映画「遠い夜明け」~あらすじと感想

「夢をかなえるゾウ0  ブラックガネーシャと夢を食べるバク」「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養」の中で、出てきた「ネルソン・マンデラ」について知るために人種隔離政策(アパルトヘイト)について描かれているこの映画を鑑賞することにしました。

基本情報・スタッフ

監督    リチャード・アッテンボロー
脚本    ジョン・ブライリー
原作    ドナルド・ウッズ「ビーコウ アパルトヘイトとの限りなき戦い」、「トラブルを求めて」 
製作    リチャード・アッテンボロー
製作総指揮 テレンス・クレッグ
音楽    ジョージ・フェントン、ヨナス・グワングワ
撮影    ロニー・テイラー
編集    レスリー・ウォーカー
美術    スチュアート・クレイグ
衣装    ジョン・メロー
配給    ユニバーサル・ピクチャーズ、UIP
公開    1988年2月27日
上映時間  157分
映倫区分  PG-12

リチャード・アッテンボローは、映画「ガンジー」の監督もしています。

予告動画

主題歌

舞台となる場所

1975年11月24日、南アフリカの警察が、黒人居留地で不法居住区の撤去を行ったケープ州クロスロードです。

ドナルド・ウッズが編集長を務めるデイリーディスパッチ紙があるイースト・ロンドンです。

スティーヴ・ビコの故郷で、活動禁止処分を受け、移転したキングウィリアムズタウンです。

ネルソン・マンデラたちが投獄されたロベン島で、流刑地です。

ブレトリアは、南アフリカの首都です。

1万5千人ものアフリカ人学生達が南アフリカ政府の決定に抗議するために、蜂起し、警察が発砲し、暴動に発展したソウェトです。

スティーヴ・ビコが住んでいたキングウィリアムズタウン、逮捕されたグラハムズタウン、移送され、厳しい拷問を受けたポートエリザベスです。

スティーヴ・ビコが目指したケープタウンです。

スティーヴ・ビコが移送され、厳しい拷問を受けたポートエリザベスとスティーヴ・ビコが拷問により重体になり、移送されるプレトリアです。

ドナルド・ウッズが目指したクイーンズ・タウンです。

ドナルド・ウッズがクイーンズ・タウンから目指したレソトの首都マセルで、英国高等弁務府と国際空港があります。

ドナルド・ウッズとドナルド・ウッズの家族が南アフリカからレソトに入った国境のテレ川にあるテレ橋です。
郵便局もあります。

ドナルド・ウッズが目指し、ドナルド・ウッズの家族が南アフリカから出国したレソトとドナルド・ウッズの家族が飛行機で目指したボツワナです。

あらすじ

登場人物

ケン

ケヴィン・マクナリーが演じるデイリー・ディスパッチ紙の報道カメラマンで、1975年11月24日、南アフリカ共和国ケープ州クロスロード黒人居留地で行われた白人の武装警官が、無抵抗で、逃げる黒人達に襲いかかり、暴行を加える写真を撮影し、ドナルド・ウッズに撮影した写真を見せ、ドナルド・ウッズと黒人のサッカーの試合を観戦し、スティーヴ・ビコの演説を聞き、仕方なく拍手し、ドナルド・ウッズとスティーヴ・ビコの妻と一緒にスティーヴ・ビコの遺体安置所に行き、スティーヴ・ビコの遺体の写真を撮影します。

マンペラ・ランペーレ

ジョセット・サイモンが演じるスティーヴ・ビコの友人で、ナタル医科大学を南アフリカ政府の奨学金で卒業し、女医で、ザネンピロ共同体診療所に勤務し、ラジオを聞き、デイリー・ディスパッチ紙のドナルド・ウッズが書いた「黒人解放活動家のスティーヴ・ビコは白人差別主義者」という論説を読み、デイリー・ディスパッチ紙のドナルド・ウッズに会いに行き、スティーヴ・ビコが南アフリカを救える数少ない1人だと伝え、スティーヴ・ビコに会うように言い、スティーヴ・ビコがドナルド・ウッズを夜の黒人居住区に案内することに反対し、スティーヴ・ビコにケープタウンへ行くのを止めるように言い、スティーヴ・ビコが死んだことを知り、泣き、モデルとなった人はマンフェラ・ランフェレです。

