映画「遠い夜明け」~あらすじ【ネタばれ有り】と感想

「夢をかなえるゾウ0  ブラックガネーシャと夢を食べるバク」「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養」の中で、出てきた「ネルソン・マンデラ」について知るために人種隔離政策(アパルトヘイト)について描かれているこの映画を鑑賞することにしました。

基本情報・スタッフ

監督    リチャード・アッテンボロー
脚本    ジョン・ブライリー
原作    ドナルド・ウッズ「ビーコウ アパルトヘイトとの限りなき戦い」、「トラブルを求めて」 
製作    リチャード・アッテンボロー
製作総指揮 テレンス・クレッグ
音楽    ジョージ・フェントン、ヨナス・グワングワ
撮影    ロニー・テイラー
編集    レスリー・ウォーカー
美術    スチュアート・クレイグ
衣装    ジョン・メロー
配給    ユニバーサル・ピクチャーズ、UIP
公開    1988年2月27日
上映時間  157分
映倫区分  PG-12

リチャード・アッテンボローは、映画「ガンジー」の監督もしています。

予告動画

主題歌

舞台となる場所

1975年11月24日、南アフリカの警察が、黒人居留地で不法居住区の撤去を行ったケープ州クロスロードです。

ドナルド・ウッズが編集長を務めるデイリーディスパッチ紙があるイースト・ロンドンです。

スティーヴ・ビコの故郷で、活動禁止処分を受け、移転したキングウィリアムズタウンです。

ネルソン・マンデラたちが投獄されたロベン島で、流刑地です。

ブレトリアは、南アフリカの首都です。

1万5千人ものアフリカ人学生達が南アフリカ政府の決定に抗議するために、蜂起し、警察が発砲し、暴動に発展したソウェトです。

スティーヴ・ビコが住んでいたキングウィリアムズタウン、逮捕されたグラハムズタウン、移送され、厳しい拷問を受けたポートエリザベスです。

スティーヴ・ビコが目指したケープタウンです。

スティーヴ・ビコが移送され、厳しい拷問を受けたポートエリザベスとスティーヴ・ビコが拷問により重体になり、移送されるプレトリアです。

ドナルド・ウッズが目指したクイーンズ・タウンです。

ドナルド・ウッズがクイーンズ・タウンから目指したレソトの首都マセルで、英国高等弁務府と国際空港があります。

ドナルド・ウッズとドナルド・ウッズの家族が南アフリカからレソトに入った国境のテレ川にあるテレ橋です。
郵便局もあります。

ドナルド・ウッズが目指し、ドナルド・ウッズの家族が南アフリカから出国したレソトとドナルド・ウッズの家族が飛行機で目指したボツワナです。

あらすじ

「身の安全を守るために特に名を秘した2名の登場人物を除き、この映画はすべて事実である」に続いて、「CRY FREEDON(遠い夜明け)」とタイトルと原作、ドナルド・ウッズ著「ビコ、トラブルを求めて」と映し出されます。

1975年11月24日、南アフリカの警察は、ケープ州クロスロードアフリカ人居留地で不法居住区の撤去を行います。
いつもの朝が明けて、アフリカ人の男性が髭を剃っています。
アフリカ人たちは、起きてこれから朝食と言う雰囲気です。
デイリー・ディスパッチ紙の報道カメラマンのケンが、この様子を写真に撮ります。
アフリカ人の赤ん坊は、母親の母乳を飲んでいます。
アフリカ人の子供達は、まだ寝ています。
おもちゃの車で遊んでいるアフリカ人の子供もいます。
少女が勉強している机の横の壁には、ネルソン・マンデラの写真が飾られています。
アフリカ人の赤ん坊は、母親の母乳を飲んでいます。

遠くから地鳴りのような音が聞こえてきます。
トラックやジープに分乗した多数の白人の武装警官がやってきます。
武器も待たないし、抵抗もできないアフリカ人たちは逃げまどいます。
多数の白人の武装警官が、トラックやジープから降りてくると、逃げるアフリカ人たちに襲いかかり、暴行を加えます。
大型のシャベルカーが、アフリカ人たちの家を破壊し、撤去します。
BGMには、印象的なアフリカらしい音楽と歌が流れます。
残された家の壁に、アフリカ人解放活動家のスティーヴ・ビコの写真が貼られます。
アフリカ人解放活動家のスティーヴ・ビコこそが、アフリカ人たちの希望だと表しています。
マンペラ・ランペーレが起きて、ラジオを聞きます。
ラジオ南アフリカの英語放送のM・ランドルが、「この様子を、警察が公衆衛生の見地からケープタウン郊外の不法居住区に実力を行使し、労働許可証を持たない者は出身地へ強制送還されます。住民の抵抗はなく、不法居住者は自発的に警察に出頭しています」と報道します。
これが人種隔離政策(アパルトヘイト)の日常です。
マンペラ・ランペーレは、ザネンピロ共同体診療所で仕事をしながら、このラジオ放送を聞き、スティーヴ・ビコのことを心配します。
他のアフリカ人たちもスティーヴ・ビコのことを心配します。

ドナルド・ウッズは、ネルソン・マンデラのことを白人差別主義者で社会主義のテロリストと考えているようで、デイリー・ディスパッチ紙の一面に「マンデラ釈放の訴えが再却下される」という一面で大きく報道される記事を、一面の小さな記事にするようにトニーに指示します。
ケンは、ドナルド・ウッズに南アフリカの警察がケープ州クロスロードアフリカ人居留地で不法居住区の撤去を行う様子を撮った写真を見せます。
ドナルド・ウッズは、この写真を新聞に掲載しようとしますが、警察批判になるので、新聞の掲載せず、スティーヴ・ビコのことデイリー・ディスパッチ紙の論説で「黒人解放活動家のスティーヴ・ビコは白人差別主義者」と書くことにします。
この論説を読んだマンペラ・ランペーレは、デイリー・ディスパッチ紙に抗議するために行き、ドナルド・ウッズに会い、スティーヴ・ビコに対する議論をして、スティーヴ・ビコに会いに行くことを勧めます。
ドナルド・ウッズは、スティーヴ・ビコの自宅を訪れ、スティーヴ・ビコの妻に歓迎され、戸惑い、ンジェワカ家内工業について説明され、スティーヴ・ビコに会います。
スティーヴ・ビコは、ドナルド・ウッズに拘束命令について説明し、意見を交換し、握手を求め、2人は握手します。
この様子を外から見ていたマンペラ・ランペーレが、安堵の笑みを浮かべます。
スティーヴ・ビコは、ドナルド・ウッズに「ザネンピロ共同体診療所」を案内し、黒人に能力があっても、黒人の劣等意識があるので、黒人の能力を発揮することができず、黒人の劣等意識が問題だと説明し、黒人居住区について知らないことを指摘し、夜の黒人居住区を案内することを提案します。
スティーヴ・ビコは、黒人の劣等意識が問題だという考えを文章にしたために、拘束処分を受け、起訴され、被告として裁判所で証言する予定です。
ドナルド・ウッズは、スティーヴ・ビコの提案を受け入れ、夜の黒人居住区を訪れることにします。
ドナルド・ウッズは、黒人のメイドのエブリナがいる、プール付きの自宅に帰り、妻のウェンディ・ウッズにスティーヴ・ビコについて語り、夜の黒人居住区を訪れることを伝えます。
マンペラ・ランペーレは、スティーヴ・ビコにドナルド・ウッズ共に夜の黒人居住区を訪れるのは危険すぎると忠告します。
スティーヴ・ビコは、マンペラ・ランペーレの意見は聞きますが、ドナルド・ウッズ共に夜の黒人居住区を訪れることは止めません。
妻のンツキ・マシャラバは、嘆きますが、協力します。
スティーヴ・ビコは、自宅を抜け出し、ドナルド・ウッズ共に夜の黒人居住区を自動車で訪れ、黒人居住区について説明し、密告屋のバーに連れて行き、ビールを飲んで、女性と踊って、楽しみます。
ドナルド・ウッズは、密告屋のバーで、マぺトラ、ピーターとスティーヴ・ビコに質問し、回答を認めざる得ず、スティーヴ・ビコの考えに共感します。
数週間後、ドナルド・ウッズは、デイリー・ディスパッチ紙社に黒人のテンジーとマペトラを連れてきて、報道部に配属し、記事を作成する手伝いをさせてみて、スティーヴ・ビコの考え「黒人に能力があり、黒人の劣等意識がなければ、黒人が能力を発揮する」を試すことにします。

