演じるスティーブ・ジョブズの父親で、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックにAppleⅠを作成するガレージを提供します。

ビル・フェルナンデスは、ヴィクター・ラサックが演じるスティーブ・ジョブズのの友人でアップル社の設立従業員ですが、アップルコンピュータの発起人者株を受け取れませんが、Macintoshプロジェクトのメンバーになります。

クリス・エスピノーザは、エディ・ハッセルが演じるスティーブ・ジョブズの近所の友人でアップル社の設立従業員ですが、アップルコンピュータの発起人者株を受け取れませんが、Macintoshプロジェクトのメンバーになります。

クララ・ジョブズは、レスリー・アン・ウォーレンが演じるスティーブ・ジョブズの母親です。

ロッド・ホルトは、ロン・エルダードが演じる技術屋で、AppleⅡのために熱効率の良い電源で、ファンレスで、加熱もせず、ケースに収まる40Wの電源ユニットを、報酬は1日200ドルで、できないと判断したら降りるという条件で作ります。

マイク・マークラは、ダーモット・マローニーが演じるフェアチャイルドセミコンダクターとインテルでマーケティング部長を勤め、ストックオプションで財産を得て、個人投資家となり、豪腕ベンチャー・キャピタリストのドン・バレンタインの古い仕事仲間で、ドン・バレンタインからアップル社を見に行くように頼まれ、アップルコンピュータにやってきて、9万ドル投資し、アップルコンピュータを法人化して、アップルコンピュータの取締役やCEOも務めました。

ドン・バレンタインは、アタリ社に投資したベンチャー・キャピタルに勤めている人です。

ビル・アトキンソンは、ネルソン・フランクリンが演じるリサ・プロジェクトのメンバーで、Macintoshプロジェクトのメンバーになります。

アーサー・ロックは、J・K・シモンズが演じるアップルコンピュータの取締役員です。

ビュレル・スミスは、レニー・ジェイコブソンが演じるアップルコンピュータのハードウェアエンジニアで、マッキントッシュ・プロジェクトのメンバーです。

ジェフ・ラスキンは、Macintoshプロジェクトのリーダーです。

アンディ・ハーツフェルドは、エルデン・ヘンソンが演じるMacintoshプロジェクトのメンバーです。

ジョン・スカリーは、マシュー・モディーンが演じるペプシ・コーラのCEOから、スティーブ・ジョブズにアップルコンピュータのCEOに誘われて、アップルコンピュータのCEOなりました。

エド・ウーラードは、デュポン社を退職し、アップル社の取締役員になりました。

ギル・アメリオは、ケヴィン・ダンが演じるアップル社のCEOに就任し、解任されました。

リサは、スティーブ・ジョブズとクリス=アン・ブレナンの娘です。

ローレン・ジョブズは、アビー・ブラメルが演じるスティーブ・ジョブズの妻で、リードの母親です。

リードは、スティーブ・ジョブズとローレン・ジョブズの息子です。

ジョナサン・アイブは、ジャイルズ・マッシーが演じるアップル社のデザイン・ディレクターで、iMacをデザインします。

単語説明

リード大学は、設立1908年、米国オレゴン州ポートランドにある私立大学です。

「ビー・ヒア・ナウ」という本は、スティーブ・ジョブズが好きな本です。
「ビー・ヒア・ナウ―心の扉をひらく本」として日本語に翻訳され発売されています。

カリグラフィーは、欧米や中東における文字を直接ペンで書く以外に用いられ、文字を美しく見せるための手法で、日本の毛筆を使用する書道とは違います。

LSDは、植物から製造されるか化学合成される麻薬で、感覚や感情や記憶に変化を与え、6時間から14時間の間、持続します。

アタリ社は、ゲーム作成会社です。

ホームブリュー・コンピュータ・クラブは、米国カルフォルニア州北部のサンタクララにあるシリコンバレーで結成されたコンピュータを趣味とする人々の団体です。

ビートルズは、英国のロックバンドで、1962年10月にアップル・レコードデビューし、1970年4月に解散しました。

ボブ・デュランは、米国のミュージシャンで、1962年4月にレコードデビューしました。

AppleⅠは、ケース、キーボード、電源を用意し、テレビ受像機を接続して、組み立てて使用します。
カセットテープインターフェースは、別売りで用意され、BASIC言語をテープで使用できます。
AppleⅠは、自作PCの元祖のようなPCです。

「1984年」は、ジョージ・オーウェルが書いた小説です。
「1984年」では、1950年代に発生した核戦争を経て、世界は、3つの超大国に分割統治され、物資は乏しく、紛争が繰り返され、ビック・ブラサーが思想、言語、行動、結婚などのあらゆる人間性を統制をする社会を描いた本で、大きな影響を与えました。

IBM社は、1911年6月16日に設立され、1960年以降は、コンピュータ市場で圧倒的な影響力があり、ビックブルーと呼ばれています。

PCは、パーソナルコンピューターのことで、個人で所有し、使用できるコンピューターです。
パーソナルコンピューター以前は、メインフレームと呼ばれる汎用コンピューターに多数の端末が接続され、タイムシェアリングにより、集中処理を行っていました。

AppleⅡは、CPU、メモリー、キーボード、画像出力装置、音声出力装置、外部記憶装置、プログラム用言語、ゲームI/Oを単一製品として、史上初の一体型PCを1,298ドルで発表し、600万台も売れました。

Lisaは、PC本体、ディスプレイ、内蔵RAM領域は2MB、外付けハードディスク、2つある5.25インチのフロッピーディスクを持ち、PCとしては初のGUI環境で、マルチタスク機能とメモリ保護機能を備えていましたが、価格が1万ドルと高く売れませんでした。

Macintoshは、Lisaの低価格モデルを目指して開発され、Lisaと同じCPUを採用し、PC本体、ディスプレイ、内蔵RAM領域は128KBしかなく、1つのソニー製の3.5インチドライブだけで、外付けハードディスクはなく、Lisaと似ているGUI環境で、マルチタスク機能を実現し、価格が2,495ドルでした。

AppleⅡ、LisaとMacintoshには、互換性がなく、OSもアプリケーションも開発した後、独自に改良と保守しなければなりません。

iPodは、携帯型デジタル音楽プレイヤーで、1000曲もの音楽を保存することができました。

最後のセリフ

どうかな

スティーブ・ジョブズの生涯と時代背景

1955年2月24日、スティーブ・ジョブズは、ウィスコンシン州にあるウィスコンシン大学で
シリアからの留学生で政治学を専攻する大学院生で23歳になるアブドゥルファター・ジャンダリと米国人の大学院生ジョアン・シーブルとの間に法律上の婚姻関係がない非嫡出子として生まれました。

ジョアン・シーブルの父がムスリムのシリア人であるアブドゥルファター・ジャンダリとの
結婚を認めなかったため、生まれる前から、養子に出すことに決められていました。

スティーブ・ジョブズは、ポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻に養子として引き取られました。

1955年6月14日、アメリカ合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーが支援しジエムは国家元首に就任し、アメリカ合衆国はベトナム戦争に参加しました。

1955年10月26日、ベトナム共和国(通称「南ベトナム」)樹立宣言を行い、ジエムは初代大統領に就任しました。

1961年、スティーブ・ジョブズは、6歳で、モンタ・ロマ小学校に入学しました。

1662年11月3日、ニューヨークタイムズ紙の記事の中で、将来のコンピュータの見通しとして、普通の子供達がPCを使うようになるであろうという記事が掲載されました。

1965年、スティーブ・ジョブズは、小学校4年生となり、イモジーン・ヒルという女性教師と出会い、勉強が好きになりました。
スティーブ・ジョブズは、4年生の終わり頃に知能検査を受け、高校2年生並の知能を示しました。

1965年4月19日、ゴードン・ムーアは、Electronics Magazine 誌で、「半導体素子に集積されるトランジスタ数は、18ヶ月~24ヶ月で倍増する」というムーアの法則を発表しました。コンピュータ関係の製品や部品を製造する企業にとって、数年先の市場を予測した製品開発を行うために、重要な法則となりました。

1966年、スティーブ・ジョブズは、1年飛び級し、小学校は5年まで、6年からはクリッテンデン中学に入学しました。

1967年、スティーブ・ジョブズは、スティーブ・スティーブの両親に、転校させるように要求しました。スティーブ・スティーブの両親は、サウスロスアルトスに一軒家を購入して、スティーブ・ジョブズをクパティーノ中学校に転校させました。
この家のガレージで、AppleⅠが組み立てられることになります。

1968年、スティーブ・ジョブズは、13歳の時に、ホームステッド高校に進学しました。

スティーブ・ジョブズは、ヒューレット・パッカード社のCEOビル・ヒューレットの自宅に電話をかけて、電気信号の周波数を測定する計測器に使用する部品をもらいました。

1968年7月18日、ロバート・ノイスとゴードン・ムーアらが、Intel社を設立しました。

1970年、スティーブ・ジョブズは、15歳の時に、電子部品を中古市場で安く買い、転売し、利益を上げて、自家用車を購入しました。
スティーブ・ジョブズは、マリファナ、LSD、大麻を自動車の中で使用しました。