ドナルド・ウッズ

ケヴィン・クラインが演じるトランスカイの出身で、父親は店を経営し、ウェンディ・ウッズの夫で、ジェーン、ディロン、ダンカン、ギャビン、メアリーの父親で、イースト・ロンドンにあるデイリー・ディスパッチ紙の編集長で、マンデラ釈放の訴えが再却下されるという記事を小さな記事にするように指示し、ケンの撮影した写真は警察批判になるので掲載せず、「黒人解放活動家のスティーヴ・ビコは白人差別主義者」という論説を書き、白人憎悪の壁をうち建てている黒人解放活動家のスティーヴ・ビコと戦い、白人優位を叫ぶ白人の過激論者から、黒人救世論を叫ぶ黒人の過激論者になり、マンペラ・ランペーレに言われて、スティーヴ・ビコに出会い、ザネンピロ共同体診療所と夜の黒人居住区に案内され、デイリー・ディスパッチ紙社に黒人のテンジーとマペトラを報道部に雇い入れ、黒人のニュースを取材させ、ケンと黒人のサッカーの試合を観戦し、スティーヴ・ビコの演説を聞き、感動して拍手し、スティーヴ・ビコの裁判を傍聴し、共感し、クルーガー警視総監にスティーヴ・ビコと会うように勧め、警察署長がンジェワカ家内工業を襲撃したことをクルーガー警視総監に訴え、クルーガー警視総監にンジェワカ家内工業を襲撃した目撃者については教えず、トップからの命令で警察官からンジェワカ家内工業を襲撃した目撃者を聞かれ、答えず、目撃者の隠蔽で、召喚状を受け取り、告訴され、刑期6ケ月を言い渡されることになり、警察官が夜中に黒人女性のメイドの身分証明書を調べに来て、拳銃を手にして警察官を追い返し、警察官がデイリー・ディスパッチ紙からマペトラを連行し、マペトラを心配してやってきたスティーヴ・ビコに、ケープタウンへ行かないように助言し、警察官がデイリー・ディスパッチ紙からデンジーを連行し、マペトラの自殺を知り、スティーヴ・ビコが死んだことを知ります。

ピーター

アフリカ人ですが、通行許可証を持ち、活動禁止処分を受けているスティーヴ・ビコと一緒に移動し、スティーヴ・ビコと共にドナルド・ウッズを夜の黒人居住区に案内し、不測の事態に備えています。

スティーヴ・ビコ

デンゼル・ワシントンが演じる東ケープ州タルカスタッドで、コーサ人の警察官の家庭に生まれ、キングウィリアムズタウンのギンズバーグ・タウンシップで育ち、寄宿学校の聖フランシスカレッジを卒業し、黒人解放活動家で、「白人の人種差別主義と黒人意識」に関する論文を発表し、活動禁止処分を受けて、ドナルド・ウッズと出会い、ドナルド・ウッズをザネンピロ共同体診療所と夜の黒人居住区に案内し、サッカーの試合場で演説し、密告屋に演説したことを密告され、人種憎悪扇動罪で逮捕され、警察署長に殴られ、警察署長を殴り返し、裁判で弁護側の証人として証言し、検察官に反論し、裁判長を圧倒します。

ンツキ・マシャラバ

ジュアニタ・ウォーターマンが演じるスティーヴ・ビコの妻で、ドナルド・ウッズを向かい入れ、スティーヴ・ビコに引き合わせ、スティーヴ・ビコがドナルド・ウッズを夜の黒人居住区に案内することに反対しますが、協力し、警察署長が襲撃したンジェワカ家内工業を片付け、スティーヴ・ビコが死んだことを知り、泣きます。