ドナルド・ウッズは、ケンを黒人のサッカーの試合を観戦に誘い、観戦します。
スティーヴ・ビコが観客席の中から演説を始めます。
スティーヴ・ビコの演説を聞いたドナルド・ウッズは、拍手します。
ケンは、仕方なく、拍手します。

警察署長は、スティーヴ・ビコが拘束命令に違反し、演説したことで、逮捕し、密告屋に証言させますが、スティーヴ・ビコに反論され、怒ってスティーヴ・ビコを殴ります。
スティーヴ・ビコは、警察署長を殴り返します。
警察署長は、スティーヴ・ビコが被告として裁判所で証言する予定なので、これ以上は殴らず、捨てセリフを言います。

スティーヴ・ビコは、被告として裁判所で検察官と裁判長の尋問に答え、検察官と裁判長を言い負かします。
ドナルド・ウッズとウェンディ・ウッズは、傍聴席で裁判を見て、スティーヴ・ビコを認めて、信頼します。

裁判で負けた、覆面をした白人の警察署長をはじめとする警察官達は、「ンジェワカ家内工業」を襲撃しますが、目撃されています。
ウェンディ・ウッズは、ドナルド・ウッズにクルーガー警視総監に訴えて、警察官達の不正を正すように提案します。
ドナルド・ウッズは、クルーガー警視総監に警察官達の不正を訴えますが、目撃者の名前を明かしません。
警察官は、ドナルド・ウッズを訪れ、トップからの指示で、目撃者の名前を明かすように要求します。
ドナルド・ウッズは、目撃者の名前を明かすことを拒否し、目撃者を隠蔽したことで、召喚状を受け取り、告訴され、6ケ月の懲役刑を言い渡されそうになります。
スティーヴ・ビコは、警察が反政府書類を隠している容疑で家宅捜査受けますが、上手く書類を隠します。
ドナルド・ウッズは、被告として裁判所に出頭し、検事が論告を終え、弁護士が反対尋問を行い、帰宅します。
警察官たちは、ドナルド・ウッズの家に夜中に来て、黒人のメイドのエブリナの身分証明書を調べに来ます。
ドナルド・ウッズは、警察官たちを追い返します。

警察官たちは、デイリー・ディスパッチ紙に勤務しているマペトラを連行します。
スティーヴ・ビコは、ドナルド・ウッズの家を訪れ、ケープタウンに行って、戻ってきたら、抗議文を書くので、新聞に掲載してくれるように依頼し、帰ります。
警察官たちは、デイリー・ディスパッチ紙に勤務しているデンジーを連行します。
スティーヴ・ビコは、ドナルド・ウッズに「警察がマペトラを殺した」と電話します。
マンペラ・ランペーレは、スティーヴ・ビコにケープタウンに行かないようにお願いします。

ピーターが運転する自動車に乗ってスティーヴ・ビコは、ケープタウンを目指しますが、グラハムズタウンで警察の検問でに引っ掛かり、逮捕され、ポートエリザベスの治安本部へ移送され、厳しい拷問を受けます。
スティーヴ・ビコは、監獄で、重傷を負い、横たわりっています。
警察官は、医者を呼びます。
医者は、警察官にスティーヴ・ビコをすぐに専門医に診療させるように伝えます。
警察官は、スティーヴ・ビコをポートエリザベスの治安本部から1,100kmはなれたプレトリアの警察病院へ搬送します。
スティーヴ・ビコは、搬送中に亡くなります。
スティーヴ・ビコの妻とマンペラ・ランペーレは、スティーヴ・ビコの死を悲しんで、泣いています。
クルーガー警視総監は、スティーヴ・ビコの死因をハンガーストと発表します。

ドナルド・ウッズは、スティーヴ・ビコの妻とデイリー・ディスパッチ紙の報道カメラマンのケンを連れて、スティーヴ・ビコの遺体安置所を訪れ、スティーヴ・ビコの妻にスティーヴ・ビコの遺体と面会させて、デイリー・ディスパッチ紙の報道カメラマンのケンにスティーヴ・ビコの遺体を写真撮影させます。

スティーヴ・ビコの葬儀が行われます。

ドナルド・ウッズは、家に嫌がらせの電話がかかってきて、銃弾が撃ち込まれます。

1977年10月19日
ドナルド・ウッズは、スティーヴ・ビコの遺体の写真を持って、米国の講演会で話をするために、空港から飛行機に乗ろうとします。
保安警察官は、空港で、ドナルド・ウッズを引き留め、写真は没収し、国家保安条例に準じて、5年間の拘束身分にして、家まで送り届けます。
ドナルド・ウッズは、スティーヴ・ビコの遺体の14セットの写真を海外の通信社へ送付済みでした。
The Cape Times「ビコ派弾圧、審問会近し」と伝えています。

ドナルド・ウッズは、スティーヴ・ビコを思い出します。

ドナルド・ウッズは、南アフリカを出国するように勧められて、南アフリカを出国し、スティーヴ・ビコの本を出版することを決意し、ウェンディ・ウッズを南アフリカを出国するように説得します。
ウェンディ・ウッズは、南アフリカを出国することに反対します。
ドナルド・ウッズの家にスティーヴ・ビコのTシャツが届き、子供が着ると、チクチクと痛みます。
スティーヴ・ビコのTシャツを送ってきたのは、保安警察です。
ウェンディ・ウッズは、南アフリカを出国し、スティーヴ・ビコの本を出版することに同意します。