ゼロックス社は、パロアルト研究所を設立しました。

エド・ロバートは、MITS社(Micro Instrumentation and Telemetry Systems)を設立しました。

1971年8月、スティーブ・ジョブズは、16歳の時に、ヒューレット・パッカード社で夏季インターンシップとして働き、スティーブ・ウォズニアックと出会いました。

1971年9月、スティーブ・ウォズニアックは、エスクァイア誌のロン・ローゼンが書いた「小さなブルーボックスの大きな秘密」という記事には、AT&Tの長距離電話をただ掛けるために必要な情報がベル・システム・テクニカル・ジャーナルのある号に掲載され、AT&Tが回収していると書かれていました。
スティーブ・ウォズニアックは、スティーブ・ジョブズに電話で説明し、車でスタンフォード大学に向かい、AT&Tの長距離電話をただ掛けるために必要な情報が掲載されているベル・システム・テクニカル・ジャーナルのある号を探し出しました。
スティーブ・ウォズニアックは、アナログ式の発信器を作成しました。
スティーブ・ジョブズは、調整に必要な周波数カウンターを作成しました。
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、ブルーボックスを完成させますが、AT&Tの長距離電話をただ掛けることには失敗しました。
理由は、アナログ式の発信器の周波数が安定しなかったからです。
スティーブ・ウォズニアックは、デジタル式の発信器を作成しました。
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、デジタル式のブルーボックスを完成させ、AT&Tの長距離電話をただ掛けることに成功しました。
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、キッシンジャー米国国務長官のふりをして、バチカン宮殿にいるローマ法王パウロ6世にいたずら電話をしました。
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、40ドルの部品代で作成したデジタル式のブルーボックスを150ドルで、学生に100台くらい売り、11,000ドルの利益を得ました。
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、隣のテーブルで食事をしていた男に、デジタル式のブルーボックスを使用して、公衆電話からシカゴに電話をかけて見せて、
デジタル式のブルーボックスを売ろうとしました。
この男は、拳銃でスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック脅し、デジタル式のブルーボックスも奪われました。
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、デジタル式のブルーボックスを売るのを止めました。

1971年11月15日、Intel社は、マイクロプロセッサであるIntel 4004の出荷を開始しました。

1972年春、スティーブ・ジョブズは、1学年下のクリス=アン・ブレナンという女性と初めて付き合い始めました。

1972年9月、スティーブ・ジョブズは、自由を重んじる校風と、ヒッピー的なライフスタイルで知られていたリード大学に入学し、禅に、瞑想に、ドラックに、菜食主義に傾倒しました。
スティーブ・ジョブズは、ロバート・フリードランドからカリスマ性を学びました。
ロバート・フリードランドは、リンゴ農園を管理していました。
スティーブ・ジョブズは、ロバート・フリードランドのリンゴ農園で作業をしていました。
スティーブ・ジョブズは、必修単位を取得するために、面白くもない講義に出席し、学費を支払うのが嫌で、中退します。
リード大学学部長は、スティーブ・ジョブズを容認し、学費を支払うことなしに、好きな講義にだけ受講することを認めました。
スティーブ・ジョブズは、興味のある哲学やカリグラフィーのクラスなどだけに出席し、18ヶ月を過ごしました。
スティーブ・ジョブズは、芸術と技術の両方を習得しました。

1973年1月29日、アメリカ合衆国大統領ニクソンは、「ベトナム戦争の終結」を宣言しました。

1973年3月1日、ゼロックス社のパロアルト研究所は、AltoというGUIをベースに、マウスで操作するOSを基に設計された最初のコンピュータを完成させました。

1974年初め、スティーブ・ジョブズは、ロバート・フリードランドからインドに行くことを勧められました。
1974年2月、スティーブ・ジョブズは、インドに行くためのお金を稼ぐために、サウスロスアルトスの実家に戻り、アタリ社に入社しました。

1974年4月、スティーブ・ジョブズは、技術部長のアラン・アルコーンにインドまでの旅費の援助を頼みました。
アラン・アルコーンは、スティーブ・ジョブズにドイツのミュンヘンでのゲームの修理を旅費込みで命じて、ドイツ経由でインドへ渡ることで旅費を安く出来るようにしてあげました。

スティーブ・ジョブズは、アタリ社を退社して、友人のダニエル・コッケと共にインドへ旅行しました。
スティーブ・ジョブズは、ニューデリーに到着し赤痢になり、ハリドワードで3年に1を行われるメーラというヒンズー教のお祭りに参加しました。
スティーブ・ジョブズは、ニーム・カロリ・ババに会いに、ナイニタール近郊の村に行きましたが、ニーム・カロリ・ババは亡くなっていて、会うことはできませんでした。
スティーブ・ジョブズは、インド国内を放浪しながら7ヶ月を過ごし、サンフランシスコ市オーランドに戻りました。
スティーブ・ジョブズは、19歳になり、瞑想し、鈴木俊隆を導師として禅を学び、スタンフォード大学で物理や工学を聴講し、自分探しを行いました。

1974年12月、MITS社は、世界初の個人向けコンピューターAltair8800を発売しました。
Altair8800は、8ビットCPUであるインテル社の8080を搭載していました。
Altair8800は、CRTモニター、キーボードもなく、スイッチをオン/オフして、結果をLEDに表示させるという原始的なコンピューターです。
4KBのメモリーを増設することで、ビル・ゲイツとポール・アレンがBASIC言語を動作させるようにしました。

1975年、Altair8800は、ポピュラーエレクトロニクス誌の1975年1月号の表紙に掲載され、MITS社に注文が殺到しました。
ビル・ゲイツとポール・アレンは、ソフトウェア開発のためにMITS社に入社し、Altair BASICはマイクロソフトの最初の製品となりました。

1975年4月4日に、ビル・ゲイツとポール・アレンは、マイクロソフトをMITS社の本拠地であるニューメキシコ州アルバカーキで創業しました。

1975年、アラン・アルコーンは、スティーブ・ジョブズがインドから戻っていると知り、スティーブ・ジョブズをアタリ社に復職させました。

1975年6月、IBM社は、Model5100という16ビットのCPUで、100KBのROM、64KBのRAM、5インチのCRTモニター、キーボード、テープドライブを一体型にしたPCを発売しました。
ヒューレット・パッカード社は、Model9830を発売しました。
非常に高価であり、限られた人々が使用する個人向けコンピューターでした。

1975年、アタリ社ノーラン・ブッシュネルは、スティーブ・ジョブズに、50個以下のチップ数に応じたボーナス付きの、5000ドルでブロック崩しのゲーム「ブレイクアウト」の改造プロジェクトを引き受け、スティーブ・ウォズニアックに700ドルの4日間のプロジェクトだと嘘を言って頼みました。
スティーブ・ウォズニアックは、45個のチップ数で、4日で作成し、350ドルの小切手を受け取りました。

ツールや教材を販売するために作られたホールアースカタログを支援するポートラ協会は、パーティーも主催していました。
このパーティーの常連だったゴードン・フレンチとフレッド・ムーアは、クラブを作ることにしました。

1975年3月5日、ゴードン・フレンチとフレッド・ムーアは、メロンパークにあるゴードン・フレンチの自宅ガレージで、後にホームブリュー・コンピュータ・クラブと呼ばれる第一回の会合を行いました。
スティーブ・ウォズニアックは、この会合に参加し、アルテア社のマイクロプロセッサーの仕様書を見ました。
スティーブ・ウォズニアックは、マイクロプロセッサーを利用したPCの可能性を見出しました。

スティーブ・ウォズニアックは、Intel社の8080を使用としましたが高価で断念し、モトローラ社の6800と同等の機能を持ちながら20ドルという安いMOSテクノロジーズ社のマイクロプロセッサーを使用することにしました。
スティーブ・ウォズニアックは、ヒューレット・パッカード社で働いた後に、PCの開発を行いました。

1975年6月29日、スティーブ・ウォズニアックは、キーボードを入力した文字がスクリーンに表示できるようにしました。
スティーブ・ジョブズは、このマシンに感動しました。
スティーブ・ウォズニアックは、スタンフォード大学で行われるようにまでなっていた
ホームブリュー・コンピュータ・クラブで、PCの設計図を無償配布しました。
ビル・ゲイツは、ホームブリュー・コンピュータ・クラブに対して、PCの設計図が無償配布されていろことについて抗議しました。
スティーブ・ジョブズも、PCの設計図を無償配布することには反対し、プリント基板を作成し、販売しようと提案しました。

スティーブ・ジョブズは、1,000ドルで50枚のプリント基板を作成し、1枚を40ドルで販売し、経費を差し引いて700ドルの利益を得ることにしました。
スティーブ・ウォズニアックは、売り切ることはできないから、損をするだけだと反対しました。
スティーブ・ジョブズは、スティーブ・ウォズニアックに「お金は損をするかもしれないかど、自分の会社が持てるよ。一生に一度のチャンスだ」と説得しました。
スティーブ・ジョブズは車を、スティーブ・ウォズニアックは電卓を売り、資本金1,300ドルと製品の設計図、事業計画がそろいました。
スティーブ・ウォズニアックが働いているヒューレット・パッカード社にPCのデモを行いました。
ヒューレット・パッカード社は、PCには驚きましたが、PCを取り扱うことはないと判断しました。

