映画「グローリー/明日への行進」~あらすじ【ネタばれ有り】と感想

夢をかなえるゾウ1」の中で、出てきた「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア」について知りたいと感じました。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアのことをキング牧師と呼びます。

投票権登録の差別撤廃に関わる人々をキング牧師を中心に描いた映画です。
登場人物も多く、人間関係を理解するのも大変です。
ストーリーは、公民権運動について知らないと理解できません。

キング牧師に影響を与えた人は、ガンジーです。
映画「ガンジー」

映倫はPG-12で、12歳未満の年少者の観覧には親または保護者の助言・指導が必要です。

基本情報・スタッフ

監督    エイヴァ・デュヴァーネイ
脚本    ポール・ウェブ
      エイヴァ・デュヴァーネイ
製作    クリスチャン・コルソン
      オプラ・ウィンフリー
      デデ・ガードナー
      ジェレミー・クライナー
製作総指揮 ブラッド・ピット
      キャメロン・マクラッケン
      ディアムイド・マッキオウン
      ニック・バウアー
      エイヴァ・デュヴァーネイ
      ポール・ガーンズ
      ナン・モラレス
音楽    ジェイソン・モラン
主題歌   ジョン・レジェンド
      コモン
      ”Glory”
撮影    ブラッドフォード・ヤング
編集    スペンサー・アヴァリック
製作会社  パテ
      ハーポ・フィルムズ
      インジーニアス・メディア
配給    パラマウント映画
      ギャガ
公開    2015年6月19日
上映時間  128分
映倫    PG12
公式ホームページ

予告動画

舞台となる場所


爆破されたアラバマ州バーミングハムの16番通りバプティスト教会です。

キング牧師、妻のコレッタと4人の子供たちはジョージア州アトランタに住んでいて、モンゴメリーには車で2時間ほどで行けます。

ジミー・リー・ジャクソンは、マリオンで投票権法を求めるデモ中に、警察官の暴力から逃げていた母親と祖父を喫茶店で守ろうとして、警察官に至近距離から発砲され、マリオンの病院では手当が受けられず、セルマの病院で手当てを受け、セルマの病院で亡くなりました。

アラバマ州セルマにあるBrown Chapel AME Churchメソジスト教会は、デモ行進のスタート地点です。
アラバマ州セルマとエドモンド・ペタス橋は、アラバマ州セルマのアラバマ川をルート80が渡るための全長380m、幅13mのアーチ橋です。

アラバマ州セルマから州都モンゴメリーまでデモ行進を行います。

アラバマ州都モンゴメリーにあるアラバマ州議事堂がデモ行進のゴールで、キング牧師が演説した場所です。

あらすじ

キング牧師が、1964年ノーベル平和賞の授与式に出席するための演説を練習するところから始まります。
キング牧師は、ノルウェー王国オスロでノーベル平和賞を授与され、受賞演説を行います。

アラバマ州北部のバーミングハムの公民権運動の拠点16番通りバプティスト教会にダイナマイト10本分の爆発物が仕掛けられ、日曜学校に来ていた黒人女の子である14歳のアディ・メエ・コリンズ、14歳のシンシア・ウェズリィ、14歳のキャロル・ロバートスン、11歳のデニーズ・マクネアが死亡します。

アニー・リー・クーパーは、アラバマ州セルマで、有権者登録の受付終了間際に登録し、登録する時にされる質問を減らして有権者登録をしようとしますが、厳しい質問に答えられずに却下されます。

キング牧師は、ジョンソン大統領に面会し、黒人は選挙権を持っているが、様々な妨害により、黒人は有権者登録ができずないので投票権法の制定をお願いします。
ジョンソン大統領は、キング牧師に黒人の人種隔離政策や貧困問題を優先し、投票権法を後回しにすると伝えます。
キング牧師は、アンドリュー・ヤングとベイヤード・ラスティンに「セルマに行く」と伝えます。
キング牧師は、セルマで投票権法という新しい活動を始めることにします。
キング牧師は、セルマのアルバート・ホテル白人専用で、見知らぬ白人男性からいきなり殴られます。

ジョンソン大統領は、FBI長官フーバーにキング牧師が次に何をするのかと質問します。
FBI長官フーバーは、ジョンソン大統領にキング牧師の家族の絆を弱めることができると答えます。

キング牧師は、家に帰りますが、脅迫電話に怯え、1人で4人の子供を育てるコレッタ夫人を助けることができません。
キング牧師は、コレッタ夫人を家に残して、セルマに向かうことにします。
キング牧師は、マヘリア・ジャクソンに電話をかけて、「Take My hand」という歌を聴きます。
キング牧師は、セルマの知人の家で、友人達と再会します。

キング牧師は、セルマで投票権法に関する演説を行います。
学生非暴力調整委員会(SNCC)のジョン・ルイスとジェームズ・フォアマンという指導者は、キング牧師が率いる南部キリスト教指導者会議(SCLC)がニューヨーク州オルバニーで失敗したことを指摘し、協力を拒否します。
キング牧師は、ジョン・ルイスとジェームス・フォアマンにニューヨーク州オルバニーで起きた失敗を認め、白人の特にジョンソン大統領の意識を変えることの重要性を説き、意識を変えるには、毎朝全国紙の一面を飾り、毎晩テレビのニュースに映るために、ドラマが求められると説得します。
ニューヨーク州オルバニーの警察署長ローリー・プリチェットは頭が良く、ミスもしませんでした。
アラバマ州バーミングハムの警察署長ブル・コナーは、教養がなく、差別主義者で、黒人を弾圧しました。
キング牧師は、ジョン・ルイスとジェームス・フォアマンにアラバマ州セルマのジム・クラーク保安官はローリー・プリチェットのような人か、ブル・コナーのような人かと質問します。
ジョン・ルイスは、アラバマ州セルマのジム・クラーク保安官はブル・コナーのような人だと答えます。
キング牧師は、ジョン・ルイスとジェームス・フォアマンに、いいことだと伝え、説得します。
キング牧師は、ジム・クラーク保安官は道路を封鎖せず、有権者登録の窓口があるセルマ群庁舎を守るだろうと考え、ジョン・ルイスとジェームス・フォアマンの協力を得て、セルマ郡庁舎前までのデモ行進を行い、集団で有権者登録するという行動をします。
セルマ郡庁舎前で待ち構えていたジム・クラーク保安官は、座れないジミー・リー・ジャクソンの祖父に目を付けて、暴力を振るいます。
ジミー・リー・ジャクソンは、祖父をかばいますが、ジム・クラーク保安官に対してキレそうになります。
アニー・リー・クーパーは、ジミー・リー・ジャクソンがキレるのを阻止するために、ジム・クラーク保安官を殴ります。
ジム・クラーク保安官は、キング牧師を含むデモ参加者を逮捕し、投獄します。
アラバマ州知事ジョージ・ウォレスは、黒人に有権者登録はさせないと演説をします。
アメリカ合衆国ジョンソン大統領は、アラバマ州知事ジョージ・ウォレスの演説をラジオで聞きながら、新聞の一面に掲載されたキング牧師達の活動を読みます。
ジョンソン大統領は悩みまます。
投獄されたキング牧師は、暴力を抑えられない黒人を見て、多くの活動家の死を思い出して、非暴力による運動にあきらめかけます。
ラルフ・アバーナシーは、キング牧師を励まします。

コレッタ夫人は、セルマにやってきた暴力による運動して、キング牧師を公然と非難してきたマルコムXに面会します。
マルコムXは、コレッタ夫人に方針を変え、団体を抜けましたが、ジム・クラーク保安官はマルコムXが団体を抜けたことを知らず、キング牧師の運動に参加することで、運動がより過激になることを恐れて、キング牧師を頼るだろうと、キング牧師の運動に参加を申し入れます。
コレッタ夫人は、投獄されているキング牧師にマルコムXの提案を伝えます。
投獄されているキング牧師は、コレッタ夫人にも、マルコムXにも、怒りますが、コレッタ夫人に一任します。
マルコムXは、セルマの教会で演説をしました。

アラバマ州知事ジョージ・ウォレスは、アラバマ州公安部長アル・リンゴ大佐にマルコムXがアラバマ州に来て、コレッタ夫人に会い、教会で演説したことをを怒り、ジョンソン大統領が態度を変えることに警戒します。
アラバマ州公安部長アル・リンゴ大佐は、アラバマ州知事ジョージ・ウォレスに、マリオンで夜に行われるキングの組織ではなくて、地元住民の非公式のデモで、釈放されたキング牧師は資金調達のためにカルフォルニアへ行くので、マスコミも減るし、夜に行われるという情報を伝えます。
アラバマ州知事ジョージ・ウォレスは、アラバマ州公安部長アル・リンゴ大佐に黒人を抑え込むために、出動する口実を作れ、調子づいた黒人を思い知らせてやろうと指示しました。