ドナルド・ウッズは、警察に見つからないように、家の壁を乗り越え、南アフリカを出国する方法を検討し、確認します。
ドナルド・ウッズは、大晦日の夜に、盗んだデビッド・カレン神父のパスポートを利用するために、デビッド・カレン神父に変装し、クイーンズ・タウンの北まで、ヒッチハイクで移動し、カニ神父が車で伝道教会へ連れて行き、国境のテレ川を渡り、南アフリカを出国し、ソレトに入国し、車でソレトの首都マセルへ移動し、午前10:00に両親の家へ電話をして、カナダ人の飛行機で、パイロットはオーストリア人で、ボツワナへ移動することになります。
ウェンディ・ウッズは、元旦に子供たちを連れて海岸行くふりをして、両親の家へ行き、ドナルド・ウッズからの電話を待ち、電話を受けたら、子供たちを連れて国境に行きます。
ウェンディ・ウッズは、ドナルド・ウッズに何かあり、両親の家で、ドナルド・ウッズからの電話がない場合は、家に戻ります。

1977年大晦日
ドナルド・ウッズは、スティーヴ・ビコの原稿を鞄に入れ、出国準備をして、髪を黒く染めて、デビッド・カレン神父に変装し、妻、娘と息子と抱き合います。
ウェンディ・ウッズは、後部座席に変装したドナルド・ウッズを隠し、映写機を借りに行くために、自動車で家を出ます。
ドナルド・ウッズは、ウェンディ・ウッズに自動車から降りて、映写機を借りるように念を押して、別れます。
ドナルド・ウッズは、ヒッチハイクで、スタターハイムへ移動します。

午後9時25分
マセルまで580キロ
ドナルド・ウッズは、ヒッチハイクで、クイーンズ・タウンの北を目指します。
スティーヴ・ビコの死因に関する審問会は「調査の結果を発表する。1つ、死亡したバンツー出身のスティーヴ・ビコは、黒人で年齢30歳、9月12日に死亡、死因は脳の損傷と腎臓等の併発機能障害、2つ、彼の死が第三者の加えた違法行為によるものである事を示す証拠は何もない」とでたらめを発表し、黒人たちは騒ぎます。
ドナルド・ウッズの家では、シャンパンを開けて、新年を祝います。

スタターハイム
マセルまで520キロ
ドナルド・ウッズは、街灯の下に、新聞を読みながら、立っています。
警察官は、ドナルド・ウッズをクイーンズ・タウンへ連れて行ってくれます。

午前2時30分
マセルまで400キロ
ドナルド・ウッズは、クイーンズ・タウンでカニ神父と合流します。
ウェンディ・ウッズは、脱出の準備を終えて、午前3時の時計の音を聞きます。

午前5時20分 テレ川
カニ神父は、ドナルド・ウッズをテレ川で降ろします。
ドナルド・ウッズは、テレ川を渡り始めますが、渡ることはできずに、黒人に状況を説明し、黒人の運転する自動車で国境管理事務所に向かい、国境管理事務所へ歩いて行きます。
国境管理事務所は、まだ閉鎖されています。
ドナルド・ウッズは、国境を越えることができません。
ウェンディ・ウッズは、子供たちを連れて、海岸に自動車で移動します。
ドナルド・ウッズは、モーゼが運転するレソト郵便局の自動車が来て、国境管理事務所が開き、国境を越え、草原を見て、スティーヴ・ビコを思い出し、「私は、やったぞ」と叫んで、踊り出します。
ウェンディ・ウッズは、子供たちに祖父母の家で電話を待ち、英国へ行くと教えます。
ドナルド・ウッズは、8:30に合流し、急いで、マセルへ移動し、英国高等弁務府に入り、レソト駐在英国副弁務官に政治亡命を願い出て、祖父母の家へ電話をします。
10時になります。
ウェンディ・ウッズは、子供たちを連れて祖父母の家に到着します。
ドナルド・ウッズは、ウェンディ・ウッズはテレ川にかかるテレ橋で合流することを確認します。
祖父母は、ウェンディ・ウッズと子供たちをテレ川にかかるテレ橋へ自動車で連れて行きます。

ドナルド・ウッズの家族は、国境を越えて、ソレトに入ります。
ソレトの国境では、出迎えが待っています。
一夜をマセルで過ごします。

マスコミは「正午のニュースです。オーストラリア通信社の情報では、拘束処分を受けていたドナルド・ウッズが昨夜川を渡りレソトへ脱走」と報道します。
保安警察は、ドナルド・ウッズの家に突入します。
レソト駐在英国副弁務官は、国連パスポートを用意し、ドナルド・ウッズ達と共に飛行機に搭乗します。
飛行機は、マセル国際空港を離陸します。
南アフリカ政府は、飛行機を見つけ、搭乗者を確認します。
パイロットは、「レソトの政府役人1名と国連パスポート所有者7名だ」と答えて、南アフリカを脱出します。

