「ガンディー 平和を紡ぐ人」のあらすじと感想

「夢をかなえるゾウ2 ガネーシャと貧乏神」の中で、出てきた「ガンジー」について知りたいと感じました。
映画「ガンジー」を鑑賞する前に、ガンジーについてもっと知りたいと感じ、読みやすそうな「ガンディー 平和を紡ぐ人」を読むことにしました。

ガンジーは、1964年にノーベル平和賞を受賞したマーティン・ルーサー・キング・ジュニアや1993年にノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラに大きな影響を与えました。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアについては、映画「グローリー/明日への行進」をレビューしたので参考にしてください。
ガンジーは、ノーベル平和賞を授与されていません。

舞台となる場所


ガンディーが生まれたのは、グジャラード地方のポルバンダルです。
ガンディーは、アーメダバードにアーシュラムを建設しました。
ガンディーは、グジャーラートにあるアフマダーバードで労働者の運動、ケーダで農民の運動で、サティヤーグラハを実行しました。


ガンディーは、ラージコートに引っ越します。
カッチ湿原の南方、カッチ湾とカンバート湾に挟まれて、アラビア海に突き出ているところが、カティヤーワール地方です。


ボンベイは、ムンバイになっています。


イギリスの首都ロンドンです。


南アフリカのダーバン、ヨハネスブルクとプレトリアです。
プレトリアは、トランスヴァールの中心都市です。


南アフリカのダーバンとナタール州の州都ピーターマリッツバーグ(Pietermaritzburg)です。


南アフリカのヨハネスブルグ・ブルームフォンテーン地区です。


インドのベンガル州カルカッタは、コルカタになっています。


ビハール州チャンパーランは、ネパールとの国境沿いにあります。
モティハリは、チャンパーランの中心都市です。


アムリッツァーは、アムリットサルになっています。
ラホールは、パキスタンにあり、インドとの国境付近の街です。


塩の行進は、アフマダーバードからハジラに北にある小さな港町ダーンディーまでおこなわれました。


ノアカリは、 バングラデシュのチッタゴンベンガルにあります。


アッサム州は、インドになりました。


カシミール地方は、国境線を確定できずに、紛争地帯になっています。

目次

あらすじ

はじめに

ガンディーは、多くの平和、自由、人権、平等という運動に影響を与えてきました。

普通の人でも、何かを得られるように、人としてのガンディーを書くので、読んだら何かを得ることができます。

第1章 海を渡った青年

異なる宗教を信じる人々が暮らす環境で、両親から異なる宗教を信じる人々と仲良く暮らす方法を学びました。
友人からは、知らないことを教えられ、好奇心を持って育ち、13歳で幼児婚しました。
知り合いのおじさんから、これからはイギリス仕込みの弁護士の時代だと言われ、イギリスのロンドンに留学し、弁護士になりました。
インドでは、階級社会のために、働く場所はなく、南アフリカに渡り、弁護士として仕事をしました。
人種差別され、社会活動を行うようになりました。

第2章 南アフリカの若き指導者

南アフリカのボーア戦争で、インド人衛生看護部隊を結成し、銃弾飛び交う中で、負傷者を運びました。
インドに戻り、インド国民会議派の年次総会に出席し、インドの政治家たちと知り合いました。
南アフリカのインド人の人権を守るために、南アフリカに戻り、週間新聞を発行し、アーシュラムを建設し、ズールー人の反乱にインド人衛生看護部隊を結成し、帝国主義と人種差別を実際に経験しました。
アジア人登録法案に反対するために、サッティヤーグラハ運動を創造し、逮捕され、「ヒンド・スワラージ」を書き、大行進を行い、インド移民の要求を南アフリカ政府に認めさせました。

第3章 マハートマへの道

インドに戻り、アーシュラムを建設し、インドを知るためにインドを旅して、インド国民会議派の年次総会に出席しました。
チャンパーランに行き、退去命令に従わず、逮捕され、投獄されずに、自由な調査を勝ち取り、報告書をまとめて、インド人の権利を勝ち取りました。
ローラット法に反対し、非暴力的な市民不服従を行い、アムリッツアーの虐殺が発生し、ローラット法は成立しました。
インド国民会議派の規約を作り、インドの政党にしました。
イギリス製洋服を脱ぎ捨て、燃やし、カーディーを着る運動を始まました。
農民組合を結成し、地主や警官に集団で抵抗し、成果を上げました。