ウェンディ・ウッズ

ペネロープ・ウィルトンが演じるドナルド・ウッズの妻で、ジェーン、ディロン、ダンカン、ギャビン、メアリーの母親で、スティーヴ・ビコの裁判を傍聴し、スティーヴ・ビコに共感し、スティーヴ・ビコの葬式に出席します。

マぺトラ

ザネンピロ共同体診療所にスティーヴ・ビコが隠し持っていたポスターを運び込み、スティーヴ・ビコと共にドナルド・ウッズを夜の黒人居住区に案内し、デイリー・ディスパッチ紙で働くことになり、報道部に配属され、記事の書き方とカメラの扱い方を教えてもらいます。

テンジー

デイリー・ディスパッチ紙で働くことになり、報道部に配属され、記事を書く方法を教えてもらい、記事の書き方とカメラの扱い方を教えてもらい、マぺトラの死後、警察に逮捕され、監禁されます。

警察署長

ティモシー・ウェストが演じ、密告屋の証言でスティーヴ・ビコを逮捕し、殴り、殴り返され、裁判で負けた腹いせに警察官達を率いてンジェワカ家内工業を襲撃しますが、目撃されていまします。
ティモシー・ウェストは、映画「ジャンヌ・ダルク」にも出演しています。

クルーガー

ジョン・ソウが演じる警視総監で、訪れてきたドナルド・ウッズに南アフリカの歴史を教え、ドナルド・ウッズからスティーヴ・ビコに会うように勧められ、ドナルド・ウッズから警察署長がンジェワカ家内工業を襲撃したことを聞き、ドナルド・ウッズからンジェワカ家内工業を襲撃した目撃者を聞き出せず、スティーヴ・ビコの死因をハンガーストだと発表します。

検察官

イアン・リチャードソンが演じる、弁護側の証人としてスティーヴ・ビコが証言する裁判で検察官を務めます。

警察の医師

ジェラルド・シムが演じ、監獄で重傷を負ったスティーヴ・ビコを診察し、一刻も早く、専門医に見せるように言います。

カニ

ゼイクス・モカエが演じる神父で、デビッド・カレン神父のパスポートをドナルド・ウッズに渡し、ドナルド・ウッズをクイーンズ・タウンの北で乗せて、国境のテレ川で降ろします。

ドン・カード

ジュリアン・グローヴァーが演じる南アフリカの国境検問所に務める役人です。
ジュリアン・グローヴァーは、映画「トロイ」にも出演しています。

レソト駐在高等副弁務官

アレック・マッコーエンが演じ、ドナルド・ウッズの家族に国連パスポートを用意し、ドナルド・ウッズの家族と共に空港で、飛行機に乗り込み、南アフリカの上空を飛び超えます。

単語説明

カルテは、患者の医療に関して、診療経過等を記録した書類です。

ザネンピロ共同体診療所は、黒人による黒人のための病院で、院長は黒人の女医で、患者と職員の食料は自給自足で、黒人も白人も同じように医師になる能力を持っていることを示すために建設され、運営されています。

ンジェワカ家内工業は、黒人による黒人のためのコミュニティー・センターで、黒人達の会合や講習会を行い、黒人も白人も同じように指導者になる能力を持っていることを示すために建設され、運営されています。

ネルソン・マンデラについては、本「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(上)」本「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(下)」を読み、映画「マンデラ 自由への長い道」映画「マンデラの名もなき看守」映画「インビクタス/負けざる者たち」を鑑賞すると理解が深まります。

白人差別は、人種差別の一種で、白人が黒人より優れていると考えることです。

白人差別主義は、白人差別に基づく考え、態度や行動です。

白人差別主義者は、白人差別主義を信じる人です。

黒人差別は、人種差別の一種で、黒人が白人より劣っていると考えることです。

劣等意識は、黒人が白人より劣っているという意識です。

扇動主義者、または煽動屋は、新聞などのメディアが記事を掲載したり、大衆の前で演説することによって、人々の感情を高ぶらせ、意見を変更させたり、特定の行動を起こすように誘導する人です。