ドナルド・ウッズは、スティーヴ・ビコを思い出します。
黒人の学生たちは、ソウェトで立ち上がります。
南アフリカ政府は、黒人の学生たちに銃撃を浴びせて鎮圧します。

1962年の会議法案で南アフリカ政府は、裁判を行わずに、拘束措置をとる事を合法化した。
以下は、拘束中に死亡した者の公に発表した死因である。

1963年9月5日、L.ヌグドル ”首つり自殺”
1963年9月19日、B.メルホープ ”公式説明なし”
1964年1月24日、J.ディティア ”首つり自殺”
1964年9月9日、S.サルージ ”7階から転落”
1965年5月7日、N.ガガ ”自然死”
1965年5月8日、P.ホエ ”自然死”
1965年日付不明、J.ハマクワヨ ”首つり自殺”
1965年10月9日、H.ショネイカ ”自殺”
1965年11月19日、L.レオン・ピン ”首つり自殺”
1967年1月5日、A.ア・ヤン ”首つり自殺”
1967年9月9日、A.マディバ ”首つり自殺”
1967年9月11日、J.ツバクエ ”首つり自殺”
1969年2月4日、N.クゴアテ ”シャワーで転倒”
1969年2月28日、S.モディパネ ”シャワーで転倒”
1969年3月10日、J.レンコ ”首つり自殺”
1969年6月17日、C.マエキン ”自殺”
1969年9月10日、J.モナクゴトラ ”血栓症”
1969年9月27日、A.ハロン ”階段から転落”
1971年1月21日、M.クセシラ ”自然死”
1971年10月27日、A.テイモル ”10階より転落”
1976年3月19日、J.ムデュルイ ”椅子にぶつかり転倒”
1976年8月5日、M.モハピ ”首つり自殺”
1976年9月2日、L.マズウエンベ ”首つり自殺”
1976年9月25日、D.ムサバ ”首つり自殺”
1976年10月1日、E.ムゾロ ”公式説明ナシ”
1976年10月14日、W.トシュワネ ”公式説明ナシ”
1976年11月18日、E.ママシラ ”公式説明ナシ”
1976年11月26日、T.モサラ ”公式説明ナシ”
1976年12月11日、W.トシャジバネ ”公式説明ナシ”
1976年12月14日、G.ボーサ ”階段から転落”
1977年1月9日、N.ヌトシュンツア ”公式説明ナシ”
1977年1月9日、L.ヌドサガ ”公式説明ナシ”
1977年1月20日、E.マレル ”公式説明ナシ”
1977年2月15日、M.マベラネ ”公式説明ナシ”
1977年2月15日、T.ジョイ ”公式説明ナシ”
1977年2月22日、S.マリンガ ”自然死”
1977年3月26日、R.クザホ ”首つり自殺”
1977年6月5日、J.マシャバネ ”自殺”
1977年7月7日、P.マビジャ ”6階から転落”
1977年8月1日、E.ロザ ”公式説明ナシ”
1977年8月3日、H.ハフェジェー ”公式説明ナシ”
1977年8月5日、B.エムジジ ”公式説明ナシ”
1977年8月28日、F.モガツシ ”てんかんの発作”
1977年9月12日、S.ビコ ”ハンガースト”
1977年9月12日、B.マザラ ”首つり自殺”
1977年11月9日、M.ジェームズ ”逃亡を試みて射殺”
1977年12月20日、M.ノブハデュラ ”自然死”
1978年6月10日、L.タバラザ ”5階から転落”
1979年10月9日、E.ムゾロ ”公式説明ナシ”
1980年9月10日、S.ヌズモ ”自然死”
1980年12月20日、S.マタラシ ”挟首自殺”
1981年9月17日、M.ムグキュエト ”公式説明ナシ”
1981年11月12日、T.ムオフェ ”ケガにより死亡”
1982年2月5日、N.アゲット ”首つり自殺”
1982年8月5日、E.ディパレ ”首つり自殺”
1983年3月7日、T.ムヌダウェ ”首つり自殺”
1983年7月5日、P.マラトジ ”自殺”
1984年1月20日、S.シクド ”自然死”
1984年7月4日、M.シペーレ ”自然死”
1984年8月5日、E.マセサワ ”首つり自殺”
1985年3月1日、T.コロツソアネ ”公式説明ナシ”
1985年3月29日、B.ムビュラネ ”自然死”
1985年5月5日、S.ムツイ ”てんかん”
1985年5月6日、A.ラデイツセラ ”パトカーから転落”
1985年5月12日、M.ラザク ”自殺”
1985年7月4日、J.スボグター ”頭部の傷”
1985年7月4日、M.ムゲルス ”銃弾による傷”
1985年8月16日、S.モコエナ ”首つり自殺”
1986年1月1日、L.バコ ”同室者の犯行”
1986年4月5日、M.クツメラ ”公式説明ナシ”
1986年4月11日、P.ヌチャバレン ”心臓発作”
1986年4月11日、E.ヌゴマネ ”逃亡を試みて射殺”
1986年5月12日、A.シリカ ”逃亡を試みて射殺”
1986年6月1日、M.ボルティニ ”てんかん”
1986年9月11日、J.マハラング ”逃亡を試みて射殺”
1986年10月1日、M.ソンジェルワ ”ぜん息の発作”
1986年10月22日、X.ジェイコブス ”首つり自殺”
1986年12月15日、B.オリファント ”逃亡を試みて射殺”
1986年12月23日、S.マルーレ ”てんかん”
1987年3月26日、B.マショケ ”首つり自殺”

1987年6月11日に非常事態宣言が発令されて、政治犯に関する消息は発表されなくなった。

登場人物

ケン

ケヴィン・マクナリーが演じるデイリー・ディスパッチ紙の報道カメラマンで、1975年11月24日、南アフリカ共和国ケープ州クロスロード黒人居留地で行われた白人の武装警官が、無抵抗で、逃げる黒人達に襲いかかり、暴行を加える写真を撮影し、ドナルド・ウッズに撮影した写真を見せ、ドナルド・ウッズと黒人のサッカーの試合を観戦し、スティーヴ・ビコの演説を聞き、仕方なく拍手し、ドナルド・ウッズとスティーヴ・ビコの妻と一緒にスティーヴ・ビコの遺体安置所に行き、スティーヴ・ビコの遺体の写真を撮影します。

マンペラ・ランペーレ

ジョセット・サイモンが演じるスティーヴ・ビコの友人で、ナタル医科大学を南アフリカ政府の奨学金で卒業し、女医で、ザネンピロ共同体診療所に勤務し、ラジオを聞き、デイリー・ディスパッチ紙のドナルド・ウッズが書いた「黒人解放活動家のスティーヴ・ビコは白人差別主義者」という論説を読み、デイリー・ディスパッチ紙のドナルド・ウッズに会いに行き、スティーヴ・ビコが南アフリカを救える数少ない1人だと伝え、スティーヴ・ビコに会うように言い、スティーヴ・ビコがドナルド・ウッズを夜の黒人居住区に案内することに反対し、スティーヴ・ビコにケープタウンへ行くのを止めるように言い、スティーヴ・ビコが死んだことを知り、泣き、モデルとなった人はマンフェラ・ランフェレです。

ドナルド・ウッズ

ケヴィン・クラインが演じるトランスカイの出身で、父親は店を経営し、ウェンディ・ウッズの夫で、ジェーン、ディロン、ダンカン、ギャビン、メアリーの父親で、イースト・ロンドンにあるデイリー・ディスパッチ紙の編集長で、マンデラ釈放の訴えが再却下されるという記事を小さな記事にするように指示し、ケンの撮影した写真は警察批判になるので掲載せず、「黒人解放活動家のスティーヴ・ビコは白人差別主義者」という論説を書き、白人憎悪の壁をうち建てている黒人解放活動家のスティーヴ・ビコと戦い、白人優位を叫ぶ白人の過激論者から、黒人救世論を叫ぶ黒人の過激論者になり、マンペラ・ランペーレに言われて、スティーヴ・ビコに出会い、ザネンピロ共同体診療所と夜の黒人居住区に案内され、デイリー・ディスパッチ紙社に黒人のテンジーとマペトラを報道部に雇い入れ、黒人のニュースを取材させ、ケンと黒人のサッカーの試合を観戦し、スティーヴ・ビコの演説を聞き、感動して拍手し、スティーヴ・ビコの裁判を傍聴し、共感し、クルーガー警視総監にスティーヴ・ビコと会うように勧め、警察署長がンジェワカ家内工業を襲撃したことをクルーガー警視総監に訴え、クルーガー警視総監にンジェワカ家内工業を襲撃した目撃者については教えず、トップからの命令で警察官からンジェワカ家内工業を襲撃した目撃者を聞かれ、答えず、目撃者の隠蔽で、召喚状を受け取り、告訴され、刑期6ケ月を言い渡されることになり、警察官が夜中に黒人女性のメイドの身分証明書を調べに来て、拳銃を手にして警察官を追い返し、警察官がデイリー・ディスパッチ紙からマペトラを連行し、マペトラを心配してやってきたスティーヴ・ビコに、ケープタウンへ行かないように助言し、警察官がデイリー・ディスパッチ紙からデンジーを連行し、マペトラの自殺を知り、スティーヴ・ビコが死んだことを知り、スティーヴ・ビコの妻をスティーヴ・ビコの遺体安置所に連れて、ケンにスティーヴ・ビコの写真を撮影させ、スティーヴ・ビコの葬式に出席し、過激な演説を行い、審問会を開かせ、米国の講演会で話すために、スティーヴ・ビコの遺体の写真を持って、飛行機に乗ろうとしますが、空港で、保安警察に拘束され、スティーヴ・ビコの遺体の写真を没収されますが、14セットは海外の通信社へ送付済みで、5年間の拘束身分になり、本を出版するために英国に行くことを決意し、妻に相談しますが反対され、子供たちの身に危険が迫り、本を出版するために英国に行くことを決意し、スティーヴ・ビコの原稿を鞄に入れ、デビッド・カレン神父に変装し、クイーンズ・タウンの北へヒッチハイクで向かい、審問会ではスティーヴ・ビコの死に関して第三者の加えた違法行為によるものである事を示す証拠は何もないと発表され、カニ神父が車で伝道教会へ送り、国境のテレ川を渡ろうとしますが、渡れず、黒人たちの助けを得て、南アフリカを出国し、国境のテレ橋を越えて、ソレトに入り、英国高等弁務府にたどり着き、両親の家へ電話をかけて、妻と話し、子供たちを連れて、南アフリカを出国し、国境のテレ橋を越えて、ソレトに来るように伝え、テレ橋で家族と合流し、家族全員でマセル国際空港から飛行機に乗り、南アフリカの上空を飛び超えます。