1976年4月1日、スティーブ・ジョブズは、スティーブ・ウォズニアックとロン・ウェインと共にアップル社を設立しました。
スティーブ・ジョブズは、電子工学とマーケッティングについて責務を負い、利益配分率は45%としました。
スティーブ・ウォズニアックは、電子工学について責務を負い、利益配分率は45%としました。
ロン・ウェインは、機械工学と文書作成について責務を負い、利益配分率は10%としました。
スティーブ・ジョブズは、借り入れをして資金を増やうとします。
ロン・ウェインは、事業に失敗したことがあるので、再び、債権者が押し寄せてくるようになるのではないかと恐れて、800ドルだけを得て、さらに1.500ドルを得るだけで、責務と10%の利益配分率を放棄しました。

スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、ホームブリュー・コンピュータ・クラブでPCのデモを行いました。
安いMOSテクノロジーズ社のマイクロプロセッサーを使用していることで評価はされませんでした。

バイトショップというコンピュータショップを経営しているポール・テアルは、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックのデモに感心し、名刺を渡しました。
スティーブ・ジョブズは、翌日にバイトショップを訪れ、ポール・テアルと交渉し、プリント基板ではなく、プリント基板に部品を実装した50台の完成基板に対して、1台500ドルを支払うという約束を取り交わしました。
50台の完成基板を作成するためには、部品代だけでも1万5000ドルも必要になりました。
スティーブ・ジョブズは、資金調達をしようとしましたが、友人の父親から5,000ドル借り入れられただけで、銀行からは借り入れることができず、粘り強く部品の仕入れ先を探し、ポール・テアルがクラマーエレクトロニクスに部品代を30日後に支払うことで、2万5000ドルもの部品を調達できました。

スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、部品代の30日後の支払期日までに50台の完成基板をポール・テアルに納品しなければならなくなりました。
スティーブ・ジョブズは、プリント基板に部品をはんだ付けして作成しました。
スティーブ・ウォズニアックは、作成された完成基板をテストし、動作した完成基板を箱詰めし、動作しなかった完成基板のチェックをしました。
スティーブ・ジョブズは、20日後に、すべてのパッケージが揃っていない10台の完成基板に不満を感じているポール・テアルから、代金を受け取りました。
スティーブ・ジョブズは、30日後に、ポール・テアルに40台の完成基板を引き渡し、合計50台の代金を受け取りました。
スティーブ・ジョブズは、さらに安く部品を調達し、ポール・テアルから受け取った合計50台の代金の利益で、50台の完成基板を作成し、知人に販売し、もう100台の完成基板を作成しました。
1976年6月、スティーブ・ジョブズは、製作費の3倍の666.66ドルで完成基板を販売することにしました。
この完成基板は、AppleⅠと名づけられました。
AppleⅠは、ケース、キーボード、電源を用意し、テレビ受像機を接続して、組み立てて使用します。
カセットテープインターフェースは、別売りで用意され、BASIC言語をテープで使用できます。
AppleⅠは、自作PCの元祖のようなPCです。

1976年、インターフェース誌7月号は、AppleⅠを特集しました。
1976年9月、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、ニュージャージー州アトランティックシティで開催された第1回パーソナルコンピュータ・フェスティバルに、AppleⅠと試作中のAppleⅡを持ってきました。
AppleⅠは。会場で展示されました。
スティーブ・ジョブズは、会場を見て回りながら、すべてのパッケージが揃っているPCが必要だと感じました。
スティーブ・ウォズニアックは、AppleⅡを改善しました。
AppleⅡは、カラープロジェクターでの動作試験に成功しました。
AppleⅠは、8,000ドルの売り上げをあげました。

スティーブ・ジョブズは、ロン・ウェインにAppleⅡのケースを依頼しました。
スティーブ・ジョブズは、ロン・ウェインが作成したケースが気に入らず、採用しませんでした。
スティーブ・ジョブズは、ホームブリュー・コンピュータ・クラブでコンサルタントをしているジェリー・マノックに1.500ドルでケースのデザインを依頼しました。
スティーブ・ジョブズは、ジェリー・マノックが作成したケースに大喜びして、採用しました。
スティーブ・ジョブズは、ロッド・ホルトにAppleⅡの電源を依頼しました。
スティーブ・ジョブズは、ロッド・ホルトが作成したスイッチング電源を気に入り、採用しました。
スティーブ・ジョブズは、スティーブ・ウォズニアックにAppleⅡの配線をまっすぐに美しくするように依頼しました。
1976年11月、スティーブ・ジョブズは、AppleⅡを製造するために、資金を集めるために、人々に連絡し、マイク・マークラと出会いました。
マイク・マークラは、33歳でしたが、Intelで働いて、戦略、物流、財務、マーケッティングに詳しく、Intelの株式公開で、巨万の富を得て、悠々自適に暮らしていました。
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、マイク・マークラと意気投合しました。
マイク・マークラは、Apple社の事業計画書を書くことになりました。
マイク・マークラは、スティーブ・ウォズニアックがヒューレッド・パッカードを辞め、アップル社に専念し、第1回ウェストコースト・コンピュータ・フェアでAppleⅡを発表し、Apple社を株式会社として、Apple社の25%の株式と引き換えに、9万2000ドルとバンク・オブ・アメリカから25万ドルの個人融資をApple社に投資しました。
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、Apple社の25%の株式を得ることにしました。
残りの25%のApple社の株式は、将来の投資家のために、残しておきました。
マイク・マークラ、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、合意しました。
スティーブ・ウォズニアックは、ヒューレット・パッカード社を辞めて、エンジニアとして、Apple社に参加することにしました。
マイク・マーラクは、「アップルのマーケッティング哲学」として、「共感」、「フォーカス」と「印象」を掲げました。

1976年11月、デジタルリサーチ社は、8ビットCPUである8080やZ80上で動作する業界標準のOSとなる、CP/Mを発売しました。

1976年11月26日、ビル・ゲイツとポール・アレンは、マイクロソフトをニューメキシコ州で法人化しました。

1977年1月3日、スティーブ・ジョブズは、スティーブ・ウォズニアックとマイク・マーラクと共にアップルコンピュータを設立しました。
アップルコンピュータの初代CEOは、マイク・スコットです。

スティーブ・ジョブズは、AppleⅡを「印象」つけるためにIntelの広告をしたレジス・マッケナンに粘り強く交渉し依頼しました。
アートディレクターのロブ・ヤノフは、アップルコンピュータのリンゴのロゴマークをデザインしました。

1977年4月16日から17日、アップルコンピュータは、サンフランシスコで開催された、
第1回ウェストコースト・コンピュータ・フェアで、AppleⅡというCPU、メモリー、キーボード、画像出力装置、音声出力装置、外部記憶装置、プログラム用言語、ゲームI/Oを単一製品として、史上初の一体型PCを1,298ドルで発表しました。
アップルコンピュータは、AppleⅡに対する300件もの注文を獲得しました。
AppleⅡと一般家庭用テレビを接続して、カラー表示でグラフィカルな表示を行うことができるので、多くのゲームが、AppleⅡ上で開発されました。
アップルコンピュータは、AppleⅡを600万台も売りました。

パーソナルコンピュータ市場は、CP/MとAppleⅡで独占されました。

1979年5月17日、スティーブ・ジョブズのガールフレンドであるクリス=アン・ブレナンは、スティーブ・ジョブズの娘であるリサ(Lisa)を出産しました。
スティーブ・ジョブズは、リサを自分の子として認知せず、法廷闘争の末、敗訴し、認知することになりました。
スティーブ・ジョブズは、アップルコンピュータを株式公開する前に、一連の訴訟を終えて、クリス=アン・ブレナンにもリサにも、お金を渡さないようにしました。

1979年7月、アップルコンピュータでは、スティーブ・ジョブズがAppleⅡを超えるコンピュータを開発する16ビットCPUのモトローラ68000を使用するLisaプロジェクトを開始しました。
スティーブ・ジョブズは、結婚していないクリス=アン・ブレナンとの娘である名前Lisaをプロジェクト名にしました。

1979年9月、アップルコンピュータでは、ジェフ・ラスキンがMacintoshプロジェクトをビル・アトキンソンやビュレル・スミスなど4人で開始しました。
Macintoshは、リンゴの品種名です。
価格は1,000ドル以下、8ビットCPUのモトローラ6809に、5インチのスクリーンを一体型として、家電のようにシンプルで、パーソナルなコンピューターを目指しました。

1979年12月、スティーブ・ジョブズは、ゼロックスがアップルコンピュータの1株を10ドル、10万株を購入するという100万ドルの投資を受け入れ、ゼロックスPARCを視察し、GUIとオブジェクト指向プログラミング言語に将来のPCだと確信しました。

1980年5月19日、アップルコンピュータは、AppleⅢを発表しました。

1980年7月、IBM社は、IBM PCの開発を始めました。
12名という少数のスタッフと1年間という短納期で開発ななければならず、CPUやメモリーや周辺機器やOSやプログラミング言語は社外から調達して、開発することにしました。

IBM社は、インテル社から16ビットCPU(8088)を調達することにしました。
IBM社は、マイクロソフト社からOSやプログラミング言語を調達することにしました。
こうして、パーソナルコンピューターの業界標準が開発されました。