警察官は、マリオンでマスメディアに注目されていない夜間にデモを行っている投票権法を求める黒人達を弾圧します。
ジミー・リー・ジャクソンは、マリオンで投票権法を求めるデモ中に、警察官の暴力から逃げていた母親と祖父を喫茶店で守ろうとして、警察官に至近距離から発砲され、マリオンの病院では手当が受けられず、セルマの病院で手当てを受けました。
8日後、ジミー・リー・ジャクソンはセルマの病院で死亡します。
マルコムXは、殺害されます。

ジミー・リー・ジャクソンの死が、投票権法のための運動を決定的にします。

キング牧師は、ジミー・リー・ジャクソンの葬儀で固く決意して、投票権法をジョンソン大統領に要求すると演説します。
キング牧師は、何の目的と戦略もなく、ジョンソン大統領に面会しても無駄なことは、前回の面会でわかっています。
キング牧師は、問題点を整理し、目的と戦略を作ります。
キング牧師は、目的を投票権法の成立にして、戦略をアラバマ州セルマからアラバマ州都モンゴメリーへデモ行進することにして、ジョンソン大統領に伝えます。
リー・C・ホワイト特別顧問は、アンドリュー・ヤングとベイヤード・ラスティンをFBIからの確かで具体的で危険で深刻な脅迫があり、アラバマ州セルマとモンゴメリーの間のラウンズ郡で起きるので、キング牧師を表舞台に出さずに、行進に参加させないように説得しますが、説得できません。
ジョンソン大統領は、キング牧師が行進に参加させないための裏工作をFBI長官フーバーに指示します。
FBI長官フーバーは、脅迫とキング牧師の不倫音声テープをコレッタ夫人に届けます。
キング牧師は、アンドリュー・ヤングに家族から離れることができずに、行進の初日には参加できないが、2日目から参加するとして、電話でセルマからモンゴメリーまでの行進にゴー・サインを出します。
アラバマ州知事ジョージ・ウォレスは、デモ行進絶対阻止を有権者に演説します。
学生非暴力調整委員会は、デモ行進には参加しないと決めます。
ジョン・ルイスは、セルマの住民の意思を尊重し、デモ行進に参加します。

525人の黒人は、セルマ市のBrown Chapel AME Churchメソジスト教会からデモ行進を始め、セルマ市境界エドモンド・ペタス橋で待機している州警察、保安官、民兵隊と衝突し、「血の日曜日事件」となります。
マスメディアは、全米にこの様子を伝えます。
ベイヤード・ラスティン、アンディー・ヤング、ダイアン・ナッシュ、米国市民、キング牧師、アメリカ合衆国ジョンソン大統領、アラバマ州知事ジョージ・ウォレスがテレビでこの事件を生放送で観ます。

キング牧師は、「あの橋へ戻ろう」と言います。
キング牧師は、テレビの取材を通して、米国市民にデモへの参加を呼びかけます。
キング牧師は、州知事命令を不服として、訴訟を起こします。
フレッド・グレイ弁護士は、連邦裁判所のフランク・ミニス・ジョンソン判事に、州当局に妨害されずに行進できるように、連邦裁判所より、命令を出してほしいと交渉します。
連邦裁判所のフランク・ミニス・ジョンソン判事は、フレッド・グレイ弁護士に、審理も行わずに、手続きも行わずに州知事の命令を覆すことはできない、法廷は木曜日だから、明日のデモはないと言い、手続きに従うと言い返します。
リー・C・ホワイト大統領顧問は、ジョンソン大統領にキング牧師達をモンゴメリーへ行かせることを進言します。
ジョンソン大統領は、リー・C・ホワイト大統領顧問にキング牧師にはデモ行進の中止、アラバマ州知事ジョージ・ウォレスにはデモ行進への妨害を中止を命令し、従わないなら、どちらも止めると言います。
連邦政府の弁護士であるジョン・ドアは、キング牧師に今回のデモ行進を中止したら、次のデモ行進は保証すると言って、妥協を求めます。
キング牧師は、アラバマ州セルマからデモ隊を率いて、アラバマ州都モンゴメリーに向かって行進します。
キング牧師は、エドモンド・ペタス橋でひざまずき、祈りを捧げ、セルマに戻ります。
行進に参加したジェームズ・リーブは、戻ったセルマで、デモ行進に反対する白人に殺されます。
キング牧師は、ジョンソン大統領に電話で投票権法を提案することを決断するように迫りますが、断られてしまします。
キング牧師は、このデモ行進ではジョンソン大統領の意識を変えることはできないと絶望します。
キング牧師は、ジョン・ルイスと車中で、ジョンソン大統領の意識を変えることはできず、次のデモ行進では死者が出るかもしれないと考え、運動の方針を変えないと相談します。
ジョン・ルイスは、気落ちしているキング牧師に失望しながら、フリーダムライドに参加し、モンゴメリー市内で白人たちに気絶させられた後、翌日に教会で応急処置中に聞いたキング牧師の演説の話をして、励まします。

連邦裁判所のフランク・ミニス・ジョンソン判事は、キング牧師達にアラバマ州セルマからアラバマ州都モンゴメリーに向かう5日間の抗議デモの行進の権利を認めます。

アラバマ州公安部長アル・リンゴ大佐は、アラバマ州知事ジョージ・ウォレスに、ジョンソン大統領は行進を妨害するなと方針を変え、警察も身動きが取れないと伝えます。
アラバマ州知事ジョージ・ウォレスは、ジョンソン大統領に、キング牧師達を止めるように頼みます。
ジョンソン大統領は、アラバマ州知事ジョージ・ウォレスの頼みを断ります。

ジョンソン大統領はテレビ放送された議会合同委員会で演説を行い、広範な投票権法を成立させることを訴え、演説の最後を「我々は打ち勝つ」という言葉で締め、この言葉が公民権運動の主要テーマとなります。

キング牧師は、アラバマ州セルマからデモ隊を率いて、アラバマ州都モンゴメリーに向かって行進します。
キング牧師が、アラバマ州都モンゴメリーで演説するところで終わります。

投票権法によって、投票権が州でなく、連邦政府によって監督され、執行されるようになりました。

登場人物

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、デヴィッド・オイェロウォが演じるプロテスタントバプテスト派の牧師でキング牧師と呼ばれ、アフリカ系アメリカ人公民権運動を非暴力と演説でモンゴメリー・バス・ボイコット運動やナッシュビル座り込み指導し、ノーベル平和賞受賞者で、4人の子供の父親です。

コレッタ・スコット・キングは、カルメン・イジョゴが演じるキング牧師の妻で、4人の子供の母親です。

アニー・リー・クーパーは、オプラ・ウィンフリーが演じるアラバマ州セルマで、セルマ投票権運動をしている女性の活動家です。

リンドン・B・ジョンソンは、トム・ウィルキンソンが演じるアメリカ合衆国大統領で、アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ暗殺により、副大統領から大統領に昇格し、ジョン・F・ケネディ大統領の意志を引き継ぎ、公民権法に著名し、アメリカ大統領選挙で圧勝し、人種差別制度はすべて連邦法で禁止しました。

リー・C・ホワイトは、ジョヴァンニ・リビシが演じるアメリカ合衆国大統領リンドン・B・ジョンソンの特別顧問です。

マルコムXは、ナイジェル・サッチが演じるネーション・オブ・イスラム(NOI)の急進的な黒人解放運動指導者ですが、NOIを脱退し、キング牧師の活動に参加し、NOIのメンバーに殺害されます。

アンドリュー・ヤングは、アンドレ・ホランドが演じる黒人と白人の仲介役を務め、南部キリスト教指導者会議のエグゼクティブ・ディレクターです。

ベイヤード・ラスティンは、ルーベン・サンチャゴ=ハドソンが演じる黒人と白人の仲介役を務め、南部キリスト教指導者会議(SCLC)を組織する指導者です。

ラルフ・アバーナシーは、コルマン・ドミンゴが演じるキング牧師の親友で、南部キリスト教指導者会議(SCLC)の執行理事を務め、投獄されたキング牧師を励まし、セルマから州都モンゴメリーへの行進を指導した、活動家です。

ジェームズ・オレンジは、オマール・ドーシーが演じるセルマから州都モンゴメリーへの行進を指導した、活動家です。

ダイアン・ナッシュは、テッサ・トンプソンが演じる女性の公民権活動家で、バスの座席、ターミナルやレストランでの人種隔離に反対し、混合人種でワシントンD.Cを出発し、ニューオーリンズまでバスで移動しながら抗議した人です。