社会主義は、資本と商品、またはサービスを生産する手段を社会的に共有し、労働者が価値のある商品、またはサービスを生産し、労働者が利潤を得るという考えです。

警察批判は、新聞などのメディアが権力を行使する警察を批判し、警察が権力を行使することを制限することです。

論説は、新聞などのメディアが時事問題について、解説し、道理にかなっているかどうかという主張を述べる文章です。

捏造記事は、記事が事実ではなく、なんらかの意図をもって書かれた記事です。

活動禁止処分、または拘束身分は、組織からの強制的な辞任をさせ、あらゆる集会への参加を禁止し、活動禁止に従わない場合は、投獄することができます。
ありとあらゆる集会というのは、政治に関係のない集会も含まれ、息子の誕生日パーティーにでさえも出席することはできません。
一度にふたり以上の人間と話すことも禁じられ、自分で自分を抑制するように仕向け、私的にも、おおやけにも文章を書いてならず、印刷所、出版社への立ち入りを一切禁止します。

染料は、水などに溶解させて布や紙などの着色に用いるものです。

リベラルは、社会的公正や多様性を重視する自由主義です。

劣等意識は、黒人が白人に劣るという意識です。

密告屋は、金のために、段ボール箱に入って証言する人です。

労働許可証は、黒人が労働することを許可する証明書です。

居住許可証は、黒人が住むことを許可する証明書です。

第一次世界大戦は、1914年7月28日から1918年11月11日までの間、ヨーロッパ諸国を中心に、白人同士が中心に行った戦争です。

第二次世界大戦は、1939年9月1日から1945年9月2日までの間、ドイツ・イタリア・日本などの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス・フランス・中国・アメリカ・ソビエト連邦などを中心とする連合国陣営との間で戦われた戦争です。

フットボールは、南アフリカの黒人が好きなスポーツで、サッカーのことです。

ラグビーは、南アフリカの白人が好きなスポーツで、映画「インビクタス/負けざる者たち」を鑑賞すると理解できます。

不法集会は、法的に認められていない集会で、不法集会で演説すれば、逮捕され、起訴され、有罪になり、刑罰を受けます。

弁護側の証人は、被告を弁護するために裁判所で証言する人です。

飢餓は、長期間にわたり食事を食べられず、栄養不足となり、生存が困難となり、社会的な生活を維持できない状態です。

人権闘争は、人として与えられる権利(集会の自由、表現の自由、思想の自由、職業選択の自由、居住移転の自由)を獲得するために争うことです。

令状は、警察が家宅捜査等の行為を行う場ときに、裁判官が警察に発行する書類です。

召喚状は、裁判所が被告人や証人などを呼び出すときに発行する令状です。

告訴は、犯罪被害者が警察に犯罪の事実を申告し、犯人の処罰を求めることです。
告訴状は、犯罪被害者が告訴をするときに警察に提出する書類です。

論告は、検事が裁判所で調べられた証拠に基づき、事実および法律の適用について、意見を述べることです。
検事は、論告の後に、被告人をどのくらいの刑に処することべきかについて意見を述べ、これを求刑と言います。

弁護士は、違法な手続が見逃されたり、行き過ぎた刑罰が科されたりしないようにするために、被告の立場から裁判所で意見を述べ、証拠を提出し、証人を請求し、証人を尋問し、反対尋問し、衝突や紛争を調整し、解決するために活動します。

反対尋問は、検事が証人申請をされた証人に対する直接尋問の後に、被告の弁護士が証人申請をされた証人に対する行う質問です。

身分証明書は、南アフリカに居住する16歳以上のアフリカ人にパスの携帯を義務付け、氏名、写真、指紋、雇用主の氏名・連絡先が掲載され、雇用主は南アフリカ国民で白人に限定され、アフリカ人の移動の自由を制限します。