1980年9月、マイク・スコットとマイク・マーラクは、スティーブ・ジョブズをLisaプロジェクトから外しました。
スティーブ・ジョブズは、Macintoshプロジェクトに参加し、Lisaプロジェクトで実現する製品を製作することにしました。
スティーブ・ジョブズは、Macintoshプロジェクトが使用するCPUをLisaプロジェクトで使用する16ビットCPUのモトローラ68000に変更し、GUIもマウスも使用することにしました。
マイク・スコットは、スティーブ・ジョブズにMacintoshプロジェクトを与えました。
ジェフ・ラスキンは、Macintoshプロジェクトから外され、休暇を与えられ、キャノンに転職しました。
スティーブ・ジョブズは、社内外から優秀な人材をMacintoshプロジェクトに参加させました。

1980年12月、マイクロソフト社は、シアトル・コンピュータ・プロダクツ社からQDOSの非独占的なライセンスを25,000ドルで買い取りました。

1980年12月12日、アップルコンピュータは、公募価格22ドルで460万株を株式公開しました。
22ドルで取引開始され、初日に29ドルまで上昇しまし、全ての株式が売れました。
スティーブ・ジョブズは、アップルコンピュータの株を750万の発起人者株を所有し、2億ドル以上の資産を手に入れ、フォーブス誌の長者番付に掲載されました。
アップルコンピュータの創業者株を得た者は、莫大な資産を得ました。
スティーブ・ジョブズは、技師と呼ばれる時給扱いの従業員には、発起人者株は与えませんでした。

1981年2月、マイクロソフト社は、PC-DOSというIBM社のIBM PC上で動作する16ビットOSを発表しました。

1981年2月25日、マイク・スコットは、AppleⅡのチームの人員の半分にあたる40名を解雇しました。

1981年3月、マイク・スコットはアップルコンピュータのCEOから退任し、マイク・マーラクは、アップルコンピュータのCEOに就任しました。

1981年4月27日、ゼロックスは、GUIを搭載した「スター」を16,595ドルで発売しましたが、3万台売れましたが、商業的には失敗しました。

1981年5月、マイクロソフト社は、シアトル・コンピュータ・プロダクツ社からティム・パターソンを引き抜いて、QDOSのIBM PCへの移植を行なわせました。

1981年7月、マイクロソフト社は、シアトル・コンピュータ・プロダクツ社からIBM PCを発売する1ヶ月前に、IBMの主な要求を満たしていたQDOSの全ての権利を5万ドルで買い取りました。
マイクロソフト社は、IBM社と秘密保持契約を結んでおり、IBM社との関係を公にすることは契約に反していたが、シアトル・コンピュータ・プロダクツ社は、マイクロソフト社がQDOSを安く買い取るためにIBM社との関係を秘密にしたと主張し、裁判になり、マイクロソフト社がシアトル・コンピュータ・プロダクツ社に100万ドル支払うことで和解しました。

1981年8月12日、IBM社は、IBM PCというパーソナルコンピューターを発売しました。
IBM PCは、CPUは16ビットのインテル社製i8088、メモリーは標準16KB(最大256KB)、モニターは80文字×25行のカラーモニター、記憶装置は2台の5.25インチディスクドライブ、OSはPC-DOSで、1,565ドルから発売されました。

パーソナルコンピュータ市場は、IBM PCとAppleⅡによる独占が始まりました。

1981年8月24日、アップルコンピュータは、IBM社に向けて「パーソナルコンピュータに参入おめでとう、真面目な話」という全面広告をウォール・ストリート紙に出しました。

IBM PCは、アップルコンピュータの市場を奪い始めました。

アップルコンピュータは、発売中のAppleⅡとAppleⅢ、AppleⅡと互換性のないLisa、AppleⅡとLisaとも互換性のないが、AppleⅡとLisaよりも高速なMacintoshという製品を発売することになりました。

1981年11月9日、アップルコンピュータは、4,340~7,800ドルで、AppleⅢを発売しました。

1982年2月15日、スティーブ・ジョブズは、タイム誌の表紙になりました。

1982年12月26日、タイム誌は、マシン・オブ・ザ・イヤーとしてコンピューターを選びました。

1983年1月19日、アップルコンピュータは、Lisaを1万ドルで発売しました。
Lisaは、個人が使用するパーソナルコンピュータとしては、速度が遅く、高すぎる価格のため、売れませんでした。

アップルコンピュータは、AppleⅡeを8ビットのCPU(MOS6502)、RAMは64KB、ROMは16KBを1,395ドルで発売し、大ヒットしました。

1983年4月、マイク・マーラクは、アップル社のCEOを退任し、ジョン・スカリーは、アップルコンピュータのCEOに就任しました。

1983年11月10日、Microsoft社は、Windows 1.0を発表しました。

1984年1月22日、アップルコンピュータは、リドリー・スコットが監督をして、Macintoshを宣伝するためにSF小説「1984」を元にした制作し、第18回スーパーボウルのTVコマーシャルとして、放映しました。
リドリー・スコットは、映画「エイリアン」、映画「ブレードランナー」、映画「1492 コロンブス」、映画「グラディエーター」、映画「ハンニバル」、映画「ブラックホーク・ダウン」、映画「キングダム・オブ・ヘブン」、映画「アメリカン・ギャングスター」、映画「ワールド・オブ・ライズ」、映画「ロビン・フッド」、映画「エクソダス:神と王」の監督を務めています。

1984年1月24日、アップルコンピュータは、Macintoshを2495ドルで発売しました。

1984年2月1日、マイケル・デルは、デル社をパーソナルコンピュータを保守を行う会社として創業しました。

1984年4月24日、アップルコンピュータは、AppleⅢを生産中止しました。

1984年8月14日、IBM社は、PC/ATというCPU、メモリー、ハードディスク、フロッピーディスクドライブ、ディスプレイ出力、キーボード入出力、シリアルポート、パラレルポート、AT拡張バスを持つPCを発売しました。
このPC/ATの互換機が、業界標準のPCになりました。
デル社は、PC/ATの互換機をパソコンの受注生産で行うパーソナルコンピュータ会社として、成長しました。

1984年10月~12月、スティーブ・ジョブズは、Macintoshの需要予測を大幅に見誤り、大量の在庫を抱え、創業以来四半期ベースで初の赤字となり、従業員の20%を解雇しました。

1985年2月5日、スティーブ・ウォズニアックは、アップルコンピュータを退社しました。

スティーブ・ジョブズは、ジョン・スカリーが中国に出張中にジョン・スカリーをアップルコンピュータから追放しようとして、失敗しました。
1985年5月24日、ジョン・スカリーは、アップルコンピュータの取締役達にジョン・スカリーを支持するのか、スティーブ・ジョブズを支持するのか問いただしました。
アップル社の取締役達は、ジョン・スカリーを支持しました。
スティーブ・ジョブズは、アップル社の経営権を失いました。

1985年8月16日、アップルコンピュータの株式は、1ドル83セントになりました。

スティーブ・ジョブズは、ルーカスフィルムのCG作成部門を訪問し、鮮明なCGアニメーションに感動しました。

スティーブ・ジョブズは、Macintoshを学生や教育機関に割引価格で販売し、大量のMacintoshを販売しました。
スティーブ・ジョブズは、Macintoshを学生や教育機関に売り込むために、大学や研究所を訪問していました。
スティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学でノーベル賞受賞者の生物学者であるポール・バーグと一緒にランチを食べました。
ポール・バーグは、スティーブ・ジョブズに遺伝子組み換えを実験室で実際に実験するのは難しく、費用もかかるので、学生が教科書だけで遺伝子組換えを教える必要があり、PCではシュミレーションできないことを伝え、PC以上の性能を持つ、高等教育用のワークステーションを制作を提案しました。

スティーブ・ジョブズは、高等教育用のワークステーションを実現するために、アップルコンピュータを辞任し、NeXT社を設立することにしました。

1985年9月13日、スティーブ・ジョブズはアップルコンピュータに辞表を提出し、辞職しました。
スティーブ・ジョブズは、アップルコンピュータの決算報告書を受け取るための株式を1株だけ残して、残りの650万株を売却しました。

1985年9月、スティーブ・ジョブズは、アップル社から引き抜いた6人のエンジニアと共に、NeXT社を設立しました。

1985年11月20日、Microsoft社は、Windows 1.0を発売しました。

1986年2月3日、スティーブ・ジョブズは、ルーカスフィルムのCG作成部門をを1,000万ドルでジョージ・ルーカスから買収し、ハードウェアとCG用のソフトを開発、販売する会社として、ピクサー社を設立し、会長に就任しました。

ピクサー社は、技術はありましたが、技術を市場で活用する方法が分からず、短編アニメを制作し、収益は得られず、赤字でした。

1988年3月29日、ピクサー社は、「ティン・トイ」を制作し、第61回アカデミー賞最優秀短編アニメーションを受賞しました。

1988年10月12日、NeXT社は、NeXTcubeを発表しました。

1989年10月、スティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学で講義をして、経済学修士課程の1年生である受講生のローレン・パウエルと付き合い始めました。

1989年11月、欧州原子核研究機構(CERN)のティム・バーナーズ=リーは、WWW(World Wide Web)を具体的にした提案書を発表し、最初のウェブページを作成し、NeXTcube上に格納しました。