ジェームズ・ベヴェルは、コモンが演じるセルマで活動し、セルマから州都モンゴメリーへの行進を準備し、牧師で、指導者です。

アメリア・ボイントン・ロビンソンは、ロレイン・トゥーサントが演じるアラバマ州セルマのアメリカ公民権運動の女性の指導者で、セルマからモンゴメリーへの行進に参加しました。

ジョン・エドガー・フーバーは、ディラン・ベイカーが演じるFBI長官です。

ジム・クラークは、スタン・ヒューストンが演じるセルマの保安官です。

マヘリア・ジャクソンは、レディシ・ヤングが演じるゴスペル歌手で、活動家で、キング牧師のために電話で「Take My hand」を歌い、セルマから首都モンゴメリーへの行進に参加します。

リッチー・ジーン・ジャクソンは、ニーシー・ナッシュが演じる南部キリスト教指導者会議(SCLC)のスタッフでセルマから州都モンゴメリーへの行進を計画し、参加する、作家で、教師で、活動家です。

ホージア・ウィリアムズは、ウェンデル・ピアースが演じるキング牧師が信頼する人で、最初のセルマから首都モンゴメリーへの行進を主導し、カストロと呼ばれ、牧師で、指導者で、実業家で、政治家です。

ロイ・リードは、ジョン・ラヴェルが演じるニューヨーク・タイムズの記者です。

ジョン・ルイスは、ステファン・ジェームスが演じるフリーダムライドに参加し、キング牧師の演説を聞き、学生非暴力調整委員会(SNCC)の指導者で、セルマから州都モンゴメリーへの行進に参加し、頭がい骨骨折の重傷を負った公民権運動における重要な役割を果たします。

ジェームズ・フォアマンは、トライ・バイヤーズが演じるジョン・ルイスと共に学生非暴力調整委員会(SNCC)の指導者です。

ジミー・リー・ジャクソンは、ラキース・スタンフィールドが演じるセルマから首都モンゴメリーへの行進を主導した一人で、1938年生まれ、陸軍にいた退役軍人で、活動家です。

ケイガー・リー・ジャクソンは、ヘンリー・G・サンダースが演じるジミー・リー・ジャクソンの祖父です。

ジョージ・ウォレスは、ティム・ロスが演じるアラバマ州知事です。

アル・リンゴは、スティーヴン・ルートが演じる軍人で、大佐で、アラバマ州公安部長で、ジム・クラーク保安官の友人です。

ジョン・クラウドは、マイケル・パパジョンが演じる少佐です。

ジェームズ・リーブは、ジェレミー・ストロングが演じるボストンの白人で、聖職者で、セルマで殺されます。

ジョン・ドアは、アレッサンドロ・ニヴォラが演じる公民権司法副長官を務め、被告側の連邦政府の弁護士です。

フレッド・グレイは、キューバ・グッディング・ジュニアが演じる裁判の原告側の公民権運動の弁護士で、活動家です。

フランク・ミニス・ジョンソンは、マーティン・シーンが演じる連邦裁判所の判事です。

ハリー・ベラフォンテは、「バナナボート」というヒット曲がある歌手で、俳優で、社会活動家です。
ハリー・ベラフォンテの参加を歓迎し「バナナボート」を歌い出すシーンがあります。
ニーナ・シモンは、歌手で、ピアニストで、社会活動家です。
ディック・グレゴリーは、俳優で、コメディアンで、社会活動家です。
ジョーン・バエズは、シンガーソングライターで、社会活動家です。
ピーター・ポール&マリーは、フォークソンググループで、社会活動家です。

ヴィオラ・リッツォは、タラ・オックスが演じるセルマから首都モンゴメリーへの行進に参加し、モンゴメリーからセルマに戻る車を運転中にKKKのメンバーにより射殺されます。

単語説明

アスコットタイは、昼間の男性の第一礼装に用いる幅広の蝉型ネクタイです。

ノーベル平和賞は、ノルウェー・ノーベル委員会が国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体に授与します。

南部キリスト教指導者会議(SCLC:Southern Christian Leadership Conference)は、1957年に創設され、キング牧師が議長を務め、人種差別制度の廃止を目指す公民権運動で重要な役割をはたしました。

学生非暴力調整委員会(SNCC:Student Nonviolent Coordinating Committee)は、1960年4月に結成され、人種差別制度の廃止を目指す公民権運動で重要な役割をはたしました。

有権者登録は、選挙で一票を投票するのに必要になるのだけでなく、裁判の陪審員になるにも必要です。
日本では、18歳になると自動的に有権者登録が行われます。

アメリカ合衆国憲法の前文は、「われら合衆国の人民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のうえに自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、アメリカ合衆国のために、この憲法を制定する」です。

オルバニーは、ニューヨーク州の州都です。
オルバニーの警察署長ローリー・プリチェットは、キング牧師の支持者をマスメディアに報道されないように逮捕し、逮捕したキング牧師の支持者を周辺の各群の留置場に分散して留置し、キング牧師の支持者が少なくなり、キング牧師の活動は失敗しました。

ブル・コナーは、アメリカ合衆国アラバマ州バーミングハムの警察署長で、公安委員長で、公民権運動を徹底的に弾圧しました。

セルマ郡庁舎には、有権者登録を行う窓口があります。

メドガー・エヴァース、ジョージ・リーとラマー・スミスは、公民権運動家で、暗殺されました。

キリストは、キリスト教において、神の子です。
プレスリーは、世界史上最も売れたソロアーティストです。

KKKは、クー・クラックス・クランの略語で、白人至上主義団体です。

人頭税は、納税能力に関係なく、全ての国民1人につき一定額を課す税金で、税務コストが低いですが、逆進的であることから、採用している国はありません。
日本の国民年金は、納税能力に関係なく、全ての国民1人につき一定額を課すので人頭税と言えます。

アラバマ州ラウンズ郡は、ダラス郡セルマ市とモンゴメリー郡モンゴメリー市との間にあります。

非暴力は、体制変革における理念のひとつで、言論や言葉によって体制変革を実現することです。

アラバマ川は、ダラス郡とモンゴメリー郡との境界に流れている川で、エドモンド・ペタス橋が架けられています。

CBSテレビは、アメリカ合衆国最大のテレビ・ラジオ・ネットワークを有する放送局で、NBC、ABCと並ぶ3大ネットワークの一つです。

催涙ガスは、非致死性のガス化学兵器で、皮膚や粘膜に付着した場合、不快な刺激や痛みを与え、咳・クシャミ・落涙・嘔吐などの症状を発現し、効果時間は数分から数十分とされ、時間経過による拡散や自然分解、あるいは涙や洗眼、中和剤の使用などで除去すれば一般的には傷跡、後遺症を残すことがないとされています。

シカゴは、アメリカ合衆国イリノイ州にある都市で、ニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐ大都市です。
デトロイトは、アメリカ合衆国ミシガン州にある都市で、アメリカ中西部有数の大都市です。
ボストンは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州にある都市で、マサチューセッツ州最大の都市であり、州都です。
ハーレムは、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区北部にある地区で、アフリカ系アメリカ人の文化の中心地です。

公民権法は、アメリカ合衆国で人種差別を禁じた法律です。

投票権法は、アメリカ合衆国で投票時の人種差別を禁じた法律です。

フリーダムライドは、白人と黒人がバスの座席区分のないワシントンなどからバスの座席区分のあるモンゴメリーなどに向かう長距離バスに人種による座席区分を公然と破って乗車するという社会運動です。

最後のセリフ

神の心理、進撃せよ!