足の裏の伸筋反応は、足の裏の側面を鈍器や器具で擦ったときに起きる反応で、この反応がなければ、脳障害を起こしているということです。

脳障害は、脳に外傷が加えられ、脳が損傷し、脳が機能していない状態で、反射神経が反応しない状態です。

反射神経は、特定の刺激に対する反応として意識される事なく起こすための神経で、足の裏の伸筋反応などです。

腰動脈は、胸部にある動脈です。

脊髄液は、脳と脊髄、これらを包んでいる膜の間に存在する液体のことです。

赤血球過剰は、赤血球が異常に増えてしまう症状で、血液の流れが悪くなり、重大な合併症を引き起こします。

ハンガーストは、ハンガーストライキやハンストとも呼ばれ、マハトマ・ガンジーが始めた、主張を広めるために、断食を行う非暴力抵抗運動です。
南アフリカ政府は、スティーヴ・ビコの死因をハンストにしています。
日本維新の会・梅村みずほ参院議員は、国会で「ウィシュマさんは、ハンガーストライキによって亡くなったかもしれない」と発言しました。

アフリカの歌は、「ンコシ・シケレリ・アフリカ(アフリカに神の祝福あれ)」という歌です。

映画フィルムは、映画を映写機で再生するフィルムです。

映写機は、映画フィルムを再生する機材です。

チェスは、日本の将棋のような、二人で行うボードゲームです。

モーゼは、ヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受け、エジプトからヘブライ人を率いて脱出し、ヘブライ人を約束の地に導きます。

政治亡命は、政治的な事情により、文化人などが他国に逃れることです。

国連パスポートは、国連職員が国連業務で外国に行く場合には必ず携行しなければならあないパスポートです。

学生代表評議会(SRC)は、学生の利益を代表する独立した学生主導の組織です。

南アフリカ全国学生連盟(NUSAS)は、学生の共通の利益を促進し、人種差別と闘うために反アパルトヘイトキャンペーンを主導します。

黒人意識運動(BCM)は、スティーヴ・ビコが黒人が白人によって作り出された劣等感から自らを開放し、自信を持って立ち上がり、白人の支配を終わらせるという考えで行う運動です。

黒人共同体プログラム(BPC)は、黒人意識運動(BCM)と共に、黒人の医療と教育を改善し、黒人の経済的自立を支援することを目指したプログラムです。

人種隔離政策(アパルトヘイト)

人種隔離政策(アパルトヘイト)については「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(上)」のブログ記事に書いたので、参照してください。

最後のセリフ

黒人の子は利口だろうがバカだろうと、こういう世界に生まれついて、死ぬのだ。

スティーヴ・ビコとドナルド・ウッズの生涯

1918年7月18日、ネルソン・マンデラは、トランスカイ自治区で、部族の指導者の相談役の子として、生まれました。

1933年12月15日、ドナルド・ウッズは、南アフリカのトランスカイ自治区で、イギリス系白人として、生まれます。

1946年12月18日、スティーヴ・ビコは、東ケープ州タルカスタッドで、コーサ人の警察官の家庭に生まれ、キングウィリアムズタウンのギンズバーグ・タウンシップで育ちます。

1950年、スティーヴ・ビコが4歳の時、父親が病で倒れ、キエスカンマフックのセント・マシュー病院に入院し、死亡しました。

1952年6月26日、ネルソン・マンデラたちは、南アフリカで、不服従運動が始めます。

1953年、バンツー教育法が成立し、アアフリカ人を教育する管轄官庁を教育省から原住民問題省に移管し、南アフリカ政府や学校を批判することを禁止し、教育における白人至上主義であり、アフリカ人に劣等意識を持たせ、アフリカ人を下等な労働者として、白人に従属するように教育します。

1955年2月9日、南アフリカ政府は、ソフィアタウン移転を実行します。

1955年6月25~26日、人民会議は、クリップタウンで、人民会議を開催し、自由の憲章を採択します。

1958年9月2日、フルヴールトは、南アフリカの首相に就任し、アパルトヘイトに関する法制化を強化します。

1960年3月21日、シャーブヴィルの大虐殺が起きます。

1960年4月8日、南アフリカ政府は、ANCとPACを非合法団体に指定します。

1961年3月29日、ネルソン・マンデラを含むANCのメンバーは、反逆罪に対して、無罪判決を受けて、釈放されますが、潜伏します。

1961年12月16日、ネルソン・マンデラが率いる「民族の槍(通称、MK)」は、発電所、官庁の建物を手製の爆弾で爆破し、MK兵士のペトラス・モリフェが死亡します。