第4章 塩の行進

一つのインドを作るために「ネルー憲章」が作成され、国民会議派の年次総会で支持を訴え、満場一致で採択しました。
一年以内の完全独立に向けて、非暴力の市民服従運動を開始し、四つの方針を合意し、十一ヶ条の要求を政府に突きつけました。
三段階の運動として「塩の行進」を準備し、実行し、成功させ、メディアが世界に向けて報道しました。
ダラサナ製塩所への行進を計画し、逮捕されました。
完全独立に向けて、非暴力の市民服従運動を止め、ロンドンで円卓会議に出席しますが、主張は受け入れられず、孤立して、会議は終了しました。
ヒンズー教徒とイスラム教徒、身分制度の差別が、対立し、暴動に発展しました。
ヒンズー教徒とイスラム教徒の融和、身分制度の撤廃を主張し、孤立しました。

第5章 最後の祈り

第二次世界大戦が起きて、ヒンズー教徒は独立を認めないなら戦争協力はせず、イスラム教徒は戦争協力をすることで、分断はより深刻になりました。
第二次世界大戦が終わると、ヒンズー教徒は一つのインドとしての独立、イスラム教徒は分離独立を求めて、分断は修復できない状態になりました。
チャンドプルに滞在し、暴動を収めるために「戦いか死か」という宣言し、活動を始めました。
インド・パキスタンは分離独立をして、ヒンズー教徒はインドへ、イスラム教徒はパキスタンへ大移動と暴動が起きました。
カシミール地方の帰属をめぐり、武力紛争が発生しました。
紛争から逃れてきた人々を救うことに尽力しました。

終 章 マハートマの死とその後

ガンディーは、何度も暗殺未遂があったにも関わらず、自らの危険を顧みず、警備を強化することをせず、ガンディーが代表するヒンドゥー教を憎むイスラム教徒やマイノリティーの人々が起こす暴動の現場に行き、説得しすることで、ヒンドゥー過激派による暗殺も予期していました。
ガンディーは、支持を失い、「ガンディーに死を!」という罵声まで浴びていました。
ガンディーの暗殺により、インドは、ヒンドゥー至上主義を唱える民族義勇団は非合法組織に認定され、合法的な活動はできなくなり、インドは多宗教を平和的に共存するように向かわせました。
その後は、インドではヒンドゥー至上主義が主流になり、ガンディーは軽蔑されるようななりました。
ガンディーの死を以てしても、変えられないということです。

むすびにかえて

ガンディーは、一人で何かを成し遂げたのではありません。
ガンディーは、多くの人がガンジーを支持し、行動することで、多くのことを成し遂げました。
一人では、何もできません。
何かを成し遂げたいと思うなら、多くの人の支持を受けて、共に行動してもらうことが重要です。

読書案内

ガンディーに関する書籍について書評がまとまっています。
もっと、ガンディーについて知りたい人は、参考になります。

ガンディー略年譜

良くできています。
これを基にして、自分なりに年表を作ってみると、ガンジーやガンジーを取り巻く社会について理解できるようになります。

登場人物

モーハンダース・カラムチャンド・ガンディーは、ガンディーのことで、幼少時代は、モーハンダースと記載されています。
ガンディーの父親は、ポールバンダル藩王国の宰相カラムチャンド・ガンディーです。
ガンディーの母親は、プタリバーイーです。
ガンディーの兄は、ラクシュミダス・ガンディーです。
シェーブ・メータは、ガンディーの親友で、イスラム教徒です。
カストゥルバは、ガンディーの妻です。
ハリラールは、ガンディーの長男です。
マニラールは、ガンディーの次男です。
ラームダースは、ガンディーの三男です。
デーヴダースは、ガンディーの四男です。
マガンラールは、ガンディーの親せきで、同志です。
ジョンジーおじさんは、ガンディーの昔からの知り合いです。
ベチュルジー・スワミは、ガンディーが頼りにしているおじさんです。
マズムダールは、ガンディーと一緒に船でイギリスへ行った人です。

P・J・メーター博士は、イギリスのロンドンに住んでいて、ガンディーが相談し、インドに帰国したガンディーが家に泊めてもらった人です。
シュリ・ダルパトラーム・シェクラは、イギリスのロンドンに住んでいて、ガンディーが相談した人です。
ランジット・シンジー殿下は、イギリスのロンドンに住んでいて、ガンディーが相談した人です。
ダーダーバーイ・ナオロジー博士は、英語の高等教育を受けインド人として初めて物理と数学の教師になり、イギリスに渡り、イギリス人のインド理解者と共に「東インド協会」をつくり、インドの近代化に貢献し、、ガンディーが相談した人です。