1989年12月、欧州原子核研究機構(CERN)のティム・バーナーズ=リーは、WWWに必要な全ツールである世界初のウェブブラウザとWWWサーバを作成しました。

1990年4月、スティーブ・ジョブズは、ピクサー社のハードウェア技術とソフトウェアを含むハードウェア部門を200万ドルでビコム・システムに売却し、アニメーション部門だけを残しました。
スティーブ・ジョブズは、ハードウェアとソフトウェアの統合を捨て、新しく、強烈なユーザー体験を創造することに焦点を当てるようになりました。

1990年9月18日、NeXT社は、NeXTcubeを一般市場向けに7,995ドルで発売しました。
1988年10月12日、NeXT社は、NeXTcubeを発表しました。
NeXTcubeは、MC68030のCPU、64MBのメモリー、256MBの光磁気ディスク、660MBのハードディスク、10Base-2イーサーネット、1120×832ピクセルのディスプレイ、NEXTSTEPのOSという仕様で、PCをはるかに凌ぐ高性能で、高等教育機関向けに基本価格6500ドルで販売されました。

1990年12月20日、日本IBMは、PC/AT互換機で動作し、専用のハードウェアではなく、ソフトウェアだけで日本語を表示可能にしたOS「DOS/V」で動作するPS/55というパーソナルコンピューターを発売しました。

1991年、ピクサー社は、ウォルト・ディズニー社にCGアニメーション映画作成の売り込みを行いました。

1991年3月、ウォルト・ディズニー社は、ピクサー社に3本の劇場用作品の制作を依頼し、契約しました。

スティーブ・ジョブズは、ピクサー社に4000万ドルを追加投資し、合計5000万ドルを投資しました。
ピクサー社は、70台のSGIワークステーション、117台のSUNワークステーションを購入し、長編映画としては初のフルCGコンピュータ・グラフィックスのアニメーション映画「トイ・ストーリー」を制作しました。

1991年3月11日、スティーブ・ジョブズは、ロレーヌ・パウエルと結婚しました。
1991年9月、スティーブ・ジョブズの妻ロレーヌ・パウエルは、息子のリードを出産しました。

1991年10月21日、アップルコンピュータは、パワーブック100を発表しました。

1991年10月、GO社は、PenPointというタブレットPCを発表しました。

1991年10月、Microsoft社は、Windows for Pen ComputingというタブレットPC用OSを発売しました。

1992年4月6日、Microsoft社は、Windows3.1の英語版を発売しました。
Windows3.1は、PC/AT互換機で動作するMS-DOS上で動作するグラフィカルユーザー
インターフェース(GUI)機能です。

1992年10月5日、IBM社は、「ThinkPad 700T」というタブレットPCを発売しました。

1992年10月、アップルコンピュータは、パワーブック・デュオ210を発表しました。

1992年1月、アップルコンピュータは、NewtonというタブレットPCを発表しました。

1993年2月、NeXT社は、ハードウェア生産から撤退し、NEXTSTEPというソフトウェアに焦点を当てました。

1993年5月18日、Microsoft社は、Windows3.1の日本語版を発売しました。
Windows3.1によって、日本でもPC/AT互換機が業界標準となりました。

1993年6月18日、ジョン・スカリーは、アップルコンピュータのCEOを解任され、マイケル・スピンドラーは、アップルコンピュータのCEOに就任しました。

1993年、エド・ ウーラードは、デュポン社の元会長で、アップルコンピュータの取締役員に就任しました。

1993年7月27日、Microsoft社は、ビジネス向けパーソナルコンピューターのOSとして、Windows NT 3.1を発売しました。

1994年3月14日、アップルコンピュータは、パワー・マッキントッシュ6100を発表しました。

1994年8月16日、IBM社は、IBMサイモンというスマートフォンを発売しました。

1995年8月8日、アップルコンピュータは、パワー・マッキントッシュ7500を発売しました。

1995年8月19日、スティーブ・ジョブズの妻ロレーヌ・パウエルは、娘のエリンを出産しました。

1995年8月24日、Microsoft社は、Windows95の英語版を発売しました。
Windows95は、新しいGUI、TCP/IPなどのネットワーク機能を標準装備しました。

1995年8月25日、アップルコンピュータは、PowerPCを搭載したパワーブック5300を発表しました。

1995年11月23日、Microsoft社は、Windows95の日本語版を発売しました。

1995年11月22日、ウォルト・ディズニー社とピクサー社は、長編映画としては初のフルCGアニメーションである「トイ・ストーリー」を公開し、全世界でアニメーション史上第3位となる3億6200万ドルの興行収入を上げて、世界的に大ヒットしました。

1995年11月29日、ピクサー社は、公募価格22ドルで690万株を株式公開し、39ドルまで上昇しました。
スティーブ・ジョブズは、300万株を保有していたので、11億7000万ドルの資産を得ました。

スティーブ・ジョブズは、ウォルト・ディズニー社と新たに5本のアニメ映画に関する交渉を行い、興行収益も関連商品収益もウォルト・ディズニー社とピクサー社とで等分にする契約をしました。
この契約により作成され公開されたのが「バグズ・ライフ」、「モンスターズ・インク」、
「ファインディング・ニモ」、「Mr.インクルディブル」、「カーズ」です。

1996年2月、マイケル・スピンドラーは、アップルコンピュータのCEOを退任し、ギル・アメリオは、アップルコンピュータのCEOに就任しました。

1996年8月15日、Nokia社Nokia 9000というスマートフォンを発売しました。

1996年12月10日、スティーブ・ジョブズは、アップルコンピュータにNEXTSTEPをプレゼンテーションしました。

1996年12月20日、アップルコンピュータは、次期OSをNEXTSTEPにすることを決定し、NeXT社を買収すると発表しました。
アップルコンピュータは、スティーブ・ジョブズに1億2000万ドルの現金とアップルコンピュータの株式3700万株を支払いました。

1997年1月、スティーブ・ジョブズは、非常勤顧問としてアップルコンピュータに復帰しました。

スティーブ・ジョブズは、従業員の士気を高めるという名目で、従業員のストックオプションの価格を引き下げて、従業員が株価上昇によって得られる利益を上げることを取締役会に提案しました。
取締役会は、この提案を受け入れました。
スティーブ・ジョブズは、ギル・アメリオやマイク・マークラなどの取締役員を追い出し、取締役員を刷新しました。

1997年7月7日、ギル・アメリオは、アップルコンピュータのCEOを辞任し、スティーブ・ジョブズは、暫定CEOに就任しました。

1997年8月6日、スティーブ・ジョブズは、ボストン国際トレードセンターでアップルコンピュータとMicrosoft社との業務提携を発表しました。
「我々の間で競争する時代は終わった。
 ありがとう、ビル。
 君の協力に感謝するよ。
 いい時代が来た」

1997年9月26日、アップルコンピュータは、Mac OS 8を発売しました。

スティーブ・ジョブズは、製品ラインナップをプロ向けデスクトップのパワー・マッキントッシュG3、プロ向けポータブルのパワーブックG3、消費者向けデスクトップのiMacと消費者向けポータブルのiBookに絞り込みました。

1997年9月30日、Microsoft社は、インターネットブラウザであるInternet Explorer4をWindows95やWindowsNT4.0のOSと統合し、最も多く使用されていたインターネットブラウザであるNetscape社と激しいシェア争いが始まりました。

1997年11月10日、アップルコンピュータは、パワー・マッキントッシュG3とパワーブックG3を発表しました。

1998年5月、スティーブ・ジョブズの妻ロレーヌ・パウエルは、娘のイブを出産しました。

1998年6月25日、Microsoft社は、Windows98の英語版を発売しました。
1998年7月25日、Microsoft社は、Windows98の日本語版を発売しました。
Microsoft社は、インターネットブラウザであるInternet Explorer4をWindows98に統合し、ネットワーク上のファイルもローカルファイルと同じように使用できるようにしました。
Microsoft社は、インターネットブラウザのシェア争いでNetscape社に勝利しました。

1998年7月25日、アップルコンピュータは、iBookを発表しました。

1998年8月15日、アップルコンピュータは、iMacを発表しました。

1999年1月5日、アップルコンピュータは、パワー・マッキントッシュG3(Blue&White)を発表しました。

1999年5月、ショーン・ファニングはP2P技術を使用して、音楽ファイルを共有するNapsterを開発し、叔父のジョン・ファニングと、企業家のショーン・パーカーと共にNapster社を設立しました。
Napsterによって、著作権を無視した音楽ファイルの共有が開始されました。

1999年10月23日、アップルコンピュータは、Mac OS 9を発売しました。

1999年12月6日、レコード会社は、Napster社を著作権侵害で提訴しました。

2000年1月、スティーブ・ジョブズは、アップルコンピュータのCEOに就任しました。

2000年2月18日、Microsoft社は、Windows2000を発売しました。

2001年1月9日、アップルコンピュータは、パワーブックG4を発表しました。
アップルコンピュータは、マッキントッシュ専用の音楽再生・管理ソフトウェアとしてiTunesをリリースしました。
アップルコンピュータは、音楽ファイルを個人がPC上で合法的に利用できるようにしました。