時代背景

1960年11月6日、共和党のリンカーンは、南部州の支持を得ることなしに、米国大統領選挙に勝利しました。

1861年3月4日、リンカーンは、アメリカ合衆国大統領に就任しました。

1862年9月22日、リンカーン大統領は、第1部の奴隷解放宣言をしました。
1863年1月1日、リンカーン大統領は、第2部の奴隷解放宣言をしました。

1864年4月8日、アメリカ合衆国憲法修正第13条は、上院議員では、賛成38票、反対6票で可決されました。

1864年11月8日、リンカーン大統領は、アメリカ合衆国大統領選挙で圧勝して、再選しました。
共和党は、下院議員選挙でも勝利しました。

1865年1月31日、アメリカ合衆国憲法修正第13条は、下院議員では、3分の2を2票上回る、119対56(欠席および棄権が8)で可決されました。
8人の欠席および棄権がなければ、3分の2を上回るためには、123票が必要でした。

1865年2月1日、リンカーン大統領は、アメリカ合衆国憲法修正第13条に署名し、成立しました。
映画「リンカーン」

1865年4月9日、北軍と南軍は、バージニア州アポマトックス郡で戦い、南軍は敗北しました。
南軍の陸軍将軍ロバート・E・リーは、北軍の陸軍総司令官ユリシーズ・グラントに降伏し、南北戦争が終わりました。

1865年4月15日、リンカーン大統領は、56歳で、殺害されました。

1865年12月18日、アメリカ合衆国国務長官ウィリアム・ヘンリー・シーワードは、36州のうち27州の議会によりアメリカ合衆国憲法修正第13条が批准されたことが布告しました。

1865年12月24日、ネイサン・ベッドフォード・フォレストは、テネシー州プラスキにて、5人の南部連合の退役軍人と共に「クー・クラックス・クラン(KKK)」を設立しました。

アメリカ合衆国憲法修正第14条は、黒人の権利を認める法律です。
1866年6月13日、アメリカ合衆国憲法修正第14条は、提案されました。
1868年7月9日、アメリカ合衆国憲法修正第14条は、批准されました。

アメリカ合衆国憲法修正第15条は、黒人の投票権を認める法律です。
1869年2月26日、アメリカ合衆国法修正第15条は、提案されました。
1870年2月3日、アメリカ合衆国憲法修正第15条は、批准されました。

1876年、アメリカ合衆国南部諸州の人種差別的な州法の総称であるジム・クロウ法が制定され始めました。

1888年から1908年、南部諸州はジム・クロウ法を法制化することで、黒人からの選挙権取り上げを合法化しました。
州憲法を書き直し、識字試験、人頭税、不動産所有要件、道徳的性格試験など様々な投票を制限する法を成立しました。
その他に有権者登録を行う者は特別な文書を理解しなければならないとか、投票者の祖父が投票したことがあれば、不適格な者も投票を認める祖父条項がありました。
この祖父条項は、祖父が奴隷であったり、そのほか不適格とされていた多くのアフリカ系アメリカ人は、当然ながら対象外とされました。

1896年5月18日、アメリカ合衆国最高裁判所は、7対1の判決により、列車、学校など社会のあらゆる領域で、「分離すれども平等」という白人と黒人を分離することを合法とする判決を下しました。

1935年3月23日、ジョン・エドガー・フーバーは、初代FBI長官に就任しました。

1948年1月30日、マハトマ・ガンジーは、78歳で、殺害されました。
映画「ガンジー」

1953年1月20日、ドワイト・D・アイゼンハワーは、アメリカ合衆国大統領に就任しました。

1955年10月26日、ベトナム共和国(南ベトナム)が、建国されました。
ジエムが、初代大統領に就任しました。
アメリカ合衆国は、軍事援助を約束しました。

1955年12月1日、全国有色人種向上協会モンゴメリー支部書記を務めていたローザ・パークスは、アラバマ州モンゴメリーで市営バスの黒人優先席に座っていました。市営バスの運転手のジェームズ・ブレイクが、ローザ・パークスに後から乗車した白人のために席を空けるように指示したが、ローザ・パークスは指示に従いませんでした。ジェームズ・ブレイクは、警察に通報しました。警察は、ローザ・パークスを、運転手の座席指定に従わなかったという理由で逮捕し、保釈しました。モンゴメリー市役所内の州簡易裁判所は、ローザ・パークスに罰金刑を宣告しました。

1955年12月5日、キング牧師は、モンゴメリー市営バスへの乗車を拒否するモンゴメリー・バス・ボイコット運動を呼びかけて、始めました。

1956年4月10日、アサ・アール・カーター達は、アラバマ州バーミンガムにある劇場ザ・ガーディアンのステージ上で「Little Girl」を歌っているナット・キング・コールを襲撃しました。

1956年11月13日、連邦最高裁判所は、アラバマ州モンゴメリーの人種隔離政策に対して違憲判決を下しました。
1956年12月20日、モンゴメリー・バス・ボイコット運動は終了しました。

1955年11月、サイゴンで組織されていたインドシナ米軍事援助顧問団(MAAG)は、南ベトナム米軍事援助顧問団へと改組され、南ベトナム政府軍の軍事教練が開始しました。

1960年10月、キング牧師は、ジョージア州アトランタで逮捕されました。
ケネディ民主党大統領候補は、キング夫人に電話をかけて、マスコミに公開し、好意的な反応を受けました。翌日に弟のロバート・ケネディは、ジョージア州知事に連絡し、キングに有罪判決を言い渡した判事に電話をかけて釈放を求め、この翌日キングは釈放されました。

1960年11月8日、ケネディ民主党大統領候補は、ニクソン共和党大統領候補に僅差で勝ち、アメリカ合衆国大統領に当選しました。

1960年12月20日、南ベトナム解放民族戦線は、ジエム大統領とアメリカ合衆国を打倒するために結成されました。

1961年1月20日、ジョン・F・ケネディは、アメリカ合衆国大統領に就任しました。

1961年4月11日、エルサレムで、アドルフ・アイヒマンの裁判が始まりました。
映画「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」

1961年4月15日、亡命キューバ人部隊が、キューバ空軍の飛行場を爆撃し壊滅させて制空権を奪うのに失敗しました。
1961年4月17日、1400人の亡命キューバ人部隊がピッグス湾に上陸し、キューバ政府軍の反撃に遭い、キューバ空軍の攻撃を受け、沖合に待機した艦船が撃沈、弾薬も食糧も欠乏する事態の中で海岸で部隊は孤立しました。
ケネディ大統領は、米国正規軍の派遣を拒否し、ピッグス湾上陸作戦は失敗しました。

1961年5月、ケネディ大統領は、アメリカ軍の正規軍人から構成された「軍事顧問団」という、ゲリラに対する掃討作戦を行う特殊作戦部隊600人の派遣と軍事物資の支援を増強することを決定し、南ベトナム解放民族戦線を壊滅させる目的でクラスター爆弾、ナパーム弾、枯葉剤を使用する攻撃を開始しました。

1961年12月15日、アドルフ・アイヒマンは、全ての罪で有罪となり、死刑が宣告されました。
1962年6月1日、アドルフ・アイヒマンは、ラムラの刑務所で絞首刑になりました。

ソ連は、キューバに核ミサイル等の以下の兵器を運び込みました。
中距離弾道ミサイル(IRBM)24基、準中距離弾道ミサイル(MRBM)36基、戦車、大砲、対戦車ミサイル、短距離ロケット36基、軽爆撃機「イリューシン」(Il-28)42機、戦闘機(MiG21)40機、地対空ミサイル72基、巡航ミサイル(KR-1)80基、巡航ミサイル(S-2)32基、巡視艇12隻、兵員4万5234名

1962年10月14日、アメリカ軍が、空中偵察によりキューバに核ミサイル基地を発見しました。
1962年10月22日、ケネディ大統領は、海上封鎖を宣言し、新たなミサイルの配備を阻止し、ソ連にミサイルを解体、撤去することを要求しました。
1962年10月28日、ソ連のフルシチョフ最高指導者は、キューバから核ミサイル基地を撤去すると発表しました。

1962年11月21日、ソ連は、核ミサイルをキューバから撤去し、アメリカ合衆国は海上封鎖を解除しました。

1962年2月、ケネディ大統領は、南ベトナム軍事援助司令部を設置し、爆撃機や武装ヘリコプターなどの各種航空機や、戦車などの戦闘車両や重火器などの装備も送るなどにより、軍事顧問団という名目の特殊作戦部隊であるものの、事実上の正規軍の派遣に格上げしました。

1962年5月、ケネディ大統領は、南ベトナムとラオスへの支援を目的にタイ国内の基地に数百人規模のアメリカ海兵隊を送ることを決定しました。

1963年1月2日、2000人で構成され装備の面で圧倒的に勝るアメリカ軍及びベトナム共和国軍は、約200人で構成された南ベトナム解放民族戦線にアプバクで敗北しました。
ケネディ大統領は、アメリカ軍を本格的にベトナムに投入することを決断し、アメリカ軍を16,263人に増加させました。

1963年8月28日、キング牧師は、20万人を超える大規模なワシントン大行進に参加し、リンカーン記念堂の前で有名な「I Have a Dream」という演説を行いました。

1963年9月15日、アラバマ州北部のバーミングハムの公民権運動の拠点16番通りバプティスト教会にダイナマイト10本分の爆発物が仕掛けられ、日曜学校に来ていた黒人女の子である14歳のアディ・メエ・コリンズ、14歳のシンシア・ウェズリィ、14歳のキャロル・ロバートスン、11歳のデニーズ・マクネアが死亡しました。