アニー・ベザントは、接神論者で、ロンドンでガンディーと知り合い、後にガンディーと共にインド自治運動を率いました。

アブドゥッラー・シェートは、南アフリカに住んでいるガンディーと同郷のグジャラート人で、ヨーロッパ人を相手に商売をしている人です。

サー・フェロズシャー・メータは、インド国民会議派の重鎮です。
ロカマニア・ティラクは、インド国民会議派の重鎮です。
ゴーパール・クリシュナ・ゴーカレーは、インド国民会議派の重鎮で、ガンディーが師とした人で、南アフリカを訪れて、南アフリカ政府と調整をしますが、失敗しました。

ハーディング卿は、イギリスの貴族で、政治家で、外交官で、1910年から1916年にかけてインド総督を務め、デリーへの遷都を行いました。

ベンジャミン・フランクリンは、アメリカ合衆国の政治家で、外交官で、著述家で、物理学者で、気象学者です。
トルストイは、ロシアの小説家で、思想家です。
ナイチンゲールは、イギリスの看護婦で、社会起業家で、統計学者で、看護教育学者です。
ラスキンは、イギリスの美術評論家です。

H・カレンバッハは、ガンディーの思想に引かれ、ドイツから南アフリカにやってきました。

スマッツ将軍は、南アフリカ連邦の弁護士で、政治家で、軍人です。

ポラクは、イギリス人で、ガンディーの友人で、ゴーパール・クリシュナ・ゴーカレーに言われて、南アフリカに来ます。

ラージクマール・シュクラは、インド国民会議派の年次大会でチャンパーラン問題を訴え、ガンディーをチャンパーランに招待した人です。

C・ラージャーゴーパラチャーリは、インド国民会議派指導者で、ガンディーの盟友で、禁酒運動を行おうとしていました。

C・R・ダースは、ガンディーのよりも大物政治家です。
P・C・パールは、ガンディーのよりも大物政治家です。
ロカマニヤ・ティラクは、ガンディーのよりも大物政治家です。

ガンガベーン・マジムンダールは、貧しいけれども、熱心に活動し、古い手紡ぎ車、綿糸を購入してくれるなら紡ぐ仕事をしたいちいう人々を探し出しました。

スタンリー・ボールドウィンは、イギリス保守党の首相です。

J・A・サイモンは、イギリス自由党の政治家で、インド統括法問題を検討する委員会の委員長です。

アーウィン卿は、イギリスの貴族で、政治家、保守党政権下で閣僚職を歴任し、1926年から1931年にかけてはインド総督を務め、高まる反イギリス運動に対して弾圧と宥和を使い分けてインド統治を行いました。

モーティラール・ネルーは、インド憲法草案「ネルー憲法」を草案しましたが、インド国民会議派とムスリム連盟の対立は激化し、ヒンドゥー至上主義からは批判され、インド国民会議派からもイギリスと対決しても独立すべきと言われ、支持を失います。

ムハンマド・アリー・ジンナーは、イギリスで弁護士資格を取得し、インド国民会議派の政治家になり、ムスリム連盟に加入し、ムスリム連盟の代表に就任し、大衆政治を実践するガンディーと対立し、インド国民会議派を脱退し、インド・パキスタン分離独立を主導しました。

ヴァッラブバーイ・パテールは、弁護士で、インド国民会議派の政治家で、グジャラートのバールドーリ地方で、地租不払いというサティヤーグラハを行いました。

スバス・チャンドラ・ボースは、ベンガル人で、インド国民会議派の政治家で、代替政府の樹立を目指しました。

ラビンドラナート・タゴールは、インドの詩人 、思想家、作曲家で、1913年には「ギタンジャリ」によってアジア人に与えられた初のノーベル文学賞を受賞しました。

ウィリントン卿は、イギリスの貴族で、軍人で、政治家で、インド総督に就任すると、反政府運動を断固として取り締まりました。

ビームラーオ・アンバードカルは、奨学金を得て、ポンペイ大学で学び、コロンビア大学、ロンドンで弁護士の資格を取得し、不可触民、ダリット、アウトカーストと呼ばれている人々を代表し、率いていきます。