1962年、破壊行動に対して自宅監禁や活動禁止を行い、刑罰も最高刑の極刑へと引き上げられた破壊活動防止法は成立します。

1962年8月5日、ネルソン・マンデラは、逮捕されます。

1963年、スティーヴ・ビコは、ギンズバーグにあるフォーブス・グラント中学校に転入します。
1964年、スティーヴ・ビコは、ギンズバーグのコミュニティの奨学金を得て、寄宿学校ラヴデールに入学しますが、兄が政府に禁止された組織に関わりを持っている罪で有罪になり、3ヶ月でラヴデールを退学します。

1964年、スティーヴ・ビコは、ナタール州マリアンヒルにある寄宿学校の聖フランシスカレッジに入学します。

1964年6月12日、クアルトゥス・デヴェット首席判事は、ネルソン・マンデラたちに対して、終身刑を言い渡します。
1964年6月13日、ネルソン・マンデラたちはロペン島に収監されます。

1964年12月、スティーヴ・ビコは、成人の儀式を受けるために、ズウェリチャに行きました。

1966年、スティーヴ・ビコは、ナタール州マリアンヒルにある寄宿学校の聖フランシスカレッジを卒業します。

1966年9月6日、フルヴールト首相は、白人の反アパルトヘイト主義者である守衛によって刺殺されます。

1966年9月、スティーヴ・ビコは、ウェントワースのダーバンにあるナタール大学医学学校に入学し、学生代表評議会(SRC)に選出され、SRCと連携している南アフリカ学生連盟(NUSAS)にも参加します。

1966年9月13日、フォルスターは、南アフリカの首相に就任し、アパルトヘイトを推し進めます。

1967年、スティーヴ・ビコは、ローズ大学で開催されたNUSASの年次総会に、SRCの代表として参加します。
ローズ大学は、集団地域法によって、宿泊施設での人種の混在を禁止します。
NUSASは、ローズ大学を非難しますが、ローズ大学の指示に従い、宿泊施設での人種の混在を禁止します。
スティーヴ・ビコは、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対するようになります。

1968年、スティーヴ・ビコは、黒人意識の思想を理念に掲げ、南アフリカ学生機構(SASO)を結成し、初代議長に就任します。

1970年12月、スティーヴ・ビコは、看護師のンツキ・マシャラバと結婚します。

1971年、スティーヴ・ビコとンツキ・マシャラバに、ンコシナティという子供が生まれます。

1971年8月、スティーヴ・ビコは、エデンダールで開催された「アフリカ共同体の発展」の会議に出席し、黒人人民会議(BPC)の設立に賛成します。

1971年11月、スティーヴ・ビコは、ケープタウン大学で「白人の人種差別主義と黒人意識」に関する論文を発表します。

1972年、スティーヴ・ビコは、BPCに参加します。
スティーヴ・ビコは、ナタール大学医学部から除名されます。

1973年、スティーヴ・ビコは、南アフリカ大学法学部の通信教育に入学します。

1973年3月、スティーヴ・ビコは、活動禁止処分を受け、故郷のキングウィリアムズタウンに移転させられます。

スティーヴ・ビコは、BPCのレオポルト通り15番にあるキングウィリアムズタウン事務所で活動し、教育と雇用創出等の地域開発プロジェクトに貢献し、ザネンピロ診療所を建設し、運営します。
マンフェラ・ランフェレ医師は、ザネンピロ診療所に住み込みで、勤務します。

1975年11月24日、南アフリカの警察は、ケープ州クロスロード黒人居留地で不法居住区の撤去を行います。

1976年6月16日、1万5千人ものアフリカ人学生達は、中学校の全クラスの半数はアフリカーン語で教えなくてはいけないという南アフリカ政府の決定に抗議するために、ソウェトで蜂起し、警察が発砲し、暴動に発展します。