ピーター

アフリカ人ですが、通行許可証を持ち、活動禁止処分を受けているスティーヴ・ビコと一緒に移動し、スティーヴ・ビコと共にドナルド・ウッズを夜の黒人居住区に案内し、不測の事態に備えています。

スティーヴ・ビコ

デンゼル・ワシントンが演じる東ケープ州タルカスタッドで、コーサ人の警察官の家庭に生まれ、キングウィリアムズタウンのギンズバーグ・タウンシップで育ち、寄宿学校の聖フランシスカレッジを卒業し、黒人解放活動家で、「白人の人種差別主義と黒人意識」に関する論文を発表し、活動禁止処分を受けて、ドナルド・ウッズと出会い、ドナルド・ウッズをザネンピロ共同体診療所と夜の黒人居住区に案内し、サッカーの試合場で演説し、密告屋に演説したことを密告され、人種憎悪扇動罪で逮捕され、警察署長に殴られ、警察署長を殴り返し、裁判で弁護側の証人として証言し、検察官に反論し、裁判長を圧倒し、逮捕されたマペトラを心配し、ドナルド・ウッズとマンペラ・ランペーレ話し、ドナルド・ウッズとマンペラ・ランペーレに止められたにもかかわらず、ピーターと共にケープタウンへ行く途中で、警察に逮捕され、警察署内で重傷を負い、1100kmも離れたプレトリアの警察病院に搬送される途中で亡くなり、死因はハンガーストと発表されます。

ンツキ・マシャラバ

ジュアニタ・ウォーターマンが演じるスティーヴ・ビコの妻で、ドナルド・ウッズを向かい入れ、スティーヴ・ビコに引き合わせ、スティーヴ・ビコがドナルド・ウッズを夜の黒人居住区に案内することに反対しますが、協力し、警察署長が襲撃したンジェワカ家内工業を片付け、スティーヴ・ビコが死んだことを知り、泣きます。

ウェンディ・ウッズ

ペネロープ・ウィルトンが演じるドナルド・ウッズの妻で、ジェーン、ディロン、ダンカン、ギャビン、メアリーの母親で、スティーヴ・ビコの裁判を傍聴し、スティーヴ・ビコに共感し、スティーヴ・ビコの葬式に出席し、嫌がらせの電話を受け、銃撃を受け、夫から本を出版するために英国に行くことを相談されますが、反対し、子供たちの身に危険が迫り、本を出版するために英国に行くことを決意し、大晦日にドナルド・ウッズをデビッド・カレン神父に変装させ、映写機を借りるという口実で、ドナルド・ウッズを車の後部座席に隠し、ドナルド・ウッズを街で降ろし、映写機を借りて、家に戻り、子供たちと映画を観て、シャンパンを開けて、新年を祝い、ピアノを弾いて、子供たちを連れて、両親の家へ行き、ドナルド・ウッズからの電話を受けて、両親に連れられて、子供たちを連れて、南アフリカを出国し、国境のテレ橋を越えて、ソレトに入り、ドナルド・ウッズとテレ橋で合流し、家族全員でマセル国際空港から飛行機に乗り、南アフリカの上空を飛び超えます。

マぺトラ

ザネンピロ共同体診療所にスティーヴ・ビコが隠し持っていたポスターを運び込み、スティーヴ・ビコと共にドナルド・ウッズを夜の黒人居住区に案内し、デイリー・ディスパッチ紙で働くことになり、報道部に配属され、記事の書き方とカメラの扱い方を教えてもらいますが、警察に逮捕され、監禁され、首つり自殺をしたと発表されます。

テンジー

デイリー・ディスパッチ紙で働くことになり、報道部に配属され、記事を書く方法を教えてもらい、記事の書き方とカメラの扱い方を教えてもらい、マぺトラの死後、警察に逮捕され、監禁されます。

警察署長

ティモシー・ウェストが演じ、密告屋の証言でスティーヴ・ビコを逮捕し、殴り、殴り返され、裁判で負けた腹いせに警察官達を率いてンジェワカ家内工業を襲撃しますが、目撃されていまします。
ティモシー・ウェストは、映画「ジャンヌ・ダルク」にも出演しています。

クルーガー

ジョン・ソウが演じる警視総監で、訪れてきたドナルド・ウッズに南アフリカの歴史を教え、ドナルド・ウッズからスティーヴ・ビコに会うように勧められ、ドナルド・ウッズから警察署長がンジェワカ家内工業を襲撃したことを聞き、ドナルド・ウッズからンジェワカ家内工業を襲撃した目撃者を聞き出せず、スティーヴ・ビコの死因をハンガーストだと発表します。

検察官

イアン・リチャードソンが演じる、弁護側の証人としてスティーヴ・ビコが証言する裁判で検察官を務めます。

警察の医師

ジェラルド・シムが演じ、監獄で重傷を負ったスティーヴ・ビコを診察し、一刻も早く、専門医に見せるように言います。

カニ

ゼイクス・モカエが演じる神父で、デビッド・カレン神父のパスポートをドナルド・ウッズに渡し、ドナルド・ウッズをクイーンズ・タウンの北で乗せて、国境のテレ川で降ろします。

ドン・カード

ジュリアン・グローヴァーが演じる南アフリカの国境検問所に務める役人です。
ジュリアン・グローヴァーは、映画「トロイ」にも出演しています。

レソト駐在高等副弁務官

アレック・マッコーエンが演じ、ドナルド・ウッズの家族に国連パスポートを用意し、ドナルド・ウッズの家族と共に空港で、飛行機に乗り込み、南アフリカの上空を飛び超えます。