リンリスゴー侯爵は、イギリスの貴族で、インド総督に就任しました。

ウェーヴェル伯爵は、イギリスの貴族で、インド総督に就任しました。

マウントバッテン卿は、イギリスの貴族で、軍人で、政治家で、インド総督に就任し、インド・パキスタン分離独立をしました。

ナトゥーラーム・ゴードセーは、ヒンドゥー右翼のテロリストであるサーヴァルカルに師事し、ヒンドゥー至上主義の「ヒンドゥー・マハーサバー」という政党に加わり、この政党の武装集団である民族義勇団に参加し、ガンディーを暗殺し、法廷で、ガンディーさえいなくなれば、インドは誤った非暴力から自由になり、軍事力でパキスタンに報復し、国民を守って正義を実現できると証言しました。
2003年、ナトゥーラーム・ゴードセーの肖像画を国会議事堂の中央ホールに飾り、名誉を回復しました。

サーヴァルカルは、ロンドンで弁護士になり、終身刑で逮捕され、恩赦され、ヒンドゥー至上主義の「ヒンドゥー・マハーサバー」という政党の指導者で、ガンディー暗殺に対して無罪となります。

単語説明

藩王国は、イギリスが植民地統治していた時代のインドにおいて、イギリスの従属下で一定の支配権を認められていた藩王の領国です。

ペルシャは、イランが紀元前300年のアレキサンダー大王の時代から呼ばれてきました。
映画「アレキサンダー」
イランと呼ばれようになったのは、1935年以降です。

アラビアは、アラビア半島を中心にアラビア語を話す地方のことです。

グジャラード地方は、ガンディーの生まれた地方です。

ヒンドゥー教は、紀元前500年にインダス川の東側の人々から信仰されてきた宗教で、多神教で、インドで多数派を占める世界で3番目に信者の多い宗教です。
中心となる3大神は、ブラフマー、ヴィシュヌとシヴァです。
ブラフマーは、世界の実在を与える神です。
ヴィシュヌは、世界の維持と平安を与える神です。
シヴァは、世界の創造と破壊を行う神です。
ブラフマー神を信仰する人をブラフマー派、ヴィシュヌ神を信仰する人をヴィシュヌ派、シヴァ神を信仰する人をシヴァ派となります。

「夢をかなえるゾウ1」「夢をかなえるゾウ2 ガネーシャと貧乏神」「夢をかなえるゾウ3 ブラックガネーシャの教え」「夢をかなえるゾウ4 ガネーシャと死神」「夢をかなえるゾウ0 ガネーシャと夢を食べるバク」に出てくるガネーシャは、シヴァの子供で、象の頭を持つ神で、富と繁栄、智恵と学問を司る神です。

仏教は、紀元前500年頃に釈迦が、インド北部ガンジス川中流域のブッダガヤで悟りを開き、サールナートで初説法を行ったことから始まった宗教です。
ヒンドゥー教では、釈迦はヴィシュヌの化身とされています。

ジャイナ教は、紀元前500年頃にマハーヴィーラを祖師と仰ぎ、苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教です。

イスラーム教は、600年頃、ムハンマドは、メッカ郊外で、アッラーの啓示を受けたと主張し、アラビア半島でイスラーム教を始め、コーランを聖典とした、アッラーを崇拝する一神教です。

パールシー教は、ゾロアスター教とも呼ばれ、宗教生活上で重要なのは3の正しい行い「正しい信仰、正しい知識、正しい行い」に従って正しい実践生活を送ることを解いています。
有名な信者は、インド3大財閥の一つタタ・グループの創業者のジャムシェトジー・タタやフレディ・マーキュリーです。
タタ・グループは、タージマハル・ホテルを経営しています。(映画「ホテル・ムンバイ」)
映画「ボヘミアン・ラプソディ」では、ゾロアスター教のことを「善き思い、善き言葉、善き行い」というように表しています。

カーストは、ヒンドゥー教における身分制度です。
ブラフミンは僧侶階級で司祭などの人々、クシャトリヤは騎士階級で王や貴族などの人々、ヴァイシャは製造業で働ける人々、シュードラは一般人が働きたくないところで働かなくではならない人々に分けられています。
ヴァルナに属さない人々は、不可触民、ダリット、アウトカーストと呼ばれています。
カーストは親から受け継がれるだけであり、生まれた後にカーストは変えられません。
日本の江戸時代の身分制度である士農工商、非人に似ています。
現在の日本でも、身分制度はなくなりましたが、世襲という形で残っています。