1977年8月17日、スティーヴ・ビコは、南アフリカ国外に出国し、ボツワナでANC議長のオリヴァー・タンボと統一会談するために、ピーター・ジョーンズとケープタウンに向かいます。
南アフリカ政府は、スパイにより、このことを知っています。
スティーヴ・ビコとピーター・ジョーンズは、グラハムズタウンの検問所で逮捕され、ポートエリザベスの治安本部へ移送され、厳しい拷問を受けます。

1977年9月12日、スティーヴ・ビコは、拷問により重体になり、プレトリア重犯罪刑務所まで移送され、移送の途中で、30歳で亡くなります。
南アフリカ政府は、スティーヴ・ビコの死因が「ハンガースト」と発表し、ドナルド・ウッズを活動禁止にします。

1977年10月19日、ドナルド・ウッズは、スティーヴ・ビコの遺体の写真を持って、空港から飛行機に乗ろうとして、保安警察に逮捕され、スティーヴ・ビコの遺体の写真を没収され、5年間の活動禁止処分を受けます。

1977年12月31日、ドナルド・ウッズは、妻子と共に、イギリスへ亡命します。

1978年、ドナルド・ウッズは、「ビーコ アパルトヘイトとの限りなき戦い」、「トラブルを求めて」を出版します。

1978年10月2日、フォルスター首相は、南アフリカの首相を辞任し、ピーター・ウィレム・ボタに首相を譲ります。
1978年10月10日、フォルスターは、南アフリカの大統領に就任し、アパルトヘイトを推し進めます。
1979年6月4日、フォルスター大統領は、欧米諸国に対する秘密工作費の出所や使途というスキャンダルにより、大統領を辞任します。

1984年9月3日、ボタ首相は、南アフリカ共和国の首相を辞任し、大統領に就任します。

1987年、この映画「遠い夜明け」が制作されます。
1987年6月11日、南アフリカ政府は、非常事態宣言を発令して、政治犯に関する消息は発表されなくなります。

1989年8月15日、ボタ大統領は、南アフリカの大統領を辞任します。
1989年8月15日、デクラークは、南アフリカ共和国の大統領代行に就任します。

1990年2月11日、南アフリカのフレデリック・ウィレム・デクラーク大統領は、71歳になるネルソン・マンデラを釈放します。

1994年、ドナルド・ウッズは、南アフリカに一時帰国します。
1994年4月27日、選挙の投票が行われます。
ドナルド・ウッズは、選挙で投票します。
ANCが、選挙で勝利します。

1994年5月10日に、ネルソン・マンデラは、75歳で、南アフリカ共和国大統領に就任し、プレトリアのユニオンビル前の野外劇場で、就任式を行い、演説します。
デクラーク大統領は、南アフリカの大統領を辞任し、南アフリカの副大統領に就任します。

1995年6月24日、南アフリカのスプリングボクスは、ジョハネスバーグのエリス・パークで行われた決勝戦で、ニュージーランドのオールブラックスをノートライのまま9―9で史上初の延長戦に突入し、ジョエル・ストランスキーのドロップ・ゴールで決勝点を挙げて優勝し、ラグビーワールドカップ1995が閉幕します。

1996年10月11日、南アフリカ共和国の新憲法が成立されます。
1996年12月18日、南アフリカ共和国の新憲法が公布されます。
1997年2月4日、南アフリカ共和国の新憲法が施行されます。

2001年8月19日、ドナルド・ウッズは、ロンドンで、ガンのために、67歳で亡くなります。

社会的背景

社会的背景については「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(上)」のブログ記事に書いたので、参照してください。

スティーヴ・ビコの名言

白人には、彼らは単なる人間であって優れているわけではないことを認識させる必要がある。黒人も同じだ。
黒人には、彼らもまた人間であって劣っているわけではないことを認識させる必要がある。