1963年10月31日、ケネディ大統領は、「1963年の末までに軍事顧問団をベトナムから1,000人を引き上げる」と発表しました。

1963年11月22日、ケネディ大統領は、43歳で、殺害されました。
リンドン・B・ジョンソンは、アメリカ合衆国大統領に就任しました。

1963年、ハンナ・アーレントは、「ザ・ニューヨーカー」誌に「イエルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告」を発表しました。
映画「ハンナ・アーレント」

1964年6月21日、クー・クラックス・クラン(KKK)のメンバーが、ミシシッピー州フィラデルフィアで、3人の公民権運動家、黒人のジェムズ・チェイニー、ユダヤ人のアンドリュー・グッドマンとマイケル・シュワーナーを殺害しました。

1964年7月2日、ジョンソン大統領は、公民権法に著名し、南部各州のジム・クロウ法は廃止となりました。

1964年8月2日、北ベトナム海軍の魚雷艇は、ベトナム沖のトンキン湾でアメリカ海軍の駆逐艦「マドックス」への魚雷攻撃をしました。
1964年8月4日、アメリカ合衆国ジョンソン大統領とアメリカ軍は、ベトナム沖のトンキン湾でアメリカ海軍の駆逐艦「マドックス」への魚雷攻撃を捏造しました。
1964年8月5日、ジョンソン大統領は、北ベトナム軍の魚雷艇基地に対する大規模な軍事行動(ピアス・アロー作戦)を行いました。
1964年8月7日、ジョンソン大統領は、米国上下両院で民主党と共和党の議員の圧倒的な支持で承認されて、実質的な戦時大権を得ました。

1964年、ジェイムズ・ヘア地方判事は、学生非暴力協調委員会、南部キリスト教徒指導者会議、ダラス郡有権者同盟などの後援で3人以上の集会を禁止し、名指しされた41人の公民権運動活動家の関与を禁止しました。

1964年11月3日、ジョンソン大統領は、得票率61.1%を獲得し、538人の大統領選挙人の内486人の支持を得て、大統領選挙で圧勝しました。

1964年12月10日、キング牧師にノーベル平和賞が授与されました。

1965年1月2日、キング牧師は、アラバマ州セルマにあるブラウン教会で演説したことで、ジェイムズ・ヘア地方判事による禁止令を否定し、公民権運動活動は再開されました。

1965年2月6日、ジョンソン大統領は、議会に投票権法の提案を行うと宣言しました。

1965年2月7日、アメリカ合衆国は、北ベトナムへの集中爆撃(北爆)を開始しました。

1965年2月18日、ジミー・リー・ジャクソンは、マリオンで公民権運動デモ中に、警察官の暴力から逃げていた母親と祖父を喫茶店で守ろうとして、警察官に至近距離から発砲され、マリオンの病院では手当が受けられず、セルマの病院で手当てを受けました。

1965年2月21日、マルコムXは、ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区ワシントンハイツ地区にあるオードゥボン舞踊場でスピーチしているときに、殺害されました。

1965年2月26日、ジミー・リー・ジャクソンは、セルマの病院で、感染症により死亡しました。
ジミー・リー・ジャクソンの遺体をアラバマ州知事ジョージ・ウォレスの足元に横たえようとして、セルマからモンゴメリーへの行進が計画されました。

1965年3月7日、525名公民権運動家達がアラバマ州セルマを出発し、アラバマ州の州都モンゴメリーまで行進を続けることで、警官隊達が合衆国憲法違反をしたことをアピールしました。
アラバマ州知事ジョージ・ウォレスは、そのデモ行進が「公共の秩序を乱す恐れがある」としてこれを非難し、あらゆる手段を使ってデモの阻止を宣言し、エドモンド・ペタス橋で州兵やダラス郡保安官達が無抵抗のデモ隊に対して棍棒や催涙ガス、鞭などを使ってセルマに追い返しました。
この事件が「血の日曜日事件」です。

1965年3月9日、キング牧師が率いる公民権運動家達がアラバマ州セルマを出発し、エドモンド・ペタス橋で、犠牲者に黙とうをささげ、セルマに戻ります。
公民権運動に反対する白人が、ジェイムズ・リーブを殺害します。

1965年3月15日、ジョンソン大統領は、テレビ放送された議会合同委員会で演説を行い、広範な投票権法を成立させることを訴えた。その演説の最後を「我々は打ち勝つ」という言葉で締め、この言葉が公民権運動の主要テーマとなりました。

1965年3月21日、キング牧師が率いる2,000名ほどの公民権運動家達は、ジョンソン大統領が命じた連邦政府の管理下で米国陸軍とアラバマ州兵によって保護され、アラバマ州セルマを出発し、エドモンド・ペタス橋を渡り、州都モンゴメリーに向けてデモ行進を始めました。

1965年3月25日、キング牧師は、デモ隊と共にモンゴメリーに無事到着しました。
KKKのメンバーが、セルマから首都モンゴメリーへの行進に参加し、モンゴメリーからセルマに戻る車を運転中のヴィオラ・リッツォを射殺しました。

1965年5月26日、上院は、投票権法を賛成77票(民主党47票、共和党30票)、反対19票(民主党16票、共和党2票)で可決しました。
1965年7月9日、下院は、州と地方の選挙における人頭税の禁止を付加した投票権法を、賛成333票(民主党221票、共和党112票)、反対85票(民主党61票、共和党24票)で可決しました。
1965年7月29日、下院と上院で成立した法案の違いを調節するために両院協議会は、投票権法の協議会案を上程した。
1965年8月3日、下院は、投票権法の協議会案を賛成28票(民主党217票、共和党111票)、反対74票(民主党74票、共和党20票)で可決しました。
1965年8月4日、上院は、投票権法の協議会案を賛成79票(民主党49票、共和党30票)、反対18票(民主党17票、共和党1票)で可決しました。
1965年8月6日、ジョンソン大統領が国会議事堂で投票権法の協議会案に署名して法となり、キング牧師、ローザ・パークス、ジョン・ルイスなど公民権運動の指導者達が同席しました。
投票権法によって、投票権が州でなく、連邦政府によって監督され、執行されるようになりました。

1966年3月16日、船長はニール・アームストロング、搭乗員はデイヴィッド・スコットを乗せて、ジェミニ8号が打ち上げられました。

1966年7月、学生非暴力調整委員会(SNCC)は、「ブラック・パワー」を提唱するストークリー・カーマイケル(クワメ・トゥーレ)が新委員長に就任しました。

1967年7月23日、アルジェ・モーテル事件が発生しました。

1968年1月30日、北ベトナムと解放戦線側は、テト攻勢を企画し、私服の戦闘員を各都市に浸透させ、拠点に武器を集積するなど準備したのち、一斉に蜂起しました。

1968年4月3日、キング牧師は、テネシー州メンフィスで、最後となる演説を行いました。

1968年4月4日、キング牧師は、テネシー州メンフィスで殺害されました。

1969年1月20日、リチャード・ニクソンは、アメリカ合衆国大統領に就任しました。

1969年7月21日、ニール・アームストロング達は、月面着陸し、月面に降り立ち、滞在時間は2時間30分くらいです。
1969年7月24日、ニール・アームストロング達は、無事太平洋に着水しました。
映画「ファースト・マン」

1971年7月、マーク・フェルトは、FBI副長官に就任しました。

1971年6月13日、ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者は、「ペンタゴン・ペーパーズ」の報道を始めました。

1972年5月2日、ジョン・エドガー・フーバーは、77歳で、亡くなり、FBI長官を辞めました。

1972年6月17日、ウォーターゲート事件が発生しました。

1972年6月20日、ワシントン・ポストのボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者は、ウォーターゲート事件の報道を始めました。

1973年6月22日、マーク・フェルトFBI副長官は、FBIを退局しました。

1974年8月9日、ニクソン大統領は、辞任しました。

1976年6月16日、スティーヴン・ビコの影響を受けた1万人もの黒人学生達は、ソウェトで蜂起が発生しました。
映画「遠い夜明け」

1986年、レーガン大統領は、1月の第3月曜日をマーティン・ルーサー・キング・ジュニアを称える連邦法定休日とすることを宣言しました。
1986年1月20日の月曜日、全米の人々は、第1回の正式なマーティン・ルーサー・キング牧師の日を祝いました。

1989年12月3日に、地中海のマルタ島沖のソビエト連邦客船マクシム・ゴーリキーの船内で、ハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフソビエト連邦最高会議議長兼ソビエト連邦共産党書記長とジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領が会談し、冷戦の終結を宣言しました。