2001年2月12日、米国裁判所は、Napster社を著作権侵害で違法という判決を下しました。

2001年3月24日、アップルコンピュータは、Mac OS Xを発売しました。
Mac OS Xは、NEXTSTEPの技術をベースに開発されたOSです。

2001年11月16日、Microsoft社は、WindowsXPを発売しました。
WindowsXPは、マルチメディア機能と安定性と堅牢性を兼ね備えたOSとなり、世界的に大ヒットしました。

2001年10月23日、アップルコンピュータは、マッキントッシュ専用のデジタルオーディオプレーヤーとしてiPodを発表しました。
音楽ファイルを「いつでも、どこでも音楽を聴くことができる」という生活スタイルを提案し、世界的に大ヒットしました。

2002年6月12日、Microsoft社は、Windows XP Tablet PC Editionを発表しました。

2002年8月29日、Microsoft社は、Poket PC Phone Editionを発表しました。

2003年6月3日、Napster社は倒産しました。

2003年6月23日、Microsoft社は、Windows Mobileを発表しました。

2003年、マーク・ザッカーバーグは、アダム・ダンジェロと共に音楽再生用フリーソフトウェア「Synapse Media Player」のサービスを開始しました。
「Synapse Media Player」は、利用者が以前に選択した曲をベースに、聞く曲目を予測してくれる機能が高い称賛を受けたソフトウェアで、Microsoft社を含む幾つかのソフトウェア会社がこのプレイヤーに興味を示しましたが、正式な取引は行われませんでした。

2003年10月16日、アップルコンピュータは、iTunesのWindows版を発売しました。
WindowsのPCでもiPodが簡単に使用できるようになりました。

2004年1月6日、アップルコンピュータは、iPod miniを発表しました。

マーク・ザッカーバーグは、「Coursematch.com」のサービスを開始しました。
「Coursematch.com」は、同じクラスを履修している他の学生のリストを参照できるようにしました。
マーク・ザッカーバーグは、女性の画像を見て比較できる「Facemash.com」のサービスを開始しました。
2004年、マーク・ザッカーバーグとエドゥアルド・サベリンは、Facebookを創業しました。

2004年2月、ショーン・パーカーは、Facebookの初代CEOになりました。

2006年5月5日、ウォルト・ディズニー社は、ピクサー社を買収し、完全子会社にしました。
スティーブ・ジョブズは、ウォルト・ディズニー社の個人筆頭株主(持株率約7%)になり、
ウォルト・ディズニー社の取締役員に就任しました。

2006年11月30日、Microsoft社は、Windows Vistaを発売しました。

2007年3月22日、アップルコンピュータは、Apple TVを発売しました。

2007年6月29日、アップル社は、iPhoneというスマートフォンを発売しました。
iPhoneは、ボタン操作ではなく、ディスプレイ上の様々な指の動きで操作するマルチタッチを採用し、インターネットに接続ができ、「いつでも、どこでもインターネットができる」という生活スタイルを提案し、世界的に大ヒットしました。

Windows Mobileは、マルチタッチに対応出来ずに、シェアをiPhoneに奪われました。

2007年11月19日、アマゾン社は、キンドルという電子ブックリーダーを発表しました。

2008年9月15日、米国のリーマン・ブラザースという投資信託銀行が破綻して、世界的な金融危機が発生しました。

2008年10月22日、各社は、グーグル社が開発した誰でも利用できるオープンOSとしてAndroidというスマートフォン用OSを利用したスマートフォンが発売しました。

2009年6月22日、アップルコンピュータは、iPhone 3GSを発表しました。

2009年10月22日、Microsoft社は、Windows7を発売しました。

2009年から、米国でCD売上が減り始め、音楽ファイルでの売上が増加しました。

2010年4月3日、アップルコンピュータは、iPadというタブレットPCで、電子ブックリーダーを発売しました。

2010年6月24日、アップルコンピュータは、iPhone 4を発売しました。

2010年10月~12月、スマートフォンの全世界出荷台数は1億台を超え、PCの全世界出荷台数である9200万台を超えました。

2011年4月11日、連邦控訴審は、ウィンクルヴォス兄弟の「自分たちの株式の価値は低すぎる」との主張を退けた第一審の判決を支持し、評価額1株あたり8ドル88セント相当のFacebook株式を受け取るべきとの判断を示しました。

2011年8月24日、スティーブ・ジョブズは、アップルコンピュータのCEOを辞任しました。

2011年10月4日、アップルコンピュータは、iPhone 4Sを発表しました。

2011年10月5日、スティーブ・ジョブズは、膵臓腫瘍の転移による呼吸停止により米国カリフォルニア州パロアルトの自宅で妻や親族に看取られながら、56歳で、亡くなりました。

2012年8月20日、アップルコンピュータは、1株664.74ドルとなり時価総額で世界一になりました。

2014年には、米国でのCD売上は半減しました。

感想

スティーブ・ジョブズは、ハードウェアでもなく、ソフトウェアでもなく、PCでもなく、iTunesでもなく、iPodでもなく、iPhoneでもなく、iPadでもなく、iCloudでもなく、新しく、強烈なユーザー体験を創造したかったんだと感じました。
デザインにこだわり、ハードウェアとソフトウェアを統合して、ユーザーに提供しようとしたのだろうとも感じました。

今、世界を席巻している「GAFA」の一つがアップルコンピュータです。

スティーブ・ジョブズは、アップルコンピュータの創業者の一人で、アップルコンピュータの株式上場で2億ドル以上の資産を手に入れますが、アップルコンピュータを辞職せざるえなくなり、NeXT社を創業しCEOを務め、ピクサー社を買収し会長を務め、ピクサー社の株式上場で11億7000万ドルの資産を得ました。
スティーブ・ジョブズは、アップルコンピュータがアップルコンピュータの株式150万株でNeXT社を買収することで、スティーブ・ジョブズは復職し、アップルコンピュータのCEOになりました。
スティーブ・ジョブズは、iPodを発表しました。

iPhoneが登場する前で、この映画は終わってしまうので、iPhoneについて期待すると期待外れになります。

スティーブ・ジョブズがiPodを発表するシーンから始まります。
その後は、スティーブ・ジョブズが大学時代からアップルコンピュータのCEOになるまでが描かれます。
1972年~2001年までの29年間、20年前までの出来事が描かれています。
1972年6月17日には、ウォーター事件が起きました。
2001年9月11日には、米国同時多発テロ事件が起きました。
29年間の出来事を描こうとすると、各々出来事については細かく描くことはできずに、
各々出来事については知っている前提で、簡単に描かれています。
若い人、コンピュータに詳しくない人、コンピュータに興味がない人には退屈な映画です。
スティーブ・ジョブズについて知っている人、知りたい人、コンピュータに詳しい人、自己啓発を得たい人には楽しい映画です。
スティーブ・ジョブズの言葉には、人を高揚させ、人を動かす何かが確かにあります。

スティーブ・ジョブズについて知らない人は、この映画を観てもわからないです。
この映画を観て、スティーブ・ジョブズについて知りたくなった人には、ウォルター・アイザックソン著/井口耕二訳「スティーブ・ジョブス 1」と「スティーブ・ジョブス 2」講談社を読むと理解できるようになります。
読んでも理解できない部分は、調べる必要があります。
スティーブ・ジョブズのような日本人はいないので、日本人がスティーブ・ジョブズを理解するのは困難です。

スティーブ・ジョブズは、Macintoshを学生、大学や研究所に割引価格で販売し、採用され、大量のMacintoshを販売しました。
30年以上経過している日本では、今でも学校に教育用PCが採用されていないのが現状です。