単語説明

カルテは、患者の医療に関して、診療経過等を記録した書類です。

ザネンピロ共同体診療所は、黒人による黒人のための病院で、院長は黒人の女医で、患者と職員の食料は自給自足で、黒人も白人も同じように医師になる能力を持っていることを示すために建設され、運営されています。

ンジェワカ家内工業は、黒人による黒人のためのコミュニティー・センターで、黒人達の会合や講習会を行い、黒人も白人も同じように指導者になる能力を持っていることを示すために建設され、運営されています。

ネルソン・マンデラについては、本「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(上)」本「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(下)」を読み、映画「マンデラ 自由への長い道」映画「マンデラの名もなき看守」映画「インビクタス/負けざる者たち」を鑑賞すると理解が深まります。

白人差別は、人種差別の一種で、白人が黒人より優れていると考えることです。

白人差別主義は、白人差別に基づく考え、態度や行動です。

白人差別主義者は、白人差別主義を信じる人です。

黒人差別は、人種差別の一種で、黒人が白人より劣っていると考えることです。

劣等意識は、黒人が白人より劣っているという意識です。

扇動主義者、または煽動屋は、新聞などのメディアが記事を掲載したり、大衆の前で演説することによって、人々の感情を高ぶらせ、意見を変更させたり、特定の行動を起こすように誘導する人です。

社会主義は、資本と商品、またはサービスを生産する手段を社会的に共有し、労働者が価値のある商品、またはサービスを生産し、労働者が利潤を得るという考えです。

警察批判は、新聞などのメディアが権力を行使する警察を批判し、警察が権力を行使することを制限することです。

論説は、新聞などのメディアが時事問題について、解説し、道理にかなっているかどうかという主張を述べる文章です。

捏造記事は、記事が事実ではなく、なんらかの意図をもって書かれた記事です。

活動禁止処分、または拘束身分は、組織からの強制的な辞任をさせ、あらゆる集会への参加を禁止し、活動禁止に従わない場合は、投獄することができます。
ありとあらゆる集会というのは、政治に関係のない集会も含まれ、息子の誕生日パーティーにでさえも出席することはできません。
一度にふたり以上の人間と話すことも禁じられ、自分で自分を抑制するように仕向け、私的にも、おおやけにも文章を書いてならず、印刷所、出版社への立ち入りを一切禁止します。

染料は、水などに溶解させて布や紙などの着色に用いるものです。

リベラルは、社会的公正や多様性を重視する自由主義です。

劣等意識は、黒人が白人に劣るという意識です。

密告屋は、金のために、段ボール箱に入って証言する人です。

労働許可証は、黒人が労働することを許可する証明書です。

居住許可証は、黒人が住むことを許可する証明書です。

第一次世界大戦は、1914年7月28日から1918年11月11日までの間、ヨーロッパ諸国を中心に、白人同士が中心に行った戦争です。

第二次世界大戦は、1939年9月1日から1945年9月2日までの間、ドイツ・イタリア・日本などの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス・フランス・中国・アメリカ・ソビエト連邦などを中心とする連合国陣営との間で戦われた戦争です。

フットボールは、南アフリカの黒人が好きなスポーツで、サッカーのことです。

ラグビーは、南アフリカの白人が好きなスポーツで、映画「インビクタス/負けざる者たち」を鑑賞すると理解できます。

不法集会は、法的に認められていない集会で、不法集会で演説すれば、逮捕され、起訴され、有罪になり、刑罰を受けます。

弁護側の証人は、被告を弁護するために裁判所で証言する人です。

飢餓は、長期間にわたり食事を食べられず、栄養不足となり、生存が困難となり、社会的な生活を維持できない状態です。

人権闘争は、人として与えられる権利(集会の自由、表現の自由、思想の自由、職業選択の自由、居住移転の自由)を獲得するために争うことです。

令状は、警察が家宅捜査等の行為を行う場ときに、裁判官が警察に発行する書類です。

召喚状は、裁判所が被告人や証人などを呼び出すときに発行する令状です。

告訴は、犯罪被害者が警察に犯罪の事実を申告し、犯人の処罰を求めることです。
告訴状は、犯罪被害者が告訴をするときに警察に提出する書類です。

論告は、検事が裁判所で調べられた証拠に基づき、事実および法律の適用について、意見を述べることです。
検事は、論告の後に、被告人をどのくらいの刑に処することべきかについて意見を述べ、これを求刑と言います。

弁護士は、違法な手続が見逃されたり、行き過ぎた刑罰が科されたりしないようにするために、被告の立場から裁判所で意見を述べ、証拠を提出し、証人を請求し、証人を尋問し、反対尋問し、衝突や紛争を調整し、解決するために活動します。

反対尋問は、検事が証人申請をされた証人に対する直接尋問の後に、被告の弁護士が証人申請をされた証人に対する行う質問です。

身分証明書は、南アフリカに居住する16歳以上のアフリカ人にパスの携帯を義務付け、氏名、写真、指紋、雇用主の氏名・連絡先が掲載され、雇用主は南アフリカ国民で白人に限定され、アフリカ人の移動の自由を制限します。

足の裏の伸筋反応は、足の裏の側面を鈍器や器具で擦ったときに起きる反応で、この反応がなければ、脳障害を起こしているということです。

脳障害は、脳に外傷が加えられ、脳が損傷し、脳が機能していない状態で、反射神経が反応しない状態です。

反射神経は、特定の刺激に対する反応として意識される事なく起こすための神経で、足の裏の伸筋反応などです。

腰動脈は、胸部にある動脈です。

脊髄液は、脳と脊髄、これらを包んでいる膜の間に存在する液体のことです。

赤血球過剰は、赤血球が異常に増えてしまう症状で、血液の流れが悪くなり、重大な合併症を引き起こします。

ハンガーストは、ハンガーストライキやハンストとも呼ばれ、マハトマ・ガンジーが始めた、主張を広めるために、断食を行う非暴力抵抗運動です。
南アフリカ政府は、スティーヴ・ビコの死因をハンストにしています。
日本維新の会・梅村みずほ参院議員は、国会で「ウィシュマさんは、ハンガーストライキによって亡くなったかもしれない」と発言しました。

アフリカの歌は、「ンコシ・シケレリ・アフリカ(アフリカに神の祝福あれ)」という歌です。

映画フィルムは、映画を映写機で再生するフィルムです。

映写機は、映画フィルムを再生する機材です。

チェスは、日本の将棋のような、二人で行うボードゲームです。

モーゼは、ヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受け、エジプトからヘブライ人を率いて脱出し、ヘブライ人を約束の地に導きます。

政治亡命は、政治的な事情により、文化人などが他国に逃れることです。

国連パスポートは、国連職員が国連業務で外国に行く場合には必ず携行しなければならあないパスポートです。

学生代表評議会(SRC)は、学生の利益を代表する独立した学生主導の組織です。

南アフリカ全国学生連盟(NUSAS)は、学生の共通の利益を促進し、人種差別と闘うために反アパルトヘイトキャンペーンを主導します。

黒人意識運動(BCM)は、スティーヴ・ビコが黒人が白人によって作り出された劣等感から自らを開放し、自信を持って立ち上がり、白人の支配を終わらせるという考えで行う運動です。