1990年2月11日、南アフリカ共和国のデクラーク大統領は、アパルトヘイト関連法案の撤廃決定し、ネルソン・マンデラを釈放しました。
映画「マンデラ 自由への長い道」映画「マンデラの名もなき看守」映画「インビクタス/負けざる者たち」

1991年3月3日、ロドニー・キングはロサンゼルス市内を運転中、スピード違反容疑で警察車両から停車を指示されますが、強盗罪で懲役刑を受けた後の仮釈放中だったので、再収監されることを恐れて逃亡し、警察による追跡により強制停車させられ、自動車から降ろされ、警官らに取り囲まれて、激しい暴行を受けました。

1992年4月末~5月、アメリカ合衆国のカリフォルニア州ロサンゼルスで大規模な暴動が起きました。

1995年3月16日、ミシシッピー州は、アメリカ合衆国憲法修正第13条を批准しました。
すべての州が、アメリカ合衆国憲法修正第13条を批准しました。

2009年1月1日、アメリカ合衆国のカリフォルニア州フルートベール駅で、グラントはケイティに呼び止められ、ある男がグラントに襲いかかってきました。BARTの鉄道警察隊がやって来て、事態の収拾ができなくなった警官たちは、グラントを銃撃しました。

2012年2月26日、自警団員のジョージ・ジマーマンが、フロリダ州のサンフォードで、黒人高校生トレイボン・マーティンを射殺しました。
Black Lives Matter運動が、起きました。

2017年8月12日、ジェイムズ・フィールズは、バージニア州シャーロッツビルで、白人極右集会に抗議する人たちの間に自動車で突入し、女性であるヘザー・ハイヤーを死亡させ、19人を負傷させました。

2020年5月25日、警察官デレク・ショーヴィンが、ミネソタ州ミネアポリス近郊で、黒人男性ジョージ・フロイドを不適切な拘束方法によって殺害しました。

アメリカ連合国陸軍将軍ロバート・E・リー像など公共の場にある記念碑を破壊し、撤去が行われました。
南北戦争が終わって、150年以上経過していますが、奴隷制度を忘れることはできません。

Black Lives Matter運動は、続いています。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの生涯

1929年1月15日、ジョージア州アトランタでバプテスト派牧師マイケル・ルーサー・キングの息子として、生まれました。
1935年、父のマイケル・ルーサー・キングは、マーティンと改名し、息子も改名したため「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア」になりました。

キング牧師は、9年生と12年生を飛び級して、15歳でモアハウス・カレッジに入学しました。

1953年6月18日、キング牧師とコレッタは、コレッタの母の家の庭で、キング牧師の父マーティン・シニアにより結婚式を行い、結婚しました。

1954年9月、キング牧師は、神学博士号を取得し、妻コレッタ・スコット・キングと共にアラバマ州モンゴメリー市に移り、デクスター・アベニュー・バプテスト教会の牧師に就任しました。

1955年12月1日、市営バスに乗車したローザ・パークスは、黒人優先席に座っていた。
運転手のジェームズ・ブレイクが、後から乗車した白人のために席を空けるように指示したが、ローザ・パークスは指示に従いませんでした。
運転手のジェームズ・ブレイクは警察に通報し、ローザ・パークスは、運転手の座席指定に従わなかったという理由で逮捕されました。

キング牧師らが、路線バスへの乗車ボイコットを呼びかけると、多くの市民がこれに応じました。
特にバス利用者の約4分の3を占めていた黒人が一斉に利用しなくなったことにより、市のバス事業は経済的に大きな打撃を被りました。

1956年11月13日、連邦最高裁判所は、地方裁判所の判決を支持する形で、モンゴメリーの人種隔離政策に対して違憲判決を下した。

1956年12月20日、路線バスへの乗車ボイコット運動は、公式に終了しました。

1963年8月28日に行われたワシントン大行進は参加者が20万人を超える大規模なものとなり、公民権運動家や芸能人など多くの著名人も参加した。
この集会においてキング牧師は、リンカーン記念堂の前で有名な「私には夢がある」という演説を行いました。

「だから私は今日あなたがたに申し上げたい。今日も、そして明日もわれわれが困難に直面するとしても、私にはなお夢があるのだということを。それはアメリカの夢に深く根差した夢である。
すなわち、いつ日かこの国が立ち上がって「我々は、これら真理を自明のものとして承認する。すなわち全ての人は平等に作られ・・・」というあのわが国の信条の真の意味を生きるようになるであろうという夢である。
私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷主の子孫が、兄弟愛のテーブルに仲良く座ることができるようになるという夢が。
私には夢がある。今、不正義と抑圧の炎熱に焼かれているミシシッピー州でさえ、自由と正義のオアシスに生まれ変わるだろうという夢が。
私には夢がある。今は小さな私の四人の子供たちが、いつの日か肌の色ではなく内なる人格で評価される国に住めるようになるという夢が。私には夢がある。
私には夢がある。悪意ある人種差別主義者や、「介入」とか「無効化」という言葉で口をぬらしている州知事がいるアラバマ州でさえ、いつの日か、幼い黒人の少年少女が、幼い白人の少年少女と手に手をとって姉妹兄弟になることができるという夢が。私には今日、私には夢がある。
私には夢がある。いつの日か、全ての谷は隆起し、丘や谷は低地となる。荒地は平らになり、歪んだ地も真っ直ぐになり、そして主の栄光が現れる。その光景を肉なる者が共に見るという夢である。
これが我々の希望なのだ。
この信仰を持って南部に帰っていく。この信仰をもってすれば、われわれは絶望の山から希望の石を切り出すことができ、この騒々しい不協和音を美しい兄弟愛の交響曲に作り替えることができる。この信仰をもってすれば、われわれは共に働き、共に祈り、共に闘い、共に投獄され、また、いつの日か解き放たれると固く信じつつ共に自由のために立ちあだることができるのだ。
<クレイボーン カーソン, クリス シェパード編, 梶原 寿 訳「私には夢がある M.L.キング説教・演説集」新教出版社 p.103-104, ISBN:978-4-4400-42122-1 C1016>」

全文を読みたい人は、「私には夢がある」(1963年)で読むことができます。
独立宣言について知りたい人は、独立宣言(1776年)で読むことができます。

1963年9月15日、アラバマ州北部のバーミングハムの公民権運動の拠点16番通りバプティスト教会にダイナマイト10本分の爆発物が仕掛けられ、日曜学校に来ていた黒人女の子である14歳のアディ・メエ・コリンズ、14歳のシンシア・ウェズリィ、14歳のキャロル・ロバートスン、11歳のデニーズ・マクネアが死亡しました。
キング牧師は、演説を行いました。

「彼女たちは私たち一人ひとりに、白人、黒人を問わず、臆病にならず勇気をもって行動せよと語っているのである。また彼女たちは、私たちの関心が単に彼女たちの生命を奪った者にのみ留まらず、殺人犯を生み出した背景にある社会制度や、人間の生き方や、哲学にまでも向かわねばならないと語っているのである。少女たちの死が告げているのは、私たちが、アメリカの夢を実現するために情熱を持って果敢に働かねばならないということなのだ。
だから彼女たちが死んだのは無駄ではない。神は今もなお悪から善を導き出す途を備えておられる。歴史は繰り返し繰り返し、不条理な苦難は贖罪の力をもつことを証明している。この少女たちによって流された無垢なる血が、この暗闇に満ちた町に新しい光をもたらす贖いの力をもって働くことは、確かである。
聖書に、「小さい子供がそれを導く」とあるように、この少女たちの死によって私たちの住む南部全体が、人間が人間を蔑む未開な道から平和と兄弟愛に満ちた品位のある道へと導かれるに違いない。この少女たちの悲しい死によって、わが国は、皮膚の色による貴族政治ではなくて人間の中身を重んじる貴族政治へと導かれるかもしれない。
<クレイボーン カーソン, クリス シェパード編, 梶原 寿 訳「私には夢がある M.L.キング説教・演説集」新教出版社 p.103-105, ISBN:978-4-4400-42122-1 C1016>」

1964年7月2日、リンドン・B・ジョンソン大統領は、公民権法に著名しました。

1964年10月14日、キング牧師が、1964年度のノーベル平和賞が授与されることが発表されました。
1964年12月10日、キング牧師が、1964年度のノーベル平和賞の授賞式に出席し、授与され、演説しました。

「アメリカ合衆国の二千二百万の黒人が長く続いた人種差別の長い旅に終止符を打たんと戦っているまさにこの時、私はノーベル平和賞を受賞する。自由の支配と正義の統治を確立するために、恐れや危険をものともせず堅い決意のもとに取り組まれている公民権運動を代表して、私は今この賞を受賞する。
<クレイボーン カーソン, クリス シェパード編, 梶原 寿 訳「私には夢がある M.L.キング説教・演説集」新教出版社 p.123, ISBN:978-4-4400-42122-1 C1016>」