スティーブ・ジョブズの名言

スティーブ・ジョブズの名言
  • 1年で2億5000万ドルも失ったのは、知っている限りでは私だけだ。人格形成に大きな影響を与える出来事だった。
  • 当時は分からなかったが、アップルコンピュータに解雇されたことは、私の人生で起こった最良の出来事だったと後に分かった。
    成功者であることの重さが、再び創始者になることの身軽さに置き換わったのだ。
    何事につけても不確かさは増したが、私は解放され、人生の中で最も創造的な時期を迎えた。
  • あなたの時間は限られている。
    だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。
    ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。
    それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。
    他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。
    そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。
    それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。
    それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。
  • 大事なのは自分の心に素直になることだ。
  • 墓場で一番の金持ちになることは私には重要ではない。
    夜眠るとき、我々は素晴らしいことをしたと言えること、それが重要だ。
  • 過去ばかり振り向いていたらのではダメだ。
    自分がこれまで何をして、これまでに誰だったのかを受け止めた上で、それを捨てればいい。
  • 昔を振り返るのはここでやめにしよう。
    大切なのは明日何が起きるかだ。
  • ハングリーであれ。愚か者であれ。
  • 歳をとればとるほど、動機こそが大切だという核心が深まる。
  • この地上で過ごせる時間には限りがあります。
    本当に大事なことを本当に一生懸命できる機会は、二つか三つくらいしかないのです。
  • 一つのことを、一生やり続けられると確信する日がくる。
  • キャリアではない。私の人生なんだ。
  • 人は、生まれ、ほんの一瞬生き、そして死ぬんだ。ずっとそうだ。
  • 旅の過程にこそ価値がある。
  • 終着点は重要じゃない。
    旅の途中でどれだけ楽しいことをやり遂げているかが大事なんだ。
  • 残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか?
  • 毎日を人生最後の日だと思って生きれば、いつか必ずその日は来るだろう。
  • もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?
  • 知ってると思いますが、私たちは自分たちの食べる食べ物のほとんどを作ってはいません。
    私たちは他人の作った服を着て、他人のつくった言葉をしゃべり、他人が創造した数学を使っています。
    何が言いたいかというと、私たちは常に何かを受け取っているということです。
    そしてその人間の経験と知識の泉に何かをお返しができるようなものを作るのは、すばらしい気分です。
  • 何かを捨てないと前に進めない。
  • 何を捨てるかで誇りが問われ、何を守るかで愛情が問われる。
  • 人生で何をしたいか、大学がどう役に立つのか見当もつかなかった。
  • 僕は三十歳、まだまだ成し遂げたいことがある。
  • 人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。
    だけど、信念を放り投げちゃいけない。
  • イノベーションは、研究開発費の額とは関係がない。
    アップルコンピュータがマックを開発したとき、米IBM社は少なくとも私たちの100倍の金額を研究開発に投じていた。
    大事なのは金ではない。
    抱えている人材を、いかに導いていくか、どれだけ目標を理解しているかが重要だ。
  • 方向を間違えたり、やり過ぎたりしないようにするには、まず「本当は重要でも何でもない」1,000のことに「ノー」と言う必要がある。
  • 最も重要な決定とは、何をするかではなく、何をしないかを決めることだ。
  • 重要なことに集中する唯一の方法は「ノー」と言うことだ。
  • 多くの場合、人は形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいのかわからないものだ。
  • どんなマーケティングでも、駄作をヒットさせることはできない。
  • イノベーションの出どころは、夜の10時半に新しいアイデアが浮かんだからと電話をし合ったりする社員たちだ。
  • 偉大な製品は、情熱的な人々からしか生まれない。
  • イノベーションは、誰がリーダーで誰がフォロワーかをはっきりさせる。
  • 『iMac』は1,299ドルだが、来年の新しいコンピューターだ。
    昨年のコンピューターを999ドルで売るのとはわけが違う。
  • 我々は自らのビジョンに賭けているんだ。
    そうする方が横並びの製品をつくるよりいいと思っている。
    そういうものは他社に任せるよ。
    我々にとっていつも大事なのは次の夢なんだ。
  • 「優れた芸術家はまねをし、偉大な芸術家は盗む」とピカソは言った。
    だからすごいと思ってきたさまざまなアイデアをいつも盗んできた。
  • 次にどんな夢を描けるか、それがいつも重要だ。
  • 絶対に真似のできない、真似をしようとすら思わないレベルの革新を続ける。
  • 自分たちの製品を知らずに、どうやってお客に勧めるというんだい?
  • インターネットやパソコンは、知識や情報を伝えることに偏っている。
    私はパソコンを人間性溢れる存在にし、人々が自分の感情を、より豊かに表現する手伝いをしたい。
  • 私たちのゴールは、いついつまでにではない。
    最良の製品を生み出すのがゴールなのだ。
  • インターネットは驚異的だが感動を呼び起こすことはない。
    感動的なことをコンピューターで実現したいのだ。
  • 模倣するほうが楽かもしれない。
    でもそんなことをしても世界はよくならない。
  • 革新的なことをしていると、たまに過ちを犯す。
    一番良いのは、すぐその過ちを認めて、次の革新を急ぐことだ。
  • 夢を実現できるか否かは、途中で諦めるかどうかにかかっています。
    必要なのは強い情熱なんです。
  • 私は、本当に好きな物事しか続けられないと確信している。
    何が好きなのかを探しなさい。
    あなたの仕事にも、恋人にも。
  • 即戦力になるような人材なんて存在しない。
    だから育てるんだ。
  • あなたと僕は未来をつくるんです。
  • 自分の居場所を自分でつくるんだ。
  • オーケー、誰も助けてくれないなら、自分たちでやるまでだ。
  • ベストを尽くして失敗したら、ベストを尽くしたってことさ。
  • お膳立てさえしてやれば、人は自分の限界以上の仕事をやり遂げるんだよ。
  • 大事なのは技術ではなく、それを使って何を生み出すことが出来るかだ。
  • いくらかかるかなんて、どうでもいい。
  • 危機に直面すると、ものごとがよく見えてくる。
  • 創造とは結びつけること。

1年で2億5000万ドルも失ったのは、知っている限りでは私だけだ。
人格形成に大きな影響を与える出来事だった。

自分は早期退職により、数年分の年収を失いました。
自分の知っている限り早期退職したのは、自分だけです。
早期退職が、自分の人格形成にどんな影響を与える出来事なのかを理解していません。

当時は分からなかったが、アップルコンピュータに解雇されたことは、私の人生で起こった最良の出来事だったと後に分かった。
成功者であることの重さが、再び創始者になることの身軽さに置き換わったのだ。
何事につけても不確かさは増したが、私は解放され、人生の中で最も創造的な時期を迎えた。

退職は、自分の人生で最良の出来事にしたいです。
就業者であることの重さが、再び無職者になることの身軽さに置き換わりました。
何事につけても不確かさは増しましたが、自分は解放され、人生の中で最も創造的な時期を迎えています。

あなたの時間は限られている。
だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。
ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。
それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。
他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。
そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。
それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。
それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。

凡人の自分には、身に染みる言葉です。
限られた時間をドグマ(教義、常識、既存の理論)に囚われて生きてきました。
他人が下した評価の下で生きてきました。
自分の内面の声に耳を傾けることなく生きてきました。
自分に心と直感があるかさえ分かりませんでした。
自分を信じる勇気はありませでした。
退職後は、自分の内面の声に耳を傾け、ドグマ(教義、常識、既存の理論)に囚われることなく、生きていきたいです。

大事なのは自分の心に素直になることだ。

ドグマ(教義、常識、既存の理論)に囚われることなく、自分の心に素直になるのは難しいです。
自分がやりたいことを探し続けることで、自分の心に素直になります。

墓場で一番の金持ちになることは私には重要ではない。
夜眠るとき、我々は素晴らしいことをしたと言えること、それが重要だ。

お金持ちにさえなれませんが、夜眠るとき、良いブログが書けたと言えるようになりたいです。

過去ばかり振り向いていたらのではダメだ。
自分がこれまで何をして、これまでに誰だったのかを受け止めた上で、それを捨てればいい。

変えようがない過去を振り向いているだけでは意味はありません。
過去を振り向いて、将来に活かした後で、将来に活かすことのできなくなった過去を捨てるということです。
退職前までのことを振り返り、退職後に活かした後で、退職前のことは忘れます。

昔を振り返るのはここでやめにしよう。
大切なのは明日何が起きるかだ。

変えようがない昔を振り向いことはやめにします。
大切なのは退職後に何をするかです。

ハングリーであれ。愚か者であれ。

自分のしたいことをするために、ハングリーであれということです。
自分のしたくないことを押し付けられないために、愚か者であれということです。

歳をとればとるほど、動機こそが大切だという核心が深まる。

歳はとりましたが、大切だという動機は、ありません。
大切だという動機を探し続けて、生きていきたいです。

この地上で過ごせる時間には限りがあります。
本当に大事なことを本当に一生懸命できる機会は、二つか三つくらいしかないのです。

1度転職して、一生懸命に二つのことをしてきました。
退職後に、一生懸命できる何かをもう一つ見つけたいです。

一つのことを、一生やり続けられると確信する日がくる。

一つのことを、一生やり続けられると確信する日まで、探し続けたいです。

キャリアではない。私の人生なんだ。

「キャリアではない」ということは、「肩書ではない」ということです。
退職後には、肩書はありません。
退職後には、自分の人生があるだけです。

人は、生まれ、ほんの一瞬生き、そして死ぬんだ。ずっとそうだ。

自分は、生まれ、ほんの一瞬生きて、そして死にます。
退職前は、ほんの一瞬生きることを大切にしてきませんでした。
退職後は、ほんの一瞬生きることを大切に生きていきます。

旅の過程にこそ価値がある。

仕事を口実に、旅はしていません。
訪れた国は、ドイツ、イタリア、アメリカ、香港、メキシコ、韓国、シンガポール、英国と多くの場所に行ってきましたが、ほとんどが、出張と出張のついでの観光です。
退職後は、「旅の過程」という意味を考え続けながら、生きたいです。

終着点は重要じゃない。
旅の途中でどれだけ楽しいことをやり遂げているかが大事なんだ。

退職後は、何をすると楽しいのかを探し続けながら、生きたいです。

残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか?

残りの人生を誰かのために費やすことなく、自分を変えるチャンスが欲しいです。

毎日を人生最後の日だと思って生きれば、いつか必ずその日は来るだろう。

自分のしたいことを人生の最後の日まで行うということです。

もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?