黒人共同体プログラム(BPC)は、黒人意識運動(BCM)と共に、黒人の医療と教育を改善し、黒人の経済的自立を支援することを目指したプログラムです。

人種隔離政策(アパルトヘイト)

人種隔離政策(アパルトヘイト)については「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(上)」のブログ記事に書いたので、参照してください。

最後のセリフ

黒人の子は利口だろうがバカだろうと、こういう世界に生まれついて、死ぬのだ。

スティーヴ・ビコとドナルド・ウッズの生涯

1918年7月18日、ネルソン・マンデラは、トランスカイ自治区で、部族の指導者の相談役の子として、生まれました。

1933年12月15日、ドナルド・ウッズは、南アフリカのトランスカイ自治区で、イギリス系白人として、生まれます。

1946年12月18日、スティーヴ・ビコは、東ケープ州タルカスタッドで、コーサ人の警察官の家庭に生まれ、キングウィリアムズタウンのギンズバーグ・タウンシップで育ちます。

1950年、スティーヴ・ビコが4歳の時、父親が病で倒れ、キエスカンマフックのセント・マシュー病院に入院し、死亡しました。

1952年6月26日、ネルソン・マンデラたちは、南アフリカで、不服従運動が始めます。

1953年、バンツー教育法が成立し、アアフリカ人を教育する管轄官庁を教育省から原住民問題省に移管し、南アフリカ政府や学校を批判することを禁止し、教育における白人至上主義であり、アフリカ人に劣等意識を持たせ、アフリカ人を下等な労働者として、白人に従属するように教育します。

1955年2月9日、南アフリカ政府は、ソフィアタウン移転を実行します。

1955年6月25~26日、人民会議は、クリップタウンで、人民会議を開催し、自由の憲章を採択します。

1958年9月2日、フルヴールトは、南アフリカの首相に就任し、アパルトヘイトに関する法制化を強化します。

1960年3月21日、シャーブヴィルの大虐殺が起きます。

1960年4月8日、南アフリカ政府は、ANCとPACを非合法団体に指定します。

1961年3月29日、ネルソン・マンデラを含むANCのメンバーは、反逆罪に対して、無罪判決を受けて、釈放されますが、潜伏します。

1961年12月16日、ネルソン・マンデラが率いる「民族の槍(通称、MK)」は、発電所、官庁の建物を手製の爆弾で爆破し、MK兵士のペトラス・モリフェが死亡します。

1962年、破壊行動に対して自宅監禁や活動禁止を行い、刑罰も最高刑の極刑へと引き上げられた破壊活動防止法は成立します。

1962年8月5日、ネルソン・マンデラは、逮捕されます。

1963年、スティーヴ・ビコは、ギンズバーグにあるフォーブス・グラント中学校に転入します。
1964年、スティーヴ・ビコは、ギンズバーグのコミュニティの奨学金を得て、寄宿学校ラヴデールに入学しますが、兄が政府に禁止された組織に関わりを持っている罪で有罪になり、3ヶ月でラヴデールを退学します。

1964年、スティーヴ・ビコは、ナタール州マリアンヒルにある寄宿学校の聖フランシスカレッジに入学します。

1964年6月12日、クアルトゥス・デヴェット首席判事は、ネルソン・マンデラたちに対して、終身刑を言い渡します。
1964年6月13日、ネルソン・マンデラたちはロペン島に収監されます。

1964年12月、スティーヴ・ビコは、成人の儀式を受けるために、ズウェリチャに行きました。

1966年、スティーヴ・ビコは、ナタール州マリアンヒルにある寄宿学校の聖フランシスカレッジを卒業します。

1966年9月6日、フルヴールト首相は、白人の反アパルトヘイト主義者である守衛によって刺殺されます。

1966年9月、スティーヴ・ビコは、ウェントワースのダーバンにあるナタール大学医学学校に入学し、学生代表評議会(SRC)に選出され、SRCと連携している南アフリカ学生連盟(NUSAS)にも参加します。

1966年9月13日、フォルスターは、南アフリカの首相に就任し、アパルトヘイトを推し進めます。

1967年、スティーヴ・ビコは、ローズ大学で開催されたNUSASの年次総会に、SRCの代表として参加します。
ローズ大学は、集団地域法によって、宿泊施設での人種の混在を禁止します。
NUSASは、ローズ大学を非難しますが、ローズ大学の指示に従い、宿泊施設での人種の混在を禁止します。
スティーヴ・ビコは、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対するようになります。

1968年、スティーヴ・ビコは、黒人意識の思想を理念に掲げ、南アフリカ学生機構(SASO)を結成し、初代議長に就任します。

1970年12月、スティーヴ・ビコは、看護師のンツキ・マシャラバと結婚します。

1971年、スティーヴ・ビコとンツキ・マシャラバに、ンコシナティという子供が生まれます。

1971年8月、スティーヴ・ビコは、エデンダールで開催された「アフリカ共同体の発展」の会議に出席し、黒人人民会議(BPC)の設立に賛成します。

1971年11月、スティーヴ・ビコは、ケープタウン大学で「白人の人種差別主義と黒人意識」に関する論文を発表します。

1972年、スティーヴ・ビコは、BPCに参加します。
スティーヴ・ビコは、ナタール大学医学部から除名されます。

1973年、スティーヴ・ビコは、南アフリカ大学法学部の通信教育に入学します。

1973年3月、スティーヴ・ビコは、活動禁止処分を受け、故郷のキングウィリアムズタウンに移転させられます。

スティーヴ・ビコは、BPCのレオポルト通り15番にあるキングウィリアムズタウン事務所で活動し、教育と雇用創出等の地域開発プロジェクトに貢献し、ザネンピロ診療所を建設し、運営します。
マンフェラ・ランフェレ医師は、ザネンピロ診療所に住み込みで、勤務します。

1975年11月24日、南アフリカの警察は、ケープ州クロスロード黒人居留地で不法居住区の撤去を行います。

1976年6月16日、1万5千人ものアフリカ人学生達は、中学校の全クラスの半数はアフリカーン語で教えなくてはいけないという南アフリカ政府の決定に抗議するために、ソウェトで蜂起し、警察が発砲し、暴動に発展します。

1977年8月17日、スティーヴ・ビコは、南アフリカ国外に出国し、ボツワナでANC議長のオリヴァー・タンボと統一会談するために、ピーター・ジョーンズとケープタウンに向かいます。
南アフリカ政府は、スパイにより、このことを知っています。
スティーヴ・ビコとピーター・ジョーンズは、グラハムズタウンの検問所で逮捕され、ポートエリザベスの治安本部へ移送され、厳しい拷問を受けます。

1977年9月12日、スティーヴ・ビコは、拷問により重体になり、プレトリア重犯罪刑務所まで移送され、移送の途中で、30歳で亡くなります。
南アフリカ政府は、スティーヴ・ビコの死因が「ハンガースト」と発表し、ドナルド・ウッズを活動禁止にします。