1965年3月7日、キング牧師は、525名の公民権運動家達がアラバマ州セルマを出発し、アラバマ州の州都モンゴメリーまで行進を続けることで、警官隊達が合衆国憲法違反をしたことをアピールするデモ行進には参加できませんでした。
「血の日曜日事件」が起きました。

1965年3月9日、キング牧師が率いる公民権運動家達がアラバマ州セルマを出発し、エドモンド・ペタス橋で、犠牲者に黙とうをささげ、セルマに戻ります。

1965年3月21日、キング牧師が率いる2,000名ほどの公民権運動家達は、ジョンソン大統領が命じた連邦政府の管理下で米国陸軍とアラバマ州兵によって保護され、アラバマ州セルマを出発し、エドモンド・ペタス橋を渡り、州都モンゴメリーに向けてデモ行進を始めました。
1965年3月25日、キング牧師は、デモ隊と共にモンゴメリーに無事到着しました。
キング牧師は、モンゴメリーで演説を行いました。

「その時はいつなのか。もうすぐだ。
なぜなら道徳的宇宙の弧はどんなに長くても、正義に向かって曲がっているからだ。
その時はいつなのか。もうすぐだ。
私の眼は主の降臨の栄光を見たのだから、
主は怒りの葡萄の収穫物を踏みつけておられる、
主は恐ろしい、鋭利な剣の死の光を放たれた、
主の真理は進んで行く。
主は決して後退を告げるとこのないラッパを吹き鳴らされた!
主は裁きの座の前に立つ人々の心を選り分けておられる。
ああ、わが魂よ、すみやかに答えよ!わが足よ、喜べ!
われらの神は進まれる。
グローリー、ハレルヤ!
グローリー、ハレルヤ!
グローリー、ハレルヤ!
グローリー、ハレルヤ!
主の真理は進んで行く。
<クレイボーン カーソン, クリス シェパード編, 梶原 寿 訳「私には夢がある M.L.キング説教・演説集」新教出版社 p.150-151, ISBN:978-4-4400-42122-1 C1016>」

1968年4月4日、遊説活動中のテネシー州メンフィスにあるメイソン・テンプルで「私は山頂に達した」と遊説しました。

「いや、私自身、自分の身に何が起こるのか分からない。これから相当困難な日々が私たちを待ち受けている。でも私はそんなことはもう気にならない。私は山の頂に登ってきたからだ。だからもう気にならない。たしかに私も人並みに長生きをしたい。長生きにはそれなりの意味がある。でも今の私には重要なことではない。今はただただ神の意志を体現したい気持ちで一杯だ。神は私を山の頂にまで登らせてくれた。頂から約束の地が見えた。私自身は皆さんと一緒には約束の地には行けないかもしれない。でも知ってほしい。私たちは一つの民として約束の地に行くのだということを。だから私は今うれしい。私はどんなことにも心が騒がない。どんな人も怖くない。主が栄光の姿で私の前に現れるのをこの目で見ているからだ。
<クレイボーン カーソン, クリス シェパード編, 梶原 寿 訳「私には夢がある M.L.キング説教・演説集」新教出版社 p.245-246, ISBN:978-4-4400-42122-1 C1016>」

1968年4月4日、キング牧師は、テネシー州メンフィス、39歳で、暗殺されました。

感想

原題は「Selma」で、デモ行進のスタート地点であるアラバマ州セルマのことです。
邦題の「グローリー」は「栄光」という意味で、「明日」とは「投票権法」という意味で、「行進」は「セルマからモンゴメリーへのデモ行進」のことです。
キャッチコピーは、「ただ「歩く」ことで世界を変えた男の、感動の実話」です。

この映画は、FBIがキング牧師を監視し、盗聴した記録を基に制作されているところが、他の実話映画とは違います。テロップとして、表示される日時と場所は、FBIの監視記録です。

映倫はPG-12で、12歳未満の年少者の観覧には親または保護者の助言・指導が必要です。

リンカーン大統領がアメリカ合衆国憲法修正第13条に署名し、成立させ、20万人を超える大規模なワシントン大行進が行われ、キング牧師がリンカーン記念堂の前で有名な「私には夢がある」という演説を行い、ジョンソン大統領が公民権法に著名し、成立させ、南部各州のジム・クロウ法を廃止し、キング牧師がノーベル平和賞の授賞式に出席し、授与されてことで人種差別は区切りがついたと考えていました。
キング牧師は、ノーベル平和賞を授与された後も、黒人を取り巻く状況は変わらずに、人種差別に取り組んでいたことには驚きました。
この映画を鑑賞することで、人種差別を知ることができたので良かったです。

1963年~1965年の出来事を描いた映画です。
1963年は、アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが暗殺された年です。
1965年は、日本では、第1回プロ野球ドラフト会議を開催した年です。
古い時代の物語ですが、今もなお続いている人種差別についての映画なので、鑑賞する価値はあります。

人種差別について、知りたい人には、お勧めできる映画です。
日本に人種差別はないし、外国で仕事をする可能性が全くない政治家や政治家の秘書、官僚、役人で人種差別に興味がない人には、お勧めできない映画です。
日本でも、毎週何かしらのデモは行われていますが、メディアは報道せず、政治家も官僚も無視している、現在の日本の状況は、この映画で描かれたアメリカ合衆国の以前の時代のように感じ、アメリカ合衆国に対して80年は遅れている感じを受けました。
日本でデモを行うなら、この映画は参考になるはずです。

投票権登録の差別撤廃に関わる人々をキング牧師を中心に描いた映画です。
投票権登録の差別撤廃に関する人々の姿勢、ダラス郡セルマ市からラウンズ郡を通過してモンゴメリー郡モンゴメリー市へのデモ行進に関する姿勢は色々で、キング牧師が行進するためにする苦労も、強硬に反対する人々もよく描かれています。
キング牧師は、牧師であり、指導者でもありますが、夫でもあるということも描かれています。
キング牧師の妻であるコレッタについても描かれています。

登場人物は、多く、立場も色々で複雑です。
黒人でも、非暴力で人種差別に取り組むキング牧師たちもいれば、非暴力を否定し暴力で人種差別に取り組む人もいるし、人種差別に取り組み犠牲者になる人もいますし、人種差別に取り組まない人もいますし、人種差別に取り組まなくても犠牲者になる人もいます。
白人でも、国をまとめるために人種差別に取り組み、行動する人もいますし、人種差別に取り組み犠牲者になる人もいますし、人種差別を維持するために黒人だけにではなく、黒人に協力する白人にまで暴力をふるい、殺す人もいます。

キング牧師がノーベル平和賞を授与された理由は描かれていません。
キング牧師が非暴力で、公民権法の制定に貢献したことが理由です。

キング牧師が非暴力に至った過程や非暴力を貫き通した理由は描かれていません。
キング牧師が非暴力に至った過程や非暴力を貫き通した理由は、多くの書物を読み、理解し、インドの弁護士で、宗教家で、政治的な指導者であるガンジーに学んだからです。
ガンジーは、「非暴力・非服従」を掲げ、イギリス製品の綿製品に対する不買運動を行い、イギリスによる塩の専売を批判し380kmも行進し、イギリスからのインド独立運動を指導しました。
ガンジーは、ノーベル平和賞を授与されていません。

キング牧師がいなければ投票権法の成立は遅れ、黒人たちはマルコムXやストークリー・カーマイケル(クワメ・トゥーレ)のように過激になり、投票権法は成立できずに、アメリカ合衆国は内戦状態になっていた可能性さえあります。

この映画を鑑賞するだけでなく、調べることで理解が深まりました。
ニューヨーク州都オルバニーの警察署長ローリー・プリチェットは、キング牧師の支持者をマスメディアに報道されないように逮捕し、逮捕したキング牧師の支持者を周辺の各群の留置場に分散して留置し、キング牧師の支持者が少なくなり、キング牧師の活動を続けられないようにしたことを知ることができました。
キング牧師は、この失敗から多くのことを学び、アラバマ州セルマからアラバマ州都モンゴメリーへの大行進を成功させ、投票権法を勝ち取りました。

ジミー・リー・ジャクソンの遺体をアラバマ州知事ジョージ・ウォレスの足元に横たえようとして、セルマからモンゴメリーへの行進が計画されました。
キング牧師は、「投票権法を求める行進」として承認しました。