社会的に成功していいる人間であっても、優れているわけでないことを認識させる必要がある。社会的に成功していない人間も同じだ。
社会的に成功していない人間には、人間であって劣っているわけではないことを認識させる必要がある。

どう死ぬかを考えながら生きるよりも、どう生きるかを考えながら死ぬほうがましだ。

退職後、どう死ぬかを考えて生きるよりも、どう生きるかを考えながら死ぬほうがましだ。

感想

人は変わることができる。

原題は「cry freedom(泣く自由)」です。
邦題は「遠い夜明け」です。

この映画で描かれている内容は、1977年に南アフリカで起きた出来事です。
この映画が製作され、公開されたのは、1988年2月27日です。
南アフリカのフレデリック・ウィレム・デクラーク大統領は、人種隔離政策(アパルトヘイト)制度を解体し、非合法組織に対する活動禁止措置を解除し、政治囚を釈放し、非常事態にともなう規制を撤廃を発表したのは、1990年2月2日です。
この映画が製作され、公開された当時は、南アフリカで人種隔離政策(アパルトヘイト)は行われ、いつ終わるのかは分からいという状況です。
邦題が映画を良く表しています。

前半で、スティーヴ・ビコの置かれている状況を通して、人種隔離政策(アパルトヘイト)制度について、描かれます。
中間で、ドナルド・ウッズの置かれている状況を通して、白人であってもアフリカ人のように扱われ、人種隔離政策(アパルトヘイト)制度が白人優位を維持すための制度であることが、描かれます。
後半で、ドナルド・ウッズの一家が、政治亡命する過程が描かれます。
ラストでは、1976年6月16日、1万5千人ものアフリカ人学生達は、中学校の全クラスの半数はアフリカーン語で教えなくてはいけないという南アフリカ政府の決定に抗議するために、ソウェトで蜂起し、警察が発砲し、暴動が描かれます。
最後に、拘束中に死亡した人とこの人の公に発表した死因のリストが映し出されます。

スティーヴ・ビコがケープタウンに行く理由は、黒人学生の集会で話をするためと描かれています。
実は、スティーヴ・ビコがケープタウンに行く理由は、南アフリカ国から出国し、ボツワナでANC議長のオリヴァー・タンボと統一会談するためです。
南アフリカ政府のスパイによって、この事実がバレていたので、スティーヴ・ビコが逮捕されたのです。

ドナルド・ウッズの住んでいる場所である南アフリカ国のイースト・ロンドンと目指したレソトの首都マセルの地理関係が分からないと理解しにくいです。
ドナルド・ウッズが、白人が黒人より優れているという考えが変わることで、行動が変わり、習慣が変わり、人格が変わり、運命が変わるという感じられる良い映画です。

2023年5月16日、日本維新の会の梅村みずほ参議院議員は、国会の法務委員会で、2021年3月6日、名古屋出入国在留管理局に収容中のスリランカ国籍の女性ラスナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリについて「ハンガーストライキによる体調悪化によって亡くなったのかもしれない」と発言しました。
日本維新の会の梅村みずほ参議院議員は、「事実はない。しかし可能性は否定できない」と強弁しました。
昔の南アフリカのことを酷いと思いますが、今の日本は大差がないようにも感じます。

まとめ

人種隔離政策(アパルトヘイト)について知るために、「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(上)」「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(下)」を読んでブログ記事にして、映画「マンデラ 自由への長い道」を鑑賞してブログ記事にしました。

ネルソン・マンデラは、人種隔離政策(アパルトヘイト)が行われている時に、ロベン島に収監されているので、人種隔離政策(アパルトヘイト)については、良く理解できませんでした。
この映画「遠い夜明け」は、人種隔離政策(アパルトヘイト)が行われている時のことを描いているので、人種隔離政策(アパルトヘイト)への理解が深まりました。

人種隔離政策(アパルトヘイト)について知りたいので、映画「マンデラ 自由への長い道」映画「マンデラの名もなき看守」映画「インビクタス 負けざる者たち」を鑑賞してブログ記事にしました。
参考にしてください。

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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