1977年10月19日、ドナルド・ウッズは、スティーヴ・ビコの遺体の写真を持って、空港から飛行機に乗ろうとして、保安警察に逮捕され、スティーヴ・ビコの遺体の写真を没収され、5年間の活動禁止処分を受けます。

1977年12月31日、ドナルド・ウッズは、妻子と共に、イギリスへ亡命します。

1978年、ドナルド・ウッズは、「ビーコ アパルトヘイトとの限りなき戦い」、「トラブルを求めて」を出版します。

1978年10月2日、フォルスター首相は、南アフリカの首相を辞任し、ピーター・ウィレム・ボタに首相を譲ります。
1978年10月10日、フォルスターは、南アフリカの大統領に就任し、アパルトヘイトを推し進めます。
1979年6月4日、フォルスター大統領は、欧米諸国に対する秘密工作費の出所や使途というスキャンダルにより、大統領を辞任します。

1984年9月3日、ボタ首相は、南アフリカ共和国の首相を辞任し、大統領に就任します。

1987年、この映画「遠い夜明け」が制作されます。
1987年6月11日、南アフリカ政府は、非常事態宣言を発令して、政治犯に関する消息は発表されなくなります。

1989年8月15日、ボタ大統領は、南アフリカの大統領を辞任します。
1989年8月15日、デクラークは、南アフリカ共和国の大統領代行に就任します。

1990年2月11日、南アフリカのフレデリック・ウィレム・デクラーク大統領は、71歳になるネルソン・マンデラを釈放します。

1994年、ドナルド・ウッズは、南アフリカに一時帰国します。
1994年4月27日、選挙の投票が行われます。
ドナルド・ウッズは、選挙で投票します。
ANCが、選挙で勝利します。

1994年5月10日に、ネルソン・マンデラは、75歳で、南アフリカ共和国大統領に就任し、プレトリアのユニオンビル前の野外劇場で、就任式を行い、演説します。
デクラーク大統領は、南アフリカの大統領を辞任し、南アフリカの副大統領に就任します。

1995年6月24日、南アフリカのスプリングボクスは、ジョハネスバーグのエリス・パークで行われた決勝戦で、ニュージーランドのオールブラックスをノートライのまま9―9で史上初の延長戦に突入し、ジョエル・ストランスキーのドロップ・ゴールで決勝点を挙げて優勝し、ラグビーワールドカップ1995が閉幕します。

1996年10月11日、南アフリカ共和国の新憲法が成立されます。
1996年12月18日、南アフリカ共和国の新憲法が公布されます。
1997年2月4日、南アフリカ共和国の新憲法が施行されます。

2001年8月19日、ドナルド・ウッズは、ロンドンで、ガンのために、67歳で亡くなります。

社会的背景

社会的背景については「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(上)」のブログ記事に書いたので、参照してください。

スティーヴ・ビコの名言

白人には、彼らは単なる人間であって優れているわけではないことを認識させる必要がある。黒人も同じだ。
黒人には、彼らもまた人間であって劣っているわけではないことを認識させる必要がある。

社会的に成功していいる人間であっても、優れているわけでないことを認識させる必要がある。社会的に成功していない人間も同じだ。
社会的に成功していない人間には、人間であって劣っているわけではないことを認識させる必要がある。

どう死ぬかを考えながら生きるよりも、どう生きるかを考えながら死ぬほうがましだ。

退職後、どう死ぬかを考えて生きるよりも、どう生きるかを考えながら死ぬほうがましだ。

感想

人は変わることができる。

原題は「cry freedom(泣く自由)」です。
邦題は「遠い夜明け」です。

この映画で描かれている内容は、1977年に南アフリカで起きた出来事です。
この映画が製作され、公開されたのは、1988年2月27日です。
南アフリカのフレデリック・ウィレム・デクラーク大統領は、人種隔離政策(アパルトヘイト)制度を解体し、非合法組織に対する活動禁止措置を解除し、政治囚を釈放し、非常事態にともなう規制を撤廃を発表したのは、1990年2月2日です。
この映画が製作され、公開された当時は、南アフリカで人種隔離政策(アパルトヘイト)は行われ、いつ終わるのかは分からいという状況です。
邦題が映画を良く表しています。

前半で、スティーヴ・ビコの置かれている状況を通して、人種隔離政策(アパルトヘイト)制度について、描かれます。
中間で、ドナルド・ウッズの置かれている状況を通して、白人であってもアフリカ人のように扱われ、人種隔離政策(アパルトヘイト)制度が白人優位を維持すための制度であることが、描かれます。
後半で、ドナルド・ウッズの一家が、政治亡命する過程が描かれます。
ラストでは、1976年6月16日、1万5千人ものアフリカ人学生達は、中学校の全クラスの半数はアフリカーン語で教えなくてはいけないという南アフリカ政府の決定に抗議するために、ソウェトで蜂起し、警察が発砲し、暴動が描かれます。
最後に、拘束中に死亡した人とこの人の公に発表した死因のリストが映し出されます。

スティーヴ・ビコがケープタウンに行く理由は、黒人学生の集会で話をするためと描かれています。
実は、スティーヴ・ビコがケープタウンに行く理由は、南アフリカ国から出国し、ボツワナでANC議長のオリヴァー・タンボと統一会談するためです。
南アフリカ政府のスパイによって、この事実がバレていたので、スティーヴ・ビコが逮捕されたのです。

ドナルド・ウッズの住んでいる場所である南アフリカ国のイースト・ロンドンと目指したレソトの首都マセルの地理関係が分からないと理解しにくいです。
ドナルド・ウッズが、白人が黒人より優れているという考えが変わることで、行動が変わり、習慣が変わり、人格が変わり、運命が変わるという感じられる良い映画です。

2023年5月16日、日本維新の会の梅村みずほ参議院議員は、国会の法務委員会で、2021年3月6日、名古屋出入国在留管理局に収容中のスリランカ国籍の女性ラスナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリについて「ハンガーストライキによる体調悪化によって亡くなったのかもしれない」と発言しました。
日本維新の会の梅村みずほ参議院議員は、「事実はない。しかし可能性は否定できない」と強弁しました。
昔の南アフリカのことを酷いと思いますが、今の日本は大差がないようにも感じます。

まとめ

人種隔離政策(アパルトヘイト)について知るために、「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(上)」「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(下)」を読んでブログ記事にして、映画「マンデラ 自由への長い道」を鑑賞してブログ記事にしました。

ネルソン・マンデラは、人種隔離政策(アパルトヘイト)が行われている時に、ロベン島に収監されているので、人種隔離政策(アパルトヘイト)については、良く理解できませんでした。
この映画「遠い夜明け」は、人種隔離政策(アパルトヘイト)が行われている時のことを描いているので、人種隔離政策(アパルトヘイト)への理解が深まりました。

人種隔離政策(アパルトヘイト)について知りたいので、映画「マンデラの名もなき看守」映画「インビクタス 負けざる者たち」を鑑賞してブログ記事にしました。
参考にしてください。

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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