キング牧師は、犠牲は覚悟の上で、メディアで全米に伝えられる方法として、日曜日の真昼に行進を始めました。
「血の日曜日事件」が起きて、メディアにより、アメリカ全土に知れ渡り、投票権法の必要性を知らしめました。

アメリカ合衆国ジョンソン大統領は、投票権法に対する態度を変え、テレビ放送された議会合同委員会で演説を行い、広範な投票権法を成立させることを訴えました。

アメリカ合衆国ジョンソン大統領は、キング牧師などの公民権運動の指導者達が同席する国会議事堂で投票権法に署名して法となりました。
投票権法によって、投票権が州でなく、連邦政府によって監督され、執行されるようになりました。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの名言

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの名言
  • 疑わずに最初の一段を登りなさい。階段のすべて見えなくてもいい。とにかく最初の一歩を踏み出すのです。
  • 私たちには今日も明日も困難が待ち受けている。それでも私には夢がある。
  • 私たちは、限りある失望を受け入れなければならない。しかし無限なる希望を失ってはならない。
  • 人は兄弟姉妹として、共に生きていく術を学ばなければならない。それが出来なければ、私たちは愚か者として共に滅びることになる。
  • 自由は決して圧制者の方から自発的に与えられることはない。しいたげられている者が要求しなくてはならないのだ。
  • そのために死ねる何かを見つけていない人間は、生きるのにふさわしくない。
  • ほとんどいつも、創造的でひたむきな少数派が世界をより良いものにしてきた。
  • 人の真価がわかるのは喜びに包まれている瞬間ではなく、試練や論争に立ち向かうときに示す態度である。
  • 人生で最も永続的でしかも緊急の問いかけは、「他人のために、いまあなたは何をしているか」である。
  • あなたが正しいとき、過激になりすぎてはいけない。あなたが間違っているとき、保守的になりすぎてはいけない。
  • 人は「発言する」ことにのみならず、「発言しない」ということにも責任を持たなければならない。
  • 「目には目を」という古い法を守っていたら、世の中の人々はみんな目が見えなくなってしまう。
  • 真のリーダーとは、合意を探す者ではなく、合意の形成者となる者である。
  • 問題になっていることに沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める。
  • 闇は、闇で追い払うことはできない。光だけがそれを可能にする。憎しみは憎しみで追い払うことはできない。愛だけがそれを可能にする。
  • 最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。
  • 真の平和とは、単に緊張がないだけではなく、そこに正義が存在することである。
  • どこにおける不正であっても、あらゆるところの公正への脅威となる。
  • すべての進歩は不安定であり、一つの問題を解決しても、我々はまた他の問題に直面することになる。
  • 愛だけが、敵を友人に変えられる唯一の力だ。

疑わずに最初の一段を登りなさい。階段のすべて見えなくてもいい。とにかく最初の一歩を踏み出すのです。

疑っても確認し、準備するなどの最初の一段を登ることは、誰にでもできることです。
階段のすべてを見ることは、限られた天才にしかできません。
最初の一歩を踏み出さなければ、何も変わりません。

退職後のことは、すべて見えなくても良いのです。
退職後のことは、すべてが一度にやってくることはなく、明日一日のことが、毎日やってくるだけです。
誰かに相談したり、確認したり、準備するだけという最初の一歩を踏み出すだけなら、すべての退職者にできます。
もし、退職後にブログを始めたいという人は、以下の記事を参考にしてください。
このブログの始め方~その①
このブログの始め方~その②
このブログの始め方~その③

私たちには今日も明日も困難が待ち受けている。それでも私には夢がある。

困難がないという人には、夢もない。
困難がある人だけが、夢を見る。

退職後には困難が待ち受けている。この困難を乗り越える夢を持って、生きたいです。

私たちは、限りある失望を受け入れなければならない。しかし無限なる希望を失ってはならない。

退職後に、失望することはあるでしょう。
退職後に、希望を失ったら、死ぬのを待つだけの人生になってしまいます。

人は兄弟姉妹として、共に生きていく術を学ばなければならない。それが出来なければ、私たちは愚か者として共に滅びることになる。

日本では、兄弟姉妹として、共に生きていく術を学まず、格差は広がり、固定され、赤字国債は増え続け、一人当たりのGDPは減り続け、人口は減り続け、日本は愚か者として共に滅びることにります。

自由は決して圧制者の方から自発的に与えられることはない。しいたげられている者が要求しなくてはならないのだ。

日本国憲法には自由権が謳われているが、日本に生まれ、自由に生きてきたとは思わない。
自由は与えられるのもではなく、自由は手に入れるものだということを学びました。

退職後は、圧制者する人は減り、自由は増えるので、自由を求めて、生きていきたいです。

そのために死ねる何かを見つけていない人間は、生きるのにふさわしくない。

自分は、そのために死ねる何かを探して、見つけて、生きることはしませんでした。
そのために死ねる何かを見つけて、生きるにふさわしい人間と出会ったことはありません。
そのために死ねる何かを見つけていない人間は、そのために死ねる何かを見つけていない人間に出会うことはないのでしょう。

退職後は、後は死ぬだけです。
退職後に、色々なことを行い、そのために死ねる何かを見つけて、生きる人間になりたいです。

ほとんどいつも、創造的でひたむきな少数派が世界をより良いものにしてきた。

創造的でひたむきな人は、限られています。
限られている創造的でひたむきな人が、日本で力を発揮することなく、日本をより良いものにしていないのが現状です。

人の真価がわかるのは喜びに包まれている瞬間ではなく、試練や論争に立ち向かうときに示す態度である。

試練や論争に立ち向かう日本人は、左遷され、淘汰されます。
日本人の真価がわかることはないでしょう。

人生で最も永続的でしかも緊急の問いかけは、「他人のために、いまあなたは何をしているか」である。

他人のために、いま何をしているかしている人に出会ったことはありません。
自分が他人のために、いま何かをしたいとは思いません。
自分と同じ退職者たちへ、有用な経験や情報をブログの中で発信していきたいです。

あなたが正しいとき、過激になりすぎてはいけない。あなたが間違っているとき、保守的になりすぎてはいけない。

変わろうとしない自分は、過激にならなければならないといけない。
自分のことを間違っているという人が、間違っているとしか思えません。

人は「発言する」ことにのみならず、「発言しない」ということにも責任を持たなければならない。

「記憶にございません」と発言することで、責任を回避する人を見続けてきました。
「発言する」ことで左遷されました。
「発言しない」ことで退職に追い込まれました。

「目には目を」という古い法を守っていたら、世の中の人々はみんな目が見えなくなってしまう。

目をつぶされるのを黙認したら、目をつぶされ世の中のことが見えなくなってしまう。
目をつぶされないように要求したら、左遷され、退職にすることになり、世の中のことが見えなくなってしまう。

真のリーダーとは、合意を探す者ではなく、合意の形成者となる者である。

合意を探すリーダーにも、合意の形成するリーダーにも、真のリーダーにも出会ったことはありません。
出会ったのは、責任を回避し、自己都合を押し付けてくるリーダーだけです。

問題になっていることに沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める。

退職者は、問題になっていることに沈黙することもできます。
退職者の命は、終わりに向かい始めています。
若い人々は、大変なことになると思います。

闇は、闇で追い払うことはできない。光だけがそれを可能にする。憎しみは憎しみで追い払うことはできない。愛だけがそれを可能にする。

闇や憎しみを追い払うことは大変です。
闇にはかかわらず、憎しみは無視して、気楽に生きてきたし、これからも気楽に生きていきたいです。

最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。

悪人ではないし、圧制したこともないが、善人でもなく、言いたいことを言い、言いたくないことは言わずに、自由に生きていきます。

真の平和とは、単に緊張がないだけではなく、そこに正義が存在することである。

正義が存在したと感じることは無いです。

どこにおける不正であっても、あらゆるところの公正への脅威となる。

公正などはなく、不正ばかりを目にしてきました。

すべての進歩は不安定であり、一つの問題を解決しても、我々はまた他の問題に直面することになる。

いろいろなものが進化しましたが、進歩したのは見たことはないです。
進歩とは、何なのかもわかりません。
一つも問題を解決していないので、他の問題に直面することはないです。

愛だけが、敵を友人に変えられる唯一の力だ。

敵は敵だし、敵を友人に変える必要性はない。
愛の意味もわからないです。

まとめ

この時代は大変な時代でした、大変な時代の後の今もまだ大変な時代が続いています。
良い時代を作ることはできるのかと感じます。
偉人となる人は限られています。
限られた偉人が偉人として生きられる世の中にさえなっていないと感じます。
今の大変な時代は、まだ続きそうです。

次は、映画「アレキサンダー」をレビューする予定です。
ご期待ください。
以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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