退職前は、自分の本当にやりたいことを探すことをしてきませんでした。
自分のやりたいことを見つけられていません。
退職前は、自分の本当にやりたいことを見つけ、本当にやりたいこと行いたいです。

知ってると思いますが、私たちは自分たちの食べる食べ物のほとんどを作ってはいません。
私たちは他人の作った服を着て、他人のつくった言葉をしゃべり、他人が創造した数学を使っています。
何が言いたいかというと、私たちは常に何かを受け取っているということです。
そしてその人間の経験と知識の泉に何かをお返しができるようなものを作るのは、すばらしい気分です。

自分がこうして生きていられるのは、先人達が創造した経験と知識のおかげであることは間違いありません。
自分の経験と知識をブログに残して、後人達に渡したいです。

何かを捨てないと前に進めない。

時間は限られています。
何かを捨てない限り、何かを始めることはできません。
自分は、職を捨てました。
何でも新しいことに挑戦し、前に進みたいです。

何を捨てるかで誇りが問われ、何を守るかで愛情が問われる。

退職することで、自分に誇りが持てました。
自分を守ることで、自分に愛情を感じました。

人生で何をしたいか、大学がどう役に立つのか見当もつかなかった。

自分は、大学時代に、人生で何をしたいのかを考えることなく、過ごして、大学というシステムを生み出すシステムの中で、システムの一部になってしまいました。

僕は三十歳、まだまだ成し遂げたいことがある。

自分は六〇歳、まだ成し遂げたいことがありません。

人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。
だけど、信念を放り投げちゃいけない。

ブログのアクセスがない日々が続くものです。
自分は、ブログの記事を書き続けます。

イノベーションは、研究開発費の額とは関係がない。
アップルコンピュータがマックを開発したとき、米IBM社は少なくとも私たちの100倍の金額を研究開発に投じていた。
大事なのは金ではない。
抱えている人材を、いかに導いていくか、どれだけ目標を理解しているかが重要だ。

自分が投じられる金額は限られています。
大事なのは金ではない。
自分をいかに導いていくか、どれだけ目標を理解しているかが重要だということです。

方向を間違えたり、やり過ぎたりしないようにするには、まず「本当は重要でも何でもない」1,000のことに「ノー」と言う必要がある。

退職後は、他の誰かに押し付けられることなく、方向を決められますし、どのように実行するのかも決められるので、本当に重要でも何でもないことに「ノー」を言います。

最も重要な決定とは、何をするかではなく、何をしないかを決めることだ。

退職後は、自分のしたいこと以外しないと決めました。

重要なことに集中する唯一の方法は「ノー」と言うことだ。

退職後は、自分のしたいこと以外には「ノー」と言います。

多くの場合、人は形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいのかわからないものだ。

読者はどんなブログの記事を読みたいのかわかりません。
ブログの記事を書くことで、読者が読みたい記事を書くことができます。

どんなマーケティングでも、駄作をヒットさせることはできない。

どんなSEO対策をおこなっても、価値のないブログのアクセス数を増やすことはできません。

イノベーションの出どころは、夜の10時半に新しいアイデアが浮かんだからと電話をし合ったりする社員たちだ。

良いアイディアは、通勤途中や移動途中に生まれることが多いです。
退職後は、いろいろなところへ行くことで、良いアイディアを思いつき、実行したいです。

偉大な製品は、情熱的な人々からしか生まれない。

偉大なブログは、情熱的な人々からしか生まれない。
自分が、情熱的になれることについて、ブログで記事を書くということです。

イノベーションは、誰がリーダーで誰がフォロワーかをはっきりさせる。

イノベーションを起すブログは、ブログを書く人がリーダーで、ブログを読む人がフォロワーです。

『iMac』は1,299ドルだが、来年の新しいコンピューターだ。
昨年のコンピューターを999ドルで売るのとはわけが違う。

このブログは、退職者の生活を変える新しいブログだ。
これまでのブログとはわけが違う。

我々は自らのビジョンに賭けているんだ。
そうする方が横並びの製品をつくるよりいいと思っている。
そういうものは他社に任せるよ。
我々にとっていつも大事なのは次の夢なんだ。

自分は、このブログの記事で、退職者の生活を変えるというビジョンに賭けています。
日記という横並びのブログの記事を書くよりかいいと思っています。
そういうものは他のブログに任せるよ。
自分にとっていつも大事なのは次の夢なんだ。

「優れた芸術家はまねをし、偉大な芸術家は盗む」とピカソは言った。
だからすごいと思ってきたさまざまなアイデアをいつも盗んできた。

自分は、さまざまなアイデアを盗んで、ブログの記事を書きます。

次にどんな夢を描けるか、それがいつも重要だ。

退職後に、どんな夢が描けるのかが、重要です。

絶対に真似のできない、真似をしようとすら思わないレベルの革新を続ける。

絶対まねのできない、真似をしようとすら思わないレベルのブログを書き続けたいです。

自分たちの製品を知らずに、どうやってお客に勧めるというんだい?

ブログを読む読者に勧められるようにブログの記事を書きます。

インターネットやパソコンは、知識や情報を伝えることに偏っている。
私はパソコンを人間性溢れる存在にし、人々が自分の感情を、より豊かに表現する手伝いをしたい。

ブログは、知識や情報を伝えることに偏っています。
自分は、ブログに自分の人生を投影することで、ブログを人間性が溢れる存在にしたいです。

私たちのゴールは、いついつまでにではない。
最良の製品を生み出すのがゴールなのだ。

自分のゴールは、何日までに記事を書くとかではありません。
最良の記事を生み出すのが、ゴールです。

インターネットは驚異的だが感動を呼び起こすことはない。
感動的なことをコンピューターで実現したいのだ。

自分のブログで、感動を実現したいです。

模倣するほうが楽かもしれない。
でもそんなことをしても世界はよくならない。

模倣するほうが退職者の生活は楽かもしれない。
でもそんなことをしても退職者の世界はよくはならない。

革新的なことをしていると、たまに過ちを犯す。
一番良いのは、すぐその過ちを認めて、次の革新を急ぐことだ。

人は、過ちを犯します。
過ちを犯すことを恐れては、革新的なことはできません。
革新的なことをするためには、過ちを認めて、次の革新的なことをすることです。

夢を実現できるか否かは、途中で諦めるかどうかにかかっています。
必要なのは強い情熱なんです。

退職後の夢を実現させるために、退職後の夢をブログの記事に強い情熱をもって書き続け、諦めません。

私は、本当に好きな物事しか続けられないと確信している。
何が好きなのかを探しなさい。
あなたの仕事にも、恋人にも。

退職後、本当に好きな物事を見つらずにいます。
新しいことに挑戦し、経験したことを、ブログの記事を書くことで、本当に好きなことを探します。

即戦力になるような人材なんて存在しない。
だから育てるんだ。

自分が新しいことに挑戦するとき、自分が即戦力であることはあり得ません。
自分が挑戦することで、自分を即戦力になるように育てたいです。

あなたと僕は未来をつくるんです。

自分とブログの記事を読む読者とで、未来を作りたいです。

自分の居場所を自分でつくるんだ。

新しいことに挑戦し、経験したことを、ブログの記事を書くことで、自分の居場所を自分で作ります。

オーケー、誰も助けてくれないなら、自分たちでやるまでだ。

退職後は、誰も助けてはくれません。
自分で、何でもやるだけです。

ベストを尽くして失敗したら、ベストを尽くしたってことさ。

ブログの記事をベストを尽くして書き続けても失敗したのなら、ベストを尽くして人生を終えられます。

お膳立てさえしてやれば、人は自分の限界以上の仕事をやり遂げるんだよ。

このブログで退職後の人々のお膳立てさえしてやれば、退職後の人々は、限界以上の人生を過ごすことができます。

大事なのは技術ではなく、それを使って何を生み出すことが出来るかだ。

大事なことはブログの記事を書くために必要な技術ではなく、ブログの記事を使って何を生み出すことができるかということです。

いくらかかるかなんて、どうでもいい。

誰でも、退職し、死期が近いづいてくれば、「いくらかかるなんて、どうでもいい」という状態になります。

危機に直面すると、ものごとがよく見えてくる。

早期退職という危機に直面すると、退職後、どのように生きていくかということが良く見えてきました。
いろいろなことに挑戦し、やりたいことを見出し、やって生きたいです。

創造とは結びつけること。

ブログの記事と読者を結び付けることで、退職者の生活を創造したいです。

まとめ

スティーブ・ジョブズは、人をやる気にさせる、導く天才です。
スティーブ・ジョブズのように、仕事に情熱を捧げた人に出会ったことはありません。
日本では、組織の一部になるようにしか、教育を受けられず、組織の歯車のような人ばかりです。
日本では、組織に逆らえば、左遷され、退職を強要されるだけだからです。
日本にスティーブ・ジョブズのような人がいても、組織の中で埋没し、いなくなるだけです。
自分は、人ができないということを、自ら進んでやってきました。
自分は、スティーブ・ジョブズと共に仕事ができたらと想像するだけで、興奮しました。

ウォーターゲート事件について知りたい人は、映画「ザ・シークレットマン」、映画「大統領の陰謀」と映画「ニクソン」を鑑賞すると良いです。
米国同時多発テロについて知りたい人は、映画「ユナイテッド93」、映画「ワールド・トレード・センター」、映画「華氏911」、映画「ホース・ソルジャー」、映画「ゼロ・ダーク・サーティ」を鑑賞すると良いです。
Facebookについて知りたい人は、映画「ソーシャル・ネットワーク」を鑑賞すると良いです。

次回は、映画「スティーブ・ジョブズ(2015年)」のレビューを書く予定です。
ご期待ください。
以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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