マハートマは、偉大なる魂です。

幼児婚は、幼い娘を親の都合で結婚させることです。
幼児婚をさせられた娘は、家庭で家事を行い、子供を産み育てて、学校で学ぶ機会を奪われます。
現在のインドでは、幼児婚は違法ですが、幼児婚が横行しています。

フランネルのスーツは、通常のスーツ生地と違い、毛羽立っているのが特徴で保温性に優れてます。

イブニングは、燕尾服で、男性の夜間の礼服です。

山高帽は、イギリス発祥の帽子で、半球型のクラウンと巻き上がったブリムが特徴です。

接神論は、「真理にまさる宗教はない」をスローガンに掲げ、西洋伝統思想を基礎にして、西洋と東洋の智の「融合・統一」を目指しました。

バガヴァッド・ギーターは、ヒンドゥー教の聖典の一つです。

旧約聖書は、天地創造や神から授けられた契約、イスラエルの歴史などが書かれた書物で、ユダヤ教、キリスト教とイスラム教で聖典とされています。
有名な契約としては、ノアの箱舟、モーセの十戒です。

新約聖書は、イエス・キリストの生涯と教えをまとめて、新たな契約が書かれた書物で、キリスト教で聖典とされています。

グジャラート人は、インドのグジャラート州で生まれ育った人で、ガンディーもグジャラート人です。

債務労働者は、自らの借金又は承継した借金を返済するため使用者の下で働かざるを得ない人です。

フロックコートは、シャツ、ベスト、ズボン、ネクタイとの一揃いで、西洋の昼間の男性用礼装となります。

ターバンは、イスラム教徒やシーク教徒が頭に巻く帯状の布です。

年季契約労働は、一定期間労働することを契約して、外国で働くことで、一定期間労働後には、自由労働者になります。

臣民は、移民や身分制度によって差別されることなく、君主に平等に従属する人です。

インド国民会議派は、1885年からインド人の政治参加を目指す人々の集まりで始まり、反英抵抗運動になり、地方組織を強化して本格的な政党になりました。

ナショナリズムは、政治と文化や民族を一致させようとする思想や運動のことです。

サティヤーグラハは、抗議・反対の意思を真理と非暴力で生まれる力で訴えるという運動です。

受動的抵抗は、抗議・反対の意思を暴力に訴えない運動です。

帝国主義は、巨大資本と国家権力と結びつき、巨大資本の利益のために、国家が軍事力を使用して、領土、勢力圏、植民地の拡大を図る膨張政策のことです。

カーディーは、インドで生産された手紡ぎ糸で織られた手織綿布のことです。

ヤードは、長さの単位で、1ヤードは91.44cmです。

スワラージは、自治という意味です。

ペストは、ネズミ類の体内に生息しているペスト菌により引き起こされる感染症のことで、発熱や悪寒などの症状のほか、敗血症ペストにかかると足や手の指、鼻などに黒いあざが生じることから“黒死病”とも呼ばれ、インドでも大流行が発生し、多くの死亡者が出ました。

パンチャーヤットは、裏の長老五人で構成される会議です。

ハルタールは、伝統的な村八分で、ストライキです。

フランクフルト憲法は、ドイツ統一運動のために、1849年に制定された憲法です。

スワデーシは、外国製品を不買し、国産品を購入し、愛用することです。

ダルマは、法と秩序、正義を司る神です。

バプーは、父親という意味です。

感想

文章は、読みやすいです。
ガンディーについて、良くまとめられ、入門書には大変良い本です。
映画「ガンジー」を鑑賞する前に、読むことをお勧めします。
この本を読むと、映画「ガンジー」をよく理解できるようになります。
ガンジーでも、身分制度や宗教による対立を修復することはできませんでした。
なぜ、身分制度や宗教による対立が起きるのかを理解できていないからです。
この本が、身分制度や宗教による対立について考えるきっかけになると良いです。
身分制度や宗教による対立の理由は、簡単にはわかりません。
ガンジーが、「戦いか死か」というスローガンを掲げていたことに驚きました。

まとめ

「ガンディー 平和を紡ぐ人」のホームページを見つけましたので、参考にしてください。
ホームページ

次は、映画「ガンジー」をレビューする予定です。
ご期待ください。

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